探偵助手見習い秋津洲広海の冒険 作:toshi9 【第5話】 予告時間が近づくにつれ、屋敷は物々しい雰囲気に包まれていた。 警官隊が廊下のあちこちに配置されて警備の目を光らせる一方で、赤城家当主の赤城彩有里を始めとした主だった面々は隠し部屋のモニターの置かれた応接間に揃っていた。 彩有里の座るソファーの斜め後ろには後ろ手に腕を組んで直立した執事のセバスチャン・東郷が彼女を守るかのように立っている。彼女の向かいのソファーに吉岡探偵と雅、そして左側の椅子に霧島あかねと山口警部、そして右側の椅子には広海と不知火佳織が座っている。 「あの人が東郷さんだったんだ。てっきりボディガードとばっかり思ってました」 小声で隣の佳織に話しかける広海。 太い眉に細い目、短く刈りあげた髪。がっちりした体に窮屈そうに濃紺のスーツをまとった東郷の姿は、執事というよりもボディガードといったほうがよく似合う。 「ああ見えて、とても繊細な方よ。でも何事もお嬢様が最優先。そうね、お嬢様命って感じかな」 「あ、何となくわかります」 佳織の言葉に小さく頷く広海。 「ところで、不知火さん、昨日の夜のことですけど」 「昨日の夜?」 「はい、僕の部屋に来た時に不知火さんが言ってた事ですけど」 「知らないわ、あたし昨夜はあなたの部屋には行ってないけど」 「そんな!……ってことは」 広海は吉岡を見るが、吉岡は目を閉じたままパイプをふかしている。 代わりに雅が口を開いた。 「もうすぐ7時ですね」 その言葉に一同は壁の時計を見る。 壁の時計は6時45分を回っていた。 吉岡が言葉を継ぐ。 「怪人緋朗は己の美学にこだわるところがあります。もし予告の時間に盗むことができなければ、二度と『スパローテイアズ』に手を出すことはないでしょう」 「では、あと15分守ることができれば、もう赤城家が狙われる事はないと。吉岡さん、どうぞよろしくお願いします」 「はい、必ず宝石をお守りします」 静かに彩有里に応える吉岡。 「こほん。お嬢様、本官もいることをお忘れなく」 「あ、すみません。警部さんの事も頼りにしているんですよ」 彩有里の言葉に、山口の頬がちょっとだけ緩む。 「よろしい、本官に任せなさい。部屋の中を今から警官隊で固めて誰も家宝に触れさせないようにしてくれるわ」 胸を叩く山口警部だったが、吉岡が異論を挟む。 「いいえ、部屋には誰も入れないでください。誰に化けているのかわからないのでは、中に不特定の人間を入れるなど危なっかしくてしょうがない。部屋の入り口前と部屋に通じる廊下を固めておけば、誰も部屋に入ることができないのですから。部屋の中はモニターでの監視で十分です」 「でも、そんな当たり前の対策でいいんですか?」 広海は不安気に吉岡に問うが、吉岡が答えるより先に山口警部が答える。 「よし、わかった! 部屋の前と廊下は警官隊で固める。残すところあと15分。誰も中に入れんように周辺を警官隊が固めていれば怪人緋郎も盗み出せんだろう。我が警視庁の勝利だ」 「警部、あなたのお仕事は緋郎を逮捕することでは?」 「う、うむ、わかっとる」 威勢良くしゃべりだした山口警部だったが、吉岡の突っ込みに黙り込んでしまった。 そして7時まで残りあと10分を切った。 それまで何事かを考えていた彩有里が意を決したように口を開く。 「探偵さん、あたし隠し部屋の中で7時が回るまで宝石を見守っていたいのですけれど」 「え? お一人で、ですか?」 「「いえ、もう一人誰か……そうですね、ひろみさん、一緒についてきてくれるかな」 「え? 僕が?」 「お嬢様、なりません。私が一緒に」 東郷が初めて口を開く。 霧島あかねも何かいいかけたが、彩有里がそれを遮る。 「いいえ、あたしとひろみさんだけでいいわ。お前が行くと怪人緋郎に用心されるでしょう。ここでみなさんと一緒にモニター越しに見張っていてちょうだい」 「……わかりました、仰せの通りに。もしも何かあればすぐに駆け付けます」 彩有里の命令には逆らえない東郷は、そう答えるしかなかった。 吉岡は正面から自分を見ている彩有里に向かってこくりと頷いた。 「誰も部屋に入れないに越した事はないんですが、お嬢様のお気持ちもよくわかります。予告まで残りあと10分を切りました。十分お気をつけて。秋津洲君、お嬢様を頼むぞ。ここからが本当の勝負だ。決して油断するんじゃないぞ」 「はい!」 「それじゃひろみさん、行きましょう」 優雅に立ち上がった彩有里の胸で揺れるネックレスがきらきらと輝く。 「あ、待ってください」 扉を開けて出ていく彩有里を広海は慌てて追いかけた。 「ふむ」 「どうしました? あなた」 「お前はどう思う?」 「きれいな宝石ですね。事務所で見た時より一段と」 「それだけか?」 「はい」 吉岡の問いに、にっこりと笑う雅。 「奴は必ず動き出す。それを待とうじゃないか。いや、とっくに動き出しているか」 「き、貴様、何か掴んでいるのか!」 「さて、どうでしょうね」 吉岡を指差して怒り出す山口警部。黙ってパイプをふかす吉岡。そんな二人の様子に顔を見合わせて少し不安気な表情を見せるあかねと佳織だった。 「大丈夫でしょうか」 「お嬢様が言い出したら聞かないのは今に始まったことじゃないし、あたしたちは待つしかないわ。でもモニターの向こうで何かあったら、あたしたちもすぐに行くわよ、不知火」 「わかりました」 隠し部屋の入り口まで来た彩有里と広海は、認証装置に顔と指紋を認証させると、靴を脱いで一人づつ隠し部屋に入った。部屋の中はしんと静まり返っている。部屋の中にあるのはガラスケースに収められてテーブルに置かれた宝石『スパローティアズ』だけだ。二日前に広海が佳織と一緒に入った時と同じだった。 「前と一緒だ。いや、何か違う……」 「どうしました?」 「彩有里さん、何か匂いません?」 「そうかしら」 彩有里は特に気にしない様子だったが、匂いに敏感な広海は以前と違う匂いが部屋に漂っているのに気がついた。 (この匂い、吉岡探偵の煙草の匂いだ。朝のアレがまだ残ってるんだ) 広海は、朝、吉岡がパイプを取り出してあかねに怒られた時の事を思い出した。足元を見ると、刻み煙草の粉が落ちたままになっている。匂いの元はそれだった。 (ほんとに探偵の煙草好きもしょうがないよな。早く禁煙してくれればいいんだけど、あれだけは苦手だ) そんなことを思いながら広海は部屋を手持無沙汰に見回した。時計の秒針は刻々と7時に向かって時を刻んでいる。 そして、長針と秒針が同時に12の文字を指した。 「7時ね」 「はい、7時です」 予告の19時、すなわち午後7時が過ぎたことを時計は告げていた。だが時計の針が7時を回っても何も起こらない。 「何も起きないみたいね。怪人緋郎は警備っぷりに諦めたのかな」 「そうですね。でも妙です。あいつは確かに屋敷内にいるはずなのに」 「何はともあれよかったわ。それじゃ皆のところに戻りましょうか」 「はい」 二人は宝石を残して隠し部屋を出た。 「ご苦労様でした」 部屋の前で詰めている警官たちに優雅に挨拶する彩有里。 少し照れて、警官たちが彩有里に向かって敬礼する。 その間を抜けて、一同の待つ応接室への廊下を歩く二人。だが廊下の角を曲がった最初の部屋の前で彩有里が突然立ち止まる。 「ひろみさん、この部屋の中から変な声が聞こえる……うめき声みたいな」 「うめき声?」 広海も足を止める。 彩有里が部屋の扉を開けると、中は寝具専用の倉庫として使われている部屋だった。広い部屋の中に毛布や布団がいくつも積み重ねられている。その中に彩有里は躊躇なく入っていく。 「あ、お嬢様、あの、もう少し慎重に」 だが彩有里は広海の言葉に耳を貸さずに、さらに部屋の奥に入っていく。 「きゃっ、え? 不知火!?」 彩有里が小さく叫ぶ。 「不知火さん? だって不知火さんはさっきまでみんなと一緒にいたはずじゃ?」 「でもほらっ、あそこに」 彩有里の指さす先に視線を移す広海。 そこには縛られて羽毛布団と毛布の間に埋もれた不知火佳織がいた。猿轡をされて、うまくしゃべれないらしい。 「ん〜ん〜」 二人を見て必死に首を振る佳織。 「それじゃ、さっきの不知火さんは緋郎が化けてたんだ。くそう、『昨日のことなんて知らない』なんて……だまされた。待ってください、すぐに縄を」 駆け寄って佳織の縄を解く広海。 「大丈夫ですか?……うぐっ!」 首筋に電気のような痛みが走った。 振り向くと、彩有里が小さな針のついたボールペンのような細長い器具を持って立っている。 「そんな、どうして……まさか!?」 「どうだ、これが変装というものさ」 彩有里の声が突然男のものに変わる。 彩有里は横たわった佳織の顔に手をかけるとその皮をめくった。 中からボールギャグを口に咥えさせられた彩有里の顔が出てくる。 「ま、まさか、不知火さんがお嬢様だなんて……それじゃ、お前は」 「偽物さ。私が怪人緋郎だ。今まで気づかないとは探偵助手失格だな」 「くっ、どうしてお嬢様に化けて」 「このネックレスがわかるか? 昨夜のうちに彼女と入れ替わって、隠し部屋のネックレスと交換したんだよ」 「まさか、それじゃそのネックレスは本物の『スパローティアズ』!」 「正解だ。彩有里自身がつけていれば、イミテーションだと知っている人間ほど本物だとは思わないだろう」 「でも、変装だけで隠し部屋の認証装置を破れるなんて」 「認証装置? あんなものざるだな。私の変装術は完璧だ。そんなちゃちなものではないのだよ」 「19時に盗むという予告だったはずなのに……どうしてこんなこと……」 「私はこの『スパローティアズ』を19時にいただくという予告状を出したが、部屋から19時に盗み出すとは一言も書いてないぞ。ははは、探偵も警察も部屋の中に異変が起こらないかモニターに釘付けだったが、既に我が手中にあるとは誰一人気がついてないだろう。では予告通り、この『スパローテイアズ』はいただいていきますよ。この秋津洲ひろみがね」 緋郎は朦朧としている広海の顎に手を差し込みむと、その顔の皮を一気にはいだ。いや、それは広海自身の顔ではなく、作り物の顔だった。そして中から出てきたのは、何と彩有里の顔だった。 緋郎は広海から脱がした広海の顔の皮を自分でかぶると、目や口の位置を合わせる。今や着ている服以外秋津洲ひろみの姿になった怪人緋郎は、ひろみの顔でにやにやと笑っていた。 朦朧としている広海には、何が起きたのかわからない。 「お前の全身にかぶせた皮は赤城彩有里のコピーだ。誰にも見分けがつかない精巧なものさ。そしてその上からお前の顔を模したマスクだけをかぶせておいたというわけだ」 「ど、どうして……こんな……こと……」 「ほう、まだ意識を失わないのか。やはり奴の助手にはもったいないな」 (……昨夜の不知火さんの口調……やっぱりあれも怪人緋郎だった……それじゃあ、あの後不知火さんに成りすましてお嬢様と入れ替わったんだ……もう少し早く気がつけば……) 「もう自由が利かないだろう。その体も利用させてもらうぞ」 必死に体を動かそうにも動かなかった。朦朧とする意識の中、広海は服を脱がされ、そして緋郎が着ていた彩有里の服と交換させられた。 目の前のもう一人の自分の胸にネックレスが輝いている。霧がかかっていくように混沌としていく意識の中で、それを綺麗だなと思いつつ、広海はそこで気を失ってしまった。 ひろみの姿になった緋郎は縛られた彩有里にめくっていた佳織の顔を再びかぶせると、最後にネックレスを己の胸元にしまい込み、ドアを開けて叫んだ。 「誰か、誰か来てください、お嬢様と不知火さんがここに!」 その声は広海そのものだ。 騒ぎに屋敷中の警官や使用人が集まってくる。 「二人ともどうしたんだ」 「不知火さんは、応接室にいたんじゃないのか?」 「どっちが本物なんだ」 「おい、来てくれ」 騒ぎの中、ひろみの姿の緋郎は集まってくる警官の間を抜けて、屋敷のエントランスホールに向かっていった。 「ふふふ、間抜けどもめ。今回も楽勝だな」 だが…… エントランスホールの扉の前には、にこにこと笑う雅が壁に背中をもたれかけさせ、腕を組んで立っていた。 「広海君、どこに行くの?」 「え? あ、あの事務所に」 「屋敷の外に出るんだったら、そのネックレスを置いていきなさい」 「え? ネックレスなんて」 「しらばっくれてもだめよ、怪人緋郎さん」 「え? 怪人緋郎? 何言ってるんですか、僕は広海ですよ」 「茶番終わりだ。怪人緋郎、お前の行動は全てお見通しだ」 ホールに響き渡る声に緋郎が振り向くと、そこには吉岡探偵が立っていた。 「くっ、貴様なんでわかった。俺の変装は完璧のはずだ」 「そうさ、お前の変装は変幻自在だ。だが行動はどうかな? お前のことだから誰かに化けて堂々と正面玄関から出ていく、そう確信していたよ。だから予告時間になると同時に、ここに雅を張らせていた。正体を明かすのがちょっと早かったようだな」 「な、なに?」 雅はにこにこと笑って広海に化けた緋郎を見ている。 「くそっ、はったりか」 じりじりと後ずさる偽広海。 その間に吉岡の後ろから東郷と霧島、山口警部たちも駆けてくる。 「どういうことだ吉岡探偵、こいつが怪人緋郎だって?」 「そうです。彼が緋郎です」 「よし、わかった! もう逃げられんぞ怪人緋郎、観念するんだな」 笛を吹いて警官隊を呼ぶ山口警部。偽広海の前後からは吉岡と雅が距離を詰める。 だがその時、エントランスホールの騒ぎに、警官隊と共に屋敷のメイドたちも集まってきた。 「どうしたんですか?」 「ふふふ。馬鹿め」 怪人緋郎はメイドたちの中に飛び込むと、彼女たちに次々と新たなマスクをかぶせていった。そして自分のかぶっているひろみの顔のマスクを脱ぎ取った。そしてさらにもう一枚、その下の彩有里の顔までも脱ぎ捨ててしまった。 「あれあれ、秋津洲さんがいっぱいだ」 「あっちもこっちもひろみさんっぽい?」 「君、だあれ」 「望月で〜す」 「はいは〜い、あたしが村雨よ〜」 混乱の中、夕立薫子が玄関の扉を開けて外に飛び出していった。 「あ、あたしっぽい子が?」 たくさんいる広海の一人が叫ぶ。 「あれが緋郎だ、追え!」 山口警部を先頭に一同はどやどやと屋敷外に駆け出たものの、そこに人影は無かった。 「ちっ、逃げたか」 「山口警部、またまた失態ですね」 「うるさい! 貴様こそ『スパローティアズ』を守れんかっただろうが」 「安心してください。たぶん大丈夫です。たぶんね」 そう言いながら、懐中からサングラスを取り出してつける吉岡。 屋敷の周辺を見渡す吉岡のサングラスの裏には、蛍光した矢印が浮かび上り、ある方向を指し示していた。 「きゃつの行先は、こっちですよ」 「どういうことだ?」 「実は隠し部屋にある仕掛けを施しておいたんですが、きゃつはそれに見事に掛かってくれたようです」 「仕掛けだと?」 「いざという時の為に、今朝、隠し部屋の入口に刻み煙草をまいておいたんですよ。少なくとも今日部屋の中に入ったのは秋津洲君と怪人緋郎だけ。他には誰も入っていません。緋郎は見事に刻み煙草を踏んでくれたようですね」 「刻み煙草が緋郎の足の裏に? だがどうしてそれだけで奴の足取りがわかる」 「実は煙草の葉の中にナノ発信機を混ぜておいたんです。一度ついたら簡単に外れない代物です。このサングラスはその受信機ですよ」 「ほほう、では」 「奴の足取りは追いかけられます。とは言え、急ぎませんと」 「待て、わしも行く」 颯爽と駆けていく吉岡探偵。そしてその後ろをどたどたと追いかけていく山口警部と警官隊だった。 ……さて、その頃広海はどうしていたのか。 彼が気を失っていたのはほんの10分足らずのことだった。薬物が効きにくい体質なのだろう。意識を失うのも遅かったが回復も早い。だが気がついた時、奇妙な心地よさを感じていた。それは包み込まれるような温かい感触。 「う、う〜ん、ここは、ひ、緋郎はどこに」 「お嬢様、気がつかれましたか。この東郷が来たからにはもう賊に指一本触れさせませんぞ」 目の前に東郷のいかつい顔がアップで迫る。 「え? う、うわっ!」 彼は東郷の腕に抱かれていた。いわゆるお姫様だっこだ。 「そのままそのまま、私がお部屋までお連れしますので」 どうやら、東郷は彼を抱いたまま彩有里の部屋に向かっているらしい。 「違うんです。僕は違うんです」 「?? お嬢様、まことに災難でした。さあ、今日はゆっくり休まれて」 「だから違うんです。僕は秋津洲広海です」 「は? お冗談を」 「本物のお嬢様は? あの、僕の隣で倒れていた」 「隣で倒れていた? すばらしい、あの不知火の偽物を倒されたのはお嬢様でしたか。安心してください。あの輩は霧島と不知火がひっくくって警官隊に引き渡しました。不知火が「あたしに化けるなんて」とかんかんでした。彼女も緋郎の一味ですな」 「だから、あれは彩有里お嬢様ですって。緋郎に強制的に変装させられているんです。僕みたいに」 広海はふと、緋郎が彩有里のあごに指をかけてマスクを外していたのを思い出すと、自分の顎に爪を立てて思い切って引き上げてみた。 すると彩有里の顔がぺろりと剥がれ、中から広海自身の顔が現れる。 「な、なんと、お前は新人メイド。それでは本当に」 「だから何度も言ったでしょう」 「い、いかん、これは大失態。こうしてられん」 「いたっ!」 東郷は抱いていた広海を床に放り出すと、一目散に廊下を駆けていった。 「いたたた、全く乱暴な人だ」 腰をさすりながらエントランスに降りた広海が見たのは、彩有里からこっぴどく怒られている東郷霧島、そして不知火の3人だった。 「彩有里さん、元に戻れたんだ」 「あたしが脱がせたのよ」 「あ、雅さんが」 「ええ、全くお嬢様も災難だったわね。災難の二重奏。でも宝石は大丈夫よ」 「そうなんですか? 僕、全く記憶が無くって」 「とにかく今は、大作の帰りを待ちましょう」 それから程なくして、吉岡探偵たちによって怪人緋郎のアジトが発見された。山口警部を先頭に突入した警官隊によって遂に取り押さえられた怪人緋郎だが、変装を解いていない緋郎の姿は未だ華奢な夕立薫子のままだった。 だが吉岡の姿を見て、怪人緋郎は観念したように静かに捕縛された。 そして怪人緋郎が再逮捕されるとともに彼が持ち去った本物の宝石『スパローティアズ』も無事に赤城家に戻ってきた。 翌日の新聞は、吉岡探偵の勝利を書き立てていた。 だが、広海の体にかぶせられた彩有里の皮は、吉岡を持ってしても剥がす事ができなかった。 皮は首の部分で上下に分かれているようで、広海の首に刻まれた二重線から上の彩有里のマスクは容易にはがれて元の広海の顔に戻ることができたのだが、首から下に貼りついている女体はどうしてもはがれない。焦る広海だったが、吉岡が薫子の姿のまま拘留されている怪人緋郎に問いただすと「一ヶ月もすれば自然に脱げるさ」と笑って答えていたという。どうしてはがれないのか、その理由は広海本人に聞けと言ったらしい。だが何が起きたのか問う吉岡に広海は沈黙するしかなかった。 (谷風さんに化けた怪人緋郎の手でしごかれて、着せられた皮の内側に出しちゃったなんて、いくら何でも話せないよ……) 彩有里から残っていた愛宕のメイド服をもらった広海は、結局その姿のまま事務所に勤めていた。 「探偵、初めての仕事だったのに何もできなくて申し訳ありませんでした。おまけにこんな事になってしまって」 「いや、そうでもないさ。きゃつが既に屋敷に侵入していたことがわかったから対策が打てたんだ。秋津洲君を屋敷に送るのがもう一日遅かったら、うまくいったかどうかわからんぞ。ほら、客人だ」 吉岡の声と同時に事務所の扉が開く。入ってきたのは彩有里だった。手には大きな手提げ袋を持っている。 「おや、今日はお一人ですか? しかもそんな大荷物を」 「今回はお世話になりました。おかげで、家宝も無事で」 「いえいえ、依頼を果たすことができて良かったです」 「でも…」 彩有里が紅茶を持ってくる広海をちらりと見る。 「ああ、彼なら心配無用です」 「はい、何とかやってますから」 「広海君、本当に大丈夫なの? その服1着だけでは不便でしょう、愛宕が残していった服を全部持ってきてあげたわ」 「そんなにたくさんですか?」 「ええ。辞めたというか、荷物を置いたまま急にいなくなったの。もしかしたら彼女も怪人緋郎の変装だったのかもね」 そう言って、彩有里は手提げ袋を広海に渡した。広海が中を開くと、いっぱいに詰め込まれた何着かの衣装、おまけに下着やパンストまで入ってる。 「あ、ありがとうございます」 「で、吉岡さん、本当に『スパローティアズ』はもう怪人緋郎に狙われる事はないのですか?」 「怪人は牢獄の中ですし、一度失敗したものは二度と狙わないのがきゃつの美学、大丈夫でしょう」 「そうですか、それを聞いて安心しましたわ」 彩有里が胸に手を当ててほっとした表情を見せる。 「あなた!」 その時、電話の応対をしていた雅が顔を吉岡に向ける。 「怪人緋郎が昨夜脱獄したそうです」 「なんと! また警察の失態がひとつ増えたか」 「山口警部がさぞくやしがっている事でしょうね」 電話を置いた雅がため息をつく。 「だがこれでまた楽しみができたな。何度でも何度でも、きゃつの企みは阻止してみせるさ」 「探偵、僕もがんばります!」 「ああ、見習いは卒業だ。今日からは助手としてしっかり頼むぞ」 「はい!」 「広海君、あたしもあなたの活躍を楽しみにしているわ、しっかりね」 そう言って一瞬にやりと笑った彩有里だが、すぐに向日葵のような笑顔を広海に向け、手をぎゅっと握りしめた。 「はい、がんばります!」 (終わり) 後書き: 久々の長編になりました。というか、書いているうちにどんどん長くなって収拾がつかなくなり、一昨年から放置していた作品でした。とにかく何とか完成させたいなと思い、今年になって執筆を再開したところ、新しいイメージもわいてきて今回何とか完成させることができました。内容は変装モノ。探偵と怪人のイメージは、いつも北と南から助けていただいているお二人です。 それではお読みいただいてありがとうございました。 これからも「TS解体新書」よろしくお願いします。 2017年3月28日脱稿 |