チョコレート・トラブル3
作:toshi9


「よーし、女子は集まれ。今から選考会を始める。県大会のレギュラーメンバーは明日発表する」

体操部のコーチが女子部員を集め、秋の県大会出場選手を選ぶ選考会がスタートした。選考会の結果を元に、2年生から7人、1年生から5人、12人の中から5人のレギュラーが選ばれるのだ。
競技は、跳馬、平均台、段違い平行棒、床の順だった。
次々とエントリーした女子が跳躍を続ける。そして理奈の番が来た。

理奈(雅之)は心の中で行う演技の中身を確認する。
(理奈が選んだプログラムは、伸身のダブル宙返りだったよな)
コーチに向かって手を挙げると、一気に駆け出す。そして跳馬具の前で踏み切った。筋力は落ちているが、体重は軽い。
伸びやかに伸身2回転のジャンプすると、見事に着地した。
(よし、跳馬は成功だ。この調子ならうまくいくかな)
そう思って小さくガッツポーズしたものの、次の平均台では見事に失敗した。
平均台に上がって演技を始めてみたものの、結局平均台から落下してしまったのだ。続く段違い平行棒でも離れ技をひとつ抜かしてしまうミスを犯してしまう。

「やっぱ付け焼刃ではだめか」
3種目を終えたところで、理奈(雅之)は両ひざを抱え込んで座り込んでしまう。
「付け焼刃って? 岡崎さん、誰よりも一生懸命練習していたじゃない。絶対にレギュラーに選ばれるんだって」
隣りの1年女子が声をかける。
「え? えーっと、新技を入れようかな、なんて思ってたんだけど」
「そう、残念だったね。でも泣いても笑ってもあとひとつだよ、がんばろうね」
「う、うん、ありがとう」

最後は床だった。理奈が怪我したプログラムだ。そしてこれを失敗したら恐らく選考から漏れる。
(だが俺なら……。そう、思いっきりやるしかないな)
意を決して理奈(雅之)は顔を上げた。
床では演技していた2年女子が演技を終えていた。
(さあ、俺の番だ)
立ち上がって石灰を手の平と足裏につけると、手を挙げる。
「よし、岡崎、行け」
コーチの声に、マット上を駆け出すと、タンブリングの連続背面宙返り、そしてジャンプして屈伸で2回転しての着地、ここはピタリと決まった。
今度は手足を大きく使ってダイナミックに全身で演技しながらマットを縦横に駆け巡る。最後の片足ターンを終えマットの角に静止すると、対角線上を再び駆け出す。くるくると捻りを入れた前転で弧を描くと最後に伸身でジャンプして2回転2回ひねり。ぴたりと着地も決まった。

「理奈ったら、すご〜い」
「いつの間にこんなに腕を上げたんだろう」
1年女子も2年女子も隣同士で囁き合う。
「岡崎、お前東堂と特訓したのか。今のはあいつの技だな。よし、岡崎は下がれ、次」
コーチが次の女子部員をマットに上げ、理奈(雅之)は1年生たちの輪の中に戻っていく。

「ふぅ、終わったよ。結果は明日のお楽しみだ」
右手で額の汗をぬぐう。
「お疲れ様。がんばったね、理奈。すごかったよ」
1年生女子の一人がタオルを差し出す。
「あ、ありがとう」
受け取ったタオルで汗を拭う。頬に触れる柔らかな生地の感触が心地よかった。

マットの上では、次々と演技が続けられていた。
ピタリと着地を決めてガッツポーズで戻ってくる者、技を失敗してうなだれて戻ってくる者。
結果は様々だが、終わった後はそれぞれの演技についてわいわいと語り合った。その輪の中に半ば強引に理奈(雅之)も入れられていた。
(みんな一生懸命だよな。そう、競技会に出たいのは同じなんだ。体操が好きなんだよな。それなのに、俺はこんな身代わりを引き受けて、良かったのか?)

理奈(雅之)には「理奈は絶対に選ばれるよ」という1年女子たちの声がいやに遠くに聞こえた。



晩秋の放課後は日暮れが早い。
選考会が終わり、着替えて体育館を出ると、もう日がすっかり落ちていた。
暗がりの中を岡崎家に向かう理奈(雅之)だったが、途中の公園に差し掛かると、急に尿意をもよおしてきた。
(あと少しで家だけど、もう我慢できないよ)
何とかこらえながら、理奈(雅之)は、公園の公衆トイレに飛び込んだ。しかしそこは男子トイレだった。

用を足していたジャンパーを着た中年の男が、ビクッとこちらを見て、慌てて己のモノをしまう。
「おっと、こっちじゃなかった」
理奈(雅之)は慌てて女子トイレに入りなおすと、洋式の個室に入ってスカートをまくりあげる。そしてショーツとスパッツを一緒に下してしゃがみ込むと同時にシャ〜と放尿した。
ほぉっと一息つく理奈(雅之)。
「はぁ〜間に合った。この解放感は男の女も一緒だよな」
麗奈からやり方を教えられた時は恥ずかしかったものの、何度か繰り返していると局所にトイレットペーパーをあてがうのも慣れてくる。
トイレットペーパーで拭うと、ショーツとスパッツを引き上げ、スカートを下した。

解放感を味わいつつ個室を出たものの、突然荒々しい手が理奈(雅之)の口を塞いだ。
「ん〜ん〜」
「静かにしろ」
声の主は、さっき男子トイレで用を足していた中年の男だった。
「綺麗なねえちゃん、一発やらせてくれよ。ねえちゃんの用を足している音をこっちから聞いてたら、もう我慢できなくなったんだ」
「ん〜や、やめてください」
男の手を払い除けて理奈(雅之)は抵抗するが、つかまれた腕を振りほどくことはできない。壁に体をがっちり押し付けられ、スカート越しで股間に膝をぐりぐりとこすりつけられた。
「ひぃ」
奇妙な感覚が膝を押し付けられた股間から湧き上がってくる。
さらに男は制服のブラウスの上から胸を揉みしだいた。
「ちょ、ちょっと、もうやめて……」
抵抗する理奈(雅之)。だが男は止める素振りなど全く見せず、やがてその手は理奈(雅之)股間に伸びる。
「ひっ!」
「ほらほら、どうだ、おじさんが気持ちいいこと教えて……ん?」
ショーツの中に手を差し入れ指先を這わせ始めた男が妙な顔をする。そこにあるはずのないモノの感触を感じたのだ。
「お、お前、男か!」
「え?」
男は慌てて、ショーツから手を抜き出した。
だが理奈(雅之)のはいているショーツの中心部はモコッと盛り上がったままだった。そしてみるみる理奈(雅之)の体型が変化を始める。
長かった髪が短くなると共に両胸は盛り上がりを無くし、背が伸びていく。
やがて理奈(雅之)は元の雅之の姿に戻っていた。

「へ、へんたいだ〜〜」
「失礼だな、お前こそ変態だろうが、このクソ野郎」
「ちっ」
男は慌てて公園の闇の中に走り去っていった。
「まったくとんでもない目に遭ったぜ。それにしても、何で急に元に戻ったんだ」

窮屈になった制服に戸惑うばかりの雅之だった。そこにもうひとつの人影が現れる。

「雅にぃ……」
「え?」
雅之の目の前に、松葉杖をついた理奈が立っていた。
着ている服は、だぶだぶの雅之の服だった。
「理奈か、お前も元に戻ったんだ」
「うん、担任の先生に家に帰れって言われて一度帰ったんだけど、選考会の結果が気になって、それで学校にもう一度行こうとしたんだ。でも急に元に戻っちゃって」
「どうして俺たち元に戻ったんだ?」
「よくわかんないよ。おかあさんも麗奈ももっと長かったはずなんだけど」
「ま、無事に戻れて良かったけどな」

二人は公園のベンチに腰掛けた。

「で、選考会はどうだったの?」
「ああ、平均台と段違い平行棒で失敗したけど、跳馬と床はまずまずかな。あとはコーチの評価次第だ。県大会のレギュラーは明日発表するって言ってたぞ」
「そうなんだ、発表までドキドキだね。やっぱり雅にぃの演技を見ればよかったな」
「すまないな、文句なしの演技ができると良かったんだけど、付け焼刃ではあれが限界なんだろうな」
「ううん、雅にぃは頑張ってくれたんでしょう」
「……でも、これでいいのかな」
「え?」
「1年女子のみんながんばってたぞ、2年もそうだ。自分の力を出し切ってレギュラーに選ばれようって必死だった。お前は自分の力で選ばれなくてもいいのか?」
「そ、それは…」
「元に戻ってしまったのは、レギュラーは自分の力で掴み取れって神様が教えてるんじゃないのか? そもそも明日選ばれてもその足じゃ県大会は難しいだろう。今回は諦めろよ、自分の力で掴み取ってこその出場じゃないか」
「だって……だって、あたし、ずっとレギュラーを目標にがんばっていたんだよ。それなのにこんな怪我で出られないなんて、そんなの無いよ」
一度は元気なくうなだれた理奈だが、顔を上げると雅之の腕をぎゅっとつかんで訴えた。
「ねえ雅にぃ、もう一度入れ替わってよ。そうだ、また由紀ねぇにチョコレートをもらうから。ねえ、お願い」
「だめだ、もしも明日選ばれても、足を怪我したって辞退するんだ。」
「でも……でも……あたし……」
「あたしもそう思うよ」

「「え?」」

突然の声に二人が振り向くと、一人の女性が立っていた。
金髪に染めたショートカットに浅葱色のブラウスと黒のミニスカート、その上に薄手のコートを纏った、左目下の泣きぼくろが印象的な女性だった。

「由紀ねぇ! どうしてここに?」
「美紀に会いに行ってたの。帰りにここを通りがかったら「へんたいだ〜」って声がするもんだから、声のした方を見たら理奈がいるじゃない。理奈、あなたチョコを使ったんでしょう?」
「うん。でもあたしが一番最後。おかあさんも麗奈ももう使ったよ。」
「知ってるわ。さっき美紀から聞いた」
「あ、あの、あなたがあの妙なチョコレートを作ったんですか?」
雅之が二人の会話に割って入る。
「まあね」

そう言って、由紀は雅之に向かってウィンクした。

「でも失敗作。なかなか彼のようにはいかないな」
「し、失敗作って?」
「あのチョコレートには『ゼリージュース』って素材が入っていたの。食べた者同士の姿を入れ替えることができる黄色いゼリージュースがね」
「入れ替えるって、そんな非常識な物が?」
「非常識かどうかなんて、自分の常識で判断してはいけないわ。世の中には常識では考えられない事なんていくらでもあるんだから。あなたも自分自身で体験したんでしょう。まあ確かに不思議な飲み物なんだけど、一度おしっこして『ゼリージュース』の成分を体外に出すと効果が切れて元に戻れる安全な飲み物よ。でもちょっと重たいから、手軽に持ち運べるようにできないかなと思ってチョコレートの中に入れてみたんだけど、結局失敗作」
「それがあのチョコレートだったんだ」
「そうよ。どの程度本来の効果があるのか美紀にモニターしてもらおうかと思って渡したの。まさかあなたや麗奈も試すとは思わなかったけどなぁ。結局、チョコレートに入れると『ゼリージュース』が体外に出るのが遅くなるようね。何度かお手洗いに行かないと元に戻らないみたい。それはそれでひとつの発見なんだけど、困った事に個人の体質次第で何回目で元に戻るのかわからないみたいなのよねぇ。つまりコントロールできないってこと。こんなもの作って、また彼に怒られちゃう」

由紀がそう言ってぺろっと舌を出す。

「あ、心配しないで。不完全だけど、元に戻った後は何ともないから。ごめんね、変なものあげて」
「ううん、たった1日だったけど楽しかった」
「そう。それはともかく、さっきの選考会の話」
「あ、聞いてたんですか?」
「途中からだけどね。理奈、彼の言うとおりにしたほうが良いわよ。今は良くても、結局いつか自分が損する事になる。そんな人間をいっぱい見てきたから」
「……由紀ねぇもそう言うなら……わかった」

殊勝に答える理奈に向かってニコッと笑うと、由紀は彼女の頭を優しくなでた。

「ところで、入れ替わってみてどうだった?」
「そ、そうですね、いろいろ新鮮な体験ができました」
「理奈も?」
「う、うん」
そう言うや、理奈はぽっと顔を赤らめる。
「もしかして理奈、しちゃった? 男の人の」
「その、ベッドの中でアレをいじってたら、むくむく大きくなっちゃって、手が無意識にアレをシゴイてて、そしたら我慢できなくて出ちゃった。その瞬間ってとっても気持ちが良くって……アレが男の人の……カ・イ・カ・ン。いいなあ」
「ば、ばか」
「パンツ汚しちゃったけど、雅にぃのお母さんは笑って着替えを出してくれたよ」
「そんなものをおふくろに……全く」

頭を抱える雅之を由紀は、楽しそうに見た。

「ふ〜ん、で、君は何もしなかったの?」
「あの、お風呂とか入りましたけど、恥ずかしくって、ささっと洗ってささっと出ちゃったし、夜は宿題してベッドに入ったら、すぐ寝ちゃいました」
「何も試さずに? 男女の違いとか」
「え? は、はい」
由紀と理奈が顔を見合わせる。

「「いくじなし」」

「やれやれ、そんなチャンスそうそう無かったのにね」
「由紀ねぇ、またチョコレートちょうだい」
「ふふっ、あれは試作品だからもう無いわ。コントロールできないレシピはお蔵入りね」
「ちぇっ、残念。あ、チョコに使ったその『ゼリージュース』ってのはないの? 由紀ねぇ」
「それはまた今度ね。使うか使わないか、その時に二人でよく話し合って決めなさい。それじゃ、あたしは行くわね。また会いましょう」

二人に手を振って、由紀は駅のほうに向かって歩き去ってしまった。

「理奈、わかったよな。明日はレギュラーに選ばれても辞退するんだぞ。足を怪我したって。大丈夫、お前なら次の大会では自分の力で掴み取れるよ」
じっと考え込んだ理奈は、一呼吸置いて理奈はふぅ〜っと大きくため息をついた。
「仕方ないよね。足がこんなじゃ、結局県大会も間に合わないかもしれないしね。由紀ねぇとも約束したし、わかったわ。明日きちんと話す。コーチには不注意だって怒られそうだけど」
「俺もフォローするよ。そうさ、お前まだ1年じゃないか。来年だって再来年だってチャンスがあるんだ。焦るなよ。本物の栄光は自分の力で掴み取った先にあるんだ」
「うわぁ、それって誰の言葉?」
「え、あ、誰だったかな」

コホンと咳をする雅之。

「しっかし困ったな、この恰好じゃ家に帰れないぞ」
キッツキツの女子の制服を着た雅之は、普通の人に見られたら変態と思われても仕方ない。
「服を交換しようか、あたしはこんなだし」
理奈はだぶだぶの男物のシャツとズボンを着ていた。
「家を出た後で急に元に戻ったの。あ、そう言えば家を出る前にトイレに行ったんだ」
「そういうことか、とにかくさっきの公衆トイレで交換しよう」
「また変な男が出てこないかな」
「急ごうぜ」
「うん」

理奈と雅之はトイレで服を交換し終えると、公園を出た。
松葉杖をつく理奈をいたわるように寄り添って歩く雅之。
二人の頭上では、雲の合間から満月が顔を覗かせていた。





そして3月。

「がんばれよ!」
「うん」

春の高校体操選抜競技会が始まった。
仁志高体操部の男子代表チームのリーダーとなった雅之と、女子代表チームの一員となった理奈がハイタッチをする。

向かうはそれぞれの演技会場。
雅之は床、理奈は段違い平行棒。

雅之がマット上を駆け出す。
理奈が鉄棒に向かってジャンプする。

二人の本番はこれからだ。


(終わり)




後書き
 結局全3回になってしまいましたが、無事完結させることができました。わかる人はわかると思いますが、由紀ねぇとは、『ゼリージュース』の生みの親・小野俊行のパートナーの柳沢由紀さんのことです。美紀さんは由紀さんの姉、理奈は姪という裏設定です。この作品を書き始めた少し後で、めた子さんから2016年扉絵を柳沢由紀さんを題材に描いていただけることになったので、由紀さん絡みの作品にしたいなと思い、当初設定から若干修正しつつ書き上げていきました。楽しんでもらえていたら幸いです。
 それでは最後まで読んでもらいありがとうございました。toshi9でした。