特別企画 「入れ替わり」を定義する 第7回 事典は「入れ替わり」をどう説明したか(最終回) 6.アンサイクロペディア http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%85%A5%E3%82%8C%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A (時々つながらないこともあるため、注意!) 最初、これについて論じるべきかどうか、ホントーに迷った。 セーカクさをほとんどムシしてユーモアにジューテンを置いたそのナカミは論じられるものではないし、論じるべきものでもない。が、ウィキペディアのパロディーサイトなだけに、前回、前々回で取り上げた本家ウィキペディアと比較してみるのも面白いものダ。そーするコトに依って何かミエテくるカモ知れないカラ。 んなわけで、その記事のセーカクさを無視することをゼンテーとし、サンコー程度にブンセキすることにキメた!ただし、同百科事典のホーシン「嘘を交えたユーモラスな記事を書く」にならって、ユーモア(?)あるヒョーロンを心がけるとゆーことで…。 ストレートにここでいう「入れ替わり」だけ!! 「ナニモノかがウィキペディアに「入れ替わり」の項目を執筆しましたが、要出典厨・削除厨の暗躍により削除されてしまいました。」―本家ウィキペディアで「入れ替わり」が削除されてしまった件はこのサイトにとってもキョーミ深いことだったらしい。まあ、ジブンのところが削除されると思っていたかどーかは別としても。もちろん、ウィキペディアから削除されようとも、 コノ記事ニハ関係ナシ! よーするに、マジメ(というのも疑わしいが)な百科事典ではアウトだが、パロディーのネタとしてはOK、ノープロブレムってことだろう。まあ、そーいった前置きはさらっとすませて、どうセツメーされているかに移ることとしよう。
フィクションとしての「入れ替わり」だけを取り上げてんのは本家とおんなじ。ただ、国語ジテン的用法&その他の「入れ替わり」は完全ムシ!して、ストレートにここでいう「入れ替わり」だけ!そして、本家が「物語の要素」としているのに対し、こちらはズバリ「現象」だけ!!つまり、フィクションの世界のものだということは、言わずとも暗黙のリョーカイなのだ!
原因にニホン的要因を感じるのはサテオキ、「肉体に瞬間的に負荷をかけることによって生じる臨死体験が深く関与しているものという説がもっとも有力視されている。」ってことは、リンシ体験って、本当にタマシイが抜けることだよね? まあ、フィクションには現実のホーソクっちゅー交通ルールを無視しホーダイだろーけど。んなことはサテオキ、アクシデント的な超自然現象とシカ認識してないのは視野がセマいぞ!「石段落ち」「石段ネタ」ッてヒョーゲン使ってるのは見たコトないし…。(TSF好きもそうでしょ?) 本家ウィキペディアでは「はっきりしていない」と断言していた「入れ替わり」の起源についても、コノ記事によると「かの英雄王ギルガメッシュも敵対する神の呪いから身をかわす為、友好的な神の助けをかりて妻と入れ替わったのはいいが、そのまま元に戻れなくなったいう逸話が残っている。」と、神話のジダイにまでさかのぼるラシイ。ただ、コレハすご~く怪しい。第一、そういった話があるのかどうかは確認できなかったシ、ほとんど研究が行われていないからデタラメが通じるってだけ?その点で、私が今(この連載を書きながら)書いている卒論のテーマ「文化祭・学園祭」も変わンナイかも? 誇大評価され、ノンフィクションとなった『転校生』 『転校生』こそ「入れ替わり」の元祖である。それが大ウソだとゆーことはTSFマニアはご存知だろうが、世間一般にはこんなフーに考えられているらしい。まあ、同作で「入れ替わり」について知った人も多いだろうから、誇大ヒョーカしたくなるのはカンカク的にもわからない…でもないが。 が、このサイトは常識をしのぐ誇大ヒョーカぶりだ!「草分け的存在ということもあり転校生からの派生が多く生まれているため、入れ替わりに関する一般の認識は、男女が入れ替わるということに限定される傾向があり、」とより高められているバカリか、まるでサクヒンそのものがジジツであるかのように書かれているユニークさがそこにある。
あまりにもバカバカしすぎるので、これについてはノーコメント!でも、『転校生』こそ元祖だと考えているのだけは、いやでもわかった、ハイハイ…。
ナイヨー自体の正確さは完全ムシ。でも、ココだけは突っ込める。確かに、日本における「入れ替わり」が「広く認知され」るよーになったきっかけはサテオキ、現時点では研究どころか、せいぜい個人レベルの探求テードだろーな。未開拓の分野だけにこれからのハッテンとケンキューを期待したいところ…だけど、その萌芽すら見えないのは、呆れるほど低いこのレンサイのアクセス数(通常時、1日20~50アクセス未満)がショーメー済み…。もうすぐ「転向せい」? 常識をもくつがえす記述
「実体二元論」でない「入れ替わり」はゾーキ移植みたいなものか?でも、拒絶ハンノーはどうした?第一、あれだってリンリ的問題だらけだぞ。それに、ジンコー的に作り出すことができるよーになれば、いずれ「21セーキショトーにはビョーキのヒトにヒトのゾーキやケツエキをイショクするという、ヒーニンゲンテキなシュジュツがオコナわれていました」って書かれることにナッテルかも?オソロシヤ、オソロシア…。ただし、ここでいっているものはソーイッタ技術的なモノではないのであしからず。
リピートもそろそろヤメタイが、このサイトにおける「入れ替わり」とは、ゲンショーとしてのものなのだ!!でも、調査の主体がコーローショー?しかも、60件150人前後?こんなに起きていたら、テレビでチョージョー現象って取り上げられたっておかしくないし、「入れ替わり」が発生しても誰も信じてもらえないという、フィクションではおなじみのストーリーもつくづくナンセンスに?ヒミツにするどころか、ギャラ欲しさにかえってアピールしたくなるんじゃないの?でも、2003年からって遅すぎない? ココだけは細かいんだよな…。 結びはナゼか「入れ替わり」の傾向、ヨーするにドンナ組み合わせがあるか。それもやけにクワシイ。「人間と動物」や「人間と非生命体」についてここまで分析しているのもほかにないだろーし…。ただ、どこまでゲンジョーを反映しているかは不明。文中の「7割」とか「3割」なんて疑わしいぞ。各パターンごとのケーコーもかなり偏っていそーだし…。ま、どんな作品もナカミは別としても、現実とどっかでつながってんのは事実だろーけど。 記事の信ぴょう性にはノーコメント(笑)として、ヒョーロン(?)中心にしたけれど、「嘘を交えたユーモラスな記事を書く」という、同百科事典のホーシンがよく表れているのだけはワカッタ。ハイハイ…。 コンカイは以上!今回まで、ネット上のいろいろなサイトから、「入れ替わり」がどのようなものだと定義され・説明されているのかについて考えてみた。時間の都合上、英語のサイトの記事の分析ができなかったのはさておき、ここでは、日本人の「入れ替わり」観、つまり、「入れ替わり」についてのイメージや日本で発表された作品の傾向、ネットにおけるイメージについて分析したいのだからこれでいいのだ(バ○ボンのパパじゃないけど…)。ただし、連載は次回以降も続くので念のため。 ※前回の補足 前回の連載で取り上げた、テオフィル・ゴーティエ(Théophile Gautier)の小説「アヴァタール(Avatar )」は、日本語の翻訳では「化身」と訳されているそうだ。本来ならば、日本語版の翻訳の題名をのせるべきであったが、調査不足により見落としていた。って、まだまだ出てきそーだな…。 |