ある雨の夜に・・・

原案・あんぶれら

 作・よしおか

 

昼間はかんかん照りで、夕立を望んでいたのに、いざ降りだすとその雨は勢いが衰える事もなく、私が退社する時間になっても、降り続けていた。

この雨の中を単身赴任で出迎えてくれる者もいない暗く蒸し暑い部屋へと、まっすぐ家路をたどる気にはならず。雨足が衰えるまでの時間つぶしのできる雨宿りの場所を探して、ふらふらと夜の繁華街を歩いていると、さすがに雨の中を外に出てうろついているのは、私ぐらいだった。この雨では客足も鈍ると考えたのか店の前にでいている客引きの姿はなかった。

私は、行く当てもなくネオンだけが派手やかに輝く繁華街を通り過ぎようとした時、突風が吹いて、私の持っていた長年愛用している傘を吹き上げ、骨が曲がり、おちょこ傘になってしまった。私は、その傘を何とか傘を直そうと近くの雑居ビルの一階に入り、雨を避けながら、傘を元通りにしようとしたのだが、古くて骨が弱っていたのか数本の骨が折れて、使用不可能になってしまった。

これでは部屋に帰るどころか、この雨の中ずぶ濡れになって駅まで歩く事になってしまう。私は困ってしまい、どこかで傘を調達しようと辺りを見回したとき、一軒のスナックの看板が目に入った。

私はその店に入ることにした。

『変体新書』

その代わった名前の店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

出迎えてくれたのはこんなところにこんな美女が・・・と思うほど三十台なかばのハスキーな声の美しい女性だった。

店の中は、狭く薄暗くカウンター席しかなく客の姿はなかったが、落ち着いた雰囲気で、壁には昔のアメリカの伝説的なジャズマンたちの写真が飾られ、バックミュージックに心憎いほどに静かにジャズのレコード(CDじゃないよ。もちろん有線でもない)の音が流れていた。ときどきレコードの音が掠れたりしていた。

「ママ、ちょっと雨宿りさせてくれないか」

「はいどうぞ」

そういいながら、ママは、私に乾いたタオルを渡してくれた。普通ならお絞りと言うところだろうが、今の私にはこっちのほうがありがたかった。

「結構降っているんですね。寒くはありませんか」

突風の為にずぶ濡れになった私を見て、ママは心配するような顔つきになった

「いや大丈夫・・・へックション!」

美人の前だから少しやせ我慢をしていったのだが、くしゃみが出て、うそがバレバレだった。

「はいどうぞ」

まだ私が何も頼まないのに、ホットウイスキーが私の前に置かれた。

「頼んでないよ」

「わたしの驕りです。初めてのお客様に風邪を聞かせては申し訳ないですもの」

ママはそういうと私を見て微笑んだ。

私はママの心遣いに感謝しながら、ホットウイスキーを口に運んだ。湯気とともに香ってくるウイスキーの香りが、鼻をつんと刺激した。それだけでも身体が温まる気がした。

一口、二口と喉を通るホットウイスキーの温かさが思いのほか冷えていた身体を温めてくれた。

「ママ、使わない傘ってないかい」

「そうねぇ、ないことはないけど・・・もう少ししたら雨も上がるかもしれないわよ」

「そうだなぁ。あしたは休みだし、もう少し飲んでいくか」

私のほかには客は誰もいない店の中は、私とママの二人だけの楽しい世界だった。

私は最終電車の時間も気にはなってはいたが、この美人ママを一人締めできるのだから、気にしないことにした。

「でね。そいつが・・・」

たわいもない話をして、ママとの楽しい時間をすごしていたが、ふとママが腕時計を見て、心配そうに私に言った。

「あら、もう終電の時間よ」

「そ、そうか。ママ、すまないが今日はこれで帰ることにするよ」

私はこのまま閉店まで居たかったのだが、ママの好意を無視するわけにもいかないので帰ることにした。

「ええそれがいいわ。もう雨はやんだかしら?」

ママはそう言うとカウンターから出てきて、店のドアを開けた。雨足は弱まるどころかさらに強くなっていた。唯一の救いは、風がないことだ。これならば少しは濡れるが、傘を差して帰れないほどではない。

私は、開け放ったドアからまだ激しく降る雨を呆然と見つめているママのそばに立ち、その形のいい耳元で囁いた。

ママの身体からいい香りが立ち込めていた。

「俺帰るわ。ママ傘を貸してね」

「あ、そうだったわね。ちょっと待っててね」

ママはドアから戻ると、カウンターの中に入り、その下の辺りをごそごそと探し始めた。私はカウンターの椅子に座り、カウンターの中で、私に貸すための傘を探しているママの姿を何気なく目で追っていた。そのうち、何気なく店の周りを見回した。

「ねえママ。君みたいな若い人が何でこんな地味な店をやっているんだい」

私は、店に入ったときから思っていた疑問をママにぶつけてみた。ママは私に貸すための傘を捜しながら答えた。

「え?このお店。このお店は、実は五年ほど前までは、わたしの遠縁のおじさんがやっていたの。でも、ある日突然に理由もなしに失踪して。それで、わたしが変わりにこのお店をやっているのよ」

「でも、地味だよ。もっと派手やかにしたら、もっとお客さんが来るんじゃないかい」

「いいの。おじさんのときからの常連さんが来て下さるし、わたしもこのお店が気に入っているから」

ママはそう答えながらも、あちらこちらの戸棚や引き出しを開け回って、傘を探し回っていた。

「ないわねぇ。裏にあるかもしれないからちょっと待っていてね」

「ああ、ゆっくりでいいよ」

ママは、私のそう言うと、カウンターの中の裏へ通じるドアを開けて中へ入って行った。

私はこれと言ってする事もなく、店の中をぼんやりと見回していた。視線をゆっくりと動かしていると、入り口のドアのそばに置かれた観葉植物の鉢の後ろになにか棒のようなものが見えた。私は席を立つと、その鉢のそばに歩み寄った。背を伸ばして鉢の後ろを覗き込むと、そこには一本の太く短い棒が壁に立てかけてあった。私は手を伸ばすとそれを掴んだ。それは銀色の布が張られた折り畳み傘だった。折りたたまれた状態のその傘のにぎり部分には、小さなボタンが三つ並び、台尻の部分にもボタンがあった。自動で開閉や折り畳みが出来るタイプなのだろう。

「これでいいか。この傘を返すと言う口実でまたこの店に来て、そのときに、傘を借りたお礼と言って・・・(ニヤッ」

私はこの傘を返す時の事を想像してにやけた。

「ママ。傘はここにあったから、これ借りていくよ。今度返しに来るよ。いいだろう?」

すると裏から戻ってきたママが言った。

「ごめんなさい。傘は見つからなかったわ。え?そんなところに傘があったの。いいわよ、それを使って」

ママの返事もそこそこに、私は帰ろうとドアを開けて、傘を差そうと右手で握り部分のボタンを押した。

傘は『シャキン』という音を立てて、太い棒から傘の形に変形した。

ママは突然私が手に持った傘を見て叫んだ!

「その傘を開いちゃダメ!」

だが、時すでに遅く私は傘を開いた。

ピカッ

前に差し出して開いた傘の内側からフラッシュのような光が光った。

「うわっ」

私は思わず左手で顔を覆った・・・

 

「うう〜〜ん」

「あ、気がついた?」

「う~ん、俺はどうしたんだ。あの傘の光に・・・」

そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。

「はい、これを飲んで。気付けよ」

そう言って差し出された並々と入ったウイスキーのショットグラスを手に取った。

「一気に飲んで」

私は言われるままに、一気に飲んだ。ウイスキーが喉から胃に流れ込こみ、身体が熱くなるのを感じた。

「それと、深呼吸をして」

「え?」

私はママの言葉が理解できなかった。

「深呼吸して、早く」

「でも・・・」

「いいからするの」

その恐ろしいまでの迫力に私は深呼吸した。なんだかいつもと違う感じがしたが、数回繰り返すとママはいつもの優しい表情に戻って、ベッドの横たわったままの私に手鏡を差し出した。

「いい、落ち着いて見るのよ」

私は手鏡を受け取ると、自分にかざした。

「お、美人だねぇ」

かざした手鏡の中には、ママに似た若い女性が写し出されていた。

「彼女、ママの妹かい?ダメだよ。鏡だと言って、フォトスタンドを渡したりして。結構ママもイタズラ好きだなぁ。でも、ほんと美人だね。今度紹介してくれないか?」

私はおどけながらママに言った。手鏡と称して、フォトスタンドを渡すママの冗談に私は苦笑した。こんなすぐばれるおかしなイタズラが好きなのだろう。

でも、妹の写真を店に飾っているなんて、仲のいい姉妹なんだろう。そんなことを思いながら、私は思わず微笑んだ。すると緊張した顔をしていた写真の彼女も微笑んだ・・・・え?写真が微笑む??

よく見るとそれは写真ではなくて、鏡に写った自分の顔だった。

「な、なんだって?これは一体どういう・・・え?ふえぇぇ?」

私は飛び起きると前のめりになりそうになった。前のほうが重いのだ。手を胸にやると重たい二つのふくらみが・・・

「ふひゃ?な、なんだこりゃ。まるでおん・・・ま、まさか。・・・・な、な、ない。なんにもない・・・」

股間に手をやるとそこにはいつもあるものがなかった。代わりにビデオとか写真でおなじみのものがあった。

「うわぁ〜〜」

私はパニックになった。三十数年慣れ親しんだ身体から、欲望の対象にしていたものへと変わってしまったのだ。

私は興奮して、ママの肩をつかむと揺さぶった。

「どうなっているんだよ。これはいったい・・・元に戻れるんだよな。もどしてくれよ」

パシ〜ン

冷静に俺を見つめていたママが私の頬を叩いた。

「落ち着きなさい。あなたは戻れないの。これから死ぬまで女として暮らすのよ。わたしと同じようにね」

ママに頬を叩かれて、付き物が落ちたように私は冷静になった。

「ママのように?」

「ええ、わたしもあの傘のおかげで女になってしまったのよ。貴女と同じようにね」

ママは静かにとつとつと自分の身の上に起こった事を語りだした。

5年前まで、私は男だったの。客の一人が忘れていったあの傘のおかげで、わたしはこんな姿になってしまった。そこで、今までやっていたこの店を遠縁のものとして、引き続いてする事にしたの。わたしにはこれしか出来る仕事がなかったから」

と言う事は、ママは5年前に失踪したと言うオーナーだったのか。

「この五年の間調べてわかったことは、この傘は人の姿をコピーできるの。でも今は壊れていて、このわたしの姿しかコピーできないのよ」

ママの話によると、あの三つのボタンは、この傘が記録した姿に変わるためのボタンで、取っ手の底のポタンの跡は、元の姿に戻るためのものだったらしい。ほかの二つはすでに壊れていて、元に戻るボタンも壊れていた。あの傘にできる事は、ママや今の私と同じ若い女性の姿にボタンを押した者を変身させることだけだった。そして、この傘は姿を変えてくれるが、それは姿だけの事で、肉体構造は性転換したニューハーフのような状態で、卵巣や子宮はない。だが、消えたオトコの変わりに、女性ホルモンを分泌する組織が出来ているので女らしい体型になれるし、いつまでもこの姿のままではなくて、姿は年をとっていくらしい。ママもこの姿に変わった時から五年の月日を容姿に刻んだと言う。

「子宮はないみたいだから、どんなにエッチしても子供は生まれないから安心してね。いいわよ、性転換手術と違って神経は繋がっているみたいだから、女の快感を味わえるの。それにアレがなくなっているから男性ホルモンは分泌されないから、髭が生える事もないわ。その代わり、女性ホルモンは分泌されてるみたいだから、いつまでもちゃんとした女性の姿のままよ。安心してね」

と言われても、安心できるはずがないだろう。俺はこれからの不安と、今までの生活に戻れない状況に泣き出してしまった。いつまでも、女のように・・・

 

「いらっしゃい」

「いらっしゃいませ」

わたしは来店した客をママと一緒に飛びっきりの笑顔で迎えた。いえ、今はお姉さんだった。わたしはママの妹としてこの店に出ていた。そして、飛び切りの美人としての特権を楽しんでいる。ウフフ、あなたも楽しんでみる?