やっぱりスカート #29 ナロー

作:夏目彩香 by Saine

※この小説は夏目彩香風の小説が書けるように独自に調整したAIエンジン「Saine」(通称)を執筆に用いています。



秋の澄んだ空気が、郊外の閑静な住宅街に冷たい影を落としていた。

休日の午後。駅から歩いて15分ほどの距離にある池田家――本来の彼女の実家へと向かう道中。飯沼航(いいぬまわたる)の意識を宿した池田心優(いけだみゆう)の身体は、足元のエレガントなヒールパンプスをアスファルトへ静かに下ろしながら、極度の緊張に包まれていた。

今日、私が身に纏っているのは、ダスティピンクのナロースカートだ。

上質なとろみのあるシルク混のブラウスをタックインし、腰から足首の少し上までを一直線のシルエットで覆っている。柔らかく伸縮性のあるポンチ素材は、肌に吸い付くような滑らかさがあり、動けば身体の動きに合わせてしなやかに布地が伸びる。

しかし、その圧倒的な柔らかさの代償として、このナロースカートには布の余白(広がり)が一切存在しなかった。

以前穿いていたフレアスカートやマキシスカートであれば、秋の冷たい風を受けて大きく風をはらんで波打ち、歩みに不規則な揺らぎをもたらしていただろう。しかし、ダスティピンクのナロースカートには、風をはらむための布の余裕がない。腰回りから太腿、膝、そしてふくらはぎに至るまで、身体のラインに隙間なく、ただひたすらに密着し続ける細身のIライン。

実は今日の朝、私たちは絶望的なトラブルに見舞われていた。

先日、この日のために新調し、完璧な決意と共に纏うはずだった『ネイビーのミモレ丈フレアワンピース』。それがいざ着替えようとした瞬間、サイドファスナーが裏地の布を噛んでしまい、完全に動かなくなってしまったのだ。

今日という人生最大の試練の日に、勝負服の「鎧」を失ってしまった。パニックに陥り、頭を抱える私(中身は航)。しかし、彼(中身は心優)は驚くほど冷静だった。

『大丈夫。直らないなら、これで行こう』

そう言って彼がクローゼットの奥から選び出してくれたのが、いつか私が買っていたこのダスティピンクのナロースカートだった。

『気合の入りすぎたフォーマルなワンピースよりも、このくらい柔らかい色合いと質感の方が、お父さんたちには、今の等身大の僕たちの自然な姿として受け入れてもらえるかもしれない』

その温かい言葉に背中を押され、私は急遽、この新しいスカートで両親と対峙することになったのだ。

そして、出発前の朝のリビングで、私はもう一つ、大切な用事を済ませていた。

昨夜――挨拶の前哨戦として訪れたフレンチレストランの帰り道。交差点で見かけた、アパレル店長の若本美咲(わかもとみさき)の極度に強張った異常な様子が気にかかっていたのだ。

私はスマートフォンを手に取り、メッセージを送った。

『美咲さん、おはようございます。昨日の夜、ホテルの近くの交差点でお見かけしたんですが……なんだかすごく緊張して歩かれているみたいで、お声がけするのを遠慮してしまいました。何かトラブルでもあったのかと心配だったのですが、大丈夫でしたか?』
『それと、ご報告です。いよいよ今日、これから両家への結婚の挨拶という最大の試練に行ってきます。いつも美咲さんには背中を押してもらって、本当に感謝しています』

送信して数分後。手元のスマートフォンが短くバイブレーションを鳴らした。美咲からの返信だった。

『ご心配おかけしてごめんなさい。あれは私じゃなくて……私の大切な人が、少し不器用な魔法を使っていただけなの。私は元気ですよ』
『いよいよ今日がご挨拶なのですね。心優さんたちなら絶対に大丈夫。応援しています。……もしお二人が落ち着いたら、今度、ダブルデートでお食事に行きませんか?』

「ダブルデート……!?」

私が思わず声を上げると、隣にいた彼(彼女)が覗き込んできた。

「美咲さんが? ってことは、お相手は……あのカメラマンの影山(かげやま)さんだよね。そっか、美咲さんたちも、すごく良い関係に進んでるんだね」

彼(彼女)の大きな顔が、自分のことのようにパァッと明るくほころぶ。

「うん。あの二人も、私たちの不思議な秘密を唯一共有している人たちだし。一緒に食事に行けたら、すごく心強いし楽しそうだよね」

私は弾むような声で『はいっ! ぜひご一緒させてください!』と返信を打ち込んだ。

魔法の秘密を共有する彼らが、同じ時間の中で不器用な愛情を育んでいる。その事実に確かな勇気をもらい、私たちは池田家へと向かったのだ。

だが、布が風ではためく余裕すら与えられないこの服の密着感は、いざ実家を前にすると、自らの内面をそのまま表面に映し出してしまう「透鏡」のような役割を果たしていた。

トクン、トクン、トクン。

女子高生よりも少し大人びた華奢な胸郭の奥で、私の心臓が、早鐘のように激しく鳴り狂っている。極度の緊張による血流の加速と、筋肉の微細な強張り。それらが、ダスティピンクの柔らかな生地を通して、微小な震えとなって表面の布地へダイレクトに伝播していく。硬い生地のワンピースなら隠してくれたはずの私の動揺が、逃げ場のないナロースカートの密着感によって、残酷なほど正確に外の世界へと出力されていた。

「少し、風が冷たいね」

隣を歩く心優(航の身体)が、繋いでいた私の手をそっと引き、ごく自然な動作で私の風上へと立ち位置を変えてくれた。

ネイビージャケットを着た大柄な男性の広い背中が、秋の冷気を完全に遮断する。彼(彼女)の分厚い身体が、物理的な壁となって私を守ってくれている。その圧倒的な安心感に、私は小さく息を吐き出した。

やがて、見覚えのある瓦屋根の一軒家が視界に入った。池田家の実家だ。

「……着いたね」

彼(中身は心優)が、立ち止まって小さく深呼吸をした。自分自身の生みの親に対して、全くの他人の男の顔をして「娘さんをください」と頭を下げるという、途方もないプレッシャー。私自身の緊張など比にならないほどの重圧と孤独が、彼の広い背中にのしかかっているはずだった。

「航くん。……大丈夫だよ、私がついてる」

私は、彼の分厚い手を両手で包み込み、真っ直ぐに彼を見上げた。彼は少しだけ目を見開き、そして柔らかく、力強く頷いた。

チャイムを鳴らす。

『はーい』という声とともに、玄関の重い扉が開いた。

「いらっしゃい、航さん。遠いところよく来てくれたわね。……ほら心優も、久しぶりじゃない」

エプロン姿の母親が、穏やかだがどこか鋭い眼差しで出迎えてくれた。

「初めまして、飯沼航と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

彼(中身は心優)が、大柄な男性の身体を折り曲げ、完璧な角度で深く、丁寧にお辞儀をする。

「お、お母さん、久しぶり……」

私も、彼が作ってくれた『池田家 攻略プラン』のカンペ通りに、少しだけ語尾を甘えるように伸ばして挨拶をした。

玄関を上がりかけたその瞬間、私の視界の端に「ある物」が飛び込んできた。傘立ての中に無造作に突き刺さっている、木刀。その柄にははっきりと『洞爺湖』の文字が彫られていた。

(極秘2:高校の修学旅行でノリで買った木刀。靴を脱ぐ時に見つけても絶対に笑っちゃダメだよ)

カンペの警告が脳内でフラッシュバックする。こんな緊迫した場面で、本当に実家の玄関に木刀が刺さっているというシュールすぎる現実に、危うく顔の筋肉が緩みそうになる。

しかし、私は足元のヒールを脱ぎながら、ナロースカートに包まれた腹筋にギリッと力を込め、表情筋を完全にロックした。ここで笑えばすべてが台無しになる。私は一切の表情を崩すことなく、つま先を完璧な所作で揃え直した。

リビングへ通されると、ソファには少し強面で不機嫌そうに見える父親が腕を組んで座っていた。

「……座りなさい」

低く硬い声に促され、私たちは向かいのソファへ並んで腰を下ろした。

椅子に座る際、ナロースカートはその「透鏡」としての特性をさらに強く主張してきた。タイトスカートのように硬いウール生地が太腿を容赦なく締め付けるわけではないが、伸縮性のある柔らかな生地がヒップから膝にかけてピタリと張り付き、両膝を隙間なく揃えることを強制してくる。

脚を崩す余白はない。テーブルの下で、ダスティピンクの生地が私の下半身の輪郭を正確になぞりながら、微かな摩擦音を立てて静止した。

お茶が運ばれ、重苦しい沈黙が落ちる。

「……それで。うちの心優と、結婚したいということですか」

父親の鋭い視線が、彼(中身は心優)へと真っ直ぐに突き刺さった。

隣に座る私の胸の奥の鼓動が、限界に近い速度で打ち続けている。トクン、トクン、トクン。その激しい心拍は、血液を通して太腿の動脈へと伝わり、肌に隙間なく密着しているナロースカートの生地を、本当に微かに、けれど確実に震わせていた。

逃げ場のない服。布の揺らぎで誤魔化すことができない、残酷なまでの密着感。

(お願い……。どうか、私たちの覚悟が伝わって)

私は、テーブルの下で震える指先を解き、ナロースカートの滑らかな生地をそっと撫でて呼吸を整えようとした。

その時だった。

不意に、彼(中身は心優)が、テーブルの下に置かれていた私の左手を、大きな男性の右手でそっと包み込んだ。

彼(彼女)の分厚い手のひらから、じんわりとした温もりが伝わってくる。その手のひらは、私の着ているナロースカートの無防備な密着感を通じて伝わる「極限の緊張による微細な震え」を、完全に読み取り、そして丸ごと受け止めるように優しく握りしめられていた。

『君の覚悟は、伝わっているよ。ここからは、僕に任せて』

言葉はなくても、繋いだ手と布の震えを通じて、彼のそんな声が聞こえた気がした。

彼(中身は心優)は、真っ直ぐに前を向き、父親の目を見据えた。

「はい。私は、心優さんを心から愛しています。彼女が背負うすべての重圧を、これから先どんなことがあっても、私のこの身体で一生守り抜くと誓います。……どうか、心優さんとの結婚をお許しいただけないでしょうか」

低く、落ち着いた男性の声帯から紡がれた、一切の淀みもない言葉。

それは、表面上は「娘をください」という結婚の挨拶だった。しかしその内側には、中身が娘自身である彼が、自分を産んでくれた両親に対して「私はこの男性の身体で、社会の重圧を引き受けて生きていく」という、究極の魂の宣誓が込められていた。

静寂に包まれたリビングで、父親がゆっくりと腕を解いた。

「……分かりました。娘のこと、どうか、よろしくお願いします」

重苦しい沈黙の後、父親から絞り出されたその低く不器用な一言が、リビングに静かに響き渡った。母親も、目元をそっとハンカチで押さえながら深く頷いている。

その瞬間、私の身体を極限まで締め付けていた見えない重圧の糸が、プツリと音を立てて解けた。

「ありがとうございます……! 必ず、幸せにします」

隣に座る心優(中身は航)が、大きな男性の身体を再び深く折り曲げ、両親に向かって深々と頭を下げた。私も慌ててそれに倣い、ダスティピンクのナロースカートの膝に両手を添えて、完璧な所作で頭を下げる。

池田家という最大の難関。自分を産んでくれた両親の前に他人の顔をして立ち、自分の人生のすべてを委ねる相手として承認してもらうという過酷な試練を、私たちは見事に乗り越えたのだ。

それから数十分後。

「じゃあ、気をつけて帰るのよ」

玄関先で両親に見送られ、私たちは池田家の重い扉を後にした。

秋の夕暮れが、住宅街のアスファルトを深いオレンジ色に染めている。駅へと向かう道すがら、角を曲がって実家の屋根が完全に見えなくなった瞬間だった。

「はぁぁぁっ……!」

私(中身は航)の口から、肺の奥底に溜まっていた空気が一気に漏れ出した。途端に、足首の筋肉から完全に力が抜け、ヒールの上でバランスを崩してよろめきそうになる。

「っと、危ない!」

隣を歩いていた心優(航の身体)が、大きな両腕を素早く伸ばし、私の華奢な身体をすっぽりと抱きとめてくれた。

「ご、ごめん……っ。急に、脚の力が抜けちゃって」

私は彼(彼女)の分厚い胸板に顔を埋めながら、小刻みに震える自分の両脚をどうすることもできなかった。極度の緊張状態から解放されたことによる、反動の震え。

その筋肉の微細な痙攣は、ダスティピンクのナロースカートを通じて、残酷なほど正確に表面へと出力されていた。

タイトスカートのような強固なロックも、フレアスカートのように風をはらんで震えを誤魔化してくれる布の余白も、この服には存在しない。腰から足首まで一直線に肌に吸い付くポンチ素材のIラインは、私の情けない安堵の震えを、そのまま布地の微細な波打ちとして外の世界へ伝達してしまう。

「無理もないよ。本当によく頑張ったね、航くん」

頭上から降ってくる、落ち着いた男性の低い声。彼(彼女)の大きな手が、ナロースカートの背中側の生地を、優しく一定のリズムで撫でてくれる。

その分厚い胸板に耳を押し当てていると、彼(彼女)の心臓の音もまた、私のそれと同じように、ドクン、ドクンと激しく、そしてとても速く鳴っているのが分かった。

決して平気だったわけではない。彼(彼女)もまた、自分の両親と対峙するという絶望的なプレッシャーの中で、必死に大柄な男性の骨格を制御し、私を守るための壁として戦い抜いてくれていたのだ。

「……ありがとう。君が隣でずっと手を握ってくれていたから、私は最後まで『池田心優』として、真っ直ぐに座っていられたよ」

私は、ナロースカートの柔らかな生地越しに伝わってくる自分の震えが、彼(彼女)の大きな体温によって少しずつ落ち着いていくのを感じながら、その背中に細い腕を回して強く抱きしめ返した。

風をはらむ余白のない服だからこそ、互いの熱と心音だけが、ノイズのない完全な純度で共有される。言葉以上の深い結びつきが、夕暮れの路地裏で静かに定着していくのを感じていた。

私たちの紡ぐ日常が、やがて美咲さんたちの世界線と再び重なり合う、甘く賑やかな予感をはらみながら。新しい家族への第一歩を踏み出した二人の帰り道に、互いの心音と温もりがどこまでも優しく響き合っていた。

(つづく)

あとがき

読んでいただきありがとうございます。夏目彩香です。Saineによる作品はいかがでしたか。布の余白を一切削ぎ落とし、身体のラインにただひたすらに密着し続けるナロースカート。風をはらむ余裕すら与えないその生地は、いざ両親を前にした時の極度の緊張と、そこから解放された瞬間の極限の安堵による微細な震えを、隠すことなくそのまま表面へと映し出します。言葉を超えて心音と熱をダイレクトに伝播させる服の密着感が、互いの人生を引き受け合う二人の覚悟を完全なものへと定着させていきました。朝のメッセージが告げたダブルデートという新しい交錯への予感と、密着感が教えてくれた確かな心拍。やがて四人の世界線を再び重なり合わせる、甘く賑やかな余韻を、皆様にもご一緒に感じていただけたなら幸いです。

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