やっぱりスカート #04 タイト

作:夏目彩香


飯沼航(いいぬまわたる)はいつものスニーカーを履いて玄関からそそくさと出て行った。それから少し間を置き、池田心優(いけだみゆう)は少しヒールのある水色のミュールサンダルに足を入れ、玄関の大きな鏡に映る自分の姿をじっくりと見つめていた。いつもはパンツ姿の心優しか見ることが無かったので、こうやってワンピースに包まれた心優は貴重でなんとも愛おしく感じた。「私がスカートを履かない理由は、決して脚に傷があるとか体型に問題があるとかの問題では無かったからね。もしかするとその問題も解決できるかもね。航くんが待ってるから行かなきゃ」と一人で呟くやいなや玄関扉を颯爽と開け、右足から一歩踏み出してスッと出て行った。いつも心優が使っているキーホルダーを手にし、鍵が掛かっていることを確認すると、一足一足噛み締めるような感覚で歩いて行く、心優の仕草や記憶が分かる今の状態では、なんとも無い感覚ではあるのだが、わざと心優の記憶を少し落として元々の自分の感覚を強めることもできたので、自分が心優になっている感覚がとても新鮮だった。着地する際のバランス感覚と、足を前に出すたびにスカートの裾がまとわりつく感覚が新しかった。

二人はまず、自宅から徒歩十分ほどの所にある比較的新し目のファッションビルへと入ると、ビルの中で一際大きい区画を占めているファストファッションのお店を選んで入って行く、普段から航と心優がよく利用している店でもあるが、いつもとは違った角度で店内を眺めることができ、まずはそれぞれが自由に歩き回ることにした。メンズとレディースに分かれている店内、普段は歩き回ることも無いレディースコーナーを歩くだけでも心優は胸が高鳴っていた。これから起こる未知のことに関しては予測不可能で、経験や記憶はあっても実体験は違って来るのだ。店内の至る所にある鏡の前を通るたびに、自分の姿を映し出しては、腰を小刻みに揺すりながら、スカートの裾が揺れる様子を確認していた。生地のあたり具合も絶妙で、時折さまざまなポーズを決めたりしたのだ。普段の心優らしい硬い表情から、普段の心優らしい硬い表情から、いつもは見せることの無い柔らかい表情まで、さらには指でピースを作って自分の顔に向けたりして、感情豊かな心優を見ることができた。

とにかく二人がここに来たのは心優が着る服を買うためだった。鏡の前で遊んでばかりでは何も決まらないので、心優に着せたいものは何か無いか考えながら、店内を見回していた。もちろんメインはスカートではあるのだが、全身のコーディネートもしっかりとイメージしていると、あるコーナーにディスプレイされていた上下のセットアップが目に飛び込んで来た。心優は心の中で『これいいかも』と思い、さっそく横に並べられていたスカートから自分に合う色とサイズを選んでいた。並べられているビジネス向けのタイトスカートの中で、ネイビーの7号サイズを手に取った。ワンピースの上から自分の腰に軽く当ててみると、どうやら膝が隠れる程の長さだった。ジャケットの下に着るスタンドカラーのグレーのフリルブラウスはサテンの生地でできていて、サラリとして滑らかな触り心地だった。スカートに合わせたデザインのセットアップジャケット、こちらはスカートと同じくネイビーでノーカラーの丈が短めのものを組み合わせてみた。これら3点を手に取り試着室へと入っていく心優だったが、ここで航もタイミングを見計らって一緒に入って来た。心優は別に恥ずかしがる素振りも無く、航を隅にある椅子に座らせていた。

「ねぇ、航くん。まずは、スーツのセットアップを選んでみたんだけど、仕事に行く時はパンツスーツ姿ばかりだから、たまにはスカートとのセットアップ姿が見たいって言ってたわよね。こんなカジュアルなお店でもセットアップが買えるなんて思わなかったし、これから試着してみるからワンピースを脱いでみるわ」

「心優だったらパンツよりもスカートの方が似合うと思っていたから、遂にその姿が拝めるなんて、なんだか感慨深いよなぁ」

すっかり航になりきっているワタシなる存在が、心優の思いを満たすために一緒に付き添っているのだ。本物の心優の意識もワタシの中で抑え込んでいるだけなので、その力を緩めれば本物の心優を呼び起こすことだってできるはず。自分のスカート姿を見ることになれば、一体どんな反応を見せるのだろうか、実はそんなことも気になり始めていた。

「ねぇ、心優。着替え終わったらまた呼んでね。やっぱり外で待ってるよ」

「えっ?別に気にならないのに、航がそばにいてくれたら心強いんだよ。それに、航くんは私が心と身体を許せる唯一の存在なんだからね」

そう言うと心優は航の顔に自分の顔を近づけて、唇を襲ってきた。軽い挨拶だけで、さっと顔を引いて右手の人差し指で彼の頬を軽く叩いていた。

「着替えるから、ちゃんと見守っているんだよ」

まるで心優は航に酔っているかのようだった。ワンピースに手をかけて一気に首の上へと捲し上げると、ハンガーに掛けた。姿見には下着姿の心優と航が映っていた。

「私って、航くんのものなんだよ。こうやって自分の身体を観察すると、なんだか色々と熱く感じるわね。キスまではいいけど、その先は結婚するまで待っててね」

なんだかいつも言われていたことが自分の口から自然と出て来るなんて、なんだかおかしい気持ちではあった。着替えを済ませると、黒革のトートバッグの中に入れて来た仕事用に使っている黒のローヒールを取り出した。持ってきたパンプスに履き替えると、改めて全身を姿見に映し出してみた。そこにいるのはパンツスーツ姿では無く、タイトスカート姿の心優が眩かった。いつもは隠されている膝下が見えているのがとても新鮮だった。

「航くん、どうかしら?」

「あっ、とっても似合っているよ。やっぱり僕の思った通り、パンツスーツよりも清楚な感じが出るよね」

「フフフ、ありがとう。まぁ、思った通りの反応だけどね」

航の反応は自分の予想通りとなった心優、サイズもピッタリだったので、思わずこのまま会計をしたいところだったが、やはり会計をしてから着替えなくてはならないので、とりあえずワンピースへと着替えを済ませ、試着した商品と新しい下着も一緒に会計を済ませ二人は店を出た。店を出た二人はすぐに同じフロアの片隅にあるトイレで着替え、トイレの前の大きな鏡に自分の姿を映し出してみた。ワンピースは買った商品を入れていたエコバッグに入れ直し、航が肩からぶら下げていた。パンツスーツの時と同じく、心優は自信に満ちた表情で、トートバッグに持ち替えて、ポーズを決めてみるが、パンプスとの組み合わせが微妙なことに気づいたので、同じビルの別の階にある靴屋さんへと入った。さまざまなパンプスを試し履きしては、心優のスマホでセットアップとの組み合わせも確認してみた。高さのあるヒールでもとても歩きやすかったので、ついにお気に入りの一足に出会えた。航のスマート端末でタッチ決済を済ませ、買ったばかりのパンプスを履いたまま店を出ると、テナントの空きスペースを利用した休憩スペースで心優の撮影会が始まった。様々な姿の心優をスマホに収めてから、今度は二階にあるカフェへと入って休むことにした。

一階から二階にかけて吹き抜けとなっており、二人は吹き抜けに面した席に座って一息つくのだった。心優が着るスカートを買いに出かけたのだが、一着買うだけでも思った以上に一苦労なことだった。テーブルの上に載せられたプラスチックの容器から飛び出ているストローに口を付けると、熱くなった身体がゆっくりと冷やされていき、二人の心と身体がクールダウンすると、心優は航に向かって喋り出した。

「ねぇ、航くん。と言うか、『ワタシ』って言ってたわよね。とにかく、航の中にいるあなたに一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

航は冷たいドリンクを一気に流し入れたせいもあってか、なんだか頭が痛そうな表情を見せている。

「これって、こんなに冷たいんものなんだね。普段はホットドリンクしか飲まないから、頭がキーンとして来た。航として慣れたと思ったんだけど、好きな飲み物を飲んでみたかったから無理しちゃったね。身体に合わせてあげないとダメだね。『ワタシ』に質問があるんだって?じゃあ、今だけは航モードを解除して素の私を見せていいわよね」

そうやってワタシなる存在は心優の前に戻って来た。すると、ここぞと思い心優の方も自分の元々の人格である航としての振る舞いに戻すのだった。緊張感から解放され、心優は無防備な姿になっていた。

「やっぱり、この姿に合わせるのって疲れるね。じゃあ、僕の方から質問するね」

心優の身体で自分のことを『僕』と呼ぶのだから、側から見るとおかしな光景に違いなかったが、ここではリラックスすることにしたのだ。

「あのさ、君の正体って一体何者なの?それに、僕がこうやって心優の身体でいられるのはいつまでなの?教えてくれないかな?」

すると航の姿をしている『ワタシ』なる存在は、苦笑いするような表情を浮かべてから話始めた。

「そうねぇ。ワタシの名前はミラベル、年齢はちょうど百歳、ワタシが普段いるヤッファの世界だとようやく成人したばかりの若者なんだけどね。まだ義務教育を受けていて、学校を卒業するためには人間のいる世界に行って卒論を書かなくちゃいけないから、あなたに協力してもらったってわけ。この身体でいられるのはワタシが人間の世界にいる間だけなんだけど、すぐに帰ることはないからゆっくりでもいいよ。ただし噂なんだけど、たまにこの能力が残る場合もあるって聞いたことがあるから、もしかするとあなたたちも入れ替わったままでいられるかもね。とにかく、少し長めの方が卒論書くのにも材料が増えるからね。ヤッファの世界には時空間を捻ることで行けるから、いつでも行き来できるけどね。物理的な物は何も無い世界だから、人間が行くことはできない世界よ。それでも行って見たかったら肉体から抜け出して行くことはできるけど、戻って来れる保証ができなかったりするからね。ワタシの卒論は結婚する前のカップルに対して、双方の願いが叶うように助けること、それをレポートでまとめるってわけね」

もともと自分の身体である航の身体で一気に喋る様子は、なんともおかしな光景だったが疑問に思っていたことがはっきりするのだった。

「まぁ、とりあえず時間はあるんだね。それに君、ミラベルだっけ、百歳?だったんだね。僕よりもずっと若いと思ってたけど、ヤッファの世界ではそれが普通なの?」

「人間で言うと二十歳過ぎたくらいね。寿命は約千歳だし、そんなんだからこう見えてもワタシは子どもなの、それにワタシたちは物理的な身体を持っていることもあって性別が無いのよね。人間の世界に来るために便宜上、女として振る舞ってるけどね。それには色々とあるから詳しくは後にするわ」

「へぇ、性別も無かったりするんだね。じゃあ、別に僕の身体だろうが何も感じていないのかな。異性に興味を持つとかも無いって感じかな?まだまだ時間があるなら、後でゆっくり教えてね。最後にもう一つ質問があるんだけど」

「何かしら?」

「本当の心優は今はどんな状態なの?君の中に包まれているとか言ってたよね」

「彼女の魂はしっかりと持ってるわよ。ワタシの意識の下に置かれているけど、表面に出そうと思えば、いつでも出せるからね。まぁ、この状況を説明しなかったら驚いちゃうだろうから、今はまだ閉じ込めてるわよ。とは言え、表面に出てきてもワタシの支配下にあるから、自由に動かすこともできるんだけどね。あんまりやり過ぎると、卒論でよい成績を残すのは無理なのよね。だから、極力そんなことはしないだろうから安心してね」

「なんとなくわかったけど、もしかしてこんなこともできるかな?君、ミラベルが心優のように振る舞って、本物の心優に気づかれないで心優の反応を見せるってできる?」

「もちろん!だって、それってあなたでもできてるじゃない、心優ならどんな反応するのかもう手に取るようにわかってるはずだけど、敢えてそれを感じないように抑えているでしょ!じゃあ、時々、心優らしく振る舞ってみよっかなぁ?もちろん、本物の意識はあなたの許可が無いと解放しなからね」

「でもそれって、ミラベルなのか、本物の心優なのか見分けつかなくない?」

「あっ、そんなことを心配してるのね。まぁ、それもわかってるけど、そんな心配はいらないのよね。ワタシが心優を演じてる時と、本物の心優が心優として振る舞う時はある所に注目すると分かるようになってるからね。それも後で教えてあげる。これで質問には全部答えたと思うんだけど、大丈夫かしら?」

「うん、今のところ聞きたいことは全部聞けたかと、あっ!もう一つだけいいかな?」

「何かしら?」

「僕らが今話しているようなことが心優に伝わってしまうのか気になってね。それに、心優の汚物の匂いを嗅いだ時に心優の仕草や記憶を受け取ったけど、これって僕の身体に戻ったらどうなるの?」

「あっ、それねぇ。心優の意識があれば、その時だけは心優に伝わっちゃうけど、抑え込んでいる間は意識が無いのと同じだから覚えてないわよ。そして、元の身体に戻った時のことは実はよくわかっていなくて、今回の卒論で書きたいと思ったテーマでもあるから、後でじっくりとインタビューさせてくれたらと思います。その身体として動かしている間の記憶だけが残ると言う仮説を立ててはいるけど、それが正しいかは検証が必要だったりするのよね。噂で聞いたところによると仕草が残ったり、癖が移ったって話も聞いたことがあるけど定かではないわ」

すっかり話し込んでしまっているが、航にとって聞きたいことは山ほどあるに違いないのだ。時間はあるみたいなので、ゆっくりと聞いていけばいいと思って、二人はまた元のように身体に合わせた言葉遣いと仕草に戻っていた。ダラけてしまっていた心優の足元をしっかりと組み直したのだが、実は吹き抜けの向こう側で一眼レフの画面を見ながら二人の様子を見守る不気味な笑みをこぼす男性がいた。心優は気づいていなかったが、その男性の姿に気づいた航は席を外すことにした。

「あっ、心優。ここで少し待っていてね。トイレ行って来る」

そう言って航は店の外に出ると、トイレに行く素振りをしながら、吹き抜けの向こう側へと行くのだった。さっきから、こっちにカメラを構えているようだったので、動きがあるまで少しだけ時間を稼いでいたのだ。航は男性の手を掴み、彼の見ていたカメラの画面を確認したところ、心優を写した写真が見つかり、その中には心優のスカートの中まで写されていた。心優がスカートを敢えて身に付けようとしないのは、盗撮されることを恐れてのことでもあるのだ。

「これって一体どう言うことなんですか?」

航は冷静沈着な態度で大声を上げず静かに彼を問い詰め、決して咎めようとはしていなかった。男性は自分がしてしまったことを反省している姿を見せながら口を開いた。

「決して悪気があって撮ったわけではありません。間が差してしまったんです。お二人の姿があまりにも素敵だったので、その幸せをお裾分けしてもらえるかと思い、ついやりすぎちゃいました。削除するので許してくれませんか」

航が彼のカメラやスマホを確認すると、心優のスカートの中を写した写真が一枚と、心優のポートレイトが二枚、そして、二人が一緒に写っている三枚の写真が見つかった。

「彼女には気づかれていないようなので、スカート姿の写真だけは完全に削除してもらえますか?もちろん、クラウド上にあるバックアップデータも含めてお願いします」

男性は言われるがままに彼の削除要請に応え、完全に削除されていることを航は確認した。

「ありがとうございます。悪気は無さそうですので、今回は大目に見たいと思います。他の写真も削除して欲しいと思ったのですが、あまりにも上手な構図で撮ってくれたので、それらは僕のスマホに原本を転送してから削除するようにお願いします」

男性のスマホは航が使っているのと同じリンゴマークがついていたので、スマホからスマホに直接写真を送ってもらうと、その後、完全に削除されていることを確認した。

「そして、僕と一緒に写真を撮らせてくださいね。これらの写真を撮影した撮影者として逃げられなくなりますよね」

そう言うとインカメラを使ってツーショット写真を撮っていた。そして、背景にはボケながら心優の姿も一緒に写っていた。

「内密にしてあげますので、これからお手伝いしてもらえませんか?」

「もちろんです。お詫びさせていただきたいです」

「じゃあ、ちょっと一緒にみんなのトイレに入ってもらえますか?お手伝いの準備をさせてください」

航はそう言うと彼と一緒に同じフロアにある誰でも利用可能なトイレへと入って行くのだった。一人残されていた心優は航が戻って来るのを今か今かと首を長くして待つのだった。

(つづく)

(あとがき)

さっそくファストファッションのお店へ行って、タイトスカートのスーツを見つけたのですが、ちょっと気を抜いた時に困ったことが起きました。このことによって次の展開へと繋がることになります。次はどんなスカートが登場するのか楽しみにしてくださいね。なお、着せてみたいスカートがあればリクエストも受け付けています。引き続き、気長にお付き合いをお願いいたします。

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