ここで時間を少し遡る――

 蜜樹が旧校舎へと向かったあと、奈津樹は自分の部屋の中で一人、沈思していた。
 時計だけがカチカチと時を告げるのみで、他に何も動くことも奏でることもない静寂な空間の中、彼女は机に座ったままじっと目を瞑って動かない。
 どれだけの時が流れたのだろう……奈津樹はぽつりとつぶやいた。

「そうよね、これが今のあたしにできることなんだ……」

 何かを決心したように目をパチっと見開いて立ち上がった奈津樹は、部屋を出ると研究所の地下へと下りていった。
 研究室の地下はいくつもの部屋に分かれており、かつて賢造が監禁されていた部屋も、曲がった鉄格子が付いたまま残されている。
 階段を下りると、奈津樹はそんな部屋のひとつの前で立ち止まった。
 重厚な扉に閉ざされたその部屋は、かつて研究所が『虎の爪』のアジトだった時に作られた指令室である。全世界に散った怪人への指令はここから発せられていたのだ。
 扉は指紋と声紋によるダブルロックがなされており、シスターと幹部以外に入ることは許されなかった。……そう、シスターと幹部以外には。

「…………」

 奈津樹はその扉に備えられた指紋認証装置に手をかざし、「開け」と凛とした声を発した。
 すると扉は、「No.0201 認証コード:パンツァーレディ 本人デアルコトヲ確認シマシタ」という無機質な声とともに、プシューという音を立てて開いた。
 部屋の中にはうっすらと埃をかぶった指令用の通信装置が並んでいる。

「二度とここに入ることはないと思っていたけれど……今のあたしにできることと言ったら、こんなことくらいよね」

 部屋に入った奈津樹は、装置のひとつにふうっと息を吹きかけて埃を吹き払うと、電源を入れてオペレート用のインカムを頭につけた。そして鮮やかな手つきで機器を操作し始めた……



(――シャドウレディ、シャドウレディ……
「……!? 誰だ? 私を呼ぶのは」

 山道を飛ぶように走っていたシャドウレディは、突然頭の中に飛び込んできた声に、額に指を当てて神経を集中した。
 誰かが自分を呼んでいる。しかも久しく味わっていなかったこの感覚と声は……

「……これは『虎の爪』の生体通信? そしてこの声…………まさか、パンツァーレディか!?」

 シャドウレディは緊張した表情を浮かべて、己の中に響く声に問い返した。

……そうよ。でももうその名前で呼ばないで。パンツァーレディの人格は消滅したんだから。今のあたしは生田奈津樹)

 頭の中に響く声――奈津樹の言葉に、シャドウレディはふっと安堵の息を漏らした。

「はは、そうだったな……で、そんなお前がわざわざ生体通信を使って、私に何の用だ?」
……蜜樹がピンチなの。お願いシャドウレディ、力を貸して)
「蜜樹? スウィートハニィがか?」
(『虎の爪』の残党が集まって、蜜樹に復讐しようとしているの)
「そのことなら私も知っている。海外に散っていた生き残りの連中が、日本に集結しているという情報は掴んでいた。事情を知らない連中の多くは、未だに我らの生みの親たるシスター――井荻恭四郎を信奉しているからな。奴の呼びかけに海外に派遣された怪人が続々と戻ってきて、ハニィを狙っているらしいということも知っている。だが、私はすぐには動けなかったから、代わりにシャドウガールをお前たちの元へやったのだが……妹はどうした?」
(それが……シャドウガールちゃんも、奴らにやられちゃって……
「何だとっ!? シャドウガールが……?」
(うん。死んではいないんだけど、人質にされたようなものね。……蜜樹はたった一人でシャドウガールちゃんと、友だちや先生を助けるために、罠だとわかってて奴らの待つ場所に向かったの)
「彼女を一人で行かせたのか!?」
(止められなかった……今のあたしには何の力もないから……あたしができることといえば、あたしの中に残っているパンツァーレディの記憶を使って、研究所に残っていた対怪人用の生体通信機で誰より早くあなたと連絡を取ること。……お願い、時間がないの。蜜樹を助けてっ)
「その記憶、思い出したくなかったのではないのか?」
(そうね……あんな忌まわしい記憶、できることなら意識の奥底に沈めておきたかった。でも蜜樹を……妹を助ける為だから)
「そうか……で、ハニィは今どこにいる?」
(今からあなたに蜜樹の現在位置の情報を直接ダウンロードするわ。だからすぐに向かって、お願い!)



……わかった。実は私もそちらに向かっている途中だったのだ。もう研究所からさほど遠くない場所まで来ている。すぐにハニィの居場所を教えてくれ)
「蜜樹を……妹を助けて、シャドウレディ」
(うむ……私も妹が倒されたとあっては、のんびりしてはいられない――)
「それじゃあ、位置情報のデータを送るわよ……」

 生体通信機に向かっていた奈津樹は、祈るようにスイッチを押した。





戦え! スウィートハニィU

第10話「旧校舎の決戦(その2:対決!ハニィVS如月光雄)」

作:toshi9






「ちっ、おめおめやられおって――じゃない。……こほん、もうっ、オレンジモスキートったら、結局ハニィに倒されちゃったじゃない。しょうがないなぁ……ミク、泣いちゃうんだから……ぐすん」

 大広間に備えられた巨大モニターに映し出されていたハニィとオレンジモスキートの戦い。その一部始終を見ていた白いドレスの少女――シスター・ミクはそうつぶやくと、両手で顔を被った。
 だが、それは泣いている真似だけだ。すぐに背中が震えだし、泣き声は笑い声に変わった。

「……く、くくっ、面白い、面白いわ。さすがスウィートハニィ、第一関門であっさりやられるわけないわよね。……でもいつまでもつのかな? ハニィ、あなたは体力を消耗し尽くすまで戦うのよ。戦って戦って、その挙句あたしの足元にひれ伏すの。あなたの戦いっぷり、ここで楽しませてもらうわ。……さあ、第ニ関門よっ。今度の元の自分と戦うの。そしてその次は……くくっ、きゃはははは」

 グッグッグッ――

 ギギギギ――

 グエッグエッグエッ――

 シスター・ミクの笑い声に呼応するように、彼女のまわりに侍る怪人たちも、不気味な声で一斉に笑い出した。
 大広間は彼らの笑い声で一杯になった。



 一方蜜樹がオレンジモスキートを倒したその直後、生田生体研究所の診療用ベッドに寝かされていたマリアと洞井先生の体に変化が起き始めた。
 マネキンのようにカチカチに硬化していた二人の体が、柔らかさと体温を取り戻しはじめ、肌に血色が差してきたのだ。
 そして心臓がリズム良く鼓動を打ち始めると、程なく二人は息を吹き返した。

「所長っ、副所長っ、二人が息を吹き返しましたっ」
「何っ! ほんとか!?」

 付き添いの女性所員から彼女らが元に戻ったことを告げられた幸枝と賢造は、資料の照合分析作業を中断してベッドに駆け寄った。

「マリアちゃん大丈夫? しっかしりて!」
「先生、洞井先生、起きてくださいっ」

 幸枝と賢造の呼びかけに、二人とも意識を取り戻した。

「う……ううん……」

 幸枝と賢造の顔に、安堵の表情が浮かぶ。

「あなた……」
「どうやら蜜樹が怪人を倒したようだな」

 先に目を覚ましたのは洞井先生のほうだった。ベッドに横たわったまま、首だけをゆっくり動かしてあたりを見回す。

「う、うーん……あれ? ここ何処……? 教室じゃないの……? あたし、どうしてここに……? 大きな蚊のバケモノに襲われて、それから――」

 続いてマリア――いや、シャドウガールも意識を取り戻した。

「うにゃ……あ、あれ? いつの間に研究所に帰ってきたんだニャ?」

 上半身を起こした猫耳の少女は、自分の前に立つ幸枝に問いかけた。

「マリアちゃんにはシャドウガールちゃんが合体したままなんだったわね。……シャドウガールちゃん、とにかくマリアちゃんから出てきなさい」
「わ、わかったニャ」

 蜜樹から聞いた姫高での一部始終を思い出してそう呼びかけた幸枝の言葉に、シャドウガールはマリアの体から抜け出てきた。
 途端にマリアから猫耳と尻尾が消え、そして彼女自身も意識を取り戻す。

「……あ、あれ? ここってハニィの研究所……あ、あたしどうしてここにいるんだです?」
「マリアちゃん、大丈夫?」
「あ、おばさん、おじさん……あたし、教室にいた筈なのに……どうしてここに?」
「あなたたちは学校で『ネオ虎の爪』の怪人に襲われたらしいわ。蜜樹から連絡を受けてここまで運んできたの」
「ハニィから聞いて?」
「ええ、洞井先生に呼び出されて姫高に行ったけれど、『ネオ虎の爪』の罠だったらしいわ」
「あたしが生田さんを呼び出した?? そんな覚えはないんですけど……」
「あ、洞井先生、ご無沙汰してます。お加減は大丈夫ですか?」

 洞井先生に歩み寄る幸枝。

「……多分何も覚えていないでしょう。もう少し横になっていてくださいね」
「は、はあ」

 幸枝はそう言うと、洞井先生の体に毛布をかけた。

「ハニィはどうしたんだニャ?」

 子猫の姿に戻ったシャドウガールが、足元から問いかけた。

「あなたたちを元に戻す為に、一人で『ネオ虎の爪』が呼び出した場所に向かったの。二人が元に戻ったということは、きっと蜜樹が怪人を倒したということね」
「うむ、そういうことだな」

 幸枝の説明に、賢造が相槌を打つ。

「ハニィがあたしたちの為に、そんな危険な場所に…………あうっ」

 頭を押さえて、マリアはふらふらとベッドから降り、よろめきながら立ち上がった。

「あたし、行かなきゃ……ハニィを助けに行かなきゃ……」
「まだ無理よ、じっとしていなさい」
「……そんな、ハニィを一人にできないんだです!」
「そ、そうだニャ! すぐに助けにいくんだニャ!」

 シャドウガールもマリアの横に来て、そうまくし立てた。
 マリアはそんなシャドウガールの体をすかさず両手でがしっと掴むと、目の前に持ってきてワニ目で睨みつけた。

「お前……今、後ろ足で立って言葉をしゃべったですっ!」
「う……に、ニャア――」
「目ぇそらすなですっ。んでもって誤魔化すなですっ!!」

 やれやれ……と溜息をつく幸枝。

「シャドウガールちゃんは元は『虎の爪』の怪人だけど、今は蜜樹のお友だちなのよ」
「ハニィの!?」
「そうだニャ! あたしはハニィの一番の友だちなんだニャ」

 マリアの手の中で、シャドウガールは得意気に胸を張った。

「何を言うんだです猫の分際でっ。あたしがハニィの一番の大親友なんだですっ!!」
「猫の分際では聞き捨てならないニャ! 猫差別だニャ!」

 シャドウガールとマリア、二人の視線がバチバチを火花を散らす。
 その様子に慌てて間に入る賢造。

「……二人とも、せっかく蜜樹のおかげで元に戻ったというのに、何をそんなつまらんことで張り合っているんだ?」
「「つまらないことじゃないんだです(ニャ)っ!!」」
「す、すまん……」

 二人の勢いに、思わず謝ってしまう賢造だった。

「で、ハニィは何処に行ったんだニャ? すぐに助けに行くんだニャ!」

 マリアの手から抜け出て、幸枝の足にすがりつくシャドウガール。
 と、その時、奈津樹が部屋に入ってきた。

「蜜樹は南高校の旧校舎に向かったわ。シャドウガール、すぐに行って。あなたのお姉さん――シャドウレディにも場所を教えたから、彼女も向かっている筈よ」
「姉さんに連絡が取れたんだニャ」
「うん、彼女に蜜樹の助っ人を頼んだの。それが今のあたしにできることだから」
「わかったニャ!」

 それを聞くや否や、シャドウレディは奈津樹の横をすり抜けて部屋を飛び出していった。
 マリアはふらふらした足取りでその後を追おうとした。

「あ、あたしも行くんだですっ……」
「待て、慌てるなマリア」

 今度はテンガロンハットを被った桜塚教授が部屋に入ってきた。

「お、親父?」
「龍一郎さん」
「指輪の修復が終わったのか? 桜塚」
「当然だ」

 がちっと握手する賢造と桜塚教授。

「本来なら接合箇所を馴染ませる為に、一週間は寝かせておきたいところだが、取り敢えず完成だ。指輪はここにある」
 
 桜塚教授は男臭い顔でにやっと笑うと、カバンから小箱を取り出し、その中から指輪を出した。
 指輪は部屋の明かりを受けて、キラキラと輝いている。

「その指輪、あたしが届けるんだです!」
「マリアちゃん、あなたは怪人に血を大量に吸われている筈よ。まだ無理をしなほうが……」
「でもあたしが、あたしが……指輪が完成したら、必ずあたしがハニィに届けるって約束したんだですっ!」

 目を潤ませて指輪に手を伸ばすマリア。賢造はその手を静かに押さえた。

「わかった。……だが、そんな状態のマリアちゃんを危険な場所に行かせることはできん。私が届けて来よう」
「いや待て、賢造」
「どうした? 桜塚」
「頼む。指輪はマリアに届けさせてやってくれ」
「気は確かか? 今のマリアちゃんの状態では無理だ」
「大丈夫……こんなの、大したことないんだですっ!」

 気丈に話すマリアだが、その顔色は確かに良くない。

「マリアなら大丈夫だ。この私にひとつ考えがある」
「??」

 桜塚教授の言葉に、きょとんとその顔を見詰める一同。

「蜜樹ちゃんはマリアの髪飾りを使いこなせただろう。……ということはだ――」
「ということは?」

 桜塚教授は賢造にひそひそと耳打ちをする。

「貴様……なるほど、よかろう」

 こくりと頷く賢造。

「マリア、この指輪をはめてみなさい」
「あたしがハニィの指輪を?」
「うむ」
「あ、あなた、龍一郎さん、二人とも何を考えて……」

 幸枝は不安そうに賢造と桜塚教授の顔を交互に見た。

「心配いらんだろう。マリアちゃん、はめてみたまえ」
「は、はい」

 指輪を右手の薬指にはめるマリア。

「よし、では叫んでみたまえ、『マリア・フラッシュ!』と。蜜樹を助けたい――そう念じながらだ」
「え? でもそれって?」
「わけは後で話す。マリアちゃん、蜜樹を助けたいんだろう?」
「うんっ、わかったですっ!」

 マリアは深呼吸した。
 ハニィ、待ってて。あたしが助けに行くから――そう念じながら、彼女は叫んだ。

「マリア・フラァァァッシュ!」

 その言葉と同時にまわりの空気が眩く光り輝き、その光の中でマリアの着ていた制服が粉々になった。
 一瞬、全裸になるマリア。だが、輝く光の粒が彼女の身体にまとわりつき、新しい服が形成されていく。
 下半身は黒いスパッツで覆われ、両手と両足を白い手袋とブーツが包み込む。同時に上半身を赤いスンスリーブのシャツがぴたりと覆っていく。
 そしてその右手には、使い慣れた巨大ハリセンが握られていた。
スウィートマリアの勇姿(……笑)(illust by MONDO)
「ええっ!? この格好って?」
「成功だっ!」
「うむ……見事だ、マリアの勇姿」

 バトルスーツ姿に変身したマリアの姿を見て、桜塚教授は満足そうにうんうんと頷いた。

「お、親父ぃ……どういうことだです!?」
「お前も変身できたんだ。……そうだな、とりあえず『スウィートマリア』とでも名乗るか?」
「はあっ!?」

 緊張感のない表情でそう言う桜塚教授の顔を、マリアは怪訝そうな顔で見つめた。

「その姿なら怪人とも対等に戦えるだろう。いや姿だけでなく、多分力もな」
「力だけあれば、こんな格好は余計だですっ!」
「マリアの勇姿を見ることができて父は嬉しいぞ。早速この愛機で記念写真を……」

 ボカッ!

「目的はそれかっ!? こ、この馬鹿親父!!」
「まあまあマリアちゃん、桜塚の言うことは半分は正しいだろう。それだけの元気があれば大丈夫だ。頼む、蜜樹のことを助けてやってくれ」
「おじさん、あの――」

 マリアは賢造と幸枝にじっと見詰められ、言葉を途切れさせた。

「……わ、わかったです」
「うむ。では出撃だ、マリア」
「だがくれぐれも気をつけるんだぞ。指輪を蜜樹に渡したら、君は普通の人間に戻ってしまうからな。蜜樹のつけている髪飾りとすぐに交換するんだ」
「髪飾り? あ、そういえば――」

 頭に手をやり、トレードマークの髪飾りがついてないのに気が付くマリア。

「どうして髪飾りが?」
「蜜樹ちゃんのお守りに、持たせたんだ」
「そうなんだ、あたしの髪飾りをハニィがつけている……」

 蜜樹がマリアの髪飾りをつけ、マリアが蜜樹の指輪をはめている。お互いのアイテムを交換していることに、ちょっとくすぐったい気分になるマリアだった。
 だが、彼女はすぐにキッと表情を引き締めた。

「ハニィを助けに行ってきますですっ」
「頼むぞ。但し、絶対に指輪を恭四郎に渡すんじゃないぞ」
「勿論だですっ! ……ハニィ、待ってて!」

 マリアはシャドウガールの後を追うように、研究所を飛び出していった。

「……うーむ、マリアの勇姿を撮り損なった」
「相変わらず親バカだな」
「お互い様だ。とにかく無事を祈ろうではないか」
「いや、まだ我々にはやることがある。なあ宝田君」
「はい。あと少しで先代所長の発掘調査データー、副所長のデーター、そして私が収集しました一連の事件のデーターを全て研究所の電子計算機(作者注:言い回しは古いが、スーパーコンピューターである)に収め終えます。そこから必ず井荻恭四郎と『虎の爪』の正体が解析されるでしょう」
「うむ、我々も急ごう。桜塚、お前も手伝ってくれ」
「勿論だ」

 連れ立って別室に消える賢造と桜塚教授。そして幸枝と宝田が後に続く。

「……え〜っと、ね――猫がしゃべって、桜塚さんが変身して…………い、いったい、何がどうなってるの????」

 目の前で起こった現実離れした出来事に、ぽかーんとした表情でベッドの中から一行を見送る洞井先生だった。



 さて、舞台を再び旧校舎に戻そう。
 旧校舎の二階では、蜜樹と「如月光雄」が対峙していた。
 教壇の中から日本刀を取り出し、鞘から刀身を抜き放つ光雄。その刃がキラリと光る。

「真剣か……」
「スウィートハニィ、お前は俺が倒す。こいつは切れ味がいいぞ。痛くないように切り刻んでやるからな」

 そう言って、嫌らしい目つきで刃をぺろりと舐める光雄。

「こ――このっ!」

 自分だったら絶対に見せないであろうその表情に、蜜樹の背筋がぞくりと震えた。

「どうしたぁ? 俺が怖いのか?」
「何をっ!」
「なあに、切り刻んでもすぐに『ネオ虎の爪』の科学力で蘇らしてやる。シスター・ミクの忠実なしもべ、怪人スウィートハニィとしてな……くっくっくっ」

 光雄は指をパチっと鳴らした。それを合図に、旧校舎の灯りが一斉に点った。

「覚悟しろ!」

 抜き身の日本刀を構えた光雄は、じりじりとすり足で蜜樹に向かってくる。

(……光武流の構え、しかも隙がない。こいつ、ほんとに「俺」なのか?)
(先生、怯んじゃいけません……こいつは先生なんかじゃないっ)
(ハニィ、そう思うのか?)
(あんな嫌らしい顔をするなんて、先生のわけがないっ!)
(ふっ、そうだな……)

 一瞬、ふっと笑顔を見せる蜜樹。
 光雄はそのわずかな隙を見逃さなかった。

「死ねぇっ!! スウィートハニィっ!!」
「むっ……なんのっ!!」

 鬼のような形相で袈裟懸けに刀を繰り出す光雄。だが蜜樹はその一撃をふわりと飛び上がって避ける。
 剣先がむなしく空を切った。

「く、くそぅっ!!」
「俺の顔でそんな表情をするなっ! この偽者めっ」
「うるさいっ!」

 自分の後ろに降り立った蜜樹に向かって、光雄は振り向きざまに日本刀でなぎ払う。

 ガキッ!

 蜜樹はプラチナフルーレで、その刃を受け止めた。

「殺られるかっ!」 
「くっ……まだまだぁっ!!」

 カキン! カキン!

 刀を引き、光雄は蜜樹に向かって小刻みに剣を繰り出す。しかしその刃先は、ことごとくプラチナフルーレに受け止められてしまう。

「お前の太刀筋はもう見切った。今度はこっちの番だ。受けてみろ! 奥義、桜・華・天・翔っ。でやあああああぁ〜っ!!」

 ガギィン!!

「くそう」

 蜜樹は光雄の刀を跳ね上げ、返す刀でプラチナフルーレを振るった。だが今度は光雄がその剣を受け止める。

「ふふふ、奥義『桜華天翔』の太刀筋ならお見通しだ」
「こ、こいつ」
「言っただろ? 俺は如月光雄……光武流免許皆伝の腕前なんだよ」

 光雄は日本刀を構え直して、にやりと笑った。

(先生……)
「大丈夫、たとえあいつが元の俺でも、今の俺には奴にないものがある。でやあああぁ〜っ!!」

 矢継ぎ早に繰り出される蜜樹のプラチナフルーレ。それを受ける光雄の日本刀。その鋭さは次第に光雄を押していく。そして遂に、蜜樹の剣は光雄の日本刀をその手から跳ね飛ばした。
 くるくると宙に飛んだ日本刀は、幸の寝転がされた机にグサリと突き刺さる。

「ん〜んんん〜っ!!」

 鼻先に突き立った剣に顔を蒼ざめる幸。

「何故だ? 何故俺が押される?」
「剣の腕前が同じでも、力とスピードはこっちが上なんだ。当然だろうっ」
「くっ、お、おおのれぇ、スウィートハニィ、いや生田蜜樹、お前は担任に逆らうのか!」
「ば、馬鹿やろうっ!! 何を今更っ、誰が担任だっ!?」
「俺は2年C組の担任だっ。違うか生田ぁっ!」
「そ、それは……いや、違う、違う。お前は如月光雄なんかじゃない。この偽者めっ、正体を現せっ」
(先生落ち着いてっ。あんまり怒ると相手の術中に嵌ってしまいますっ!)
「うっ、すまん……つい」
「……どうした生田ぁ、先生に謝れっ」

 光雄は胸を張って、蜜樹を挑発する。

「こ、このおっ!!」

 ボカッ!!

 たまりかねた蜜樹は、光雄の顔を素手で力一杯殴り倒した。

「く、くそう……担任に暴力を振るうとは、先生は悲しいぞぉ」
「き、き、ききききさまぁ〜っ!!」

 部屋の隅に吹っ飛ばされた光雄は、さきほどまでの勢いは何処へやら、殴られた頬を押さえて涙混じりの目で蜜樹を見上げた。
 その余りにも情けない自分の姿を見せ付けられ、再び頭に血が上る蜜樹。

「いつまで遊んでいるのっ!? 見苦しいわよっ!!」

 その時、教室の中に突然甲高い少女の声が響いた。

「この声は未久ちゃん? ……いや、違う!」
「も、申し訳ありませんシスター・ミク。かくなる上は次の作戦を――」

 光雄が背後の黒板に手をかざす。すると、そこに忽然と扉が現れた。

「お前も一緒に来いっ!」
「んんん〜っ」

 赤く腫れ上がった頬を押さえながら立ち上がった光雄は、縛られた幸を引っつかんで無理やり立たせると、その扉の中に飛び込んだ。

「あ! おい、ま……待てっ」
(気をつけて先生っ。罠かもしれませんっ)
「……うっ!」

 後を追って扉に飛び込もうとした蜜樹の足が止まる。

「どうしたの? ハニィお姉ちゃん。早く追いかけないと、あの子がどうなっちゃうかわからないよ?」

 再び教室の中に響く少女の声。

「未久ちゃんの真似をするなっ! 幸は勿論助けに行くさっ」
「それでこそあたしの大好きなハニィお姉ちゃん……くふふふっ」
「シスター……いや、恭四郎、お前との決着は必ず後で付けてやるっ。待っていろ!!」
「それまであなたが生きていたらの話だけどね。きゃはははは」

 教室に響く笑い声を残して、シスター・ミクの声はそれっきり消えた。部屋に残されたのは、蜜樹だけだ。
 目の前には誘うように、扉がぽっかりと開いたままだ。

(……先生、どうします?)
「とにかく後を追おう。後のことは後で考えるさ」
(先生らしいですね。でも、くれぐれも注意してください)
「おう!」

 そう言って深呼吸すると、蜜樹は扉に飛び込んだ。
 すると、教室の扉はスッと消えてしまった。



「うふふふ、入ったわね。これも予定通り。その部屋が第三の関門よ。そしてもし勝っても、あなたはもう袋のネズミ……くすくすくす」

 含み笑いを漏らすシスター・ミクの目の前に、先ほどと同じような扉が現れた。

「いいこと、もしもハニィがこの扉から出てきたら、間髪を置かずに……皆で取り囲んでなぶり殺しにするのよっ」
「「ははっ!」」
「……スウィートハニィ、そこに一度入ったら、出られる扉はここだけよ。出てきた時があなたの最後、覚悟してね♪」

 グッグッグッ――

 ギギギギ――

 グエッグエッグエッ――

 扉に入った蜜樹の姿を追って画面の切り替わったモニターを見ながら、にやにやと笑うシスター・ミク。
 そして扉を囲む怪人たちも再び一斉に笑い声を上げ、それは大広間の中に響き渡った。



「……あれ? あいつは何処だ? あっ!」

 扉の向こう側は、さっきとは別の教室のようだ。だが、室内には机も椅子もなかった。
 その床には縛られた幸が横たわっている。蜜樹は慌てて駆け寄った。

「み――幸、大丈夫?」
「ん〜ん〜ん〜っ!」

 蜜樹は幸の口に巻かれた猿轡と、体を縛る縄を外した。

「ぷはっ、苦しかった……殺されるかと思ったわっ」
「ごめんね、こんな目に遭わせて」
「ごめん? ふん! 全くあんたは疫病神よ!」

 そう言って蜜樹を睨みつける幸。

「み、幸……とにかくここを脱出しましょう。ええっと……出口は?」

 入った扉はいつの間にか消えていた。その代わりに、教室の反対側に別の扉が開いていた。

「あそこみたいね。……ハニィ、あんたが先に行って」
「わ、わかった。それじゃ幸も後ろからついてくるのよ。くれぐれも私から離れないでね」
「わかったわかった。早く行って」

 蜜樹は慎重な足取りで、扉に向かって歩き出した。
 促す幸は蜜樹の背後で、にやりと笑った。

(……扉の向こうに地獄が待っているとも知らずに馬鹿な奴。……さあ、早く入れ、スウィートハニィ)
「え? 何か言った?」
「う、ううん何も。ほら、こんな所、早く出よう」

 振り向いた蜜樹に前に進むよう促す幸。
 だがその時、部屋の隅にあった掃除用具ロッカーが、ガタッと音を立てた。

「……えっ?」
「ちっ――」

 蜜樹はガタガタと動くロッカーに身構える。
 よく聞くと、中から「ん〜ん〜」とい唸り声が聞こえてきた。

 この声は……?

 蜜樹が恐る恐るロッカーに近づいて扉を開けると、中から縛られた桜井幸が蜜樹に倒れかかるように出てきた。

「み、幸!?」
「ん〜ん〜ん〜」

 幸の猿轡を外す蜜樹。

「ぷはっ……は、ハニィっ、そいつはあたしの偽者よっ! 先生に化けていた奴があたしに化けてあたしをここに――」
「死ね! スウィートハニィ!」

 幸が言い終わらぬ間に、偽者が背後から蜜樹に飛びかかった。
 だがその手が届く前に、蜜樹は回し蹴りを放った。

「ぎゃっ!!」
「この偽者め、正体を現せ」

 すかさず蜜樹にプラチナフルーレを突きつけられ、偽者の幸はじりじりと後退する。

「ふっふっふっ……まだまだぁ」
「何いっ?」

 突然、偽物の姿がゆらぎ、姿が変化していく。
 身体の表面が紫色に染まり、その姿は桜井幸から身体の表面にいぼのついたとかげのような怪人の姿に変わっていく。

「お、お前は確か――」
「この姿では久しぶりだな、スウィートハニィ」
「確か学園祭の時に未久ちゃんを拉致した……パープルカメレオン」
「ああ、よく覚えていたな。どうだ? 俺のコピー能力は」
「今まで俺に化けていたのもお前だったのか!?」
「そうだ、如月光雄の写真を使って化けていたのさ。そして教師という立場を利用していろいろと活動させてもらったよ。どうだ、俺の教師っぷりもなかなかのものだっただろう」
「何を! よくも今まで……世間は騙せても、このスウィートハニィを騙すことなんかできやしない。覚悟しろっ!」
「ふふふふ、覚悟だと? 覚悟するのはお前の方だ!」

 そう言って蜜樹をじっと睨むパープルカメレオン。その姿が再びゆらぐ。
 次の瞬間、そこには幸でも光雄でも怪人でもない別な姿が現れた。
 それは体にぴったり密着したレオタードのような赤いコスチュームに身を包んだ赤い髪の少女。手には細身のサーベルが握られている。

「お、俺!?」
(そ……そんな!?)
「ええっ!? ハニィが二人!?」

 幸の目が驚愕に見開かれる。
 そう、今、彼女の目の前に、全く同じ姿の、二人のスウィートハニィが対峙しているからだ。

「ふふふ……どう? この姿」

 その声もハニィそのものだ。

「くっ、貴様ぁ……」
「あたしは見たものの姿と能力を完全にコピーできるの。今のあたしはあなたと同じ能力を持っている。あなたに自分自身が倒せるかしら」
「何をっ! 本物が偽者に負けるか!」
「それはどうかしら? いくわよ本物さん。……でやあっ!」

 偽のハニィがプラチナフルーレを振るう。それをプラチナフルーレで受け止める蜜樹。

 カキン、カキン!!

 何度となく剣を交わらせる蜜樹と偽ハニィ。しかし同じ能力の二人……

「はぁ、はぁ、はぁはぁ……」
「ど、どうしたの、本物さん……あたしを倒すんじゃなかったの……はぁはぁ」

 …………どこまでも決着の付かない勝負に、両者の表情に疲労の色が浮かぶ。

「これならどうだっ。でやあああぁっ!!」

 その声と同時に、蜜樹の手に巨大ハリセンが現れた。
 蜜樹はそれを振り上げて、偽ハニィをぶっ叩こうとした。だが偽者も同じようにハリセンを手の中に出すと、それで蜜樹のハリセンを受け止める。

「マリアちゃんのハリセンまでコピーされたのか……くそう、どうすれば?」
(大丈夫、先生は必ず勝てる……)
「はぁはぁ……自分自身を相手にしているんだぞ。そんな気休め……」
(違う! あいつと先生は同じじゃない。ひとつだけ違うことがあるわ……わかる?)
「え? どういうことだ」
(あいつがコピーしたのはスウィートハニィの姿と能力だけ。でも、先生にはあたしがついているのよ)
「え? そ、そうか……うん、そうだな。すまん、つい泣き言を言って」
(あたしはいつだって先生と一緒よ……それを忘れないで。さあ先生、決着をつけましょう。あたしとシンクロしてっ!)
「よしっ。……うおぉぉぉぉぉっ!!」
(……うわぁぁぁぁぁぁっ!!)

 ハニィの体が震え、全身に気が満ちていく。

「……いくぞっ!!」
「くっ、何だ? 急に動きが――?」
「この偽者〜っ!!」

 蜜樹は偽ハニィに向かってダッシュした。
 かつてパンツァーレディを打ち負かしたそのスピードに、偽者は最早ついていけなかった。

 キン――っ!!

 蜜樹のプラチナフルーレが偽ハニィのプラチナフルーレを弾き飛ばす。
 そして懐に潜り込んだ蜜樹の拳が、偽者の腹にヒットした。

「ぐ、ぐふぅっ!!」

 たまらず吹っ飛ばされる偽ハニィ。

「……さあ、立ちなさいっ」
「くそう……何故だ? 完璧にコピーしたはずなのに、何故スピードについていけない?」
「このスウィートハニィは偽者なんかに負けやしない。覚悟しなさいっ」

 ボキボキと拳の指を鳴らしながら、蜜樹は偽者に近寄っていく。

「……ひ、ひぃいっ!! お、お助けをシスター・ミクっ!!」

 偽ハニィは悲鳴を上げると、扉に向かって駆け出した。

「逃がすかっ!」

 蜜樹の叫び声を背に、扉を開けてその中に飛び込む偽者。しかし……

 バキッ、ボキッ、ベキッ――!! 「……ぐはっ、ぐっ、ぐあぁぁぁぁっ!!」

 断末魔の悲鳴、そして歓声が扉の向こうから聞こえてきた。

(せ、先生……扉の向こうで、いったい何が?)
「多分、隣の部屋で俺が出てくるのを待ち構えていたんだろう。あいつは俺に間違えられたんだ……馬鹿な奴」
(助かりましたね……)
「ああ、ラッキーだったかもしれないな」
(先生、それより幸さんを)
「おっと、そうだ」

 蜜樹は幸に歩み寄ると、彼女を縛っていたロープを外した。
 体の自由を取り戻した幸は、蜜樹に抱きついて泣き出した。

「もう大丈夫よ、幸」
「ハニィ、先生は……先生じゃなかったの」
「そうね。あいつは如月先生の偽者だった――」
「騙されていたなんて、あたしくやしい。でも本物の先生は何処にいるんだろう? そう言えばさっき、ハニィって変なことを言ってなかった? あたしがハニィのことを好きってどういうこと?」
「うっ、そ、それは……」
(先生……)
「え〜っと、幸、如月先生はきっとどこかに生きているわ。大丈夫よ、先生を信じましょう」

 そう言ってごまかすしかない蜜樹だった。

「え? う、うん。ありがとうハニィ」
(……先生、早くここから脱出しましょう)
「ああ、だけどこの部屋の出口はあそこだけだぞ」

 蜜樹はそう言って、正面に開いた扉を見詰めた。
 あの向こうには偽ハニィを屠った怪人たちが待ち構えているだろう。幸を連れてはとても脱出できそうにない。
 その時、部屋にシスター・ミクの声が響いた。

「パープルカメレオンったら、あなたに化けるなんて何考えているのかしら? みんなが間違っちゃったじゃないの。……さあスウィートハニィ、早くここにいらっしゃい。歓迎してあげる。どっちにしても、そこから出るにはここに来るしかないんだけどねっ。きゃははは」
「行くしかない……か。幸、あたしから離れないで」
「うん」

 意を決して扉をくぐる蜜樹。その後に幸が続く。

「うわっ」

 扉をくぐると、そこは大広間だった。そしてそこにはおびただしい数の怪人が待ち構えていた。

「は、ハニィ……」
「幸、あたしの前に出ちゃ駄目よ」
「……う、うん」

 ぞろぞろと蜜樹の回りを取り囲む怪人たち。幸を庇いながら蜜樹は壁際に追い込まれる。
 出てきた扉は消えていた。

「くそう、多勢に無勢か……数が多すぎる。だが」
(先生……)
「ハニィ、君の命、俺に預けてくれるか?」
(ふふっ、もうとっくに預けていますよ)
「え? ああ、そうだったな。よし……じゃあ決戦だっ」

 プラチナフルーレを構えて、蜜樹は不敵な笑みを浮かべた。

「幸、あなたはここを動かないでじっとしているのよ」
「ハニィ……怖い」
「心配しないで。あたしはあいつらなんかに負けやしない」

 幸に向かって微笑んだ蜜樹は、怪人たちをキッと睨みつけ、その群れの中に飛び込んでいった。



「でやぁ〜〜〜っ!!」

(続く)




パープルカメレオン
 実物、写真を問わず、見たものに変身できる能力を持つ。しかもその力や能力さえもコピーできる。
 以前相沢未久に成りすました恭四郎が、謙二から光雄の写真を手に入れたことを覚えているであろうか? パープルカメレオンはあの時の写真を使って光雄の姿と能力をコピーし、成りすましていたのだ。