『虎の爪』――井荻恭四郎との激闘が終わって、一ヶ月が過ぎた。
 先代スウィートハニィだった蜜樹の魂が宿った指輪に選ばれ、スウィートハニィとして戦った高校教師・如月光雄は、今は女子高生・生田蜜樹として日々を過ごしている……

 恭四郎との戦いが終わったあと、蜜樹の父、生田賢造博士はひとつの提案を持ちかけてきた。
 それは指輪が壊れて元の男性の姿に戻れなくなってしまった光雄に、娘の「蜜樹」として生田家で一緒に暮らさないか――というものだった。





戦え! スウィートハニィU

第1話「つかの間の平和」

作:toshi9(協力:MONDO)





「私たちを救ってくれた君にこんなことまで頼むのは、筋違いだということはよくわかっている。けど、君の姿は紛れもなく私たちの蜜樹……そして、君の中には蜜樹の心が一緒に宿っている。それならば、君は私たちの娘も同然だ。
 ……どうだろう、このまま蜜樹として、私たち家族と一緒に暮らしてはくれないだろうか?」
(……!!)
「……あ、ありがとうございます。確かにこの姿では、いくら私が如月光雄だと言っても誰も信じてくれないでしょうし、もう元の教師生活に戻ることはできません。……わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
(先生……)
「おおっ! それじゃあ――」
「はい、今日からよろしく……ううん、よろしくねっ、お父さん♪」

 喜びの表情を浮かべる賢造に向かってにっこりと微笑み、光雄は蜜樹になりきってそう答えた。

(こんなことになって本当にすみません。……でも先生、本当にこれでいいんですか?)
「ああ、仕方ないさ。まあ、今日からは生田家の娘として、生まれ変わった気持ちでがんばってみるよ」
(気持ちだけじゃなくて、体も生まれ変わっちゃいましたけどね)
「言えてるな……ははは」

 もう二度と元の……男性としての生活には戻れない。だが、どこか能天気な光雄だった。
 彼(いや、今は彼女か)がそうなのには訳がある。実は如月光雄は家族がひとりもおらず、天涯孤独の身の上だったからだ。両親に早くに死に別れ、迷惑がる叔父の家で育った光雄の高校生活は、あまり明るいものではなかった。
 心底打ち込めたのは、子どもの頃からの拠り所だった剣道だけ。高校を卒業すると同時期に叔父の元を飛び出すと、奨学金を受けながら大学に通って教員免許を取り、南高校の教師になったのである。
 赴任した後の光雄は教育一筋。「押しかけ恋人」というべき相手はいたけど、それ以外には浮いた話のひとつもなかった。
 そんな光雄の心の中には、何処かに暖かい家庭への憧れがあったのかもしれない。



 そして今、光雄に新しい家族ができた。
 賢造、幸枝という父と母、そして奈津樹という姉が。

「よ、よろしく……お願い、します……」
「よろしくだなんて……蜜樹ちゃん、あなたは今までも、これからもあたしの娘よ」
「蜜樹、苦労かけたわね……いろいろありがとう」
「おかあさん……奈津樹……姉さん――」

 命を救われただけでなく、蜜樹の姿をした光雄の中に蜜樹本人の心が同居していることを知り、幸枝も奈津樹も彼――彼女を「娘」として、そして「妹」として暖かく迎え入れた。
 少しくすぐったいような気持ちの光雄……いや、蜜樹だった。



 スウィートハニィとしての戦いを終えた光雄は、バトルスーツを脱ぎ、プラチナフルーレとともにそれらを部屋の奥深くに仕舞い込むと、「生田蜜樹」としてかつての職場――南高校に生徒として通っている。
 賢造と幸枝に頼み込んで、元々蜜樹が通っていた高校(休学扱いになっていた)から、南高校に転入したのだ。
 高校生活をもう一度やり直す――それは、光雄にとって暗いものでしかなかった以前の高校生活とは全く違うものだった。
 安らぎのある家庭に包まれた、何不自由のない高校生活。女の子としての生活に戸惑いだらけだった光雄――蜜樹も、時間が経つに従って少しずつそれに慣れ始めていく。
 もちろんその過程に、心の中に同居するハニィ、即ち本物の蜜樹の手助けがあったことは言うまでもない。彼女はその力を失ってしまったものの、女の子として生きていかなければならない光雄にとって、今でも良きアドバイザーであった。
 だからといって、彼――彼女が短期間にすっかり女の子としての自分の体に馴染んでしまったわけではなかった。その心は相変わらす「教師・如月光雄」であり、男のそれなのだ。
 トイレで用を足す度に顔を赤らめながら紙を使い、お風呂に入ってはその感覚に戸惑い、服を着替える度にため息をつく毎日……そして遂にやってきた月のものに大いに慌て、ハニィのアドバイスでその処理をしながら、今の自分が紛れもない女の子だということを改めて実感させられるのだった。



 さて、運よく担任を務めていた2年C組に編入した蜜樹は、その並外れた容姿と運動能力(スウィートハニィは、実は元の蜜樹が指輪の力で自分の容姿と能力を美化して具現化した姿なのである)に加えて、光雄生来のめげない性格、加えてとても女子高生とは思えないずば抜けた学力――姿こそ女子高生だが、その中身は教師なのだから――で、たちまちクラスの人気者になってしまった。
 目立たないように能力をセーブしていたものの、確かにこれで人気者にならないほうがおかしい。やがて男子生徒を凌ぐその運動能力を聞きつけた、多くの運動部から引っ張りだこになってしまう。
 クラスでは二人の親友ができた。言うまでもなく、桜井幸と相沢謙二だ。
 転校早々ハニィに何処か惹かれるものを感じて声をかけてきた幸と、委員長として接しているうちにすっかり意気投合した謙二。三人はいつしか大の仲良しとなっていた。



 そんなある日、蜜樹の元にシャドウガールが戻ってきた。
 賢造と一緒に研究所近くの公園で、子猫……いや子猫の姿をしたシャドウガールと再会したのだ。

「ハニィ〜っ! 帰ってきたんだニャ〜ッ!!」
「お帰りシャドウガール。早かったわね」
「うん。姉さんが許可してくれたんだニャ。『ハニィを守ってやれ』って」
「守ってやれ? 『虎の爪』は壊滅したのに、どういうことだろ……?」
「ハニィ、一緒に暮らしてもいいかニャ?」
「え? も、勿論よ。ね、お父さん」
「うむ、君も私たちの命の恩人だ。……だがあんまり目立たんようにな」
「ニャハハ、よ〜くわかってるんだニャッ」

 シャドウガールは子猫の姿のまますっくと後ろ足で立ち上がり、前足でドンと胸を叩いた。
 傍らをジョギングしていた短パン姿の男性が、ぎょっとなって振り返る。
 あわててその場に座り込み、わざとらしく前足で顔をなでつけるシャドウガール。男性は怪訝な表情を浮かべ、首をひねって走り去っていく。

「…………」

 ため息をつく蜜樹と賢造。
 シャドウガールの姉、シャドウレディの嘆き声が聞こえてきそうだった。



 生田家での蜜樹の生活が落ち着きを見せ始めた、ある休日のこと。

「ふっふ〜っ、完成したですエ〇シア〜っ♪」

 とある高校の近くにあるマンションの一室で、ひとりの少女が手にした某機動戦士のプラモデルを眺め、悦に入っていた。
 完成したプラモの肘と膝の部分をくきくき動かし、SE(効果音)を口でつぶやきながら、劇中の決めポーズなんかとらせてみたりする……

 ガチャッ―― 「お〜いマリア、いるか?」
「……!!」

 ……いい年した高校生としては、ちょっと恥ずかしい。
 いきなり部屋のドアを開けて入ってきた人影に、彼女は顔を真っ赤にして、思わずそばにあった模型用塗料の小瓶をつかみ、投げつけてしまう。

「のののノックもなしに乙女の部屋に入るなです〜っ!!」

 所狭しとガンプラが置かれた接着剤臭い部屋を、「乙女の」と称するのはいかがなものかとも思うが。
 人影は自分めがけて飛んできた小瓶を片手でキャッチすると、口元に男臭い笑みを浮かべた。

「ちょっと出かけるぞ。マリア、お前も一緒に来い」
「……えっ? なんだよ急に。いったいどこ行くんだです?」

 背中を向けた人影に問いかける少女。人影は肩ごしに振り返ると、短く答えた。

「……生田生体研究所」



 ピンポーン――

 玄関のチャイムが鳴った。蜜樹はトントンと階段を下りて、インターホンに出た。

「はーい、どちら様でしょうか?」
「私だ」

 相手は聞き覚えのない男の声だった。来客確認用のモニターには、イ○ディー・ジ○ーンズばりの色落ちしたカウボーイハットに年季の入った皮ジャン、そして腰には何故かムチを携えた、40過ぎと思われる肌の黒い精悍な男性が映っていた。

「私って?」
「私だよ。……お、その声はもしかして蜜樹ちゃんなのか?」
「え? はい、蜜樹ですけど」
「ふむ……まあいい、ところで生田博士はご在宅か?」
「博士って……あ、あの、お父さんのことですか?」
「お父さん? じゃあやっぱり君は本当に蜜樹ちゃんなんだな。そうかそうか……おいマリア、蜜樹ちゃんがいるぞ」
「え? ハニィがそこにいるのかですっ!?」

 インターホン越しに、男の声の後ろから嬉しそうな女の子の声が重なる。

 ……マリア?

「とにかく蜜樹ちゃん、ここを開けてくれないか」
「ちょ……ちょっと待ってください、今すぐ開けますから」

 オートロックを開錠して表玄関の扉を開けると、モニターに映っていたイン○ィー・ジョー〇ズもどきの中年男性が男臭い笑みを浮かべて立っていた。
 そしてその隣に、見知らぬ高校の制服を着た女の子がいた。髪の長い美少女だ。

「ハニィだ……ほんとにハニィだよね…………どうして……どうして今まで連絡してくれなかったんだですっ!? ずっと心配してたんだですぅっ!!」
「う……うわっ、と!?」

 震える声でそう言うと、少女はいきなり蜜樹の首に抱きついてきた。
 どことなく語尾が変な言葉遣いだった。

「マッチやミサさん、ルミナもサラちゃんもコタローたちも、みんなみんな心配してたです〜っ!」
「ちょ……ちょっと君、落ち着いてっ」
「君? は、ハニィ……あたしのこと覚えてないのかです?」
「え? え〜っと、マリアちゃん……ね?」

 身体を離し、蜜樹の顔をまじまじと見つめる少女。
 蜜樹は頬を赤らめて人差し指で頬をかく。その時彼女の心の中のハニィが、感極まった声を上げた。

(マリアちゃん、また会えるなんて……嬉しい)
(ハニィは知ってるんだな、この娘のこと)
(はい、マリアちゃんは前の学校のクラスメイトで、あたしの一番の親友でしたから)
(前の学校? そうか、ハニィにも高校生活があったんだよな)
(ええ、1年足らずでしたけど、とっても楽しかった……)
(ところで、この娘はどうして俺のことを『ハニィ』って呼ぶんだ? 君がスウィートハニィだったことを知ってるのか?)
(いいえ、元々あたしの高校でのニックネームが『ハニィ』だったんです。クラスにあたしと同じ名前の子がいたんで、入学してすぐに、蜜樹の蜜からとって自分で『ハニィって呼んでね♪』って宣言したから)
(へぇ〜、そういうことだったんだ)

 南高校に転入した時に、クラスメイトとなった教え子たちの前で「ハニィって呼んでね♪」と自己紹介したことを思い出し、光雄――蜜樹はその符合に不思議な感慨をおぼえた。

「ハニィ? ……どうしたんだです?」

 ぶつぶつと独り言を続ける蜜樹に、少女――マリアは首をかしげた。

「え? あ、なんでもない。……えーっと、マリア、ちゃん?」
「親父に無理やり引っ張られてきたんだけど、来て良かったです……」

 泣き笑いの表情を浮かべ、目尻の涙をぬぐうマリア。
 そこにようやく現れた賢造が、カウボーイハットの男に向かってにこやかに声をかけた。

「おお、桜塚教授! よく来てくれたな」
「おう! 生田博士、久しぶりだなっ」

 右手でがっちりと握手する二人。どうやら旧知の仲らしい。

「大変だったそうだな。全くよく生きてたもんだ……うぐっ!」
「なんの、お前こそ相変わらず発掘三昧のようだな……ぐぐぐっ!」

 目一杯力を込めて互いの手を握っているため、二人の顔は段々と紅潮していく。それを何事かといった表情で見詰める蜜樹とマリア。

「あ、あの……お父さん、この人は?」
「紹介しよう。私の学生時代からの親友で、考古学者の桜塚龍一郎教授だ。そしてそのお嬢さんは……うぐうっ!」
「娘のマリアだ――って、何を今更紹介しとるんだ。蜜樹ちゃんとは初対面じゃなかろう……ぐおぉっ!」
「そのことなんだが――」
「親父もおじさんも、もういいじゃないか……ですぅ」

 マリアの呆れたような声を合図に、父親ふたりはようやく握手している手を離した。

(ふうぅ〜全くっ、力いっぱい握り締めおって……)
(はぁはぁ、貴様も相変わらず負けず嫌いな奴だ……)

「こうしてまたハニィに会えて本当に良かったです。でも急に学校からいなくなって、いったい今までどうしてたんだです? 親父に聞いても知らないって言うし、ハニィが学校に来なくなって桜組のみんなも心配してたんだです。しかも休学扱いだったのに、突然転校手続きしたって言うし……」
「そ、それは――」

 自分の目を真剣に見詰めてくるマリアに、蜜樹は戸惑った。

「ハニィ、どうしたんだです?」
「あ、あの……えっと……」

 本当のことを話すべきか蜜樹は迷った。だが賢造があっさりと答えた。

「実はこの娘は、蜜樹じゃないんだ」
「ハニィじゃない?」
「でも今は、正真正銘私たちの娘、蜜樹だ。話せば長くなるんだが……」
「????」

 桜塚父娘はきょとんとしている。

「まあ、こんなところで立ち話もなんだ。とにかく上がれ」
「よし、じっくり聞こうじゃないか。貴様のことも蜜樹ちゃんのことも。二人が今までどこで何をしていたのかたっぷり聞かせてもらうぞ」
「わかったわかった」

 桜塚父娘を応接室に通すと、賢造は蜜樹を傍らに座らせて、これまでのことを語り始めた。
 井荻恭四郎に研究所を乗っ取られたこと、『虎の爪』のこと、スウィートハニィに変身して戦った蜜樹の死、自分が研究所の地下室に長い間幽閉されていたこと、そして新たなスウィートハニィの活躍のこと。
 もっとも今の蜜樹が元々如月光雄という男で、しかも教師だったという点はぼかしてある。
 話を聞きながら、マリアはぽたぽたと涙を落とした。

「じゃあ、あたしの知ってるハニィは死んじゃったんだ……あなたはハニィじゃないんだ……」
「ああ。でも、俺――いや、あたしの中にはマリアちゃんが知ってる本物のハニィがいる。彼女もマリアちゃんとの再会をとっても喜んでいるよ」

 そう言いながら、蜜樹はマリアに向かってにっこりと微笑んだ。
 右手の甲で涙を拭いながら、マリアは蜜樹をじっと見詰めた。

「……ねえハニィ、あたしの趣味覚えてる?」
「え?」

 マリアのいきなりな質問に面食らう蜜樹に、ハニィが心の中で答える。

(ガンプラ作りですよ。マリアちゃんの宝物は、確かGP03『デンドロ〇ウム』です)
(が、ガンプラぁ? この娘が……とてもそうは見えないな。それに『デンド〇ビウム』って、スーツケースみたいにでっかい箱のやつじゃなかったっけ?)
(え、ええ……でも間違いないです。あたしもときどきそう思いますけど)

 蜜樹はふっ――と息を継ぎ、マリアの目を見詰め直した。

「……ガンプラ作り。GP03が宝物」
「やっぱりハニィだ。本当にハニィがいるんだですっ」

 探るような目で蜜樹の目をじっと見返していたマリアは、その答えを聞くと涙目のまま笑みを返して蜜樹の両手をつかんだ。

「マリアちゃん……」

 蜜樹も頬を赤らめながら、つられるように笑みを浮かべる。

「……なるほど。そういえばちょっと前の新聞に、世界のあちこちでバイオテロを引き起こした男が、自分の作った生物兵器のせいで死にかけて警察に収監された――という記事が出ていたが、まさかお前のとこだったとはな」

 無精髭をさすりながら、桜塚教授がつぶやく。

「その時はバカなやつがいるもんだと、気にもとめなかったが……」
「ま、まあそういうわけだ。今まで連絡できずにすまなかったな」
「なんの。……ところで話に出ていた蜜樹ちゃん――スウィートハニィの勇姿、そんなに美しかったのか?」
「当然だ。真っ赤なバトルスーツに身を包んで私たち家族のために颯爽と戦う蜜樹の姿、お前にも見せてやりたかったぞ」
「お、お父さんってば……」

 蜜樹はさらに顔を赤らめる。

「ふむ……それは是非見てみたいものだな……」

 目をランランと輝かせる桜塚教授。隣に座ったマリアの口元が、軽く引きつった。

「ほう……貴様、相変わらずだな」
「美しいものを愛でる――男として当然じゃないか」
「そうだな。……よし、蜜樹!」
「え?」
「折角だからあのバトルスーツに着替えて、お前の勇姿を桜塚教授に見せてやったらどうだ?」
「おおっ、それは願ったり。蜜樹ちゃん、是非見せてくれっ」
「おっ……親父ぃっ!!」
「ち、ちょっと待ってお父さん、『虎の爪』がなくなったんだから、スウィートハニィもお役御免……バトルスーツももう二度と着ないって言ったじゃない」

 いきなり懇願されて、あわてて首を振る蜜樹。

「そ……そうか、そうだったな。――というわけだ。桜塚教授、すまんな」

 あっさりと前言を翻して、賢造は桜塚教授の申し出を断った。

「そうか……なら仕方ないな。じゃあ、せめてそのバトルスーツをうちのマリアに貸してくれんか?」
「なっ!?」
「マリアちゃんに!?」
「うちのマリアもその紅いバトルスーツを着たらさぞかし……うーむ、見たいものだ」

 バゴッ――!! 「……ぐぼぁっ!!」

 どこから取り出したのだろう? マリアの手に握られた巨大ハリセンが桜塚教授の頭に炸裂した。

「こここ、このバカ親父〜っ!! ……ですっ」
「な、何をするマリアっ!?」
「何をするじゃないだろですっ!! この変態親父っ!!」
「い、いいじゃないか、蜜樹ちゃんがそれほど似合うというなら、お前だって――」

 バシッバシッ――!!

 皆まで言わさず、巨大ハリセンがダブルヒットした。頭を抑えてうずくまる桜塚教授。
 そこにティーポットとティーカップを乗せたお盆を持った幸枝と、ケーキを乗せたお盆を持った奈津樹が一緒に入ってきた。

「龍一郎さんいらっしゃい、お久しぶりね」
「おじさん、マリアちゃん、久しぶり。……あら、どうしたの?」

 ケーキをテーブルに置いて、ハリセン片手に眉をつり上げるマリアと涙目でうずくまっている桜塚教授を交互に見比べる奈津樹。

「ぐぐぐっ……あ、い――いやなんでもない。二人とも久しぶりだな。それに元気そうで何よりだ」
「まあ、いろいろあったけどね」
「うむ、話はお父さんから聞いた。奈津樹ちゃんも大変だったそうだな」

 開いた扉から幸枝と奈津樹のあとをついてきたように、一匹の子猫が部屋に入ってきた。

「……ンニャア」
「およっ? この子は?」
「え――えっと、蜜樹のペットよ。シャドウガールって言うの」
「へぇ〜。変な名前……ですっ」

 そう言いながら子猫――シャドウガールを抱きかかえるマリア。
 シャドウガールはマリアの言葉に一瞬むっとした表情を浮かべるが、普通の猫のフリをして喉をゴロゴロ鳴らした。

「ニャオ〜」
「うわぁ、かわいい〜ですぅ」
「とってもいい子なのよ、かわいがってあげてね」

 シャドウガールはマリアに抱かれながら、蜜樹の言葉にうんうんと頷いている。

「この子頷いてるです。人の言葉がわかるのかです?」
「え、う、うん、まあね」
「ふ〜ん……じゃあよろしくなです、シャドウガール」

 マリアはシャドウガールを持ち上げ、目線を合わせてにっこり微笑む。
 蜜樹が「駄目じゃない」とばかりにシャドウガールに目配せすると、シャドウガールは肩をすくめて小さく「ニャア」と鳴いた。

「ハニィったら、どうしたです?」
「え? 何でもない何でもない。ね、シャドウガール」
「ニャアニャア」
「……?」

 小首を傾げるマリア。取りなすように幸枝が口を開いた。

「さあさあ、積もる話はまだまだあるけど、まずは紅茶とケーキをどうぞ」
「それじゃ遠慮なくいただくとするか、マリア」
「おいしそうだです。いただきま〜す」

 和気藹々と語り合う、生田家の面々と桜塚父娘。
 だがそんな部屋の様子を窓の外から見つめる、一対の目があった……



 ぐえっぐえっぐえっ……



「じゃあまた来るぞ」
「おう、またいつでも遊びに来い」
「ハニィ、今度の姫高祭には遊びに来るです。みんな喜ぶです」
「姫高祭?」
(前の高校の文化祭です。懐かしいな……みんなどうしてるんだろう……)

 心の中のハニィの答えに、蜜樹はこくりとマリアに向かって頷いた。

「わかった、必ず遊びに行くから」
「楽しみにしてるです。じゃあハニィ、またね」
「マリアちゃんも元気でね」

 空がうっすらと夕焼け色に染まる中、研究所の前でハニィたちは桜塚父娘を見送った。
 龍一郎の後について歩くマリアは、蜜樹の方を何度も振り返って、大きく手を振った。
 その度に蜜樹も手を振り返す。やがて二人は交差点を曲がって、蜜樹たちの視界から消えた。



 その光景を、電線に止まった一羽の黒いカラスがじっと見詰めていた。

 ぐえっ――



「なんだかとっても賑やかだったなあ……」
(はい、とっても楽しかったです。……ねえ先生、ほんとに姫高祭に行ってくださいます?)
「ああ、ハニィは前の高校のクラスメイトたちに会いたいんだろう?」
(……ええ)
「じゃあ行こう。そうだ、委員長や幸たちも誘って、みんなで行ってみようか」
(はい! 楽しみですね)



 夕暮れの道すがら、マリアは前を行く父親の背中に声をかけた。

「今日は本当について来てよかった、です。……ありがとなです、親父」
「ああ……」

 短く答える桜塚教授。
 盟友・生田博士が行方不明になった時は海外での発掘プロジェクトにかかわっていたため、何もできなかったのが心残りだったのだ。

「……しかし、今の蜜樹ちゃんが別人だとはな」
「あたしはそうは思わなかったです」
「ん?」

 怪訝な表情で振り向く父親に、マリアはにっこりと微笑んだ。

「……なんていうか、別人だって言われても、いまいちぴんとこなかったです。喋り方とかはちょっと違う気もしたけど、雰囲気っていうか……とにかくあたしの知ってる以前のハニィと変わらなかったです」
「そうか。お前がそういうなら、そうなんだろうな」

 肩をすくめ、桜塚教授は前を向いた。――と、その時、

 ばささっ――! 「……きゃっ!?」

 羽音とともに何かが頭の上にとまった感触をおぼえ、マリアは悲鳴をあげた。
 そして、びくっ……と体を震わせ、その場に棒立ちになる。

「どうした? マリア」
「……ん? ん、あ――な、何でもない、です。……わ、忘れ物したから、ちょっと行ってくる、です」
「お、おいマリア!? ……忘れ物? 荷物なんて持ってなかったろう? それにお前、その頭――」

 次の瞬間、桜塚教授はみぞおちに拳を突き入れられ、「うぐっ!」と苦悶の声を上げる。
 意識を失って道端に崩れ落ちる父親を尻目に、マリアはもと来た道を引き返していった。
 頭の上に真っ黒いカラスを乗せたまま、にやっと唇を歪ませて……

「ぐえっぐえっぐえっ……待っているがいいですスウィートハニィ。シスター……いや恭四郎様の仇は討たせてもらうですっ。そしてお前を始末したら、何としても恭四郎様を救い出す、ですっ……それにしても、な、なんだこいつの喋り方は……ですぅぅうっ??」



 桜塚父娘を見送った蜜樹が部屋に戻ると、携帯のメール着信音が鳴った。ディスプレイを見ると、さっきアドレスを交換したばかりのマリアからだった。

「あれ? マリアちゃんだ。どうしたんだろう?」
(あいかわらずせっかちよねマリアちゃん。たった今、帰ったばかりなのに――)

 だが、メールを開くと、そこには『公園に来て』とだけしか書かれていなかった。

「……公園?」
(先生、とにかく行ってみましょう……)
「そうだな」

 研究所を飛び出した蜜樹は、夕暮れの中を一人、公園へと向かった。
 だが、そこで待っているはずのマリアの姿はどこにも見当たらなかった。

「マリアちゃ〜ん」

 蜜樹は人っ子一人いない公園の中を探し回る。

「いないな……マリアちゃん」
(おかしいですね)

 ……と、その時、木陰から飛び出した人影が蜜樹を後ろからはがい締めにした。
 そのまま右手を彼女の首に回し、強い力で締め上げてくる。

「ぐえっぐえっぐえっ……スウィートハニィ、死ねっですっ!!」
「え? ま――マリア、ちゃん!?」

 目尻と口の端をつり上げて首を締めてくるマリアに、蜜樹は驚きと苦痛に顔を歪めた。

「ちょ、ちょっとやめ――て……ぐぐっ!!」
(マリアちゃん、どうしたの!? いったい何があったのっ!?)

 振りほどこうと身をよじるが、マリアは蜜樹の脚を払って彼女の体を地面に叩きつけると、今度はそこに馬乗りになって両手で首を締め始めた。

「ぐえっぐえっぐえっ……死ねぇですっ!!」
「く……苦し、い――」
(ま、マリアちゃん……やめて……)

 息が詰まり、視界がぼやけてくる。
 絶体絶命。だが――

「ハニィに手を出すニャアッ!!」

 蜜樹の後を追ってきたシャドウガールが、マリアの頭上目がけて飛びかかった。

「……ぐえっ!!」
「がはっげほっ…………しゃ、シャドウガールっ!?」

 咄嗟に身をかわして蜜樹からとび離れるマリア。
 シャドウガールは身を起こした蜜樹をかばうように立ち、毛を逆立たせてマリアに対峙する。

「大丈夫かニャ!? ……この娘、操られてるんだニャ!!」
「……え?」

 マリアを睨み付け、背中の毛を逆立てるシャドウガール。

「お前、クロウレディだニャッ!! 姉さんたちのグループに加わらず、今まで何してたんだニャッ!!」

 マリアの頭上にとまったカラス――それは『虎の爪』の首領、シスターの “目” を勤めていた監視役の怪人、クロウレディだった。
 彼女はあくまでもシスター……に憑依していた自分たちの生みの親、井荻恭四郎を首領と崇めており、そのため恭四郎に反旗を翻したシャドウレディと、そんな彼女が引き連れていった『虎の爪』の怪人集団と袂を分かち、姿をくらませていたのだった。

「クロウレディっ! ハニィにちょっかい出すと、ただじゃおかないんだニャ!!」
「ほ――ほざけですっ!! 裏切り者どもがっ」

 マリア=クロウレディにとびかかるシャドウガール。
 だが、彼女がいつの間にか手にした巨大ハリセンに張り飛ばされてしまう。

「ふぎゃあああっ!! そ、そのワザまでぇっ!?」
「ぐ、ぐげげげ」
「このっ、マリアちゃんの体から離れろっ!!」

 立ち上がった蜜樹が、マリア=クロウレディに肉薄する。
 スカート姿であるにもかかわらず、ハイキック一閃。
 しかしマリア=クロウレディは肘を立ててそれをブロック、そのままカウンターで蹴りを返してくる。

「ぐえっぐえっ、この体はよく動くですぅっ!」
「マリアちゃんの顔と声で、その笑い方するなぁっ!!」
「ハニィっ!! 頭の上のカラスを引っぺがすニャッ!! そいつが本体だニャッ!!」
「わかった!!」

 しかし、まがりなりにも相手は親友。蜜樹はうかつに手を出せず、躊躇した隙をつかれて再びはがい締めにされてしまう。

「くっ……」
「ぐえっぐえっぐえっ――今度こそ終わりだですっ……」

 だが、その時……

 ばごっ――!! 「……ぐええっ!!」

 勝ちを確信したマリア=クロウレディ――いや、頭の上にとまったクロウレディの本体に、どこからか投げつけられた石つぶてが命中した。
 辺りに舞い散る黒い羽。慌ててマリアの頭から離れるクロウレディ。

「マリアちゃんっ!! マリアちゃんっ、しっかりしてっ!!」

 糸の切れた操り人形のように崩れ落ちるマリアを、蜜樹は咄嗟に抱きかかえる。
 シャドウガールはよろめくように地面に下りたクロウレディにとびかかり、その羽に噛み付いた。

「ぐええっ、離せ……はなせぇっ、ぐがぁ!!」
「クロウレディっ! これ以上ハニィに手を出すと、姉さんたちにお前のこと知らせるんだニャッ!!」
「ぐ、ぐえええっ」

 シャドウガールを無理矢理払い落とすと、クロウレディはよろよろとどこかへ飛び去っていった。

「あ……あれ? あたし、いったい……え? ハニィ? なんでハニィがここにいるんだですっ?」
「よかったぁ気がついて。……マリアちゃん大丈夫? 何も覚えてないの?」
「覚えてる? 何をです?」
「何をって……ううん、なんでもない」

 きょとんとした表情を浮かべて首を傾げるマリアに、蜜樹はほっと安堵の吐息をついた。
 マリアは蜜樹の顔をじっと見つめると、やにわにその首筋に抱きついた。

「ごめん……それと、ありがとです、ハニィ」
「……え?」
「あ、いや、なんとなく……」

 ばつの悪そうな顔をして、頬をかくマリア。
 そこに公園の入り口から、桜塚教授が姿を見せた。

「お〜いマリア、いきなり蜜樹ちゃんとこに戻って、何かあったのか?」
「あ、親父っ。……え〜っとなんでもないです、すぐ行くです」
「じゃあマリアちゃん、また連絡するね」
「う、うん……じゃあまた。ハニィ、必ず連絡してね」
「うん」

 父親の元へと走っていくマリアに、蜜樹はいつまでも手を振り続けた。

「それにしてもクロウレディの奴、どうして今頃になって現れたんだろう?」
「……あいつ、姉さんたちのグループに加わらずに、ずっと行方不明だったんだニャ」
「そうなのか……それなのに、どうして突然俺を狙ってきたんだ?」
「うーん、それはわからないんだニャ」
(何か嫌な予感がしますね……)
「ああ、何事もなければいいけど――」

 クロウレディの飛び去った方角をじっと見詰めながら、蜜樹はぎゅっと拳を握り締めた。



 その日の夜――

「これが生田博士の助手が撮ったという、スウィートハニィの勇姿か……」

 桜塚龍一郎教授は、自宅で水割りのグラスを片手に一枚の写真を眺めていた。

「ふむ、なかなかいいじゃないか。だが、こんなものをくれるとは、あいつも親バカだな。いや――」

 桜塚教授は、ふと天井を見上げた。

「……ふふっ、良い父と娘だ」

 そして笑みを浮かべ、再び写真に見入った。

「それにしてもマリアの奴、体を乗っ取られていたのを助けてやったというのに……まあいい。いつかそれをダシに、マリアにこれを着てもらうとしよう」

 スウィートハニィのバトルスーツを着た愛娘の姿を想像しながら、写真を肴にグラスを傾ける桜塚教授だった。

(続く)