やっぱりスカート #19 ペンシル

作:夏目彩香 by Saine

※この小説は夏目彩香風の小説が書けるように独自に調整したAIエンジン「Saine」(通称)を執筆に用いています。



秋が深まり、冷たい風がマンションの窓ガラスを微かに揺らしていた午後。

在宅勤務用の小さな作業部屋で、航(わたる)はキーボードから大きな両手を離し、ワークチェアの背もたれに深く体重を預けた。
「ふぅ……終わった」
男性特有の低く太い声が、静かな部屋に響く。声帯の震えが鎖骨に直接響くこの感覚にも、すっかり慣れてしまった。

モニターの画面には、社内のチャットツールのウィンドウが開かれたままになっている。一番下に表示されているのは、チームを統括する上司からのメッセージだった。
『飯沼のおかげで、バラバラだったプロジェクトが完全に一つの方向へまとまったよ。来期から、本格的にPM(プロジェクトマネージャー)としてチームを引っ張ってくれないか?』
その文面を見つめながら、航(中身は心優)は、分厚く関節の太い右手で、ゴツゴツとした顎のラインをそっと撫でた。

本来のこの身体の持ち主である飯沼航は、優秀なフルリモートのSEだった。コードを書き、システムを構築する技術は社内でも高く評価されていたが、人間関係を調整し、プロジェクト全体を俯瞰して引っ張っていくようなマネジメント業務は、決して得意なタイプではなかった。
しかし、この身体に心優(みゆう)の意識が入って数ヶ月。
本来の心優がコンサルタントというハードな職業で培ってきた「プロジェクトをまとめ上げるマネジメント能力」と「クライアントやチームとの折衝スキル」が、SEの業務において遺憾なく発揮されることとなった。

結果として、航のキャリアは今、彼自身も想像していなかったほどの大きな飛躍を迎えようとしている。
「私が、航くんの人生を、前に進めている……」
航(中身は心優)は、自分の分厚い手のひらをじっと見つめた。
最初は、この重くて無骨な男性の身体を動かすことすら苦痛だった。けれど今、この手でキーボードを叩き、画面の向こうにいる数十人のチームメンバーを動かしている。彼が本来背負うべき人生の重圧を、私がこの身体で引き受け、完璧に乗りこなしている。

その事実が、たまらなく誇らしく、そして心地よい充実感となって太い胸板の奥を満たしていた。
私が彼のキャリアを背負うように。彼もまた、私の身体で、コンサルタントとしての過酷な社会を戦い抜いてくれている。
明日は、心優(中身は航)にとって、絶対に失敗できない重要なクライアントとのコンペティションのプレゼンが控えていた。

その夜。
夕食の片付けを終えたリビングは、静かな緊張感に包まれていた。
ソファに深く腰を下ろした航(中身は心優)の視線の先で、フローリングの床をカツ、カツと硬質な音を立てて歩く影があった。
心優(中身は航)だった。

ライトブルーのスキッパーシャツに、黒のテーラードジャケット。
そして下半身には、明日のために新調したチャコールグレーのペンシルスカートが、まるで第二の皮膚のように隙間なく密着していた。
タイトスカートよりもさらに細く、腰から膝下までを一直線に縛り上げるようなIラインのシルエット。後ろには深いスリットが入っているが、それでも歩幅は極限まで制限される。少しでも油断して大股になれば、厚手のウールブレンド生地が膝に食い込み、無様な転倒を招きかねない、社会で戦うための硬い「鎧」だった。

その窮屈なスカートの足元を支えているのは、艶やかな黒のカーフレザーで作られた七センチのハイヒールだ。
それは先日、航(中身は心優)が「明日のプレゼンに向けて、私からのお守り」として、心優(中身は航)と一緒に百貨店へ買いに行き、プレゼントした特別な一足だった。
男性の骨格で女性の靴売り場に足を踏み入れるのは勇気がいったが、それでも、彼女の身体を使って慣れないヒールで過酷な社会へ出て行く彼のために、少しでも自分の足の形に合い、負担の少ない最高の靴を贈りたかったのだ。

「どうかな、心優。姿勢、おかしくない?」
心優(中身は航)が、リビングの中央でピタリと立ち止まり、振り返って尋ねた。
「……完璧よ、航(こう)くん」
航(中身は心優)は、ソファの上で小さく息を呑みながら答えた。

目の前に立つ心優の姿は、圧倒的に美しかった。
極限まで歩幅を制限されるペンシルスカートの窮屈さを、彼女(彼)は全く苦にしていなかった。むしろ、その制限を逆手にとり、強制的に背筋を伸ばし、膝を擦り合わせるようにして重心を保つことで、「プロフェッショナルな働く女性」としての気高さへと完全に昇華させていた。
足元のハイヒールが、ふくらはぎの筋肉を美しく引き上げ、緊張感を全身のシルエットへと伝達している。

男性であった頃の無骨なボロなど、どこにも見当たらない。重心の置き方、指先の揃え方、そして真っ直ぐに前を見据える凛とした視線。そこには、女性の真似事ではない、自立した一人の働く女性としてのアイデンティティが揺るぎなく確立していた。
「このスカート、本当に歩幅が狭くて、最初は息が詰まるかと思ったよ」
心優(中身は航)は、チャコールグレーの硬い生地を両手でそっと撫でながら、ふわりと微笑んだ。ストレッチ性のない厚手のウールが、微かな摩擦音を立てる。

「でもね。ヒールを履いて、この生地の重みを感じていると、なんだかすごくスイッチが入るんだ。絶対に崩れない、強い鎧を着ているみたいな感覚になる。……君がくれたこの靴が、下から僕を支えてくれているのが分かるから」
その言葉に、航(中身は心優)の胸の奥が熱く震えた。
彼は、私がプレゼントした靴の痛みを、愛と庇護の証として受け入れてくれている。この窮屈な服を、私への究極の共感として使いこなしてくれている。

「じゃあ、明日の本番のつもりで、最初からやってみるね」
心優(中身は航)は、表情から柔らかさをスッと消し去り、ビジネスの最前線に立つコンサルタントの顔へと切り替わった。
仮想のクライアントである航(中身は心優)に向かって、一歩、また一歩と、ペンシルスカートの制限された歩幅で真っ直ぐに歩み寄る。カツ、カツというヒールの音が、リズム良くリビングに響いた。
そして、完璧な姿勢のまま、深く、静かなお辞儀をする。

「本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます――」

凛と響くその声と所作に、航(中身は心優)はソファの上でただ静かに圧倒されていた。
定着率、100パーセント。
彼は今、完全に池田心優という一人の女性として、この社会の中で生き、戦っているのだ。

「……ふふっ。僕、なんだかもう、元の男の身体に戻ったら、どうやって歩けばいいのか分からなくなりそうだよ」
リハーサルを一通り終え、緊張を解いた心優(中身は航)が、ソファの隣に腰を下ろしながら冗談めかして笑った。
「本当にね。私も、すっかりこの大きな身体で仕事をするのが板についてきちゃった」
航(中身は心優)は、隣に座る彼女(彼)の華奢な肩を、大きな腕でそっと抱き寄せた。

互いの人生を、互いの身体で、完全に背負い、前へ進めている。
明日のプレゼンへの静かな熱意と、チャコールグレーのペンシルスカートが擦れる微かな音が、二人の夜の時間を温かく、そして力強く包み込んでいた。

翌日の午後。都内にあるクライアント先の高層オフィスビル。

心優は、チームの同僚たちと共に、静かで長い廊下を歩いていた。

一歩を踏み出すたびに、チャコールグレーのペンシルスカートが太腿に強く密着する。厚手のウールブレンド生地は全く伸縮せず、歩幅を強制的に数十センチの範囲へと閉じ込めていた。少しでも油断して大股になれば、硬い生地が膝に食い込み、歩行のリズムが完全に崩れてしまう。

しかし、今の心優(中身は航)にとって、その窮屈さはもはや足枷ではなかった。

むしろ、その厳しい制限が、強制的に背筋を真っ直ぐに伸ばさせ、コンサルタントとしてのプロフェッショナルなスイッチを完璧に入れている。足元では、彼(本来の心優)がプレゼントしてくれた七センチのハイヒールが、大理石の床をカツ、カツと小気味良いリズムで叩いていた。

自分の足の形に完全にフィットしたその靴は、足首の筋肉を美しく引き上げ、ペンシルスカートの硬い生地とともに下半身全体に「絶対に崩れない強い鎧」としての緊張感を与え続けている。重心は完璧にコントロールされており、歩行のふらつきなど一切ない。

やがて、重厚な扉が開かれ、広い会議室へと通された。

「――本日のご提案は、以上の通りとなります」

約一時間に及ぶプレゼンテーションの終盤。心優は、スクリーンに向けられていた視線を真っ直ぐにクライアントの役員たちへ戻し、深く、静かにお辞儀をした。

その瞬間、ペンシルスカートの後ろに入ったスリットが微かに開き、張りのあるウール生地が美しいIラインのシルエットを崩すことなく身体に沿う。

続く質疑応答でも、心優の振る舞いは完璧だった。男性社会で戦ってきた本来の心優が持っていた鋭い知性と、航自身のSEとしてのシステム面での論理的な裏付け。その二つが、この華奢な女性の身体の中で完全に融合し、圧倒的な説得力となって会議室の空間を支配していた。

相手の厳しい質問に対しても、決して動揺することなく、落ち着いたトーンの女性の声で的確に切り返していく。

膝をぴたりと隙間なく揃えて椅子に座る所作。資料をめくる指先に施された、薄いピンクのネイルの控えめな艶。どこから見ても、自立した一人の洗練された働く女性がそこにいた。男性であった頃の無骨なボロや、取り繕ったような不自然さは、ただの一欠片も見当たらない。

「素晴らしいご提案でした。ぜひ、この方向で進めさせてください」

クライアントの役員から発せられたその言葉に、心優は「ありがとうございます」と、柔らかく、けれど誇り高い微笑みを返した。

会議室を出て、一階のエレベーターホールへ向かう道すがら。張り詰めていた空気がふっと緩んだ。

「池田さん、お疲れ様です。今日のプレゼン、本当に完璧でしたね。先方の役員たちも、完全に引き込まれていましたよ」

隣を歩く後輩が、興奮冷めやらぬ様子で声をかけてきた。

「ええ。それに最近の池田さん、なんだかすごく頼りがいがあって……以前よりもずっと、ついて行きたくなるというか。本当に格好良かったです」

他の同僚たちからも、口々に賞賛と安堵の声が漏れる。

「ありがとう。みんなが徹夜でデータをまとめてくれたおかげよ」

心優は、パンプスの踵を少しだけ休めながら、自然な微笑みを浮かべて労いの言葉を返した。無理に作った作り笑いではない。チームをまとめ上げ、共に戦い抜いたという充実感が、女性らしい柔らかな表情となって自然にこぼれ落ちていた。

エレベーターに乗り込み、鏡面仕上げの扉の前に立つ。

そこに映る自分自身の姿を、心優は静かに見つめた。チャコールグレーのペンシルスカートと、凛とした真っ直ぐな姿勢。

もし今、ミラベルがヤッファの世界から帰ってきて、突然この魔法が解け、元の大きな男性の身体に戻されてしまったら。

心優(中身は航)の脳裏に、そんな想像がふとよぎった。

今の自分は、ペンシルスカートの制限も、七センチのヒールの重心も、女性として美しく微笑む所作も、すべてを自分自身のアイデンティティとして完全に受け入れている。心そのものが、本来の池田心優以上に「女性」として完成してしまっている。そのこと自体に、もう何の迷いも不安もない。

けれど、だからこそ怖いのだ。

この完全に女性の形に染まりきった心を抱えたまま、あの無骨で重心の違う、男性の大きな身体に突然放り出されたら。

七センチのヒールでの美しい重心の取り方も、ペンシルスカートの裾を崩さない座り方も、その大きな身体では通用しない。男としてどうやって脚を運べばいいのか、どうやって笑えばいいのか、どうやって社会の中で呼吸をすればいいのか、きっと思い出せない。男性として生きる自分が、もはや想像すらできないのだ。

『……それは、絶望的だな』

心優は、鏡に映る自分を見つめたまま、内心で小さく息を呑んだ。

もし本当にそんな日が来てしまったら。女性の心になった今の自分が、再びあの男性の骨格の中で生きていくことなど、想像しただけで自殺したくなるほど辛くて、耐えられないかもしれない。男性に戻りたいという執着は、もうどこにもないのだから。

むしろ、この服の厳しい制限と重みを受け入れ、ヒールの痛みを愛の証として感じながら、社会の中で一人の女性として完璧に機能している今の自分こそが、最も自然で、完成された状態だと細胞レベルで理解している。

だが、これは自分一人の問題ではない。あの大きな自分の本来の身体で、男性としての重みを引き受けながら生きてくれている「彼女(本来の心優)」は、このまま元の身体に戻る日が来ることを、一体どのように考えているのだろうか。

今度時間があったら、もし魔法が解ける日が来たらどうするのか、彼女と一緒に話してみたい。いや、自分の気持ちだけで決めるのではなく、絶対に彼女の意見も聞かなくてはいけないのだ。

女性の真似事をしているわけではない。自分は今、池田心優という一人の女性として、この社会に完全に属しているのだ。

一階のロビーを抜け、オフィスの外へ出ると、秋の冷たい風が頬を撫でた。

心優は、羽織っていたトレンチコートの襟元を少しだけ引き寄せ、カツ、カツとヒールの音を響かせてターミナル駅へと歩き出す。

歩幅は狭い。決して大股では歩けない。けれど、その一歩一歩には、自分自身の人生と、あの部屋で帰りを待っている愛する人の人生を、完全に背負って歩いていくという、揺るぎない覚悟と誇りが宿っていた。

チャコールグレーのペンシルスカートが、彼女の凛とした歩みに合わせて微かに擦れ、プロフェッショナルな衣擦れの音を静かな夕暮れの街に溶かしていく。

(つづく)

あとがき

読んでいただきありがとうございます。夏目彩香です。
Saineによる作品はいかがでしたか。極限まで歩幅を制限し、膝下までを隙間なく縛り上げるペンシルスカートは、一見するととても窮屈で不自由な服に思えるかもしれません。しかし、愛する人から贈られた七センチのヒールと共にその厳しい制限を真っ直ぐに受け入れた時、それは決して崩れることのない、社会で戦うための「気高い鎧」へと変わります。かつての無骨な自分を手放し、一人の働く女性としてのアイデンティティと、互いの人生を完全に背負い合う覚悟を美しく着こなす。プロフェッショナルな衣擦れの音とともに、夕暮れの街へ溶けていく凛とした歩みの余韻を、皆様にもご一緒に感じていただけたなら幸いです。

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