ありえる“かもしれない”未来

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入れ替わりシンドローム

町中を!

(ありえる“かもしれない”未来版)


第2回

「国民総相互理解作戦」




「21世紀初めには、多くの総理大臣が、人を引き付ける公約に国民の心をだまして当選し、1年もたたないうちに何もできずにやめていきました。」

退屈な歴史の授業が始まった…。

こんな時代に暗記モノをどうしてしなきゃいけないんだろう。

鏡のアイディア考えてて、昨日は眠れなかったし…。

「センセー!「こうやく」ってなんですか?」

「予習してこなかったのかね?」

「予習といったって、いつ出されたんですか?」

「先週だが、どうかしたのかい?」

「僕、入れ替わったまま学校に来てしまったんです」

「入れ替わったって…?まさか、ずる休みじゃないだろうな?」

「てゆーか、ここは何年何組ですか?」

「そんなんも知らんのか。だったらさっさと帰れ!!!」

(授業のある日に入れ替わるなんて、ちょっと情けないな)

私は授業が終わると、部活をずる休みして家に帰った。

なんでずる休みしたかって…?

あることが気になって仕方なかったからだよ。

それは何かって…?

「入れ替わり」は何のために行われるようになったのかだよ。


「そうだったのか…」

今日の授業でもいっていたように、心ない政治家のために日本はだんだん悪くなり、破たんしそうになった。

それに、犯罪も増えて、人々は相手を信じなくなった…。


そんなところに登場したのが「入れ替わり」だった。

テレビの画面に映し出される技術を見ていると、日常とは別世界のものに思える。

生活が苦しくなっているのに、技術ばかりが進んでいくのも不思議だ。

それが私たちとカンケーないのも知っている。

でも、国の力をアピールするためには仕方ないってみんな思ってる。

私も「入れ替わり」が可能になったって聞いて、心の中でばかにしてた。


でも、「入れ替わり」だけは少し違った。

ある政治家が「わかりあえる社会」を実現しようとしたからだ。

その名も「国民相互理解作戦」。

生活への不安がまし、相手を信じられなくなっていた人々は彼を支持し、研究に多くのお金が使われた。

そして、ついに実現したのだった。

バックアップを取るようになったから安全性も高くなったし、機械や動物などとの間でも行われるようになった。

まあ、研究のためらしいんだけど…。


人々の考えも大きく変わった。

しかも、それを使うことはすすめられ、あっという間に社会に広まっていった。

出て間もないころは、「そんなんは許せん!」って言う人もいた。

けれど、今じゃ、相手の立場を知るためには欠かせないものとなっている。

使ってるのは若者ばかりだけど…。

最近、授業でも取り入れられて、私も去年、保健の授業でクラスの男の子と入れ替わった。

近所の子だけど、自分の家族と離れて、しかも男の子になって生活するのは大変だった。

お母さんの怒りをきかなくてすんだけど、相手のお母さんも私のお母さんくらいうるさい。

きっと、私になったあの子も怒られてたんだろうけど…ね。

まあ、あの後、すごく仲良くなったんだけどね。


でも、それでいいのかな?

確かに、相手の立場になってみるのは大事だし、分かり合えるようにはなったと思う。

でも、毎日のように報じられている、「入れ替わり」による事件をみるとそうともいえないのかもしれない。

入れ替わっていたことを知らず、裏切られたと思い込んで恋人を刺してしまったとか

未成年になっていることを知らずに酒を飲んだりタバコを吸ったりしてしまったとか、

入れ替わった社員がトラブルを起こして会社を倒産させてしまったとか…。

今ではほとんどなくなった交通事故より多いらしい。

人々は自分の身近の人以外をもっと信じなくなってしまったのかな?


いくら「入れ替わり」が自由にできるといったって、お互いの同意がないといけないし、 “証明書”を持たないといけない。

だけど、重いし、相手(つまり、自分がなっている相手)の情報も書かれてる。

それに、持たなかったとしても、道でおまわりさんに呼び止められることはまずない。

だから、誰も持ち歩いていないようだ。

小さな端末でもいいけど、なくしたときや壊してしまった時が怖いのかなあ…?

今の社会って、便利さよりも安全を最優先するからいやだ。

不審者を恐れて放課後に遊ぶこともできないし、先輩の通ってる高校の文化祭にすら行くことができない。

だったら、どこで遊んだらいいの?

人と付き合ってはいけないの?

ひょっとして、前よりひどくなったんじゃない…?

マンガやアニメだと、入れ替わったことを言わないでおこうとするし、

誰かに「入れ替わっている」ことを言うのは知っている人でも勇気がいる。

年寄りの中にはそういったことを知らない人もいるらしい。

きっと、あの子たちも証明書を持たなかったから、間違われたんだろう。

幸い、「入れ替わった」相手だったからまだよかったけど…。


しかも、それがカンタンになってからはもっとややこしくなった。

犯罪がばれないようにしたり、誰かをいじめるためにムリやり「入れ替えさせて」、相手がこまっているのを見て楽しむ人が出たのだ。

そうなると、同意や証明書は意味がないし、いつ誰かと入れ替えられてもおかしくない。

それに、最近、相手の姿で自分の家に帰ってしまうこともよくあるとか。

でも、相手の服なんて自分の家にあるわけないし、何も着ないでいくわけにもいかない。

だから、とりあえず自分の服を着ていって笑われる…。そんなとこかな?

トイレなどにかけ込んで確認するという方法もあるけど、自分が今、男なのか女なのかもわかんないのに、それはやりづらい。

だから、自分が今、誰になっているかがわかんないのも無理はないのかも…。


そういった人たちのために、町じゅうに大きな鏡があったらいいな…。

これなら、自分が今、誰になっているのかがすぐにわかるし、自分の家に帰ってしまう心配もない。


そこで私は、小さな工場で働いている父に、自分のアイディアを言ってみた。


(以下次回)





予告

次回の理論は、番外編(その2)です。テーマは、今年で30周年を迎えたあるものについて…です。

お楽しみに。