Invisible stalker(前編)

作:Sato



「・・・・・くん!」

 誰かが呼ぶ声が聞こえる――

 昨日は3時までずっとロープレをやってたんだ。眠いんだからこのまま寝かしておいてくれよ・・・

「中村くんってば!」

 相手は我慢できなくなったのか、おれの肩を揺すりはじめた。どうやら相手は女らしい――女!

 おれは飛び起きた。が、目の前には誰もいなかった。ふと横に人の気配を感じたおれは、そちらに目を向けた。すると、驚きとほっとした表情を重ね合わせたようなような顔をしている女の子の姿があった。この娘は確か、同じクラスの白井さんだったはずだ。さらさらしたキレイな髪が印象的な、なかなかかわいい娘だ。

「あ、中村くん、やっと起きてくれたわね。ちょっと話があるんだけど」

 横からヒューヒューと冷やかす声が聞こえてくる。しかし、おれはそんな周囲の雑音は気にならなかった。それよりも白井さんの真意が本当にそこにあるのか、それだけが気になっていた。

 当の白井さんはというと、かなり思いつめたような表情をしている。少なくとも、何か悩みがあるのだけは間違いない。しかし、それがおれに対する想いなのかどうかまでは分からなかった。

「何だい?」

「と、とにかくここじゃなんだから、屋上で話しましょう」

「お、おいおい・・・」

 白井さんはおれにささやくようにそういうと、おれの手を握って教室を飛び出した。おれもあえて逆らわずにそれについていく。どこかのバカがおれたちの後をつけようとするが、おれは振り返ってそいつをぎろりと睨みつけてやった。これであいつも引き下がるだろう。おれに逆らうとあとでどういうことになるか、みんなよく知っているはずだ。

 おれたちは、一目散に屋上を目指し、あっという間にそこに辿り着いた。重い扉を開けると、おれたちは屋上に出た。白井さんはその間、一度もおれのほうを振り返ったりすることはなかった。しかしそれでいて一度も握った手を離そうとはしなかった。おれには彼女が何を考えているのか、見当が付かなかった。

 屋上には都合よく誰もいないようだった。ま、もしいたとしても、おれが入ってきたら逃げ出すやつがほとんどだろうけど。

「さて、ここならいいだろ。何の話なんだ?」

 なかなか口を開こうとはしない白井さんに代わって、おれのほうから話を切り出した。それでもしばらく黙っていた彼女だったが、やがておれのほうに顔を上げると、おもむろに話しはじめた。

「じ、実は・・・・わたし、ストーカーに付け回されているの」

「ストーカー!?今、結構取り上げられているアレか?女を追い掛け回したりするっていうあの・・・」

「そう、それよ。そのストーカーの被害にわたしも遭っているの。わたしは電車通学なんだけど、そいつも毎日同じ車両に乗ってくるのよ!それで、電車の中でずっとわたしのことをじっと見てるの・・・」

「うわ、それで触ってきたりはしないのか?」

「それはないわ。あいつも犯罪に手を染めたりする気はまだないみたい。でもいつ行動に出るか・・・・」

「・・・そうだな。例えば乗る電車を変えるとかすればどうだ?乗る車両を変えるだけでも効果があるんじゃないのか?」

「だ、ダメなの。やってみたけど、あいつはもっと早い時間から駅で待っているのよ。それでわたしが乗っているのを確認して乗ってくるの」

 白井さんは小さな肩を震わせながら語っている。その姿には女の子独特のはかなさを感じさせられ、おれもどきりとさせられてしまう。

 それにしても、そのストーカーってやつも相当徹底しているようだ。白井さん専門なのは間違いないだろうが、恐ろしく執念深いやつだということは、見なくても分かる。ストーカーの鑑みたいなやつなのだろう。

「そいつはやっかいだな。白井さんの家って結構遠いんだっけ?自転車通学するっていうわけにはいかないのか?」

「う〜ん、わたしの家からだと、自転車で1時間はかかると思うよ。電車でも35分ほどかかるんだから」

「やっぱりダメか。・・・っていうかさ、どうしておれにそんな話を?おれにどうして欲しいっていうんだ」

 最大の疑問はそこだった。おれが白井さんの彼氏だっていうんなら何の問題もないのだが、おれと白井さんは今までにロクに会話したことさえなかった。その白井さんがそうしておれにそんな話をするのかが理解できなかった。

「それは中村くんだったら、こういう話を聞かされたら、放ってはおかないと思ったからよ。女子の間じゃあ、怖いけど困ってる人を見たら、放ってはおけないタイプだって有名だもの」

 ・・・・いつの間にそんな噂が。おれもヘンなところで有名になっているもんだ。まあ、半分当たってるから何にもいえないけどな。ってことはやはり、白井さんがおれに気があるっていうわけじゃあなさそうだな。ガックシ。

「やれやれ。おれの性格まで読まれているってワケか。それは分かったけど、結局おれにどうして欲しいんだ?ストーカーのやつをぶちのめすとか?」

「できればそうしてもらいたいけど・・・とにかく、明日わたしが乗る電車に一緒に乗ってみてよ。とにかくあいつの顔だけでも確認して欲しいの」

「ああ、それぐらいならお安い御用だ。ただ、ちょっと朝が早いってのが面倒だけどな。じゃあ、時間と場所を指定してくれ。おれはそこで待ってるから」

「うん。ただ、わたしには近付かないで欲しいの。ちょっと離れたところから見てて」

 ちょっとしたデートになると期待していたおれの出鼻をくじくようなことを白井さんがいう。

「ん、どうしてそんなまわりくどいことを?」

「男と一緒にいるところなんか見られたら、あいつを刺激してしまいそうだもの。それに、中村くん、見た目からして強そうだから、あいつも怖がって近付かないかも」

「ああ、それはあるかもな。おれは別にそんなストーカー野郎なんて怖くはないけど、おれは白井さんを四六時中ガードできるわけじゃないし、買わないで済む恨みは避けたいところだよな。ふ〜む・・・・。分かったよ。とにかく明日は同じ車両の違う入口から入って様子を窺うことにするよ」

「お願いね。勝手なことお願いしておいて、悪いとは思ってる。でもこんなこと、中村くんにしか頼めないことだったし」

 そんなに頼られると、男としてはやる気になってきてしまう。男ってのはそんな単純な生き物なのだ。女はそれを利用していると思っているかもしれないが、男のほうは任侠というか、男気というか、そんな論理で動いているのだ。あまり相手がどう思っているとかは気にするところではない。もちろん、かわいい女の子に頼まれるほうがうれしいのは間違いないのだが。



「ふう、そろそろ時間だな・・・・」

 おれは腕時計を見た。7時5分。そろそろ白井さんが指定してきた時間になる。登校するのに切符を買うのもおかしいと思われそうなので、切符はすでに買ってある。あとは白井さんがくるのを見届けてから駅の中に入るだけだ。

「お、きたな・・・」

 白井さんの姿が見えた。彼女も心得ているので、おれにあいさつをしてきたりはしない。ただ少し目で会釈しただけだった。おれはその時点で動き出し、彼女より先に駅の中へ入った。

 それにしても・・・おれがここについたときに、ちょうど前の電車が出るところだった。それから今までに、それっぽいやつが駅の中に入るのをおれは見ることはなかった。もしそれでやつがこの駅の中にいるとなると・・・・

「・・・!」

 駅の中にはすでに何人かの人が待っていた。うちの学校は街から離れることになるために、通勤する人とはホームが逆になるのだ。そのため、こちらのホームから乗る人は俺たちと同じ学生がほとんど、ということになる。

 そんな中にそいつがいた。それはもう見るからにそうだといえる外見をしていたため、白井さんに教えてもらわなくとも、ひと目で分かった。でっぷりとしたぶよぶよの体つきで、身長も低く、当然のように度の強そうなメガネをかけている。目が悪いせいなのか目つきが鋭い。その目が駅の入口からつながる階段をじっと見ている。おそらくは白井さんが現れるのを今か今かと待ち受けているのだろう。

 確かに、真正面からケンカになれば、おれはこいつに負ける気はしない。しかし、こいつは夜の暗がりなどで、後ろから襲うような真似をしそうな雰囲気を持っている。しかも、それを凶器を持ってやりそうな気がするというたちの悪さを併せ持っていた。男のおれでさえそんな薄気味の悪さを感じるのだから、女である白井さんには恐ろしくて仕方がないのは無理もない。

(お、白井さんがきたな・・・・)

 白井さんが少しおれから間を空けて駅に入ってきた。おれはそれを見届けると、やつに注目した。やつは一瞬下卑た笑いを浮かべると、白井さんが移動するのに合わせて視線を動かした。その様子からしても、やはりこいつの目的が白井さんにあることが分かる。

 電車がくると、当然のように白井さんから先に乗り、遅れてやつが、そしてひとつ入口をあけた形でおれが乗り込んだ。やつは白井さんに集中しているため、離れた場所にいるおれには特に注意を向けてはいないようだった。

 それは好都合だったのだが、この位置からでは何かあったときに間に合うかどうかは分からない。満員電車ではないので行くことはできるのが救いだった。

 今もやつは、扉のそばに立っている白井さんのうしろ姿を食い入るように見つめている。ときどき視線が下半身のほうにいったりして、いやらしいことこの上ない。これが会社であればやつはセクハラで訴えられるかもしれない。しかし、おれだってナイスバディな女性が目の前にいればそちらに目が行ってしまうだろう。しかし、問題なのはやつが周りの目などお構いなく、ず〜っと白井さんのことだけを見続けていることだ。その様子はやはり異常という他ない。

 しかし、やつはそれ以上のことはしないのだ。ただ見ているだけ。であれば、いくらここでやつを締め上げたところで、悪いのはこちら、ということになりかねない。何か動かしがたい証拠でも突きつけないことには、おれには手の下しようがなかった。

 結局何もないまま、学校前の駅に到着してしまった。当然、ここでうちの学校の生徒は全員降りる。しかし、やつは着ている制服で分かるように、ここでは降りない。やつの学校はここから3駅ほど先にある。やつを残したまま、電車は駅を発していってしまった。



「なるほどね。確かにそれっぽいやつだったな」

 おれと白井さんは、学校に向かって一緒に坂を登っていた。うちの学校はふもとにある駅からかなり登った高台に立っているのだ。それゆえ、自転車通学するにも大変で、男のおれでさえもひと苦労なのだ。

 おれは最初の最初は、白井さんの自意識過剰じゃないかと思っていたが、電車を替えてもついてくると聞いて、それは打ち消してはいた。そして今、やつの様子を見る限りでは、やつがそうであることは間違いないと確信できた。

「そうでしょ。あの人、わたしのことをジトッとした目でずっと見てるんだもの!冷たくて、でも妙に熱のこもった視線を感じるのよ!ああ、思い出しただけでも寒気がするわ・・・」

 白井さんは本当に寒そうに肩を抱いて、全身を震わせていた。そんな様子を見て、おれはこの娘を助けてやりたい、という気持ちが強くなってきた。

「しかし、今のままだと、それほど悪質までとはいえないかもしれないな。実際に具体的な被害には遭ってないんだろ?」

「それはそうだけど・・・でも段々と距離が縮まってきているのが分かるの。いつあいつが・・・と思うと怖くて怖くて・・・!」

「あ、そうなのか。でもそれだったら、今日みたいにおれが離れたところにいたんじゃ、手の出しようがないぜ。何かあったときに間に合わないと思うし」

「でも、中村くんと一緒にいるところを見られたら・・・・」

「あ、それがあったか・・・」

 思考の袋小路にはまりこんだおれたちふたりは、しばらく押し黙って歩いていた。おれとしてはお手上げ、というしかない。毎日白井さんに付き合って登校するというのも現実的ではない。今まで見たことがない男が乗ってきたことを、やつも怪しんでいるかもしれない。今日だけならいいが、たびたびおれが姿を現すのもマズイ気がする。

「いっそのこと警察に・・・」

「ダメよ。警察なんて実際に被害に遭わない限り動いてくれないんだから」

「そ、そうかもな。被害に遭ってからじゃ遅いもんな・・・・」

 確かに白井さんがいう通りだろうと思う。警察があてになるくらいだったら、おれになんか相談するはずもない。とはいえ、この近付いてもダメ、離れてても役に立たない、という堂堂巡りを解決する方法が思いつかないのではどうしようもない。

「ふむう、どうしたものか・・・」

「う〜ん、ちょっと考えておいてよ。わたしも考えておくから」

 おれは横で歩きながら一心に何かを考えている白井さんの顔を見下ろしながら、彼女もなかなかかわいいななどとついつい見とれてしまっていた。こんなかわいい女の子とふたりで登校している・・・それだけでも役得だといえる。って、おれもストーカーみたいじゃないか。おれは邪念を振り払い、対策を練りはじめた。が、そう簡単にはいい考えが思い浮かばない。

「ああ、っていってもなあ。特にいい考えは浮かびそうもないな」

「おはよう!あら、中村くんじゃない。何、あんたたち付き合ってんの?」

 突然、うしろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返ると、同じクラスの木下さんだった。そういえば白井さんと一緒にしゃべっているのを見たことがあるような気がする。白井さんより背が高くて、髪も長い。それだけに白井さんより年上に見えてしまう。

「ち、違うよ!中村くんにはちょっと相談に乗ってもらってるだけ!ありがと、中村くん。じゃあ、有紀、行きましょ!」

「ちょ、ちょっと圭子!引っ張らないでよ!」

 おれから逃げるように木下さんを連れて先に行ってしまう白井さん。木下さんの隙を突いて、手をやり「ゴメン」と謝ってくる白井さんを見て、おれは無言で頷き返した。おれはそんなことよりも、白井さんの下の名前が圭子だと知って、一歩前進したような気分になってしまっていた。


(後編につづく)