[退屈な浮遊霊 ~ 食]




正午、ジングルやチャイム、サイレンの音が町中でに広がる。
それらは人々に「昼休憩の時間が来た」という事を伝えているのだ。
控えめに、けたたましく、どこか申し訳なさそうに。

さて、僕もそろそろ昼食にするとしよう。
尤も、何かを食べる必要のある身体では無いのだけれど。

僕は部屋の壁を抜け、町へと向かう事にした。


お察しの通り、僕は幽霊だ。

壁を抜けては宙を飛び、人に乗り移ったりもする。
極めて善良な、人間由来の透明な生き物さ。

どうしてこうなったのかは思い出せないけど。
まあ、気楽に毎日過ごしてるのさ。

僕は楽しみにしている事がある。それがこのランチタイムだ。

――幽霊がモノを食べるのかって? もちろん、そんな訳はないさ。

僕達幽霊は、人間の身体に取り付いて、身体の感覚を利用できる。
なーんて事は、もうみんな知ってるよね?

――つまり、"食事中の人間"に憑依して、
素敵な美味しいランチを楽しもう、ってコトさ!


さて、今日は"誰"で何を食べようか。

味の薄い高級品は少し飽きてきたから、
リーズナブルでジャンクな大衆料理かな? それとも……

そんな風に考えながら飲食店街を歩いていると、
大通りから外れたあたりにある一件の店が目についた。

――パンケーキ屋さん……?


予定とは大分違うが、
こういう店に入ってみるのも悪くない。

見たところお客の数はそこそこだし、
憑依する相手にも困ることはなさそうだ。

よし、今日はこの店にしよう。

自動ドアを開けることなく、すり抜けて入店する。
もちろん、店員が寄ってくることもない。

さてと、誰にしようかな?

店内を見回してみると、一人客もちらほらいるようだ。
その中の一人に視線を向ける。

二人用の席に一人で座り、向かいの椅子に荷物をおいたままにしている。
そんな若い女性が、パンケーキの写真を撮っているようだ。

女性は眼鏡をかけており、ややフォーマル寄りの服装をしている。
どこかのオフィスレディだろうか。少し薄めの化粧がよく似合っていた。

ちょうど良い、"この子"にしようか。

女性はスマホの画面を注視している。
アプリケーションか何かを弄っているのだろうか?

ともあれ、チャンスには違いない。
僕は彼女の背後から、霊体を一気に滑り込ませる。

女性はブルッと身体を震わせ、目をトロンとさせながら顔を伏せた。



――僕は目を覚ます。視界がぼやけている。
ああ、眼鏡が落ちてしまったのかな?

胸元に何か異物感がある。
白い手を伸ばすと、どうやら胸に眼鏡が挟まっていたらしい。

少しのくすぐったさを感じながら眼鏡を取る。
胸が邪魔して見えないが、太ももの辺りにさっきのスマホがあるようだ。

何の違和感もない自然な仕草で眼鏡をかけると、
眼前のフワフワしたパンケーキがドォンッと存在感を示す。

ああ、とても美味しそうだ。

パンケーキにはクリームがふんだんに乗せられており、スライスされた苺や白桃で綺麗に飾られている。
そこへ網状にかけられたチョコレートソースがなんとも言えない香りを醸し出す。

ああ、旨そうだ。さて。
「この娘の身体」ならこれをどんな風に味わえるかな?


口に入れたやわらかなふわふわを、噛み締めるように咀嚼する。

まず感じられるのは、フルーツ類の味だ。
抵抗なく噛み砕ける柔らかな食感を越えると、甘い白桃と苺の酸味が絶妙に噛み合って襲ってくる。

間違いなくこの娘は甘党なのだろう。無意識に頬が緩みはじめる。

続いてクリームと生地の味だ。

とろけるようなクリームはやや甘さを控えており、フルーツたちとの調和を乱さない。
それをきめ細やかで弾力のあるやわらかい生地が後押しし、飽きさせない食感を形作る。


忘れてはいけないのがこのチョコレートソースだ。

ややビターな味わいは全体の甘さを整え、一口、もう一口とフォークを出す手を止められなくする役割だろう。

やや苦味が苦手らしいこの娘だが、それでもこの罠から逃れることなど出来はしないようだ。


そういえば、どこかでこんなことを聞いたような気がする。
女性は脳の甘味を感じる部分と、幸福を感じる部分が隣り合わせになっており、 男性よりも甘味で幸福感を感じやすいのではないか、という話があるとか、無いとか。

この恍惚なほどの多幸感はその為なのではないだろうか。
――ああ、おいしい。おいしい。しあわせ。ああ……。


そうして、味と食感を楽んでいると、いよいよ最後の一口となった。

この娘の舌には随分と楽しませてもらった。
だから、最後の一口ぐらいは返してやっても良いだろう。


僕は最後のひと欠片となったパンケーキにフォークを突き立てると、そのまま"わたし"の口元まで持っていく。

ケーキを口の中に入れ、フォークを引き抜いたところで、彼女の身体から抜け出す。

……ごちそうさま。

目が覚めた彼女は、がっかりするだろうか。
それとも、あんまりも夢中になって食べてしまったと感じて恥じらうだろうか。

まあどちらでもいいさ。
もうランチタイムは終わりだ。良しとしよう。


そうして僕は、壁をすり抜けて町へと向かう。
ああ、次のランチはどうしようか。
それとも、たまにはディナーを楽しもうか。

退屈な浮遊霊は「食」を求めて町を行く――


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