『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 その1
JuJu


 それはジャコマの事件からいくらかの時が過ぎ、敏洋の記憶からもジャコマのことがいくらか薄らいだある日の午後のことだった。
 敏洋と真緒は、教会の居間で魔法の文字の学習をしていた。
「敏洋さん、そろそろ休憩にしましょうよ」
「またか? 休憩ならさっきいれたばかりだろう」
「少しくらい、いいじゃないですか」
「だめだ。俺はマザーから真緒がしっかりと勉強するように、監視をまかせられているんだ」
 だが、真緒は敏洋の話など無視して、考えこみはじめる。
「う〜ん、休憩にするにはどうしたら……」
「いや、必死に考えるのはそっちじゃなくて、マザーの出した課題の方をだな……。
 おい、真緒。俺の話を聞いているのか? どうしてお前は、そうつまらない事となるとちゃんと集中するんだ?」
「そうだ! 敏洋さん、はい! これをどうぞ!」
 突然真緒が袋から取りだして卓の上に置いたのは、重厚な装丁がされた古びた書物だった。
「これはジャコマの書じゃないか! どうしてこれをおまえが持っているんだ? また図書室に入ったのか?
 まさか、またジャコマに会いたくなったから出せとでもいうのか? お前とジャコマは妙に気があっていたみたいだからな。だが、あきらめろ。俺は絶対にジャコマなんか召還しないからな。
 それに図書室においてある本を勝手に持ち出すと、マザーに叱られるぞ?」
「叱られませんよ。だってこれは、敏洋さんに渡すようにマザーからあずかって来たんですから」
「マザーが俺に?」
 敏洋は納得ができないといった顔をしながら、ジャコマの書を受け取った。
「どうしてマザーが、俺にジャコマの書を送って来たんだ?
 ……!!
 まさかお前っ! ジャコマの事を、マザーに話したりしていないだろうなっ!?」
「えっ……!? ええーっと……。
 そっ、そのあたりの事情は、いまお茶でも淹れてきますから、それでも飲みながら聞いてください」
 冷や汗の浮かぶあせり顔を愛想笑いでごまかしながら、真緒はそそくさと部屋を出ていった。

   *

「にがっ……」
「おいおい。あれだけ砂糖を入れてまだにがいのか? どれだけ子供な味覚をしているんだ? 目の前で大量の砂糖を入れられると、見ている方が胸焼けしてくるんだよ。
 まったく。にがいのが苦手ならば、コーヒーなんか飲まなければいいだろ」
「それは、敏洋さんがコーヒーが好きだから……」
「俺がコーヒー好きだと、どうして真緒が無理してコーヒーを飲まなければならないんだ?
 まあいい。今はそれどころではないからな。
 話を戻すぞ。
 なぜマザーがジャコマの書を俺に渡してきたのか、その理由を早く話してくれ」
「実は昨日、マザーがお戻りになって」
 砂糖とミルクがたっぷりと入ったコーヒーをくちにふくんでから、真緒は話し始めた。
「ああ、そうだってな。俺は用事があって会えなかったが。それで今日も朝早く魔物退治に出かけたんだろう? タフな人だよな」
「その時、マザーにジャコマさんの事がばれまして……」
「……やっぱり。――ジャコマのことをマザーに話したのか。あれだけ念を押しておいたのに」
「だって……、しかたなかったんですよぅ。
 マザーは出張から帰ったあと、ずっとこの居間で読書をしていたんです。
 ところが、なぜか突然急に、何かを思いだしたように立ち上がると、部屋を出ていって。
 しばらくすると、血相を変えた顔で、図書室にあるジャコマの書を手に持って戻ってきました。そして、どうしてジャコマの書の留め金がはずれているのか、わたしを問いつめてきたんです。
 あの留め金は開かれたことが分かるように、一度外れると二度とはめられないような仕掛けがしてあるんだそうです」
「なるほどな。それで俺たちが、偽装のために留め金をはめ直そうとしても、留まらなかったのか」
「そういうわけで、わたしが留め金を外した事がばれてしまいました」
「それで、問いつめられて、ジャコマの事を話してしまった……と、こういうわけか。
 まあ、あのマザーに問いつめられたら、ごまかしきれないのはわかるが……。
 俺だって本気で問いつめられたら、隠しきれる自信がない」
「はい。とてもこわかったです……。
 それで、問われるままに話しました。
 ――図書室のお掃除をしていたらジャコマの書を見つけて、敏洋さんが好きそうな本だったので、敏洋さんに見せていたら留め金が外れて……」
 真緒はその時のことを思い出しながら、敏洋に話した。

   *

「――それで、封印を解いてしまったわけ?」
 マザーが、さらに真緒に詰め寄って来た。
「真緒。出てきた魔物に変なことされなかった?」
「は……はい。魔物は本に戻しました」
「だったらいいんだけど。
 いえね、この本に封印されている魔物がどんな魔物かっていうとね、人に憑依して……。
 まっ、まあとにかく、魔物に何もされなかったならばいいのよ。真緒だって魔物退治師だもんね。ちゃんと魔物を駆逐(くちく)することができたみたいね」
「いいえ、魔物を本に戻したのは敏洋さんです」

   *

「このバカ! なんでそこで、俺のことを黙っておかなかったんだ」
「もちろん、敏洋さんがジャコマさんに憑依されたことは黙っておきましたよ」
「当然だ」
「敏洋さんが魔物をふたたび本に戻したって言ったら、マザーも驚いていましたよ」
「それは、驚きもするだろうよ。
 それにしても、マザーはずいぶんジャコマの書のことにくわしいな。留め金の事も知っていたし」
「わたしもそれが気になって、マザーに訊いてみたんですよ。
 どうしてそんなに、ジャコマの書を気にしているんですか? って。
 そしたら、わかったんです。ジャコマの書に留め金をはめたのって、マザーなんだそうです」
「何っ!? じゃあ、マザーも真緒みたいにジャコマを召還してしまったのか? それで退治し、ふたたび本の中に封じ込めたんだな。
 ――まてよ? 退治したにしては、あの留め金のはめ方は尋常じゃなかった。どう見ても興奮状態ではめたようにしか思えない。
 ジャコマはああ見えても魔物だ。あるいは、マザーはジャコマを退治しようとして返り討ちにあったのかもしれない。
 マザーはジャコマに憑依されて淫魔になり、俺みたく淫欲を集めさせられた。充分に淫欲を集めてジャコマが満足して書に戻ったところで、マザーはジャコマが二度と出てこられないように慌ててジャコマの書に留め金をはめた……。
 それならば、留め金があれほど乱雑にとめられていた理由にも納得がいく」
 敏洋は目をつむった。
「淫魔になったマザーか……」

   *

 敏洋の脳裏に、妖艶なマザーの姿が浮かんだ。
 マザーは美人で胸も大きい。
 そんなマザーが、ボンデージを身につけ、好色そうな瞳で、敏洋の体を物欲しそうに、ねっとりと舐めるように見ていた。
 やがて、見ているだけではものたりなくなったのか、男の肉体が欲しくてわずかも我慢ができない表情をしながら、色っぽい仕草で大人の女の体をくねらせながら迫ってくる。
 その姿を見て、敏洋の理性が警鐘を発した。
 見た目がどんなに色っぽいイイ女でも、相手の正体は、あのマザーとジャコマなのだ。
 だがそんな警鐘も、男の本能の前には全く無力だった。彼女の正体を知っていても、欲情が体中で沸き上がる。
 いや、今回ばかりは、淫魔になることで、マザーの性格や容姿の魅力が引き出されていた。これ以上彼女に合うかっこうはあるまい。敏洋はそう感じた。それもこれは仮装ではない。正真正銘、本物の淫魔の体になっているのだ。
 マザーは甘えるような上目遣いで、それでいて、けっして獲物を逃さないといった鋭さも併せ持ちながら、一滴の精液でさえ残しはしないと言う決意をこめた瞳でしずかに近づいてくる。
 その姿はまさに雌豹(めひょう)をほうふつとさせた。
 やがてマザーの顔が目前まで迫ると、敏洋のあごを白く細い指で軽く掴み、舌なめずりをする。
 大人の熟した大きな胸が、敏洋の胸板にあたる。
「マ、マザーは淫魔にとりつかれているんです。こんなこと、やめましょうよ」
「わかっているわ。でも、がまんできないの。体のうずきがとまらないのよ。
 いいでしょ?
 それとも、年上のお姉さんはきらい?」
 マザーは敏洋の首筋に舌を這わせた。その舌は唾液をしたらせつつ上昇し、敏洋の耳を舐めると、吐息と共にささやいた。
「ねえ、お姉さんと、いいことしましょう……。
 好きよ、敏洋くん……」


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