特別な家庭教師 ep1
作:夏目彩香(2009年10月8日初公開)
試験の始まる大事な時期、大野裕也(おおのゆうや)は慌てて勉強を始めていた。だが家で勉強をしても集中できない。結局土曜日の学校帰りに家の近くの図書館の机に座りようやくノートを広げたものの、試験前の勉強と言ってもどうやってやればいいものか見当もつかない。ふぅ~とため息をついた裕也は、マナーモードにした携帯電話に何気なく目をやるとメールが届いているのに気づいた。 受信画面を開いてみると知らないメールアドレスが表示されている。迷惑メールが入らないように変なメールアドレスにして、極力誰にも教えていないのに、なぜか見知らぬメールアドレスが表示されている。メールを読んでみると、親友の奥居茂樹(おくいしげき)の従姉で大学に通う奥居多香子(おくいたかこ)からのメールらしい、親友の名前が書いてあるのでどうやら迷惑メールでは無いようだ。裕也はホッと一息ついていた。 本文には、茂樹から裕也の家庭教師をするように頼まれたので、とりあえず一回会ってみたいと書かれていた。待ち合わせ場所はなんとこの図書館の前となっていた。半信半疑で裕也は返信を送った。そして約束の時間になると身支度を済ませて図書館の前に出た。 図書館の前にはベージュのニットセーターと黄色い花柄のマーメードスカートをまとった多香子と思われる女性が立っていた。女性が裕也に気がつくと手を振りながら駆け寄って来た。 「裕也君?よね」 「メールをくれた奥居さんですか?」 「そうよ。初めまして、茂樹の従姉で多香子といいます」 多香子はペコリとお辞儀をしながら会釈をした。裕也もそれに合わせて会釈をしながら初めましてと挨拶を交わす。裕也の視界には多香子の脚線美と先の尖った黒いヒールが目に入った。腰をあげると多香子とほぼ同じ目の高さに来てしまうので、裕也は極力目を合わせないようにしていた。茂樹とどことなく似ているところがあって、従姉というのも間違いないと裕也は思った。 「茂樹に親友の試験の手伝いをしてやって欲しいって言われて、正直どうしようかと思ったけど、裕也君に会えて正解だったみたいね。今日は私が教えてあげるわ」 「よろしくお願いしま~す」 思ってもいない助っ人の登場に裕也は声を張り上げていた。それに畳み込むようにして多香子が話を続ける。 「勉強する場所なんだけど、図書館だと人が多くて落ち着かないだろうから、私の家に来ない?ここから近くなんだけど」 「いいんですか?」 「茂樹の友達なんだし、いいわよ」 二人は多香子の住む近所のマンションへと向かうのだった。 ここはマンションの一室、女子大生の多香子にして充分過ぎるほどの部屋、調度品はピンクと白で揃えられており、ほのかに香るアロマに香りが気持ちよくさせていた。多香子の話では寝室に大きなウォーキングクローゼットがあるため、必要なもの以外は置いておく必要が無いのだという。 多香子は裕也が勉強に集中できるようにと、柑橘系のアロマを焚き始めた。対面式のキッチンに向かい合うように造られているカウンターテーブルに裕也が座ると、キッチンに立った多香子はコーヒーを煎れるためにコーヒーメーカーをセットした。アロマとコーヒーの絶妙な香りが部屋中に広がる中、多香子はマグカップを用意しながら裕也に聞く。 「コーヒー、ブラックがいいわよね」 まるで知っているかのように確認する多香子、裕也はもちろん頷いた。 「明後日から試験だったわよね?まずは、その日の科目の中から一番自信のある科目を教えてあげようかな」 多香子が完成した黒い液体をマグカップに注ぎこむと裕也の前にさりげなく置いた。 「飲んで」 一口含むと口の中にコーヒーの強い香りが広がった。裕也はすでにかなりリラックスした様子となった。ここは勉強するのにとても良い環境だと思いつつ、どの教科を教えてもらおうかと考えていた。多香子は自分のマグカップを片手に持ち、裕也の隣の席に座った。すると多香子の長い髪からほのかに香水の香りが漂って来る。多香子にとってはなんでもないことをしているだけなのに、裕也には大人の色気にそそられてしまったのか胸が高鳴る。それをごまかすようにコーヒーを啜っていた。 「裕也君。何を勉強するか決めた?」 「じゃあ逆に聞いてもいいですか。奥居さんは何を教えるのが得意なんですか?」 「おくいさん?多香子でいいのに……私はやっぱり英語かな、帰国子女らしいよね。数学も得意だし、だけど大体なんでも教えられると思うわよ」 多香子は帰国子女だったのだ。裕也はその時あることを思い出した。茂樹がよく海外で生活をしている従姉がいて、それは多香子のことを言っていたのだと気づいたのだ。 「多香子……さん、いや、多香子」 「やっぱり言いにくいみたいね。呼び捨てじゃなくても言いやすい呼び方で結構よ」 「じゃあ、多香子さん。これで大丈夫?」 「いいわよ。まず何を勉強するのか決まった?」 「まずは、英語にします。英語はリーディングの試験がさっそくあるし、それに多香子さんとならすぐに終わりそうだから。それでも時間が余ったら数学をやるってことでどうですか?」 「わかったわ。今日は夕方過ぎると用事があるから、その時間まで教えてあげるわ。じゃあ、始めましょう。まずは試験の範囲を教えてくれない?」 裕也は英語の教科書を取り出すと、試験の範囲を多香子に教えた。 「このページからこのページまでが今度の試験範囲、範囲が広すぎて今からどこを読んだらいいのかもわからなくなるんだ」 「なんだか懐かしいなぁ、子どもの頃に読むような文章みたいね」 「そうですよね。多香子さんにとっては易しい文章じゃないんですか?」 「これくらなら、教えるのも簡単だし裕也でもちゃんと理解できるはずよ」 「まずは、一通り読んで見たいんですが、お手本を見せてもらえますか?」 「いいわよ」 多香子は英文を完璧な発音でスラスラと文章を読んだ。裕也は多香子の後について文章を読んで見ると自分の発音もなんだか上手になったみたいに思った。こうして多香子に導かれるまま、英語の勉強は続けられていった。 マグカップに入ったコーヒーはすでに冷めてしまった。いつもの裕也ならすぐに集中力が途切れてしまうはずだったが、2時間を回ろうとしていても持続していた。英語の勉強が終わったところ、ここで区切りのいいところがやってきたので休憩時間となった。多香子は新しい豆をコーヒーメーカーにセットするとトイレへ向かった。 多香子がトイレに行ったのを見届けた裕也は茂樹にお礼のメールを送った。いつもならメールを出すとすぐに返事をくれるのだが、なぜか今日は返ってくる気配が無かった。仕方なく茂樹に電話をかけてみると、なぜか寝室の奥から着信音が聞こえて来た。電話を切ると着信音も鳴り止んだため、まさかとは思ったが、多香子がトイレから出てこないのを確認し寝室に入り込んでみた。そして、ウォーキングクローゼットをそっと開けてみる。 「あっ、茂樹!どうしてこんなところにいるんだよ?」 中にはまるで眠っているかのような制服姿の茂樹の姿があった。ウォーキングクローゼットの中で眠るように転がっていた。 「起きろよ。茂樹、これって一体どういうことなんだ?」 コーヒーの香りが裕也のいる場所まで漂って来たのだが、裕也がいくら力強く揺り動かしても茂樹が起きることは無かった。すっかり気が動転してトイレの水が流れる音に気づかないでいると背後に多香子が迫ってきていた。 「あっ、見つかっちゃったわね」 多香子はすぐに口を押さえると、裕也に聞こえていなかったようなのでホッとした。そして、多香子は気を取り直して裕也の肩を叩いた。 「裕也君に見つけられちゃったね。実は、茂樹は寝てるのよ」 「揺り動かしても全然起きないのに寝てる?」 「なんと言えばいいかなぁ。茂樹ったら家に来た途端に小さな小瓶に入った変な薬を飲みだしたの、真っ黒な液体を飲み干すと冬眠状態になるから、誰にも見つからない場所にしばらく置いておいてって言われて、ウォーキングクローゼットに隠してたんだけど、見つかっちゃったわねね」 茂樹の右手からは多香子の言った通りに小さな小瓶が見つかった。気が動転していた裕也も多香子の話を聞いて落ち着きを取り戻して来ていた。 「誰にも見つからないために私の部屋に来たのに、裕也に見つかっちゃたね。とにかく詳しい話は勉強が終わってするから、さっきの続きを始めない?」 新しいコーヒーの香りが漂う室内、ダイニングカウンターに二人は戻ると、なんとも言えない嫌な雰囲気に包まれていた。多香子は新しいコーヒーをマグカップに注ぎ込んで、裕也に差し出した。裕也はコーヒーを一口含んで、大きく深呼吸をすると言った。 「多香子さん、勝手に寝室に入っちゃってごめんなさい」 多香子が口をつけようとしたマグカップから口を離す。 「こっちこそ、ごめんなさいね。茂樹があんな姿で隠れてるって黙っていて」 すると多香子は裕也の顔に覆い被さるように迫って来た。裕也もそこから逃げようとしなかったので、お互いの唇が結びついた。多香子のふくよかな唇の感触に酔いしれてしまう裕也。 「これはお詫びの印よ」 思わぬ展開で多香子に自分のファーストキスを奪われ、さっきまで動転していた気持ちがすっかり落ち着きを取り戻していた。多香子の慰めによって裕也の気持ちもすっかり切り替わったのだ。 「じゃあ、気を取り直して数学でもやりましょうね。さっきの話はそれが終わってからにしましょ」 裕也のわからない問題を多香子はいとも簡単に教えてくれる。裕也が今までわからなかったのは、教える先生が悪いためではないかと思うほど、英語はもちろん数学の問題もとてもよく理解できるから不思議に思う。そうやって二人は勉強を続けた。 「最後の問題もこれで終わったわね。裕也君、お疲れ様」 窓の外に目をやると、夕焼けが広がり始めていた。勉強が終わったのでカウンター高い椅子から小さなソファーに裕也は座り直した。カウンターテーブルの前に座る多香子さんの全身が目に入ってくると、すらりとした脚を中心に目を奪われてしまう。高校生の裕也と大学生の多香子、年上女性の家に二人きりでいるというシチュエーションだったが、裕也はあのことをようやく思い出した。、 「多香子さん、勉強も終わったので、茂樹の話を続けてくれませんか?茂樹が冬眠状態になっているって話の続き」 「わかってるわよ。慌てない、慌てない」 多香子さんはじっと裕也の目に視線を合わせながら、手を左右に振りながら僕を落ち着かせようとしていた。 「さっきは冬眠する薬って言ったけどね。この薬って言うのが、単に冬眠状態になるんじゃないのよ。薬を飲んだ茂樹の体は冬眠状態になるんだけど、茂樹の霊が抜け出すこともできるんだって」 「茂樹の霊?それってどういうことです?」 「裕也君たら、やっぱり鈍いわよねぇ。霊になったらどこでも自由自在に行き来できるのよ」 「自由自在に?」 「それに……」 「それになんです?」 「誰か他人の体を支配することだってできるのよ。すなわち、その体の魂を支配すると他人の体を動かすことだってできるのよね」 多香子はそこまで話を続けると、穏やかな表情がなんだか早く理解してと言わんばかりの表情に変わっていた。しかし、それでも裕也は多香子が何を言いたいのか気づくことが無かった。 「やっぱり、鈍いのよね。まぁ、その方が都合がいいかも知れないわ。じゃあ、ここからは裕也君に勉強を教えた代価を払ってもらうわね」 そう言うと多香子さんはカウンターの上に置いたポシェットの中から、茂樹が手に持っていたものと同じ大きさの小瓶を取り出した。この中には黒い液体が充填されている。 「裕也君にはこれを飲んでもらうわね。飲んだら、体は茂樹と同じように冬眠状態になるけど、あなたの霊が抜け出すわ。これは茂樹の飲んだものと違って支配できる体がすでに決まってるわ」 「霊とか支配できる体とか、なんだかよくわかんないんですが、これって絶対に僕が飲まなきゃなりませんか?」 「だって、私があなたに勉強を教えたじゃない、それくらいはしてもらわないと、支配できる体に入ったらここに戻って来てちょうだいね」 タダで勉強を教えてもらえたわけではなくこんな見返りがあったということに裕也はようやく気がついた。薬を飲まなければ多香子の機嫌が悪くなりそうな状況ということもって、裕也は仕方なく小瓶の中に入った液体を飲み込んだ。 多香子は冬眠状態となった裕也の体を茂樹の体の横に置き直した。裕也がここにやって来る姿を想像すると、これから始まる夜の時間が待ち遠しくなっていた。 裕也を待つ間、多香子は着替えと化粧直しを始めていた。実は裕也が使った薬は支配する体が予め決まっていたのだ。多香子はそれを想定した衣装と化粧を入念に行って、準備がほぼ終わった頃にオートロックのチャイムが鳴った。 リビングにあるインターホンのディスプレイに映る姿を見ると、すぐにオートロックを解除した。エレベーターの時間と廊下を歩いて来る時間を見計らい、玄関のインターホンが鳴るのを待って玄関を開けた。目の前にはチャコールグレーのリクルートスーツに身を包んだ茂樹の姉、千賀子(ちかこ)が驚いた表情で立っていた。 「待ってたわよ、裕也君。あっ……いや、千賀子」 「多香子さん。ぼ……ぼく、茂樹のお姉さんになっちゃったみたい」 「さっきは言ってなかったけど、あなたの飲んだ薬だと千賀子に乗り移るようになってたのよ。教えた分の代価を払ってもらうためにも、千賀子として私と接してくれない?」 「それって、茂樹のお姉さん千賀子らしくしろってことですか?」 「そうよ。だって、周りから見ればあなたは千賀子にしか見えないのよ。ここまでちゃんと来られたじゃない」 「それなんですけど、薬を飲んだあといつの間にか千賀子さんに乗り移っていて、気づいたらここから近くの駅にいたんです。多香子さんの言った通りに千賀子さんの体を支配してしまったので、ここに戻って来たってわけです」 「ここまではやって来られたわよね」 「えぇ、でもどうやって来たのか、体が自然に覚えて動いてくれた感じです」 「千賀子は私と同い年の従姉妹だから、ここによく通って来るのよ。就職活動が終わって、ここに向かってくるのも私は知ってたわ」 「とにかく、僕が千賀子さんらしくなんてできないです」 「大丈夫よ。あの薬は乗り移った姿になるだけじゃなくて、記憶や思考までその人そっくりにできるから、堂々としていればバレる心配も無いわ」 「……」 多香子にそう言われると千賀子はうつむいて何かを考えていた。 「とにかく、千賀子として自信を持って、あなたの準備が必要だから上がりなさい」 さっきまでとは違う衣装であるピンクのイブニングドレスに身を包んだ多香子に手を引かれ、黒のパンプスを脱ぎ捨てながら部屋の中に千賀子はあがった。ほのかに香る香水が心地いいままにウォーキングクローゼットに連れてこられた。 多香子は中に横たわる二つの体を気にすることも無く、グレーのイブニングドレスを取りだした。 「これに着替えて」 千賀子は渡されたドレスを胸にあてながら姿見の前に立った。茂樹の姉で時々会ったことがあるくらいの千賀子の体、今は自分がその姿をしている。手から伝わって来るシルク生地の感触が心地いい、これを着れば美しく着飾った千賀子が見られる。そう思うと千賀子は何か決心をしたようだ。 リクルートスーツの上着を脱ぎ、スカートを下ろすとブラウスと下着が露わになった。ブラウスを脱ぐと多香子はそれを丁寧にハンガーに掛けていた。下着姿となった千賀子、目の前にあるイブニングドレスに肩を通すと、体がぴったりと収まった。クローゼットの中にある大きな鏡の前、ドレスアップした千賀子がこっちを見ていた。胸元と背中が大きく開いていて肌が露出している姿に思わず見とれてしまう。もちろん、千賀子が鏡の前で色々な表情をするだけで鏡の中の千賀子も思いのままに動いていた。 「多香子の服だけど、私にぴったり入るのね」 「気に入ってくれた?……えっ、私?」 「うん。私は千賀子、奥居千賀子、茂樹の姉の千賀子よ。従姉妹の多香子に借りた服でドレスアップしたの」 「フフフ、面白いわね。そうやって千賀子になりきろうとしているなんて」 「私決断したの、せっかくだからこの状況を楽しもうってね」 「それがいいわ、その姿で『僕』を続けるのも限界があるしね」 千賀子はこの体を支配しているのは自分なのだ。そう思うとさらなる興奮が体の中を駆け抜けていた。 「あのさ、多香子。この衣装に似合うように化粧したいんだけど」 千賀子は言った。 「自分でやってみたら?ドレッサー使っていいからさ」 そう言って多香子はベッドの横にあるドレッサーを指さす。 「そっか、自分で……できるのよねぇ」 「だって、あなた千賀子じゃない?もっと自信持ちなさいよ」 多香子の言葉に背中を押され、ドレッサーに座る千賀子、千賀子の記憶を辿って化粧の仕方を思い起こすだけで、体が自然と動き化粧を始めた。 「ところでこれから一緒にどこへ出かけるつもりなの?」 「あっ、ゴメン。まだ言ってなかったわね。これから合コンなの、相手は……それは、会ってからのお楽しみにするわね」 多香子は合コン相手がこの薬を作った本人だということをふせておくことにした。そして、千賀子は化粧が終わると髪を整えて、多香子からショルダーバッグを借りて持ち物を入れ直した。多香子は靴箱からお互いの服の色に合わせたミドルヒールのミュールを取り出し、颯爽とでかけて行くのだった。 |
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