"Ts write Zone"
『Twilight Train /薄闇の電車』

作:◎◎◎



1、『ヘビーな美女』

♪デーンデントロリコやっつける♪

「……色仮面!?これは懐かしい」
奇妙なフレーズを懸命に歌う子供達の声に、 Y岡氏は一日の労働の疲れと電車の震動が加わった心地よい居眠りから還った。

「……ななつの顔のおじさ‥」
 
思わず唱和して顔をあげた Y岡氏の前には、その Y岡氏を覗き込んでいる若い娘の顔があった。吊り輪に手をあずけているのだろう、電車の揺れと共にその身体も揺れる。
子供達の歌声は娘が外したイヤフォンから洩れていた。
他には誰ひとり乗っていない車両。 Y岡氏の降りる駅はまだ先だ。


「おじさん、美女になりたいんだって?」
まじまじとY岡氏の顔を覗き込む娘は大きな瞳を輝かせてY岡氏にそう言った。

「????」
何を言っているのだろう? Y岡氏には娘の言葉の意味が判らなかった。

「掲示板に書込んだじゃない。ヘビーな美女になりたいって」
「どこの掲示板の事…!!」
あちこちに顔を出している Y岡氏はとっさには思い当たらない。しかしそれよりも今の自分の声は?

慌てて口を押さえるその手は細く、小さい。更には細かい鱗状のものに表面を覆われている。Y岡氏の視線はそのまま鱗の指を、鱗の腕を伝わり、二の腕を経て巨乳といっていいほどの胸の盛り上がリに辿り着いた。さらに双丘の下からは、鱗にさえ包まれていなければ素晴しいであろう長い脚が伸びているのが見える。視界の外から金色の長い髪が頬に流れ落ちた。


「これは???」驚きに上げた声は女性にしてはやや低いアルトの声。それでも Y岡氏の本来の声より遥かに高い。
娘が差し出したコンパクトの鏡面には金髪の白露系の女性の顔が映っていた。

「ギリシア系かとも思ったんだけど、おじさんの好みが解らなかったの。適当。嗜好にあわなかったらゴメンしてね。でもお望み通りの美女。ヘビーな、ね?」

「会いたいとは書いたが、なりたいとは書いてない!」そう言おうとした Y岡氏だったが、しかし、
「どうです、旦那? 自分がニョロニョロになってしまうってのもオツなもんでやしょう?」
声を低い男のダミ声に変え、ニヤリと顔を崩した娘の前には凍り付く他なかった。

♪七つの声の……

子供達の歌声が車内に響く。 Y岡氏の降りる駅はまだ遠い。


そして唐突にY岡氏の視界が揺れ、全てが途切れた。




2、『美女はこわい』



「う‥んん?」

姿勢が崩れ、奇妙な夢から解き放たれたY岡氏は慌てて周囲を見回した。
居眠りしてしまった自分に照れる氏の周囲には誰もいない。
向こうの方に二、三の人影が見えるだけの車内。
Y岡氏は倒れた鞄を引き寄せると、ゆったりと座り直した。

窓の外にはいつもの夜景が流れている。見慣れた看板。街灯の灯る見慣れた家並。
見慣れた夜空。見慣れた闇。


何故、隣の車両はあんなにいっぱいなのだろう?この車両も、続く後ろの車両もガラガラといって良い状態なのに?

三つめの駅を過ぎた頃、Y岡氏の胸にそんな疑問が沸き上がった。

連結した隣の車両は乗車率120パーセント。車窓から見える溢れんばかりの人影は皆女性。どうやら女性専用車両らしい。

……こんなにもこの街の男女比率は偏っていたろうか?
まぁ、楽に座れることにこしたことはないが。

Y岡氏は鞄から一冊の古びた単行本を取り出した。書名は「美女がこわい!」。

まさかこんな出物が古本屋のワゴンセールで見つかるなんて!
オークションならば程度が悪いものでも数千円は下らないだろう。それが帯付き美品でたったの100円!見つけた時は自分の目を疑った。
宝クジが当るより希な出来事だろう。書籍蒐集家であるY岡氏のその夢見心地は電車に乗った今でもまだ続いていた。

「◎◎◎さんも探してみるっていってたよなぁ」

「◎◎◎ですか?アレはこのあいだインファント群島に移送されましたわ」

隣から声を掛けられた。
いつからそこにいたのだろう、Y岡氏の隣にはカーキ色のスーツを着た若い女性が座っていた。
どこかのパーティに出席した帰りだろうか、 髪を結い上げ、胸に紫の薔薇のコサージュをつけていた。香水だろうか、少々きつめの香りが鼻をつく。

「ええと、あなたは」
「汀です。汀惠子。ほら、Y岡さんの上の階の」
「ああ、汀さん」
「お疲れなんでしょう?毎朝、子供達が騒がしくてすみません」

汀さんはたしか、上の階に住んでいる29才のキャリアウーマン。毎朝の喧噪もいい目覚まし代わり。
親しく話をした事はなかったが、こんなにあたりの柔らかいひとだったんだ。
Y岡氏は女性から香る匂いに軽い目眩を覚えながらそう思った。

「◎◎◎さんを御存じなのですか?」
「知り合いというほどのものではないですけど、アレのビルド・アップの一端を担いましたもので」
「ビルド・アップ? いや、それはたぶん、私の知っている◎◎◎さんとは違…」
「ええ、絵描きの◎◎◎のことでしょう?よくY岡さんのところに絵を送りつけて来る。
試薬の副作用からか、皮膚が固くなって、まるでひびわれ人間。他人を勝手に蛇オンナにした天罰かしら?
手の施し様がないので半魚人にしましたの。楳図つながりですわね。
それに◎◎◎はほら、漁港の生まれでございましょ?。魚の生臭さも平気ですわ、きっと」

このひとは何を言っているのだろう?なぜ、汀さんが◎◎◎さんを話題にする?
私ですら実際に会ったことのない、メールの遣り取りでしか知らない彼の、それもメールに書かれてもいない事柄をどうして知っている?
楳図つながりとはなんだ?

Y岡氏の脳裏に様々な疑問が沸き上がる。しかし、それを口に出来ぬままY岡氏は汀女史の顔を見詰めた。

「本人も平素から『大アマゾンの半魚人の泳ぎ方は絶品だ』とか申してましたから、自分で験せるいい機会ですわね。モンスタークリーチャー好きならそれになるのは本望じゃないですかしら?おまけとして黄金色の笑顔の仮面もつけてあげましたのよ。漫画通りの方法で」

漫画の通りとは、Y岡氏の勘が当っていれば、楳図かずお作の『笑い仮面』でのことを指すのだろう。灼けた金属製の仮面を犠牲者の頭に被せる方法。
閉じられた合わせ目は溶け合い、灼熱の金属が肉に貼り付いて二度と外すことは適わない。

上品そうに口許に手を添えて、クスクスと笑う彼女。
その表情とは裏腹に、口にした内容はとても恐ろしい。
そんな事をこのひとは快活に、さも楽し気に、どうして口に出来るのだろう?
Y岡氏はただその端正な顔を凝視することしか出来なかった。


電車が制動をかけた。減速が始まる。慣性で一斉に吊り輪が動き、Y岡氏の手から単行本が離れた。
本が床に落ち、立てた音は小さかったが、Y岡氏の呪縛を解くには充分だった。

どうして、貴方はそんなことを知っているのですか?
先程からの疑問を取りまとめ、問いただそうとした刹那、絶妙なタイミングで彼女が立ち上がった。

「わたし、ちょっとしたおつとめがあって。ここで失礼しますわね」
「あの……」
「御機嫌よう、Y岡さん」 クスリと彼女がY岡氏に向けた笑顔。それは微笑みとは呼べない、頬を釣り上げた三日月の笑い。Y岡氏に向けたその眼は冷ややかで、明らかに笑ってはいない。
Y岡氏は言葉を、生唾と共に飲込んだ。

ホームに入り、扉が開く。彼女はヒールの音を立てて、扉をくぐった。電車の進行方向の改札口に向かったのだろう、その姿は見えなくなった。
それと同時に、Y岡氏の身体から力が抜けた。
肩で息をする。知らずに握りしめていた手はぐっしょりと脂汗にまみれていた。

「‥‥なぜ、汀さんはあんなことを言ったのだろう?‥‥汀さん? 汀さんって誰だ? 上の階の29歳のOLだって? 我が家は一戸建てだぞ!」

扉が閉まり、寸刻おいて電車が再び動きだした。

「あれは、誰だ? 汀と云う人を知っていると、なぜ思い込んだんだ?」

車窓の向こうでゆっくりとホームが流れ出す。と、『汀さん』がこちらを向いて立っていた。
Y岡氏を認めると、ゆっくり右手をあげ、人さし指である方向を指し示す。氏はそれを目で追った。

そこは改札に程近い自動販売機コーナー。
その何の変哲もない自動販売機のひとつの前に佇む幾人かの女性達。
年齢こそ様々だが、一様にその手にはペットボトルが握られている。
販売機には大きく洒落た字体で「J・J」。
機械の側には空になったボトルがうずたかく積まれていた。



電車が速度を上げ、ホームを後にした。夜景が流れる。Y岡氏は頭を振ると、床に落ちた単行本を拾った。


相も変わらず、隣の車両は満杯だった。ぎゅうぎゅう詰めの女性専用車両。
見ているだけで息も詰まりそうだが、幸せそうな顔の女性も幾人か見受けられる。
その一人と目が合った。
女性はさも嬉しそうな、歓びに満ちた笑顔を作っている。

車体が横に傾ぐ、大曲リのカーブ。幽かに洩れ聞こえる数人の喜悦の声。
笑顔の女性は気持ち良さそうに目を閉じた。

……Y岡氏にはなんとなく、笑顔と声の正体が判った様な気がした。

カーブを過ぎれば降りる駅も近い。
Y岡氏は単行本を仕舞う為にハンケチで丁寧に拭った。

「J・J、ゼリージュースか……。駅売りしているとは知らなかったな。今度買ってみようか」
鞄を大事そうに抱えたY岡氏は目を閉じてぽつりと呟いた。



窓の外が明るくなった。駅のホーム。Y岡氏の降りる、お馴染みの駅。
電車が停止し、扉が左右に開くと共に外に踏み出す。
構内を見渡してみたが、J・Jの文字は見あたらない。
ここでは売ってないなと肩をすくめた。

「お望みなら美味しい黒も御用意しますけど?」

耳元で声がした。それと覚えのある香り。
甘い吐息が耳の後ろをくすぐる。

Y岡氏は煌々とした改札口に向かって一目散に駆け出した。
後ろを振り返らずに。
見知らぬ闇から抜け出す為に。


   どっと払い。