第四幕 その2
JuJu


 俺は真緒に、すべてを話した。
 いつも騒々しい真緒が、今は黙って聴いている。最後まで、真剣な表情だった。
 話が終わると、真緒は一呼吸置いた後、真顔で尋ねてきた。
「ジャコマさんって、どんな人なんですか?」
 例の本から出てきた淫魔だと言う事は、すでに話してある。だから、もっと詳細な説明を求めているのだろう。
「俺が今まで見てきた、どんな女よりも美人だった。スタイルもいい。人間を超えた、魔物ならではの美しさだった。まるで、男の理想を結集させた様な美しさだった」
『ふふん』と、ジャコマが得意げに鼻を鳴らす。
 俺はジャコマをほめたわけではない。ただ、事実を伝えているだけだ。
「それで、敏洋さんはその美人でスタイルもいいジャコマさんと、いやらしい事をしたんですよね?」
 真緒が、ちょっとすねた顔をしながら訊いてきた。
「……すべては、話したとおりだ。
 本心からじゃない。俺は抵抗した。だが、ジャコマに襲われて仕方なかったんだ」
「でも、ジャコマさんとキスをした時の話、敏洋さんはまんざらでもない顔をしていました」
「いや、それは……」
 確かにその場面は、ジャコマにキスを迫られた時を思い出しながら話した。自分ではそんなつもりはなかったのだが、顔が自然にゆるんでいたかもしれない。
「敏洋さんって、もっとしっかりした人だと思っていました」
 表情だけではなく、口調まで怒気を帯びていた。
 ところが、真緒は俺の気持ちを察したように、急に優しげな声で話し始めた。寂しげな感じさえ漂う。
「ごまかさなくてもいいです。敏洋さんが悪いんじゃありません。
 敏洋さんだって、男の人ですからね。美しい人からキスを求められて、嫌な気分になる男の人なんていないでしょうから。
 それほどの美人に迫られれば、どんな男の人だって……」
 真緒は、うつむきながら言った。
 それは俺を弁護すると言うよりも、真緒が自分自身に言い聞かせているように聞こえた。
「真緒、勘違いをするな? 俺は魔物に、むりやり襲われたんだ」
 真緒が、正気に戻ったように顔を上げる。
「すみません。
 そうですよね。魔物相手に、ふつうの人間が抵抗できるはずはありませんから」
「ああ。それで俺はこんな体にされてしまった。
 だが、俺は俺だ。
 体は魔物に奪われたが、心までは屈していない」
 俺は手を真緒の頭に乗せて、ぐしゃぐしゃとなでた。
 真緒は、俺を見上げて小さく笑ったが、すぐにまた真剣な表情に戻った。
 俺を真っ直ぐに見つめる。
「敏洋さんが生きるには、淫欲が必要なんですよね?
 ――わたしの、体で良ければ……」
「真緒っ! おまえ、意味が分かって言っているのか?
 その……女にとって大切な物をだな、そんなに簡単に……」
 真緒は男がどんな物なのか、セックスとはどんなことをする物なのか、分かっていないのだろう。だからこんなにも簡単に、体を許すとか言い出すのだ。
(体こそ女だが、精神はまだ子供だ)
 俺は真緒をあきらめることにした。いくら生きるために淫欲が必要だと言っても、こんな子供を襲うわけにはいかない。
 俺のそんな気持ちを察したのか、ジャコマが話しかけてきた。自分の腹を満たしたいのだろう。ねっとりとした、色香が漂う声色で俺にささやく。
『この子の脚を見ただろ? 女のアタシから見ても、なかなかの体つきをしているよ』
「そんなことは、言われなくても解っている」
『だったら、どうして襲わないんだい?』
「……」
 煮え切らない俺に、ジャコマは言う。
『あの子がいいって言っているんだ。女に恥をかかせるもんじゃないよ』
「真緒は俺を助けるために、自分の体を差し出そうとしているんだ。そこまで心配してくれている相手を襲うほど、俺は落ちぶれてはいない。
 それに、あいつは体こそ良いが、精神はまだまだ子供だ。だから、平気で俺とセックスするとか言い出すんだ」
『ああ、なるほど。それでやせ我慢をしているって訳かい。
 やっぱり気が付いていなかったんだね』
 ジャコマは言い聞かせるような口調で話し始めた。
『――ご主人様。アンタがこの教会に入って来た時の事を思い出してごらん。姿が変わったご主人様を、あの子がどうやって見抜いたと思う?』
「それは、俺がいつもしている眼鏡をかけていたからに決まっているだろう」
『違うね。それだけじゃないよ』
「じゃあシスターだからか? マザーと魔物退治に出かけているから、魔物の姿には見慣れているはずだ。そこで本物の魔物との相違点に気が付いたのだろう」
『はあ〜……』
 ジャコマは深くため息をついた。
『それも違うよ。本当に分かっていないんだねえ。これだから男ってやつは。男が鈍感な所は、淫魔でも人間でも変わら無いんだねえ……。
 答えは、あの子の観察眼だよ』
「観察眼?」
『女ってのはね、男には考えられないほど、仕草や癖をよく観察しているもんなんだよ。好きな人ならば、なおさらね。
 あの子は、ご主人様の雰囲気から見抜いたんだよ。いくら容姿が変わっても、仕草や癖までは変わらないからね。きっとあの子は、それだけつね日頃からご主人様のことを目で追っていたんだろうよ』
「……。そういえば、ちょっとした仕草が原因で、女に浮気を見破られたなんて話を聴いたことがあるな。
 だか、なんで真緒は、俺のことをそこまで熱心に観察していたんだ?」
『かーっ! 何を聞いていたんだい! ここまで言っても、まだ分からないのかい!? もういいよ! アタシは腹ぺこで気が立っているんだ。
 いいかい? よくお聞きよ。
 ご主人様がどんなに我慢したって、本能には決して逆らえやしない。
 この場を逃すと、次は男かもしれないよ。気がついたら男を襲っていた……なんて事になっているかもしれないね。
 それが嫌ならば、ここは一つ、この子を襲っちまうってのが利口って物じゃないのかい?』
 男とセックスをするのならば、死んだ方がましだ。それだけはなんとしても回避しなければならない。
「しかし……だな、女同士でセックスなんて……。
 ん、待てよ?」
 俺はジャコマに問う。
「ジャコマ。お前俺に、男とセックスする事が淫魔の食事だと言っていたよな。
 だが今の俺は、女に欲情している。
 どういう訳だ?」
『さあ〜、どうしてだろうねえ……。アタシに聞かれてもねえ』
「おまえが俺に、男とセックスしろって言ったんだぞ」
『たしかに、アンタの疑問ももっともだよ。女の淫魔が女の人間に発情したなんて話、アタシも聞いたことが無いからねえ……。
 淫魔にも男と女がいて、それぞれ受け持ちが決まっていてね。男の淫魔は、男の人間と融合する。逆に女の淫魔は、女の人間と融合する。そして、異性を襲って淫欲を得る。……ってね。
 だけどアタシたちの場合は、女の淫魔に男の人間って言う変則的な融合になっちまった。
 肉体は女だけど心は男。つまり、女でもあり、同時に男でもあるわけだ。だから、相手が女でも男でも発情するのかもしれないねえ……。
 ちなみにアタシは、相手の性別なんて気にしないよ。腹さえ膨れればそれでいいんだ。
 ほら、そんなに落ち込むんじゃないよ。物は考えようって言うだろ。相手がどっちでも良いなんて、ずいぶんとお得じゃないか』
「なにが、お得だよ」
 俺はため息をついた。
『とにかく、この機会を逃したら、次は本当に男を相手にしなければならないよ? ご主人様の意志とは関係なく、体の求めるままにね。
 ま、アタシは淫欲さえ喰えれば、相手は男でも女でも、どっちでもいいんだけどね』
 男とセックスと言う言葉は、脅しではなく、おそらく真実だろう。
 俺は、どうしたらいいのだろうか。



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