「まどか、こっち!」

 俺は消火器のコックを外すと、まどかを追いかけてくる影に消化剤を浴びせかけた。
 相手がひるむ隙に、QBを抱えているまどかの腕を握って駆け出す。
 後ろから追いかけてくる黒い影。
 だめだ、追いつかれる。

 だがそう思ったその時、景色が一変した。
 改装中でコンクリートがむき出しの無機質なフロアにいた筈なのに、まるで美術館の中に迷い込んだような異様な風景が俺たちの前に広がっていた。
 そして俺たちの周りからは人間と同じ位の大きさの、雲の塊のような異形の群れがぞろぞろと現れた。
 やがて、異形たちは獲物を前にした肉食獣の群れのように俺たちを取り囲み、その輪をじりじりと狭めてる。
 嬌声にも聞こえるその声は、一斉に飛び掛るタイミングを数えているかのようだ。

 駄目!

 だが観念して肩をすくめた瞬間、爆発音と共に群れは四散していた。

「もう大丈夫、安心して」

 俺たちの前に、金髪の少女がゆっくりと歩み寄る。

「QBを助けてくれてありがとう。あたしの名前はマミ、あなたたちと同じ中学に通う魔法少女よ。あ、ゆっくり自己紹介したいところだけど、その前に!」

 軽くジャンプしたマミさんは変身した。
 中学の女子制服から、羽飾りのついた帽子、白いブラウス、黄色いリボン、茶色のコルセット、そしてミニスカートといった衣装に変わる。
 ブラウスを盛り上げる大きな胸は中学生とは思えないほど立派だが、それはともかく、マミさんは何も無い空間からおびただしい数の小銃を出すと、次々とそれを構えては打ち放ち、周囲から襲い掛かる異形を打ち砕いていく。
 だが雲の塊のような異形は、大きな雲の中から分裂しては、後から後から襲い掛かってくる。

「もぉ、キリが無いな。一気にいくわよ」

 その瞬間、おびただしい数の銃はひとつに収束して巨大な銃に変化した。

「ティロ・フィナーレ!」

 銃から真っ赤な火の玉が発射され、巨大な雲に命中する。そして、小さな雲もろとも燃え尽きてしまった。

「うふっ♪」

 マミさんは俺たちに向かって振り返ると、にこっと微笑む。

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 だが、微笑むマミさんの姿はゆらりと揺れ、ぼやけていく。

 気がつくと、巨大なケーキやキャンディの中で、マミさんはぬいぐるみ人形のような魔女と戦っていた。
 スポンジケーキのような地面に、10数丁の銃を突き刺し、鮮やかな手さばきで打ち放っては向かってくる小さな使い魔たちを霧散させていた。

「これで最後よ!」

 マミさんが叫ぶと、束になった銃が巨大な銃に変化する。

「ティロ・フィナーレ!」

 巨大な銃を抱え込んで叫んだマミさんは、巨大な銃弾を発射させる。
 腹部を銃弾で打ち抜かれる魔女。

「やった!」

 だが次の瞬間、魔女の口の中から蛇のような魔物が現れる。

「あ!」

 驚く間もなく、大きな口を開けた魔物がマミさんに襲い掛かる。

「マミさん!!!」

 はっと目が覚める。

 気がつくと、目から涙がこぼれ落ち、机を濡らしていた。

「夢か」

 はぁ〜っとため息をつく。

「さ・や・か・さん!」

 顔を上げると、俺の前で腰に手を当てた担任の教師が睨んでいる。

「そんなにあたしの授業はつまらないかしら?」

 にこっと笑う女教師。だがその目は笑っていない。

「ご、ごめんなさい」

 立ち上がって、教師に謝る。
 クラスの中にクスクスという笑いが漏れる。

「よろしい。真面目に聞いていないと駄目よ」

 ふぅ、授業中に居眠りしていたらしい。

“マミさん、あたしのあこがれだった人”

 俺の頭の中で、そんな声が残響のように響く。

 そうだ、マミさんは死んだ。魔女に殺られてしまったんだ。




 魔法少女さやか☆アキラ
  第5話「こんなのおかしいよ」

 作:toshi9




「さやかちゃんが授業中に居眠りするなんて珍しいね。やっぱり昨日夜更かししたから眠くなっちゃったの?」

「え? ま、まあね」

 学校が終わり、俺は今日もまどかとひとみの三人で下校していた。
 夜更かししたという今朝の話を、まどかはちゃんと覚えていたらしい。
 ずっとオナニーにふけってろくに寝てないというのが本当のところなんだが、二人にそれを話せる訳がない。
 あまり蒸し返して欲しくないなと思いつつも、俺は黙って歩くしかなかった。

「ねえ、さやかちゃん、今夜もパトロールに行くの?
 疲れているんでしょう。ゆっくり寝たほうがいいんじゃないのかな」

「ありがとう、まどか。でも大丈夫だから」

 俺のことを心配してくれている赤いリボンの少女、まどか。
 彼女とは小学生からの親友なんだよな。
 まどかとの想い出がフラッシュバックのように蘇る。

「え? あ!」

 違う、これは俺の記憶じゃない。さやかの記憶だ。
 居眠りしていた時に見たあの夢もそうだ。

 俺は夢の中で繰り広げられたあの戦いのことも、マミさんのことも知らない。
 でもあれは、確かに俺のの目の前で現実に起きた出来事なんだということを感じていた。
 きっとさやかが体験した過去の記憶なんだろう。

 さやかの記憶……それは魔法少女になることを選んだ俺が《魔法少女さやか》として生きていくのに必要なものかもしれない。
 でもさやかの記憶が増えるということは、今までの自分の記憶に、どんどんさやかの記憶が入り混じっていくということだろう。
 いや、混じるだけならまだいい。俺の記憶って、もしかしてさやかの記憶に押しやられて希薄になってきているんじゃないんだろうか。
 そう言えば、さやかとして暮らすことにどんどん馴染んでいるし。

 それに気がついた時、ぞくりとした感覚が俺の中を通り抜けた。

 俺は自分の記憶を確かめてみた。
 名前は三ッ木晃、独身のサラリーマン。一人暮らしだが、田舎には両親と妹が暮らしていて、それから……よかった、ちゃんと思い出せる。

 きちんと元の自分の記憶があることに、ちょっとだけほっとする。

 だが、いつまで覚えていられるのだろうか。もし元の記憶を全て忘れてしまったら、俺、本当にさやかになってしまうんじゃないのか?
 心そのものも、さやかという少女になりきってしまうんじゃないだろうか。
 そしたら俺って誰なんだ。俺なのか、さやかなのか。
 それって俺が願ったことなのか? 
 いや違う、こんなの、こんなのおかしいよ。

「ねえ、さやかちゃん」

「え?」

 まどかに腕を掴まれて、はっとまどかを見る。
 彼女は心配そうな顔で俺を見ていた。

「どうしたの? さやかちゃんの顔、なんだか怖い」

「え? あ、気にしないで、ちょっと考え事してたんだ。ごめん」

「さやかちゃん、あたし今夜のパトロールも一緒について行っていいかな」

「え、まどかもいっしょに?」

「あたし心配なんだ。この間みたいなことになったら、どうしようかなって。何もできないかもしれないけれど、さやかちゃんの側についていてあげたいの」

「今度は大丈夫だと思うよ。あの杏子という子とも仲直りできそうだし」

「そうなの? でも、あたし」

「うん、ついてきていいよ。まどかの気持ち、とってもうれしいし」

 いいよと言ったものの、パトロールに行くのは元のさやかではなく俺だ。魔女狩りを実行するかどうかは俺自身が決める問題なのだ。
 でも今朝の戦いで少しばかりの慣れと自信をつけた俺は、QBとの契約通り魔女狩りをやってみようという気になっていた。

『まどか、それは良い考えだね。いざとなったら君が僕と契約すれば、君の力を切り札として使えるし、僕としては賛成だな』

「QB!」

 いつのまにか、まどかの肩にQBが乗っていた。

「それじゃ、今夜さやかちゃんの家に行くから」

「うん」

 ほんとに友だち思いのやさしい子だよな、まどかって。

 そんな俺とまどかの会話に、ひとみが口を挟む。

「さっきから、二人で話しているパトロールって何ですの?」

「え? ふふっ、あたしとさやかちゃん、二人の秘密だよ」

 まどかが笑って答える。

「まあ、あたしにはもうお二人の間に割り込む余地はないんですのね、悲しいですわ」

 ハンカチを目に当てて、よよよと泣き崩れるひとみ。勿論お芝居だ。

「もう、ひとみったらほんと気にしないで。それじゃあたしはこれで」

 だが、交差点で別れようとした俺を、ひとみが呼び止める。

「さやかさん、今ってお時間あります?」

「え? 大丈夫……だけど」

「上条君のことでお話があるんですの。よろしいかしら?」

 昨日言いかけたことか、何だろう。

「え? ま、いいけど」

「それでは、そこのお店に入りましょうか」

 ひとみに促され、まどかと別れた俺たち二人は、喫茶店に入った。

 ひとみは席に座ってソーダ水を注文すると、真顔で俺に話し始めた。
 さっきとは表情が一変している。

「上条君のことですけど」

「うん、何かな?」

「あたし、上条君のことをお慕い申し上げていますの。さやかさん、あなたも上条君のことが好きなんですわよね」

 ズキン

 胸の奥が痛い。この痛み、さやかは確かにそいつのことが好きだったのかもしれない。
 でも、俺にとって男と付き合うなんて考えられない。
 俺は、胸の奥の痛みに抗うように、真顔で俺を見つめるひとみに、けらけらと笑って言った。

「あ、あたし別に彼のこと何とも思っていないから。いいよ、あたしのことは全然気にしないで」

 ズキン、ズキン

 胸が痛い。

「ほんとによろしいんですわね。それでは、あたし明日にでも上条君に告白させてもらいます。よろしいかしら」

「うん、構わない」

「そうですか」

 目を閉じてストローでソーダ水をひと飲みしたひとみは、すっと立ち上がると、レジに歩いていった。

「あ、あの」

 ひとみの背中に向かって声をかける。だが次の言葉が出てこない。
 ぴたっと立ち止まったひとみは振り返った。

「あなたの上条君への気持ち、そんなものだったんですか? 見損ないましたわ」

 それっきり言うと、ひとみは店を出て行った。
 一人席に残された俺は、立ち上がったままそれを呆然と見送るしかなかった。

 これで良かったんだろうか……

 気がつくと、涙が一筋机にこぼれ落ちていた。
 ひとみの後を追いかけたいという衝動が湧き上がる。

 でも、追いかけてどうするんだ。上条って奴をひとみには渡さないとでも宣言するのか? 馬鹿な。

 そう思って、席に再び座り込む。

「ふぅ〜」

 大きくため息をついた俺は、気を取り直すように残っていたソーダ水を飲み干した。

「とにかく、まずは今夜のパトロールだ。まだ魔女とは戦いたくないけど、経験値は上げておかなくちゃな」

「あなた」

 突然呼ばれた俺は、顔を上げた。
 目の前に、長い黒髪の美少女が立っている。
 それは、ほむらだった。

「あなたは誰?」



(続く)