「ふう、今日も暑かったなぁ。」
寺沢淑恵(てらさわとしえ)は、ショートカットの髪をなびかせ、日に焼けたきれいな顔に流れる汗をそのままに、
クラブから帰ってくると、玄関に入るなり真っ先にキッチンに向かった。
「おかあさん、お風呂にお湯入っている?」
彼女の声に答える者は誰もいなかった。
「あれ、お母さんいないのかなぁ?」
淑恵は、冷蔵庫を開けながら、そうつぶやいた。
「え〜と、冷たいもの、冷たいものっと・・・え?なにこれ」
淑恵は、冷蔵庫の中から一本のボトルを取り出した。
「なにこれ?キレイ。きらきらして、透き通っている」
冷蔵庫から取り出したボトルの中身は透明で、夏の日差しを反射してきらきら輝いてキレイだった。
「このビンは・・・入浴剤?新製品かしら。ちょっと使ってみよう。涼しそう」
そのボトルを持ったまま、淑恵は、風呂場に行った。戸をあけて風呂場に入ると、風呂桶には、お湯が満ちていた。
「あら、おかあさん。お風呂にお湯をいれて出かけたのかしら?そうなら、お風呂に蓋ぐらいして欲しかったなぁ。
わたしが帰ってくるのがもう少し遅かったら、水になっていたわよ。でも、この暑さだから、冷めていてもよかったかなぁ」
そんなことをつぶやきながら、淑恵は、冷蔵庫から取り出した入浴剤をお風呂の中に注ぎ込んだ。
「うふ、気持ちよさそう」
淑恵の流し込んだ入浴剤は、風呂のお湯に溶け込んで、わからなくなった。
「さてと、オフロ、オフロ、オフロ」
淑恵は、脱衣場で汗に濡れた服や下着を脱ぐとお風呂場に入った。かかり湯で汗を流すとゆっくりと湯船にそのからだを沈めた。
褐色に焼けた淑恵の肌も、服に隠れた部分は透き通るような木目細やかな白い肌だった。
「ふぁあ〜、気持ちいいわ。まるで疲れがお湯に溶けていくよう。からだから疲れが抜けていくって、こういうことなのね」
あまりの気持ちよさに淑恵は、瞼が重くなってきた。からだが、湯船に沈むたびに目を覚ましていたが、
そんなことを何度か繰り返すうちに、淑恵のからだは、湯船の中に沈んでいった。
そして、だんだんと透明だった湯船が白く濁りだし、湯船に沈んだ淑恵の姿を覆い隠して行った。
「うう〜〜ん。いつの間にか眠っちまったか。ここのところ残業が続いたからなぁ。あ〜〜〜あっと、ねえさん、ねえさん?
あ、そうか、急用で出かけるって言っていたな。風呂も入れてあるからはいれって。俺ってそんなに臭うかなぁ?」
正行は、自分の身体のあちこちの臭いをかいだ。肥満気味の身体からは酸っぱい汗の臭いが漂ってきた。
「そんなに気にはならないけど、姉さんうるさいからな。風呂に入るか」
そうぼやきながら、正行は、さっきまで横になっていたソファーから起きだすと、リビングから風呂へと出て行った。
風呂場に入り、ふと見ると脱衣駕籠の中に、脱いだ服と下着が入っていた。
「これは・・・淑恵のものだな?淑恵、中にいるのか?」
中から返事は返ってこなかった。
「淑恵、開けるぞ。正行叔父さんだぞ。お湯なんてかけるなよ」
恐る恐る正行が、湯船への戸をあけて中を覗くとそこには誰もいなかった。
「あれ?淑恵の奴いないぞ。脱ぎっぱなしで行儀の悪い奴だなぁ。」
湯船には白く濁ったお湯が入っていた。
「お、入浴剤いりだ。白く濁っていて、牛乳風呂か。淑恵も女の子か。それに、ちょうどいい湯加減だ」
正行は、かかり湯でからだの寝汗を流すと湯船の中にからだを静かに沈めた。お湯が溢れて、すこしこぼれた。
「ふう、いいお湯だ。肌触りも優しく、いいね、この入浴剤は・・・身体の疲れが流れ出すようだ」
正行は、お湯の心地よさに身も心の疲れもほぐされるような気がした。そして、眠気のベールが、彼の顔にかかった。
ウトウトとしてきて、身体が楽なように正行が身をくねらせると、お尻の辺りに何かが当たった。
「ん?なんだ。これは・・・」
尻を浮かし、手探りで恐る恐るそれを探ると、それは荒削りの木片のような感じだった。思い切って掴むとそれを持ち上げた。
白いお湯の中からそれが浮かび上がり、その全貌を正行の前に現した。
「なんだ。なんでこんなものが・・・え?ぎゃぁ〜〜〜」
それが何か気づき、正行は、流しに放り出してしまった。そして、驚いて湯船を出ようとして、立ち上がろうとしたが、湯船のそこが滑り、ひっくり返ってしまった。その時に正行は、湯船の淵で頭を打って気を失ってしまった。正行のからだは、湯船の中に沈んでいった。
正行の沈んだ湯船の横には、30センチぐらいの大きさの褐色の塊が転がっていた。よく見るとそれは、胎児のように小さく縮まったミイラだった。
「ざ、ざぁ〜〜〜」
湯船の中から水柱が立って、人影が現れた。
「う、うわっぷ、ふぁぁ。ケホケホケホ、溺れるかと思った。」
湯船から起き上がると、咳き込んだ。ふろから起き上がった身体はいつになく軽かった。
「身体が軽いなぁ。よく利くなぁこの入浴剤」
そういいながら湯船を見ると、そこには、さっきまでの乳白色のお湯はなく。薄汚く濁って油の浮いた汚いお湯が満ちていた。
「ウエッ。汚いなぁ。捨てよう」
さっさと湯船の栓を抜くとお湯を捨てた。
「汚かったなぁ。あれは俺の毒素か?でも、身体が軽く、白くすべすべに・・・え?」
すべすべになった腕を触っていた正行の手が止まった。
「俺の腕ってこんなに細くないし、それに、さっきから胸に腕が当たって・・・・え?え〜〜〜〜〜〜!」
下に向けた目に入ってきたのは、小ぶりとはいえ、しっかりと形になった胸のふくらみだった。
「お、お、おい。なんで俺にこんなものが!まさか、下のが・・・ない〜〜〜〜!!!!」
背を曲げて見たそこには、うっすらとした茂みが隠す女性の花園があった。見慣れたあのきのこはどこにもなかった。
「な、な、何でこんな事に・・・あの入浴剤のせいか?」
こうなるまでを考えても、それしか思いつかなかった。それ以外は、思いつく出来事がないからだ。
「いったい、あの入浴剤はなんなのだ?」
正行は、風呂場の辺りを探し回った。流し口のそばに転がっていた空き瓶を見つけた。
「お、あった、あった。これがあの入浴剤か・・・え!これは、原液のゼリージュース。
研究所からすくねてきたゼリージュースの原液が何でこんなところに・・・要冷蔵だったので、冷蔵庫に入れていたのに。
まさか、これが風呂の中に・・・じゃあ、俺の姿は?」
風呂場を飛び出すと、洗面台の上の鏡を覗き込んだ。そこには見慣れた顔があった。
「淑恵・・・」
そこには、濡れた長い黒髪を肩にたらした色白の美少女が映っていた。淑恵は、日に焼けた元気なスポーツギャルの印象があるが、
美白して、髪を伸ばせば、誰もが振り返る美少女だった。
「なぜに淑恵に?ゼリージュースを飲んだ覚えはないし、それに、憑依や入れ替わりでも、俺の身体はどこにもないし。
変身したのなら、元になる淑恵の身体も・・・もしや、あれが淑恵の身体!」
淑恵になった正行は、風呂場に戻り、さっきのミイラを手にとって、隅々まで見回した。縮こまってわかりにくかったが、
小さな傷らしきものがあった。それは、淑恵が、元気な女の子になるきっかけを作ったものだった。
「この傷は・・ということは、これは淑恵?でも、何でこんな事に?」
正行が、研究所からくすねてきたのは、ゼリージュースの素材だった。あの素材は、加える物の効力を高める作用があり、その力で、
ゼリージュースの不思議な力が、生まれるのだった。あの透明なゼリーには、飲んでもなんの力もないはずだった。
だが、誰かがあやまって飲んでしまっては、貴重なゼリーがもったいないので入浴剤の空き瓶に入れて持って、冷蔵庫の中になおしていた。
あの素材には熱を加えると効果が消えてしまう可能性があったからだ。だが、風呂に入れるとこんな効果が出てくるなんて・・・
『あのゼリージュースには、風呂に入れることによって、風呂に入ったもののエキスを搾り出す効果があるというのか?
それじゃあ、俺が、淑恵に変わったのは、俺のエキスが搾り出され、変わりに淑恵のエキスを吸い取ってしまったのか。
まるで、水を吸い出したスポンジで、別の水を吸い取るように・・・まてよ。あの濁ったお湯は俺のエキス。じゃあ、俺はずっとこのまま?』
正行は、唖然となってしまった。彼がミイラになった淑恵を抱きかかえ、途方にくれていると玄関から声がした。
「ただいま〜〜。誰もいないの?正行、まだ寝ているの?」
それは、淑恵の母であり、正行の姉の里美の声だった。
正行の運命は?そして、ミイラになった淑恵は、元に戻ることは出来ないのか?
奇怪カイカイ、キキカイカイな物語は、静かに幕をかけた。
あとがき
むかし読んだ、早乙女貢の忍法帖に、美女を風呂に入れて、その美女のエキスを取り出し、その風呂に浸かって、
その美女に変身する忍者の話がありました。それを思い出して書いてみたのですが・・・すみません。
ジュースじゃないですね。テヘッ