翌朝、俺はいつものように学校に向かう道を歩いていた。 さやかになって迎える四度目の朝。だが昔からずっとそうしてきたかのように、母親に起こされ、「眠い」と文句を言いつつベッドから出、朝の支度をして制服に着替え、母親の作った朝食を食べ、そして急かされるように家を送り出される。 学校へ行く途中、まどかたちと落ち合う場所も時間もちゃんとわかっている。 ほら、手を振ってまどかがやってきた。 「さやかちゃん、おはよ〜」 「おはよ〜、まどか」 手を振るまどかに、俺も手を振り返す。 小走りに駆け寄って追いついたまどかは、俺の横を歩く。 「昨夜は、凄い雨だったね。さやかちゃん行きたいところがあるって言ってたけど、大丈夫だったの? 雨に濡れなかった?」 「え? うん、まあね」 「そう、それならいいけど。そう言えば、今日はひとみちゃん遅いね」 「そうだね、いつもならとっくに合流しているはずなのに」 いつもなら? 当たり前のようにそう話しながら、さやかの記憶がすっかり自分のものになっていることに、俺は内心はっととした。 日一日とさやかの記憶に違和感を感じなくなる。 「さやかちゃん?」 「え? あ、なに? まどか」 「ほら、あそこ」 まどかが車道を挟んだ反対側の歩道を指差す。 ひとみと上条が一緒に歩いていた。 松葉杖で懸命に歩く上条の横に寄り添い、いたわるようにゆっくりと歩くひとみ。 時折何事か話しては笑い合っている。 二人とも楽しそうだ。 周りから見ると微笑ましい光景だろう。だがそれを見た俺の心はざわつく。 こうなることはわかっていた。 ひとみはあたしに宣言した通り、多分恭介に告白したんだろう。 そして彼もそれを受け入れた。 それを許容したのはあたし自身。 それはわかっているけど、できれば見たくなかったものを見てしまった。 「い、いこうか、まどか」 「でも、さやかちゃん」 「いいから行こう」 胸が締め付けられるように苦しい。 幸せそうな二人を見ていると、無性に切なかった。 魔法少女さやか☆アキラ 第9話「もう何もこわくない」 作:toshi9 その日、クラスでは上条とひとみの噂でもちきりだった。 今朝、登校時間よりもずっと早くに、二人が公園を散歩しているのを見たクラスメイトがいると言うのだ。 「あいつら、きっと朝帰りだぞ」などど茶化す男子までいる始末だ。 「さやかちゃん、上条君に何も言わなくていいの?」 「え? いいよ、そんなの」 「だって上条君の体が回復したのは、さやかちゃんの祈りのおかげなんでしょう。それなのに上条君がそのことを全然知らないなんて、そんなのっておかしいよ」 「いいの、恭介は何も知らなくても。 マミさんが言ってたでしょう、『あなたは彼の体を治したいの、それとも彼の体を治した恩人として感謝されたいの』って。 あたし、いいの。彼に感謝されたくて祈ったなんて思いたくないし、彼にそう思われたくないんだ」 まどかにごく自然にそう話しながら、はっとする。 まただ、俺の知らない記憶なのに…… 「さやか……ちゃん?」 「え? あ、なんでもない。ちょっとぼーっとしてたかな。とにかく、恭介のことはもういいの。だってあたし魔法少女だから。彼を好きになる資格なんてないんだし、それよっかがんばって魔女を狩らないといけないんだよね」 俺はそう言って、ガッツポーズをする。 心がざわざわする。胸の奥が苦しい。 きっと本物のさやかだったら、まどかに抱きついて号泣していたところだろう。 でも今の俺にとって、あいつは寄り添うべき存在ではない。それよっか、まどかや杏子と一緒にいるほうがほっとする気がする。だから胸の奥に残るさやかの気持ちをこうやってごまかすことができる。 昨日ずっと感じていた、何をしたらいいのかわからない、やるせなさと不安感は治まっていた。 ママのおかげ? それとも杏子のおかげ? もしかしたらQBの……いや、それはないか。 とにかく、今日こそは魔女を狩らないといけないんだ。でないと全てを失ってしまう。 事態が好転した訳じゃない。でもあれから一晩考え、自分が何をするべきなのか、頭の中を整理する事ができた。 目標がはっきりすると、不思議と俺の心は落ち着きを取り戻していた。 「さてと」 魔女狩りの前に、一つ片付けておかないといけないことがある。 まどかが席を離れると、俺は一人窓の外を見ているほむらに近寄った。 「ほむらさん」 「何か用?」 ほむらは、窓の外を見たまま振り返りもせずに答える。 「明日の午後、あなたの家に遊びに行ってもいいかな」 「はあ?」 ほむらが呆れたような目でこちらを見る。 「ちょっとお話ししたいことがあるんだ」 「あなたと話すことなんて何もないわ。迷惑よ」 そう言ってほむらは俺を睨む。 「まあまあそう言わずに、ね、ほむらちゃん」 笑いながらそう言うと、俺はほむらの耳元に口を近づけ、小声で囁いた。 「今夜は必ず魔女を狩る。そしたら明後日の件で、どうしてもあなたに聞いてもらいたいことがあるの」 今度は俺のほうがほむらをじっと睨み返す。 何秒睨み合っただろうか。 ほむらは、ふぅっとため息をついた。 「わかったわ。勝手になさい」 「ありがとう♪」 放課後、学校から戻ると俺は早速魔女狩りに出発した。 マンションの玄関に、まどかとQBが待っていた。 「さやかちゃん、あたし、今日もついていっていいかな」 「うん、一人だと実は心細かったんだ。まどかが見守っていていてくれると思うと、心強いよ」 実際、俺のソウルジェムはかなり濁りが目立っている。もし今日魔女を取り逃がしたら俺のソウルジェムはグリーフシード化してしまうかもしれない。 勿論、いざとなったら杏子からもらったグリーフシードがあるから、そんな事態に陥ることはない。 だがそんなことを思っていると、唐突に事態が急変した。 『さやか、それは預かっておくよ』 QBがそう言うや、俺のスカートのポケットに入れていたグリーフシードは勝手にポケットから飛び出し、QBの背中に開いた穴の中に吸い込まれてしまったのだ。 『今の君には必要ないものだろう』 「でも、それがないと、いざという時……」 『何言ってるんだ、魔法少女になったさやかには魔女を狩る義務があるんだ。魔法少女になってもう五日目なのにまだ何もしていないさやかには、今夜こそ本気で戦ってもらわないとね。その為には、これは邪魔でしかないものだろう?』 「本気で戦えってか」 杏子がくれたグリーフシードが無いとなると、俺が助かる為にはグリーフシードを自分で勝ち取るしかない。 自分の道は自分で切り開けって訳か。全く、かわいい顔してシビアな奴。 「わかったよ。で、魔女の居場所はどうやって見つけるんだ? 前はあっちから勝手に襲ってきたけれど、こっちから探し出せたことはまだないんだぞ」 『ソウルジェムをかざしてごらん、魔女の結界に反応するから』 しばらく歩いていると、ソウルジェムがぼーっと明るくなった。 「さやかちゃんのソウルジェムが反応してる」 「うん」 俺は周囲をずっとかざして、光の強くなる方向に向かって歩いた。 そして、遂に強烈に光を放つ場所を見つける。 「その水溜りだ!」 歩道にできた昨夜の雨の水溜り。そこに月が映って明るく輝いているが、その輝きは月の光のせいだけではなさそうだ。 『水面がどうやら結界の入り口になっているようだね』 「よし、それじゃ入るぞ」 「さやかちゃん、あたしも」 まどかはかずかに脚を震わせながら、俺の手を掴む。 「うん、あたしのこと、見守ってて!」 俺はまどかの手を握ると、目の前の水溜りに足を伸ばした。 途端に、俺とまどかはそこに吸い込まれてしまった。 風景が一変する。 そこは、暗い影だけの世界。 自分の姿も周囲もシルエットばかりで何も見えない真っ黒な世界。その中に、赤と白で彩られた巨大な樹木のような異形の姿が浮かび上がっていた。 幹から生えた枝が、俺たちに気がついたかのようにざわざわと一斉に伸び始める。 そこから発する殺気は使い魔と全然違う。それは以前の芋虫のような化け物、いや魔女に結界に引き込まれた時と同じ感覚だった。 「魔女、本物だ!」 俺が叫ぶと同時に 四方八方から無数の枝が襲い掛かる。 そのひとつが下腹にヒットし、一瞬目の前が真っ白になる。そして次の瞬間、痛みと、吐き気がこみ上げる。 「ぐふぅ、げ、げほっ」 胃の中のものを全部吐き出す。 ふらふらと立ち上げる。 だが、無数の大枝は、容赦なく襲い掛かる。 鞭のような枝で顔を打たれ、太い枝でわき腹を殴られ、そして顎を突き上げられると、たまらず吹っ飛ばされる。 「さやかちゃん、しっかりして。さやかちゃん、がんばって!」 まどかの声が遠くに聞こえる。 『感覚を鈍くすればいいんだよ』 QBの声がふっと耳をよぎる。 「そ、そうか」 感覚を操作してみると、すっと痛みが感じられなくなった。 「痛くない、痛くないぞ」 立ち上がった俺は一気にジャンプすると、両手に持った長剣で数本の大枝を同時になぎ払った。 怒り狂ったように、さらに多くの枝が俺に襲い掛かる。 だが、もう鞭のように打たれても、拳のように殴られても何も感じない。 「なんだ、最初からこうすればよかったのか、は、はは、あはは、こいつ、よくも散々いたぶってくれたな」 全ての枝を片っ端からぶった切った俺は、じわりと魔女の本体に近づく。バオバブの大木を思わせるその本体が怯えるかのようにぶるっと震える。 俺はその幹に向かって長剣を叩き付けた。 殴りつけるように何度も何度も。 “ヒイイイイイイ” 結界の中に魔女の悲鳴が響き渡る。 鋭く切り裂いた途端に蝶やひな鳥になった使い魔の時とは違う。 鈍く叩きつけられた剣は幹を切り裂くこともなく、魔女が別の物に変わることもなかった。 ただ、刃をぶつけられた幹は凹み、樹皮が飛び散り、血液のような赤い樹液をまき散らす。 返り血のように頬に浴びた赤い樹液を拭うことも忘れて、俺はひたすら魔女に長剣を叩きつけ続けた。 興奮して我を忘れていた。 「さやかちゃん、やめて、もうやめてぇ!」 だがまどかの声に耳を貸さずに、俺は魔女を剣で殴り続けた。 やがて魔女は、一瞬断末魔の叫びを上げたかと思うと、そのままぐったりと動かなくなった。 全ての枝が消え、幹が凍りついたように固まり、そしてさらさらと砂とように崩れて消えてしまった。 後に残ったのは黒い宝石。 「グリーフシード!」 「それはお前のもんだ、さやか」 え? 振り返ると、槍を担いだ杏子がいた。 「見てたよ。あまり褒められた戦い方じゃなかったけど、とにかくそれはお前がお前の力で手に入れた初めての獲物だ」 「俺の……獲物」 「でも、もうそんな悲しい戦い方をするんじゃないぞ。お前にはもっとお前らしい戦い方があるだろう。使い魔たちと戦った時のような」 「使い魔たちと戦った時……」 そう言えば、剣の切れ味が以前と全く違う。 使い魔たちは別の物に変化したのに、今日の魔女は消滅してしまった。 なんだろう、何か違うんだ。 グリーフシードは確かに自分の力で手に入れた。 でもこれで良かったんだろうか。 どこか空しい。 達成感など何も無かった。 でもわかったことが一つある。 俺だって魔女と互角に戦える。 何も恐れることはないんだ。 絶望なんか絶対にしない。 もう何もこわくない。 (続く) |