「恋と魔法の夏休み」
 作・JuJu

 第13話

 気がつくと、やわらかくて、なつかしい香りのする場所に寝かされていた。
(ここは?)
 わずかに目を開く。見覚えのある場所が、そこにあった。
(夏花の……部屋?)
 もう、何年も入っていないが、間違えるはずがなかった。ここは夏花の部屋で、俺は夏花のベッドに寝かされていた。
(そうだ、思い出した。風呂場で鼻血を出して気絶したんだっけ)
 とつぜん、視界にユイの顔が飛び込んできだ。俺の顔をじっと覗き込む。
「夏花! ヒロミが目を覚ましたよ」
「本当!?」
 いったんユイが消えたかと思うと、今度は夏花とふたりで俺の顔をのぞき込んできた。俺がうなずくと、ふたりは同時に安堵した顔になる。
「心配をかけたようだな。すまない。もう少しだけ寝かせてくれ」
 そうことわると、俺は再び目を閉じた。
「ごめんね。ヒロミのためと思ってがんばったんだけど、あたし、ちょっとやりすぎちゃったみたい」
 ユイはささやくように謝罪し、それから沈黙した。
 意識ははっきりしていた。だが、物思いにふけりたい気分だったのだ。いい匂いのする居心地の良いこの場所に、もうすこしだけ包まれていたかった。まもなく、幻と消えてしまうこの場所に。
 模様替えをしたのか、俺の記憶とは違うところも多かった。部屋にある小物もずいぶん新しい物が増えていた。なにより変わったのが、この部屋の匂いだった。いつのまにかこの部屋は、女の匂いが染みついていた。それは、俺の記憶にはないことだった。だが、どんなに物が増えても匂いが変わってしまっても、この部屋をただよう優しい感触は、何ひとつ変わっていなかった。
 この姿も今日で終わりだ。明日からは、もう、夏花とはつきあえない。それは初めからわかっていたことだ。
 なぜか脳裏に、幼い頃に見つけた捨て猫の顔が浮かんだ。おそらくユイがあの捨て猫の使いとかいったためだろう。
(いつの頃からだろう。彼女とまともに話すことさえできなくなったのは。
 あの捨て猫を見つけた頃は、彼女の前でもこんな劣等感は感じなかったのに)
 と、俺は思った。
(そうか。俺は、夏花に劣等感を抱いていたんだ。
 だから、夏花との会話もできなくなった。
 夏花に告白できない理由も、そのせいだ。
 勉強もスポーツもルックスも、すべてか平凡である自分に対し、夏花は、日に日に素敵になっていった。
 そんな夏花が眩しくて。夏花に比べて成長しない自分がふがいなくて)
 もちろん、俺だって夏花に追いつこうと努力はした。夏花に知られると恥ずかしいので、ひそかに努力した日々もあった。だが、そんな俺の努力など相手にならないほど、夏花は美しくなっていった。
(夏花は、「うさぎとかめ」の昼寝をしないうさぎだな)
 我ながら下手なたとえに、思わず苦い笑いが漏れてしまう。
「ヒロミ、笑っている。もう大丈夫みたいだね」
「ああ。大丈夫だ」
 ユイにこたえてから、続けて夏花にあやまる。
「ごめんな、夏花。ベッド借りて。ちょっとのぼせちゃったみたいだ」
「よかった。倒れたときはどうなることかと、心配したのよ」
(そうか、夏花は俺のことを心配してくれていたんだ。それなのに、俺は今このときも夏花をだましている。
 それに、そこまで心配してくれたヒロミは、明日には消滅してしまう)
 そう思うと、いままで考えないようにしてきた夏花に対する罪悪感が、一気に襲ってきた。
「そういえば、交換留学は一週間だったわね。
 ヒロミさんとも、ユイとも、せっかく仲良くなれたのにね」
 夏花がしみじみとした声でいった。
(俺は、夏花に嘘をついている。
 いや、嘘だけじゃない。女のふりをして裸を見て。一緒に風呂にも入って。
 これは、許されない嘘だ。
 最低だな。俺)
 俺は夏花が好きだ。心から好きだ。この一週間でそれを確信した。
 正体をばらせば、まちがいなく嫌われるだろう。だがそれよりも、夏花に対してこれ以上最低な自分にはなりたくなかった。
(よし、すべてを話そう)
 猫の魔法が消える前にしなければならない。そんな気がした。
「夏花、よく聞いてくれ。俺のこの姿は、本当の姿じゃない。俺は本当は――」

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