ある裁判記録



N地方裁判所第三小法廷で、行われようとしていた審議は突発的なトラブルによって中断されてしまった。それが、予想されつつも、議論を避け続けられた問題を浮き彫りにする結果となった。

「本件のこれ以上の審議は不可能と思われます。本法廷は、本日の審議はここまでとして、次回、開廷の日時に関しては、開廷日時が決まり次第、追って関係諸氏に連絡することとします。検察及び、弁護側には、別室にて今後の予定に関してご相談したいので、直ちにお越しください。」

そう告げると、裁判官は、法廷を退室した。


それが起こったのは、弁護側が反対尋問をしようとした時だった。

この法廷で、審議されていた事件は、強姦未遂だった。被告は、被害者女性に懸想していたのだが、小心なため思いを告げられずにいたのだが、急な転勤の通達により、緊急性に迫られ、アルコールによる泥酔により被害者女性の部屋に侵入し、強姦行為に及んだが、抵抗され、行為未遂に終わったという事件だった。

「さて、被告にお伺いします。あなたは、その時自分が行おうとしていることを理解して・・・」と弁護士が問い出した時にそれは起こった。

証言席に立って弁護士の質問を聞いていた被告の体が、突然光り出した。それと時を同じくして、傍聴席に座っていた被害者女性の体も同じように光り出した。

「うわぁ・・・」

「ひやぁ・・・・」

二人の体は痙攣を起こし、弓なりに硬直するとそのまま、その場に倒れた。

その瞬間、法廷は一瞬静寂し、パニックになった。被告と被害者は、すぐさま法廷より運びだされ、病院へと運ばれていった。

被害者女性が、気を失う前に呟いた言葉を隣に座っていた人が聴いていた。

「え?あっ、な、な、、んで?俺があそこに・・・い・・・」

だが、その人は、その言葉の意味に気づいていなかった。その重大性に・・・


病院に運ばれた二人の意識が戻り、今後の審議予定を組もうとした時、或ことが判明した。それは、被害者と、加害者の精神が入れ替わってしまっているということだった。それは、最近頻繁に起こっている『入れ替わり症候群(BodySwapSyndrome)』だった。


数日後、N地方裁判所第五小会議室に、あの事件の担当裁判官・検事・弁護士が集まっていた。

「今日お越しいただいたのは、あの事件の審議スケジュールに関してなのですが・・・」

「裁判官それよりも、先にもっと深刻な問題があるのではないでしょうか?」

弁護士が、問題提出をしてきた。

「何があると言うんだ。被告は、犯行を自供し、認めているんだから、争う点などないだろう。こんな裁判早いところ終わらせようよ。審議事項は、まだまだあるんだから。」

「検事は気づいておられないんですか、この大きな問題に。」

「どんな問題があると言うんだよ。」

弁護士は、姿勢を正すと投げやりな検事に質問した。

「ではお聞きします。検事は誰に判決を下すべきだとお思いですか?」

「だれって、被告だろう。それは常識じゃないか。」

「被告って誰です?」

「被告は、被告だよ。被告のAだろうが。」

検事の答えを聞いて、弁護士が、席の横に置いていたカバンを手に取ると、その中から二枚の写真を取り出して、テーブルの上に置いた。

「被告はどちらですか?」

写真には若い男性と女性が一人ずつ写っていた。

「何寝ぼけたことを言ってるんだよ。こっちに決まっているだろうが。」

検事は当然だという顔つきで、若い男性の方を指さした。その検事の行動を見て、弁護士はやはりという確信した顔をした。そして、ゆっくりと若い女性の方の写真を指さした、

「今被告はBSS(入替り症候群)によって、被害者の女性と入れ替わっているんですよ。」

「だとしたら、こっちか・・・でも、こっちは被害者なんだし・・でも・・・ああ、わからん。もう、こっちに判決をくだせばいいじゃないか!なんでBSSなんか起こったんだ。」

混乱した検事が、焼け気味に若い女性の方の写真を掴んでテーブルに叩きつけた。

「そうなると、被害者の人権はどうなるんですか?肉体は被害者のものですからね。」

二人の討論を聞いていた裁判官が、のんびりした口調で聞いてきた。

「そうなんです。安易に結論を下すと、人権問題になってしまうんです。無実の、それも被害者を拘束することになってしまう。そこが、この問題の難しいところなのです。」

「じゃあ、罪を犯しても、それを罰することはできないじゃないか。罪は償わないと法治国家が崩壊してしまうことになるぞ。」

「そうなんです。これは今後もいろんな場面で噴出する問題をはらんでいるんです。さらに今回は、強姦未遂という事件性を考えても、ことは重大です。」

「うむぅ、懸想して事件まで起こした男が、被害者の女性の肉体を持ったのだから、これから起こるであろうことは想像ができるな。」

「はい、その上、今度は自分のカラダにすることですから、法的拘束力はありませんし、BSSによる法整備もまだされていませんので、我々としては、現行の法律に照らし合わせて行動する事しかできませんからね。」

「ということは、彼を罰することはできないということになるのかな?」

裁判官は、その重大性を気にする様子もなく相変わらずのんびりした口調で聞いた。

「この事件は慎重に扱わないと、世論を巻き込んで大騒動になるということです。」

「しかし、犯罪を犯しているのに・・」

検事はまだ、被告を罰することに未練があるようだった。

「でもな、被告は、被害者の肉体になったんだろう。さっきもちょっと出たが、このままにしていてもいいのか?」

「そこなんですよね。でも、彼を拘束する法律はありません。彼の良心を信じるしかないでしょう。」

「では、こうしますか。被害者の方に頼んで。被害届を取り下げてもらうということでいいでしょうか?」

「でも・・・」

検事はまだこだわっていた。

「貴方には何かいい案があるのですか?」

裁判官にそう聞かれて、検事は黙ってしまった。

「弁護側もそれでいいですね。」

「は、はい」

「それではその線で、調停することにしましょう。それでは、本日は、これで解散とします。」

納得のいかない顔のまま検事は、会議室を出ていった。

弁護士は、裁判官に挨拶をすると、検事の後を追った。

一人残された裁判官は、誰に言うというわけでもなく独り言をつぶやいた。

「厄介な時代になりましたね。まったく・・・」

国による法整備の遅れは、さらなる混乱を招くのだった。




 (筆:よしおかさん)