第四幕 その3
JuJu


「敏洋さん?」
 気が付くと、俺の答えを待っている真緒の姿があった。
「とにかく、お前とはやらない。それだけは決めている」
 真緒はその答えを聞いて、視線を床に落とした。ぽつりとつぶやく。
「ジャコマさんとは、したのに……」
「その事は説明しただろう。俺はジャコマに襲われたんだ。自分の意志じゃない」
「でも、……したんですよね?」
 真緒が、上目遣いで俺を見てきた。
「わたしじゃだめなんですか? わたしって、そんなに魅力がないんですか?」
(そんな、訴えるような顔で俺を見るなよ)
 俺はからみつく真緒のまなざしを逸らすように、顔をそむける。
 だが、俺の意思とは逆に、性欲はいまにも暴走しそうだった。顔がかわいくてスタイルもいい女に、抱いてくださいと懇願されているのだ。さらに、さきほど抱いた時に付いたらしい、真緒の残り香が鼻腔をくすぐる。あまい女の香りが、俺の体の性欲を加速させる。体が疼くたびに、心が淫靡な気持ちに浸食されてゆく。
 武器を取り出す為にまくり上げた、スカートから覗く真緒の太股。それが勝手に、脳裏に再現される。子供だと思っていた真緒が見せた、女の肉体。
 激しい、抑制しがたい発作のような欲情が、わき上がってくる。
 あの体を、俺の物に出来たら……。
(くそっ! 何を馬鹿なことを考えているんだっ!)
 真緒は俺のために、自分の体を犠牲にしようとしているんだ。それなのに、俺は真緒のことをただの肉欲の対象として見ている。
 俺は頭を乱暴に振って、邪な考えを振り払った。頭を振ると、空腹のために体がふらついた。
「お腹が空いているんですよね? ペコペコなんですよね?」
「大丈夫だ、心配するな」
「でも……」
「自分のことくらい、自分で何とかする」
 そう言ったものの、何とかなる方法など、どこにもあるはずはなかった。
 ジャコマの言った「次は男とのセックスかもしれないよ」という言葉がよみがえる。悔しいが、その言葉が脅しではないことが、今の俺には実感できる。
『ふふん。この分じゃ、男とのセックスなんてもんじゃ収まらないよ?』
 突然、ジャコマが話しかけて来た。まるで俺の考えなどお見通しだと言わんばかりに。
『ご主人様は人間の心を失い、淫魔の本能のままに行動するのさ。
 夜の街にくりだし、無我夢中で人を襲う様になるんだ。相手が男だろうと女だろうと、それこそ子供だろうと、お構いなしにね』
 俺は考えた。
(――こうなったら、真緒に頼んで、俺の体を束縛してもらうか? そうすれば街に繰り出すこともない。だがその場合、俺は飢えて死ぬ事になる。第一、そんな事は真緒が手を貸さないだろう)
 結局、俺は淫魔に身を落とすしかないのか。
「敏洋さん!」
 真緒の声にハッとする。
「本当に大丈夫なんですか? ぼんやりばっかりしています。
 それに、さっきからなんで、独り言ばっかり言っているんですか?
 今までは、独り言なんて言わなかったのに……」
「独り言?」
「時々、誰かに話しかけるように、口を動かすじゃないですか」
「……?
 ――ああ、それはジャコマと話している時だ。
 俺の意識にジャコマが住み着いていて、頭の中に直接話しかけてくる。その事は、すでに話してあるな?
 それでジャコマと会話する時に、無意識に唇が動いてしまっていたんだな」
 その答えを聞いた途端に、なぜかは分からないが、真緒の表情がこわばり、悔しそうな顔になる。
 それから真緒は、怖い顔で俺を睨み続けた。
 だが、俺はそれよりも気になったことがあった。
 それは、ジャコマと会話する時に独り言を言っていた事を、真緒が気が付いたことだ。
 自分でさえ気が付かなかった程だから、かすかに口が動いただけだろう。そのわずかな動きでさえ、真緒は見逃さなかった。
 ジャコマの言っていた通り、真緒はそうとう細かい所まで、俺を観察しているらしい。
「真緒、気になっていた事があるんだが……。おまえ、いつも俺のことを見ていたのか?」
「え?」
 睨み付けていた真緒の表情が、瞬時に驚いた顔になる。と思うと、今度は顔を赤らめた。
「それは……。だって……。わたしは敏洋さんのことを……。その……」
 真緒は答えを言わず、真っ赤な顔を伏せて、もじもじと口ごもるだけだった。
 そんな真緒の仕草を見ていると、突然、ジャコマの言っていた謎が解けた気がした。
 この真緒の仕草を見れば、いかに鈍い俺でも、分からないはずがない。
「笑わずに聞いてくれるか?
 俺は、おまえが体を許すのは、俺を餓死させない為だと思っていた。自分を犠牲にして、俺を助けるつもりなのだとばかり思っていた。
 だが、その考えは違ったようだ」
 心を落ちつかせようとして、息を深く吸い込む。
「真緒。おまえ、俺のことを。……好きなのか?」
 真緒が俺の目を見つめる。
「俺のことが好きだから、体を許して良いと言っていたのか?」
 それを聞いた真緒はうつむき、その顔を両手で隠してしまった。
「ど、どうした?」
「……うれしいんです」
 震える声で答える。
「やっと、敏洋さんに、気づいてもらえた……」
(そうか。ジャコマが言いたかったのは、この事だったんだな)
 俺はやっと、理解できた。
「ジャコマに感謝しないとな。
 ジャコマのおかげで、俺は真緒の気持ちを知ることが出来たんだ」
「えっ?」
「ジャコマに教えられたんだ。おまえがいつも俺を見ていると。それは俺に気があるからだと。
 ジャコマの助言がなければ、俺はずっと真緒の気持ちに気付かずにいただろうな。
 これは俺の推測なんだが、あるいはジャコマと言うのは……――ん? どうした?」
 気が付くと、真緒が再び怒った顔をしながら、下を向いていた。
「……また……ジャコマさん……ジャコマさんって……」
 真緒は、何やらつぶやいていた。
「体半分……ジャコマさんに奪われて、……ジャコマさんと……嫌らしいこともして……、今は敏洋さんの心の中……誰よりも敏洋さんに近い場所にいて……。
 そして……そして……、敏洋さんは……ジャコマさんのことばかり気にして……ジャコマさんのことばかり話して……」
 突然、真緒は顔を上げると、俺の名を叫んだ。
「敏洋さんっ!」
「な、何だ、いきなり大きな声で……」
 真緒は真顔で、俺の顔を睨み付けた。そのまま視線を外さずに、数歩、後ずさる。
 立ち止まると、自分の手でスカートをまくり上げた。
 真緒の白い脚が目に広がる。
 同時に、脚の脇に吊された、鉄槌の鈍い光も目に入った。
「ちょ……ちょっと待て!」
 俺は言った。
 明らかに、真緒は怒っていた。
 鉄槌に、真緒の腕が伸びる。
 真緒の怒りの理由など分からない。
 だが、真緒があの鉄槌で、俺を攻撃しようとしていることは確かだった。
「落ち着け真緒!」
 真緒の手は、怒りの為に震えている。そのために、なかなか鉄槌を掴むことが出来ないようだ。
 この至近距離で、真緒に鉄槌で襲われたら逃げようがない。武器を掴めないでいる今の内に、逃亡するか?
 しかし、真緒は魔法が使える。
 無事に教会から脱出出来るだろうか?
 真緒は、真っ赤な顔で俺を睨み続けている。俺の名を叫んだ時から、一瞬たりとも俺の顔から視線を外していない。それは、俺が逃げる隙さえ与えなかった。
 ついに真緒の手が、鉄槌を掴んだ。
「真緒!」
「敏洋さん……。見てください……」
 真緒は、鉄槌を床に落とした。
「なっ……!?」
 せっかく掴んだ武器を捨てるなんて、いったいどういうわけだ。
 手が滑ったのか? いや、確かに真緒は、自分の意志で、鉄槌を床に落とした。
 ならば、いったい何故?
 真緒が目を伏せた。真っ赤な顔で、下唇を噛んでいる。
 鉄槌を放した手がスカートの裾に添えられる。
 真緒は、両手で、さらに大きくスカートをまくり上げた。
 胸の前で、スカートを折り畳むようにまとめてゆく。
 ヘソが見えるほど、たくし上げる。
 そのため太股だけではなく、女にとって一番大切な場所を包む、小さな布が丸見えになった。
「真緒! いったい何のつもりだ?」
 真緒は震える声で答えた。
「敏洋さんが、魔物になって礼拝堂に入ってきた時の事です。
 魔物と戦おうとしたわたしが、鉄槌を取り出すためにスカートを上げた時。……敏洋さん、わたしの脚、見てましたよね?」
 真緒は視線を上げた。
「隠さなくても、良いんです。
 あの時はまだ、魔物の正体が敏洋さんだとは分かっていなかった。だから魔物とはいえ女性なのに、わたしの脚を、男の人の視線で見ていたことを疑問に思っていたんです。
 それで思い出したんです。
 あの目は、敏洋さんの目だ。
 シスター・マザーからこの鉄槌を貰って、うれしくて敏洋さんに見せた事がありましたよね? そこで鉄槌を取り出すためにスカートをまくった時に見せた、あの時と、同じ男の人の視線だと、気が付いたのです。
 それが、魔物の正体が敏洋さんだと分かった、理由になったんですよ」
 そういうと真緒は、照れながらもやさしくほほえんだ。
「見たいんですよね。わたしの脚。
 好きなだけ見てください。
 脚だけじゃありません。この体すべて、敏洋さんの思いのままにしていいんですよ」


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