第4回 「鏡の国の変わり娘」より「TS映像作品 一覧」

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TS映像作品 一覧

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なじみ深くて探しづらい映像作品

どういうわけか、アニメやドラマ、映画といった映像作品には今なお記憶に残る「入れ替わり」モノが少なくない。


たとえば、『転校生』、『放課後』、『どっちがどっち!』、『パパとムスメの7日間』、『ココロコネクト(ヒトランダム編)』、『山田くんと7人の魔女』…。ストーリーは思い出せなくとも、タイトルや入れ替わりの原因・方法、キャストなどは意外と覚えているものだし、TSFや「入れ替わり」には関心がない人でも、テレビが好きな人なら一つや二つは知っている。そのくらい、マニア以外にとってもなじみ深いメディアとなっているのだろう。


確かにそう言える理由もなくはない。映像をともなっているだけに印象に残りやすく、キャストには人気や実力のある人、あるいはそれらを見込まれている人が選ばれることが多い。さらに別人格を演じなければならないという特性にキャストの実力が表れるので、話題にもなりやすい。当然、視聴者もそこに魅力と演技力を感じるわけで、『転校生』や「石段落ち(階段落ち)」に象徴されるように「入れ替わり」の認知と定着にも多大な貢献をしており、人々の「入れ替わり観」の形成にも大きくかかわっているといっても過言ではないくらい、その影響力は大きい。


だがその反面、後から作品を視聴したり、振り返ったりすることは意外と困難な場合も少なくない。小説やマンガは絶版になったとしても古書店で入手したり、図書館で読んだりすることができる場合が多いのに対し、映像作品は再放送でもない限り、放送は基本的に一回きりで、アニメやドラマならまだしも、バラエティ番組ともなると、事前には該当の展開があるのかどうかわからないことも多い。さらに、その場限りという性格が強いこともあって、人気があったからといってソフト化されるとも限らない。


もちろん、近年の作品であれば、放映されて間もないころなら公式の配信などで見ることができることもあるし、放映からだいぶたった後でも公式サイトや放映当時に書かれたブログなどから振り返るのも比較的容易だ。しかし、1990年代以前に放映された作品、たとえば、『ねらわれた学園』(原田知世版)、『転校生!おれがあいつであいつがおれで』、『転校生!おれがあいつであいつがおれで2』、『おもいっきり探偵団覇悪怒組』の「田園調布博士の野望」、『男女逆転物語』、『パパが私で私がパパで』、『世にも奇妙な物語』の「ゲームセンターの奇跡」や「ボールペン」、『魔女館のアリサ』、『チェンジ!』(※1)…ともなると、DVD化はおろかビデオ化もされておらず、視聴することはおろかその内容について知ることも容易ではない。実際、これらの作品について調べようとしても、出てきたのは当時の新聞のテレビ欄やサイトで述べられていた視聴者の記憶ぐらいで、それ以外には、『週刊TVガイド』や『ザ・テレビジョン』などといったテレビ情報誌があるくらいだが、物が物だけに、なかなか出てこない。台本という手段もありそうだが、ピンポイントに探すともなるとまず出てこないだろう。


いずれにせよ、知ることのできる情報は全体を知るには程遠い、ほんの微々たるものであり、ほとんど知られていない作品や映像すら残っていない作品、実は「入れ替わり」モノではなかった作品も少なからず存在していると思われる(※2)。その点で、古い映像作品は、『転校生』公開前の作品同様、今なお「入れ替わり」モノ研究のフロンティアとして存在していることは否めない。


『鏡の国の変わり娘』のすごさ

しかし、そのような状況下にあって、それもインターネットも発展途上にあり、YouTubeなどの動画サイトすらなかった時代に、映像作品をメインコンテンツとして扱ったサイトがかつて存在したのである。前々回紹介した「八重洲メディアリサーチ」や前回紹介した「てっつ庵」同様、古参TSFマニアには懐かしい名前かもしれないが、それがとうまさんのサイト「鏡の国の変わり娘」だ。


1999年にオープンした同サイトは、「日本国内限定TS映像作品鑑賞会私的視的サイト」と銘うっていたことからもわかるように、日本国内で放映・公開された映像作品(ドラマ・アニメ・映画)を中心に扱っていた。作品リストではレンタルビデオ店での入手の難易度についてふれられていたり、再放送が絶望的と述べられていたりすることからもわかるように、今のように動画サイトもなければ、通信販売もほとんどなく、該当作品を入手するには、レンタルビデオ店を回って探すか、放送を録画する以外に方法がなかった当時、該当作品について知ったり入手したりする上で、インターネットが今以上に重要な情報源であったことや、家に居ながら作品に関する情報を得られ、本やDVDなどを購入したり、作品を楽しんだりできる現在以上に、当時のマニアたちがいかに苦労していたのかということがありありと伝わってくる。


また、この15年間で大きく様変わりしたのは、作品の入手の難易度も同じかもしれない。たとえば、当時はCSで見るしかなく、リストでも「超レアもの」と述べられていた『へんしん!ポンポコ玉』がDVD化されたり、それまでほとんど入ってこなかったアジア圏の作品が数多く見られるようになったりした。その一方で、「ノーマルリスト」に分類されているのにDVD化もされず、今となっては逆に視聴が困難なものもある。当たり前すぎてふだん意識することのないその間の時の流れと変化を実感させられるのも、こういった昔のサイトとの比較あってこそのものだろう。


しかも、規模的には大きくないながら、「TSコレクターの法則」や「TS3話題の掲示板」、「しりとりミレニアム2000」など、特集や企画などもあり、TSマニアの一種のコミュニティのような存在であったことも、マニアたちが求めている情報の集まりである作品リストとどことなく共通している点で興味深い。さらに、現在の「入れ替わり」観にも通ずるものとして、今ではTSFのみならず一般にも広く用いられている「入れ替わり」という表現が、複数の対象間での心あるいは体の交換という意味で用いられていたことも特筆すべきことではないだろうか。


もちろん、サイト自体がマニア向けのものであり、設定やストーリーに重点が置かれていたこともあってか、「入れ替わり」が何かということは暗黙の了解も同然で、わざわざ説明したり、追究したりするほどのものでもなかったのだろう。「てっつ庵」同様、「入れ替わり」について説明した箇所は見受けられないし、掲示板からの引用を含んだ形で記事が構成されていることもあって、表現は必ずしも統一されていない。


しかし、「てっつ庵」が「入れ替り」と表記し、入れ替わっているという「状態」を指すにとどまっていたのに対し、同サイトでは「入れ替わり」という、現在一般にも定着している表記(送り仮名)が用いられており、状態にとどまらず、入れ替わることそれ自体を含んでいる点で、現在のそれと非常に近いものになっている。さらに、それ自体を一つのジャンルないしはシチュエーションとみなす「入れ替わり作品」とか「入れ替わり回」などといった表現が用いられ、掲示板から転載した部分では「入れ替わりもの」という表現もみられる(※3)。


TSFと違って、「入れ替わり」という表現を提唱した形跡が見られない上、それ以前からそのような用い方がなされていた可能性も否定できない以上、この点に関しては今後の検証を必要とする部分ではある。だが、同サイトにおいて「入れ替わり」が多用されていることを考えれば、TSFマニアの間ではこの当時、「入れ替わり」という表現がすでに定着していた、あるいは同サイトによって多かれ少なかれ定着した可能性があることを証明しているといっても過言ではないかもしれない。


映像作品へのこだわり

さて、今回分析してみるのは、「日本国内限定TS映像作品鑑賞会私的視的サイト」と銘うっていたこのサイトの中心ともいえる作品リスト「TS映像作品 一覧」である。これらの記事は1999年11月ごろに書かれたもので、掲示板の引用ととうまさん自身の評論から構成されている。


もちろん、TSFがまだTSと呼ばれていたころのサイトなので、『へんしん!ポンポコ玉』が「変身!ポンポコ玉」になっているなど、以前紹介した二つのサイトと同様、初期のサイトゆえの誤りやあいまいな点も目立ち、文章中心で画像はない。しかし、単なる作品リストにとどまらず、一種のエッセイともいえるものに仕上がっているばかりか、あまり意識されにくい特撮や今では視聴すら困難な作品に関する情報など、今から見ても十分に資料的価値が高いものも散見される。


中でも、とうまさんの「入れ替わり」観がよく表れているのは、当時発表された作品、厳密には1990年代後半に放映された作品、とりわけアニメに対する評論だろう。この時期になると、既成のキャラクターや舞台の中に「入れ替わり」というシチュエーションを盛り込み、その上でストーリーを展開した作品が毎年のように作られるようになる(※4)。これらの記事が書かれたのはその数年後のことなのだが、今では当たり前と化していることが、この当時すでに論じられている点で注目に値するといっていい。


たとえば、アニメではおなじみのものとなっている、入れ替わると体もしくは心と同時に、声も入れ替わる演出に関しては、あまり好意的には受け止めていなかったようで、肉体と声の一致にこだわりを持っていたことが、いくつかの作品の感想の記述からもわかる。たとえば、敵が散布した赤い霧によって主人公らが入れ替わる『VS騎士ラムネ&40炎』の第18話「わたしは誰!?」について述べたものでは、


「ラムネ&40 炎 第 話 「わたしは誰(だぁれ)」」(※5)

さらに ないす なのは、

主人公達の声が入れ替わらない、という点です。

ヒロインの体から出る声は、ヒロインの声。

この当たり前のことを、きっちりふまえています。

「人格転移の殺人」ばりに、入れ替わり回数が多いのですが、

 声はすべて、肉体依存です。これはすばらしいですね。


と、「主人公達の声が入れ替わらない」、厳密には当事者から見た場合、声は入れ替わるが、視聴者から見た場合、声は入れ替わらない、わかりやすくいえば「ヒロインの体から出る声は、ヒロインの声」、つまり肉体と中身の声が一致しているという「当たり前のことを、きっちりふまえて」いることを評価しており、「救急戦隊ゴーゴーファイブ 第37話「美女とサイマ獣?!」」(※6)でも、


入れ替わり中の声は、「現在の肉体の声」に従っています。

これが一番おいしい要素かもしれませんね。


と、肉体と声の一致を「一番おいしい要素」ではないかとしている。前者は「「人格転移の殺人」ばりに、入れ替わり回数が多い」と述べられているように、ある要因(魔術的要素が強い場合が多い)によって何度も入れ替わる点で『GIRLSブラボー』の「プールでブラボー」や『ギャラクシー・エンジェル』の「彼岸への回転寿司」と似通っており、しかも肉体と声が一致している点で共通している。そのため、確証はないものの、制作するにあたって同作を意識していたのかもしれない。


それはともかく、いずれも「入れ替わり」によるドタバタをテンポよく凝縮したものに仕上げており、10分弱、20分弱という短い時間内でストーリーが展開される一エピソードのメリットが生かされた好例だといっても過言ではない。しかし、とうまさんが、これほどまでに肉体と声の一致を重視していたのは、声が大きく変化することよりも、何らかの要因によって性格が変化することのほうがより現実的であり、自然なものと受け止めていたからではないかと思われる。


「入れ替わり」自体は非現実的であるにせよ、ある要因によって一時的にも性格が変化することは現実にも起こりうるわけで、別に不自然なことではない。しかし、性格と同時に声まで変化してしまうのは、声が声帯から発せられるものである以上不自然なことであり、外見の印象と実際の声にギャップを感じることはあっても、少なくとも男性が女性の声で話すとか、オヤジが女子高生の声で話すのはどう考えても無理がある。それゆえに、ギャップを通り越して違和感になってしまい、かえって不自然なものに映ってしまうのだろう。アニメには多くても、実写ではめったにないのはそのせいかもしれない。


もう一つ考えられるのは、肉体と声の一致は、その魅力であるギャップを引き出す効果をもたらすことだろう。見た目や声はいつもと変わらないのに、性格や言動だけがいつもと大きく違っている。パッと見では、入れ替わっているとはとても信じられない。本人はそう言っているのだが、相手のマネをしているようにしか見えない。それ以前に、そのことを黙っていれば、いつもと何か様子がおかしいという不信の目で見られてしまう。だからこそ、第三者の当事者に対する違和感はさらに大きく感じられ、表面的には普段と変わらないにせよ、内面的にはがらりと変わっているからこそ、ビフォーアフターのギャップを明確に描くことができる。そのためには、不自然さがあってはならないわけで、記事中でも「当たり前のこと」だと述べられているように、その点でとうまさんは肉体と声の一致という、見た目の自然さを重視していたことがわかる。


TSFを超えた「入れ替わり」の魅力

さらに、さくらの相棒であるケロちゃん(ケルベロス)と友人の小狼(シャオラン)の二人(一人と一匹?)が、「チェンジ」というクロウカードによって入れ替わってしまう、「カードキャプターさくら クロウカード編 32話「さくらとケロと小狼と」」(※7)では、一話完結のアニメの一エピソードにおける「入れ替わり作品」の魅力について、以下のように述べられている。


作品になじんだキャラクタの、性格が豹変する。急に口調が変わったり

普段ならしないようなそぶりをしたり。それだけ

なんだか妙な感覚、ドキドキする感覚が沸きあがる

入れ替わり作品というのは、TS感覚以外にも

このようなファン心理といいますか

その作品をチェックしているファンだけ

楽しめる感覚があるんですよね


TSを扱ったサイトでありながら、「入れ替わり作品」の魅力についてもふれているという点でも、とうまさんが「入れ替わり」ならではの魅力に気づいていたことがうかがえる記述であるが、「作品になじんだキャラクタ」とあるように、当事者となるのはメインキャラクターであり、当事者の外見は変化することなく、性格だけが「豹変」し、「急に口調が変わったり、普段ならしないようなそぶりをしたり」する。

聞けばそれだけのことながら、そういった当事者の言動に、視聴者も「なんだか妙な感覚」にさせられ、「ドキドキする感覚」が湧き上がる。具体的にそれらの感覚がどういったものかについては、ここでは説明されていないものの、前者はおそらく、見ているものがあてにならないことによる迷いや戸惑いを、後者は先行きに対する不安と期待のことを指しているのではないかと思われる。


人間はふつう、外見から相手が誰かを認識・判断する。しかし、「入れ替わり」によって外見と中身が違っていると、その原則が通用しない。そればかりか当事者は、第三者に本当のことを打ち明けようとしないので、なおさら誤解される。さらにそのことがわかっているはずの当事者や視聴者でさえも、どっちがどっちなのか、目の前にいるのは一体誰なのかという倒錯感におそわれる。人間とは、外見と中身の二つの側面から構成されている存在だからだ(別に心身二元論を言いたいわけではない)。


その上、相手への変身願望などもなく、ある時突然、そのような状況に置かれた当事者が、果たして元に戻れるのだろうかとか、どういった方向にストーリーが進んでいくのだろうかと思うと、たとえ元に戻れるとか、互いに相手のことを理解するという結末や展開などが見透かされていたとしても、本当にそうなるのかは終わりまでわからない。もしかしたら、元に戻らないとか、さらに拡大してしまうなどといった結末が待っているかもしれない。そのように、結末は確定しているものではなく、既に一度見ているのでもない限り、常に可能性が付きまとう。このこともドキドキの要因の一つだといっていい。


その前提となっているのは、先にキャラクターについての性格のイメージ、よりなじみ深い語句でいえば「キャラ」という設定があって、登場キャラクターとキャラは設定として、また視聴者のイメージとして堅く結びついていることであろう。


その作品を毎回見ている視聴者は、登場キャラクターの性格に対し、何らかのイメージを抱いている。それは、作品よりもキャラクターの方が評価されることも少なくないことに表れており、逆に当時よりも今の方が顕著になっている傾向かもしれない。そして、登場キャラクターと性格や言動は結びついたものとしてイメージされている。だからこそ、「入れ替わり」によって(見た目の)性格や言動が変わると、いつものそれとは全く違った印象を受けるわけで、それがまた別の意味で魅力的だったりする。


それこそが「ファン心理」であり、その作品をチェックしているファンだけ楽しめる感覚」、簡単に言えば、「入れ替わり」による性格や言動の変化と当事者の外見と中身のギャップこそが魅力だと言いたいのだ。記事では述べられていないものの、さらに相手の立場という異世界に放り込まれたことによる戸惑いと映像作品ならではの声の交換(この点では同エピソードも例外ではない)という非日常的要素も加わって、視聴者のそれらの感覚にいっそう拍車をかけることになるわけである。


とうまさんの先見性?

この記事が書かれてから15年近くが過ぎ、アニメや特撮などの一エピソードや展開において「入れ替わり」を盛り込む風潮はすっかり定着したばかりか、連続ドラマにおいても「入れ替わり」を扱った作品が毎年と言っていいほど発表されるようになっている。このことは、細かな部分ではともかく、シチュエーションそれ自体は以前よりも認知されるようになってきていることの証明でもあるが、視聴者の評判はというと、マンガのそれと同じく「使い古されたもの」などと否定的にみなされている。その点で、視聴者もまた、「入れ替わり」を扱っているという先入観だけで判断してしまい、その細部や差異にはあまり気に留めていないのかもしれないが、10分弱、20分弱では細かい部分を描きだすことは困難であり、テーマも盛り込みづらい。それだけに、当事者や周囲の戸惑いを描いたドタバタコメディーになってしまい、マンネリ化しやすく、その上、コメディーというイメージが強く、様々な作品で見かけることもあってか、安易に用いられているという感じも否めない。結果的に否定的なイメージをさらに強めることになる。


こういったことからして、アニメの一エピソードは、連続ドラマや長編映画のように当事者間・当事者―第三者間の人間関係や相互理解などのプロセスを精密に描き出すのには向いていない。しかし、キャラクターがきっちりと設定された中でストーリーが展開され、同時にキャラクターに対して視聴者もイメージを持っているという、連続ドラマや長編映画にないメリットもある。だからこそ、キャラクターとキャラの結びつきを交換によってぶち壊し、かき乱す「入れ替わり」はより魅力的に映り、同時に個々のキャラクターの特性とその存在を、より明確なものとして視聴者の前に示してくれるのだろう。


完成度の高い作品も多いこともあってか、今では作品に対する感想でも好評価をしているものも目立つようになってきている。だが、とうまさんは今から15年近くも前に、その魅力に気づいていたのである。おそらく、「入れ替わり」を扱ったエピソード自体が少なかった上、コメディーとして扱ったものが多かった時期だったからこそ「使い古されている」などといった偏見を持つことなく、このようなポイントに着目することができたのだろう。こういうと褒めすぎかもしれないにせよ、映像作品に対するとうまさんの洞察には、ある意味先見性があったといっても過言ではなく、ようやく多くの人たちにもそのことが意識されるようになってきたのかもしれない。




注釈

※1)『ねらわれた学園』(原田知世版)は1982年12月に放映された最終話(第10話)に該当の展開がある。

※2)たとえば、『どきんちょ!ネムリン』の一エピソード「大逆転!パパとママ」(1985年1月放映)や変身はあっても「入れ替わり」を扱った回はなかった『5年3組魔法組』(1976〜77年放映)、『翔んだライバル』の「リンゴは男・純平は女」(1981年7月放映)や『チャコとケンちゃん』の「大変!アタシが男で、ボクが女!?」(1982年7月放映)など。

前者二つはいずれも動画サイトに動画が投稿されたことによって判明したもので(現在は削除されている)、後者二つはタイトルからして「入れ替わりモノ」の可能性があるものの、現時点では当時の新聞のテレビ欄で放映日時を確認できたにとどまっている。

※3)魔術館のアリサ

http://web.archive.org/web/20010924111804/http://www.sam.hi-ho.ne.jp/hshinbo/complist/alisa.html

※4)「入れ替わりマニアックス」の「該当作品リスト」から判断する限り、毎年のように作られるようになるのは、1996年ごろのようである。

※5)ラムネ&40 炎 第 話 「わたしは誰(だぁれ)」

http://web.archive.org/web/20020105093224/http://www.sam.hi-ho.ne.jp/hshinbo/complist/ramune.html

※6)記事タイトルの「第 話」の間の空白は原文ママ。正確なタイトルは『VS騎士ラムネ&40炎』。

救急戦隊ゴーゴーファイブ 第37話「美女とサイマ獣?!」

http://web.archive.org/web/20020212190053/http://www.sam.hi-ho.ne.jp/hshinbo/complist/gogo.html

※7)カードキャプターさくらクロウカード編 32話「さくらとケロと小狼と」

https://web.archive.org/web/20020105093256/http://www.sam.hi-ho.ne.jp/hshinbo/complist/sakura.html