やっぱりスカート #02 パジャマ

作:夏目彩香


飯沼航(いいぬまわたる)はそう言うや壁をすり抜けて隣の部屋へと移動していた。そこにはスヤスヤと寝息を立てて眠っている彼女、池田心優(いけだみゆう)の姿があった。魂は抜かれてもまるで冬眠をしているかのように生きているのか、生命を維持するために最低限必要な動きをしている。

『じゃあ、とにかく心優ゴメンな、ちょっとだけ僕が心優になって過ごして見せるからね』

フワついている彼はそう呟くと彼女の身体に飛び込んで行くのだった。

心優の身体に飛び込んだ航の意識は混沌として行き、完全に意識を失ってしまい、呼吸も止まっていた。はたから見るとまるで彼女が死んでしまったように思えるのだ。

ベッドの上で気を失っているかのように見える彼女の部屋に自分のことをワタシと呼ぶ正体不明の存在に乗り移られた航が、白いTシャツと黒の短パンと言う姿で入って来た。航の身体を不自由なく動かし、心優の顔に自分の顔を近づけたかと思うと、彼女の右目を指で開きどうやら眼球の状態を確認していた。

「どうやら、無事に中に入れたみたいだね。じゃあ、次なる仕上げをしてあげましょう」

すると航はベッドに横たわる彼女の上に覆い被さり、顔と顔がしっかりと向き合うように彼女の顔を整えてから、自分の身体をゆっくりと彼女に近づけて行った。そして、そのまま彼女の唇に自分の唇を重ね合わせ、息を吹き込むのだった。すると、彼女が軽くゲップをしたかと思うと、呼吸が始まり、全身の機能が蘇って来るのだった。彼はそのままディープキスを続けていた。

すると、突然彼女の目が開き、ものすごい形相で彼のことを睨みつけていた。そして、両手で一気に彼の身体を押して来て唇を引き離し、さらにベッドの上で上半身を起こして言った。

「いきなり、何をして来るんだよ。こうやってキスをして来るなんて、僕の身体をしてる正体不明の君なんだろ、びっくりするじゃないか!」

「えっとですねぇ。大変申しにくいのですけど、こうしなければあなたは息を吹き返せず、意識不明のままなんです。少し待てば呼吸は再開するんですけど、意識を戻すには誰かから息を吹き込んでもらわなければならないんです。確か、大地のちりで形造られていのちの息を吹き込まれて生きるものになったと、世界で一番売れている書物に書かれていましたが、それと同じで息を吹き込まなければならないのです」

そんな話を聞きながら黒のパジャマ姿の彼女は自分の身体を触って感触や感覚を確認していた。枕元にあったスマホを手に取り、カメラを使って心優の身体になっていることを実感していた。

「息を吹き込まなければならないなんて、さっき言って無かったじゃない、先に言ってくれないと……」

「だって、聞いて来なかったものですから、言うまでも無いかと思ってました。ワタシの卒論を手伝って欲しいとの思いでいっぱいなので、この点も反省材料として記述させていただきます」

すると彼女はベッドの上からムクリと起き上がり、クローゼットの扉を目一杯に開いた。そこに現れた姿見に全身を映し出すと、黒のパジャマに身を包んだ心優の姿が立っていた。

「まぁ、いいよ。どっちみち僕らは同棲している仲なんだし、事実婚と言ってもいい状態だからね。キスくらいで怒ることはないんだけど、大事なことを話してくれなかったから、それで機嫌が悪くなっちゃったんだ」

姿見の中を見つめる彼女の横に彼がやって来て、彼女の肩に手を置き、お互いが正面を向くように方向を整えていた。

「心優、ゴメンな。お前の気持ちをちゃんと考えていなかった俺が悪かったよ。こうやって謝るよ。ごめんなさい」

自分の身体で頭を下げる姿を見るのはなんとも奇妙だったが、心優にとってはまるで本物の航が目の前にいるかのように思えた。そこで、心優も自分の身体に合わせてみようと次の一言を準備した。

「ねぇ、航くん。頭を上げてくれない、私は何にも思ってないから、それにね。私にとっても今回のことは自分を変えるチャンスだと思うの、長年履いていなかったスカートを履くって、抵抗があるんだけど、あなたの願いなら叶えてもいいかなってね」

まるで心優の心の底にある思いを探るかのようにして、航に向かって話すのだった。

「わぁ、ヤル気が出て来たみたいだね。じゃあ、これからはお互いに自分の姿にあった喋り方、仕草をすることにしない?ワタシは飯沼航として、あなたは池田心優として行動しないと外には出られないからね。身支度してスカート探しに出かけよっか?」

心優はクローゼットの中に並んでいる衣服を確認したが、どうやらスカートはおろかワンピースすら無かった。

「うん、航くん。よろしくお願いします。私ったら本当にスカートとは縁遠い生活をしてたんだって、クローゼットの中を見るだけでもわかりました。買いに行くしかないのかぁ」

すると航は何かを思い出すかのような表情をして、何か思い出したかのような笑顔に切り替わった。

「がっかりするのはまだ早いかもよ。この家にあるもう一つのクローゼットがあるじゃない、そっちも確認してみないと」

航はそう言うと心優と一緒に隣の部屋へと向かうのだった。

(つづく)

(あとがき)

やっぱり、彼女のクローゼットにはスカートがありませんでした。結局はスカートを買いに二人で出かけるのですが、果たしてどんなデートになるのでしょうか。恋人同士ではあるものの、まだ結婚未満の二人の運命はワタシと言う正体不明の存在に委ねられているのです。引き続き、気長にお付き合いをお願いいたします。感想等はX(旧Twitter)は
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