探偵助手見習い秋津洲広海の冒険 作:toshi9 【第1話】 帝都のとある探偵事務所で、高校を卒業して間もないひとりの少年が働いていた。彼の名前は秋津洲広海(あきつしまひろみ)。探偵事務所とは、名探偵の誉高い吉岡大作(よしおかだいさく)の事務所だ。難事件を解決していく吉岡探偵に憧れ、彼は高校卒業と同時に上京して吉岡探偵事務所に押し掛けたのだ。 輝く目で訪れた秋津洲少年に最初は迷惑そうな表情を見せた吉岡探偵だったが、試しに出した課題を広海が見事回答したことでその才能を認め、住み込みの助手見習いとして働くことを許している。 お小遣い程度のささやかな給金にもめげず、吉岡探偵や彼の妻であり助手でもある雅(みやび)の特訓を受ける日々は、広海にとっては、苦労の連続ながらも楽しい毎日だった。 そんなある日、吉岡探偵事務所に一通のメールが入った。 それは赤城財閥の令嬢、赤城彩有里(あかぎさゆり)からのものだった。 メールには仕事を依頼したいという事と、仕事の内容については今日の午後二時に直接事務所に来て話をしたいという事が書かれていた。 外出中の雅に代わって依頼メールをチェックしていた広海から報告を聞いた吉岡は、キラリと眼を光らせると了解のメールを返信するようにと広海に指示した。 「赤城財閥の令嬢からの依頼か、さて何の相談か楽しみだ」 そう言いながら椅子に座ってパイプをくゆらせる吉岡。まだ30代半ばとは言え、長身の彼が見せる仕草には独特の雰囲気がある。 (きっと難事件の匂いがするんだろうな) そう思いながらコピー機で新聞の切り抜きのPDFファイル化を始めた広海には当面の心配事があった。いつもなら接客を担当している雅が今日に限って外出中なのだ。上流階級の客の対応に手慣れた彼女がいないのに、財閥の令嬢にどう応対すればいいのか不安だったのだ。 「探偵、今日は雅さん外出でしょう、あの、接客どうします?」 「今日のところは君に頼むしかないな。そうだ、せっかくお茶を出すのなら、特訓の成果も一緒に出してみたらどうだ?」 「特訓の成果も一緒に出す? ……ってことは」 「そういうことだ。これも本採用試験のひとつだと思ってやってみるんだな」 「でも財閥令嬢に出せるお茶なんて事務所には無いんじゃ?」 「心配するな。冷凍庫に入ってる買い置きの紅茶でいい。ただし入れ方を間違えるな。雅が教えた通りの温度と時間を守って入れるんだぞ」 「わ、わかりました」 (雅さんは紅茶を入れる名人だからな。確かに雅さんから教わっているけど、大丈夫かな) そんな不安を余所に、約束の二時ちょうどに赤城彩有里が事務所を訪ねてきた。スーツ姿のいかついボディガードを一人伴って部屋に入ってきた彩有里の年齢は20代後半くらいだろうか、凛とした雰囲気を漂わせた美しい女性だ。だが両親が事故で亡くなった後、赤城グループを率いてますますその業績をアップさせたというから、見かけによらずとてつもないやり手だ。 「……というわけです」 「なるほど、それでこれが怪人緋朗(ひろう)の予告状ですか。「3月29日の19時に赤城家の家宝『スパローティアズ』をいただきに参上する。警護の怠りなきよう」か、つまり屋敷内に隠された家宝を盗み出すという訳ですな。しかも『警護の怠りなきよう』とは恐れ入る。余程の自信があるらしいですな」 「はい。それで私、探偵さんに家宝の警護をお願いできないかと思いまして」 「ふむ。ところであなたが今つけられているそのネックレスのペンダントヘッド、それこそが『スパローティアズ』なのでは?」 「これはイミテーションですわ。と言いましても、これはこれで十分高価なものですけど。本物は屋敷のとある場所に隠しております。それを知っているのは私を含めた一部の人間だけのはずです」 「しかし緋朗の予告文には『参上』とある」 「そうなんです。ですから……」 「そのペンダントがイミテーションで、本物が屋敷内に隠されていることを緋朗は知っている。そういう事ですね」 「おっしゃる通りです。さすがですわ」 お世辞とも本気とも取れない彩有里の言葉に、吉岡探偵は特に照れる様子もなくパイプをくゆらせる。 「予告状の件は警察にも届けて警備をお願いしました。3日後の予告当日はSPの方々が屋敷とあたしの身辺を固めてくださいます。でもあたし心配なんです。あの怪人緋朗からの予告状ですから。それで探偵さんにも協力をお願いできないかと思いまして、こうして伺った次第ですわ」 「赤城財閥の総帥自らのお越し、まことに痛み入ります」 「それでは」 「はい、この仕事引き受けさせてもらいましょう。きゃつは我が永遠のライバル、行動パターンは研究済みです。この名探偵吉岡大作に任せなさい。今度こそ引導を渡してくれる」 そう言って、自信満々に紅茶に口をつける吉岡探偵。 そんな探偵の様子を、広海は紅茶を出し終えて空になったトレイを両手に抱えて、にこにこと見ていた。 怪人緋朗とは、ここのところ世間を騒がせている怪盗だ。予告状を送りつけては、変幻自在の変装術を駆使した鮮やかな手口で金持ちから金品宝石を奪っていく。必ず他人の姿に変装して現れるので、その真の姿は誰も知らない。警察はいつも裏をかかれて逮捕できなかった為、いつしか世論の風当たりは怪人よりも不甲斐ない警察に対して強くなっていた。まさに現代の怪盗ルパン、いや変装術を駆使した行動ぶりは怪人20面相と呼ぶべきだろうか。 だが、怪人緋朗が一度だけ捕縛された事がある。それが吉岡探偵が名探偵と呼ばれるきっかけになった事件だった。ただし逮捕されたとは言え、警察の護送中にあえなく逃走されたので、結局その正体はわからずじまいだった。その後怪人緋朗が活動を再開するや、吉岡探偵は実績を買われて予告状が送りつけられた金持ちから警護の依頼を受けてるようになった。 それが何度か繰り返されると、パブロイド版夕刊や写真週刊誌は二人を好敵手と書きたてるようになる。事件について解説する評論家まで現れる始末だった。だが二回目以降の対決は吉岡探偵が怪人緋朗を追い詰めながらも、いつもぎりぎりのところで逃げられるというパターンが繰り返されていた。 広海はそれをくやしい事だと吉岡探偵にこぼしたことがある。だが吉岡は「当然だ。だからこちらも奴の思考パターン、行動パターンを研究して先手先手を打って裏の裏をかかないといけないんだ」と彼に語った。 そうだ、毎日が勉強なんだよな、とトレイを持ったまま広海が吉岡探偵と怪人緋朗の因縁について思いふけっていると、そんな彼の様子に気がついたのか、彩有里はティーカップから唇を離し、広海を見て微笑んだ。 「この紅茶はあなたが入れたの? おいしいわ」 「あ、ありがとうございます」 広海は慌てて軽くお辞儀する。 「かわいいお嬢さんですね。その制服は山手の白雪女子かしら? 制服の上につけたエプロンがよくお似合いですよ。探偵の妹さん? それともバイトなのかしら。高校生でしょう。こんな時間にこんな場所にいていいの?」 令嬢の矢継ぎ早の質問に困った広海は、どう答えたらいいのかと思い吉岡探偵の顔を見た。 小さく笑った吉岡が口を開く。 「今日は学生の恰好をしていますが、高校はもう卒業していますから問題ありません。ところでひとつ提案があるのですが、予告当日まで彼を見張り兼連絡係として赤城家のお屋敷に置いていただけないでしょうか」 「そうですね……その白いエプロンがよく似合っているし、紅茶の入れ方も完璧だし……それでは屋敷のメイドとして働いてもらうというのはどうでしょう。あなたはそれでいいのかしら?」 「はい、僕は構いません」 「でも…え?ちょっと待って、僕? 今、僕って。それに探偵さん、さっき彼女のことを彼って言いました?」 「彼は男ですよ。変装の特訓を積ませておいたのですが、その成果を試す為に、変装した姿で給仕させてみたのです。どうやら変装術は合格のようですね。お嬢様には大変失礼いたしました」 「まあ、こんなかわいいお嬢さんが男だなんて信じられない。……君、ほんとに?」 「はい、吉岡探偵の助手の秋津洲広海といいます」 「おい、まだ助手見習いだぞ」 そう、まだ正式な助手という訳じゃない。今は見習い期間中……。でもこの事件で必ず探偵に認めてもらうんだ。 そう思いながら顔を赤くしてうつむく広海。一方、彩有里は広海の声を聞いて怪訝な表情を見せている。 「でもあなたの声にしたって女の子にしか聞こえないし……まさかあたしを試しているのかしら?」 「変装法と一緒に女声の発声法も教わっているんです。コホン、だから地声はこんなです」 普段の声に戻して広海は答える。 広海の本来の声を聞き、令嬢は口に手を当てて驚くばかりだった。 「このような変装術は探偵の技術としてはまだ序の口、彼にはもっと勉強してもらわないといけません。ですが才能はあります。探偵に必要とされる洞察力もなかなかのものですし武術も叩き込んでおります。ですから予告当日まで屋敷内の情報を逐次私に知らせてもらおうと思うのです。予告は3日後とはいえ、恐らく緋朗本人かきゃつの配下が既に屋敷に潜り込んで事前活動を開始しているかもしれません。その動向を探ってもらうのです。彼ならもしもきゃつらと遭遇したとしても、自力で何とかしてくれますよ」 「え? 緋朗がすでに屋敷内に? 屋敷内に怪しい人間はいないと思いますけど」 「予告状が送られてきたという事は、既にきゃつには『スパローティアズ』を奪える確信があるという事でしょう」 「そんな。では探偵さんも早く屋敷の警護に来ていただけませんか?」 「いや、今から私が屋敷に入っても、警戒されるだけです。思わぬアクシデントにつながりかねません。それに、まだ手が離せない案件を抱えております。だから野々宮君に代わりに情報収集活動してもらおうという訳です。そして予告当日にきゃつの企みを阻止し、あわよくば捕縛する」 ぎゅっと拳を握りしめる吉岡探偵の言葉に、広海は少なからず感動していた。 「先生、僕の事を信頼してもらえるんですね。感激です」 「自惚れるんじゃないぞ、今はこれが最善の選択だと思うから君に行ってもらうんだ。まだ見習い中だという事を忘れるんじゃないぞ。そしてくれぐれも無理はするなよ。とにかく気がついた事は何でも私に知らせるんだ」 「わかりました!」 「それでは明日にでも行かせますから、段取りを取っておいていただけますかな?」 「わかりましたわ」 こうして広海の探偵助手としての初めての事件が始まった。 (続く) |