(閑話休題)湘南書房版『あべこべ玉』について



最近、国立国会図書館の「国立国会図書館デジタルコレクション」の図書館向けデジタル化資料送信サービスが、自分の住んでいる県の県立図書館で始まった。


新聞でサービスの開始を知ったのは数か月前のこと。私はその前身である「近代デジタルライブラリー」の頃から、自分のパソコンで時々興味のある分野の資料を見ていた。しかし、そこで見られるのはすでに著作権の切れたものや著作権者が許諾したものだけで、著作権の継続しているものに関しては、国立国会図書館まで行かないと見られなかった。その上、自分には東京まで行く金も時間もなく、半ばあきらめているも同然だった。


そんな中、パソコンからは見られない資料も含めて、図書館向けに送信してくれるというのだから、これを利用しないわけにはいかない、そして、県内の図書館でも近いうちに始まるのではないか、入手できずにいるあの本も、もしかしたらみられるようになるのではないか、と期待していた。ところが、その後何も続報がないので、導入しないのかと思っていた。


そんな中、ようやく先月になって、県立図書館でもサービスが始まることを知り、「いよいよ見られるのか…」と期待で胸も高鳴った。幸いにも、サービスが始まった翌日は会社が休みだったので、さっそく図書館まで行き、カウンターで申込用紙に記入しようとした。ところが、そこで利用者登録のことを聞かれ、調べ物でよく行くところなのにまだ登録していなかったので、そっちの方から先にすることになった。


図書館では今まで本などを借りたことはなかったが、借りたいものはたくさんあったので、この機会に登録したのは無駄ではなかったと思う。そうして少しあわてたのち、さっそくパソコンの画面を見ることに。間違ったカテゴリーを見ていたのか、目当てのものを探すのに少し手間取ったものの、しばらくして何とか見つかった。見つかったことに越したことはないが、便利なようで、わかっていないと探しづらく、何時間もサーフィンする、それがネットのデメリットである。


湘南書房版『あべこべ玉』とは?

さて、私の目当ては、終戦直後に刊行されたとある「入れ替わり」モノであった。タイトルは『あべこべ玉』。元はというと、戦前に発表されたサトウハチローの小説である。もちろん、同姓同名の別人ではない。詩人や童謡作家として知られるあのサトウハチローである。今ではすっかり忘れ去られてしまっているも同然だが、戦前から昭和30年代にかけて、数多くの小説を発表していた。


親戚のおじさんからもらった赤い玉「ポンポコ玉」によって、旧制中学2年の兄と小6の妹が入れ替わってしまうこの作品も、古参TSFマニアなら読んだことはなくてもタイトルくらいは耳にしたことがあるだろうし、このタイトルは知らなくても『あべこべ物語』と聞けば、ピンとくる人も多いかと思う。しかし、約40年離れている両者の間にも、別の出版社から単独で刊行されていたということは意外と知られていないのではないだろうか。実際、同書についてはみのむーさんがブログで存在について言及しているにとどまっている(※1)ので、現物を見たことのある人はほとんどいなかったのだろう。


同書は1948年6月に有限会社 湘南書房(「湘南」とついているのに、なぜか東京の千代田区にあった。詳細は不明ながら、昭和20年代前半に存在した児童書関係の出版社だったらしい)から刊行されたもので、挿絵は『フクちゃん』などで知られる漫画家の横山隆一によるものである。漫画家が挿絵を描いたという点では、1970年代に少女マンガを中心に活躍した漫画家の古茂田ヒロコが挿絵を担当した『あべこべ物語』(講談社 1975年)と共通している。


画像を見る限り、残念ながらカバーは残っていないようだが、本体は青色のクロス張りで、扉には棒を振りかざしている千枝子と泣いている運平、そして黒犬と白犬のイラストが配置され、真ん中に、「あべこべ玉 サトウハチロー著」と縦書きされている。挿絵はスケッチ風で、描いている場面の本文とページ数といっしょに、冒頭にまとまって掲載されている(つまり、本文中には挿絵がない)。ちなみにイラストの後のタイトルページには「少年少女 長篇ユーモア小説」とある。なお本文は217ページである。


『ユーモア艦隊』、『あべこべ物語』との違い

作品集の収録作品の一つとしてではなく、同作単独で刊行されたという点でいえば『あべこべ物語』とスタイルは同じである。ところが、内容のほうはというと、戦前に刊行された『ユーモア艦隊』や『あべこべ物語』と基本的には同じながら、細かな点においてはいずれのバージョンともかなりの違いが見受けられる。


戦後発行の本だから、『ユーモア艦隊』の軍国主義的表現や男尊女卑的な表現は当然カットされたり変更されたりしているものの、『あべこべ物語』ではカットされているシーンが、表現にいくらか変更こそあるもののきちんと収められており、一方で「千葉市」「千葉中学」となっていたのが、「C市」「C中学」となっていたり、車掌が「チャップリン」から「エノケン」になっていたりと、『あべこべ物語』ともまた違ったものとなっている。


この点に関しては、いちいち述べると長くなってしまうので、今回はこのくらいにとどめておきたいが、その違いを比較するだけでも十分に興味深いものだった。中でも、運平の部屋に掛けてある絵や写真というさりげない描写でありながら、その中身に時代性が特に現れているのが以下の部分ではないだろうか。比較のため、参考までにほかの2つの版の同じ場面も紹介することにしたい。


『ユーモア艦隊』より「あべこべ玉」

「大河内傳次郎の近藤勇が目をむいてゐるとおもへば、誰かの西郷隆盛がめづらしやブルドツグをつれて立つてゐます。馬にのつてゐるカウボーイの寫眞がはつてある側に戦艦三笠と東郷大將の繪葉書があります。その上の壁に『皇國の興廢この一戰にあり三月五日試験のはじまる日にこれを印す 山上運平』と書いてあります。ナポレオンに墨であご髭をつけた寫眞があるかと思へば、カイゼル(※)の髭のさきにダルマさんをふたつぶらさげて書いてあります。」(P31上段8行目~下段2行目)


『あべこべ玉』

「マッカーサー元帥の寫眞があるとおもえば、ピッチャー白木(※)のきれいなフォームの寫眞があります。馬にのつているカウボーイの寫眞がはつてある間に、ガンジーの繪があります。その上の壁に『三月五日試験はじまる、落第せばわれほろびるべし、八百萬ずの神々様よ、我に加護をたれ給わんことを、アーメン』と書いてあります。ナポレオンに墨であごひげをつけた寫眞があるかと思えばオットセイのひげの先にダルマさんを二つぶらさげてあります。(P45 12行目~P46 1行目)


『あべこべ物語』

「うまにのっているカウボーイの絵や、ナポレオンにすみであごひげをつけた写真、ポスターの紳士はといえば、りっぱなおひげのさきにだるまさんを二つぶらさげてかいてあります。」(P55 4~6行目)


なぜか「カウボーイ」と「ナポレオン」だけはどの版も共通しているが、それ以外はだいぶ違っている。


『ユーモア艦隊』の「戦艦三笠」「東郷大將」「カイゼル」(ヴィルヘルム2世のこと。カイゼル髭で有名)といった部分には、当時の軍国主義的雰囲気を感じさせられ、『あべこべ玉』の「マッカーサー」や「ガンジー」といった部分には、GHQによる占領と民主主義の雰囲気を感じさせられる。しかも、前者は「大河内傳次郎」(昭和初期の時代映画スター)、後者は「ピッチャー白木」(白木義一郎のこと。終戦直後に活躍したプロ野球選手)と、当時の流行までちゃんと押さえられている。


こう見ると、いくらコメディーやファンタジーの要素が強い同作品でも、書かれた(あるいは出版された)当時の時代背景をきっちりと押さえているものである。けれども、一番入手しやすく、知られているのではないかと思われる『あべこべ物語』のほうはというと、これらの時代を感じさせる要素がごっそりと抜け落ちてしまっているのである。


引用した部分に限っても、前半部分はカットされており、カウボーイと「ポスターの紳士」だけが残っている上、後者に至っては誰か映画俳優のことを意識したのかもしれないが、これではなんのことやらさっぱりわからない。にもかかわらず、少年少女講談社文庫版の裏表紙には「ユーモア小説の決定版」とあるのだから、なおさらわけがわからない。しかもこの本はサトウハチローの死後に刊行されているので、死後に作品を改変した可能性も否定できず、著作人格権の同一性保持権の観点からして、果たして許されることだったのかどうかという疑問も残る。


残念ながら、本当に「決定版」といえるのは『ユーモア艦隊』と湘南書房版『あべこべ玉』であって、『あべこべ物語』ではなさそうだ。それはさておき、今回見ることのできた湘南書房版『あべこべ玉』は、『ユーモア艦隊』と『あべこべ物語』の関係にまつわる謎を解く手がかりになったように思う。




(あとがき)

予定の分の構成にまだ手間取っているので、今回もこのような形でお送りした。来週もまだわからないが、執筆を放棄したわけではないのでご心配なく。




注釈

※1)「みのむーのTSFな日記」(2006年)http://blog.livedoor.jp/minomurx28-tsfnikki/archives/6097270.html

文中には記されていないものの、時期からして湘南書房版『あべこべ玉』ではないかと思われるもの。

由良川 / 「あべこべ玉」(2005年)

http://ideaisaac2.blogspot.jp/2005/06/blog-post_15.html