特別企画

「入れ替わり」を定義する



第3回 事典は「入れ替わり」をどう説明したか(上)


従来の国語辞典 Vsネット百科事典―削除された項目をめぐる問題

フィクションは「入れ替わり」を、「相互理解」やコメディーなど、ストーリーを展開するためのネタ、つまり、表現したいテーマや要素などを引き出すための一つのシチュエーションとして扱ってきた。

それも無理のないことで、「入れ替わり」自体が現実にはありえないことなのだから、作品中で「入れ替わり」とは何なのか、それを成り立たせるためにはどういった条件が必要かといったことを問う必要はない。当然、フィクションでは、当事者や周囲の反応などをいかに表現するかが重要となってくるし、アクシデント的な要素があり、当事者にも周囲にも「入れ替わった」ことが理解できないものとして描いたほうが、ストーリーを展開しやすく、人々に受け入れられやすい作品になるのはいうまでもない。

だから、フィクションでは、そういった問題は無視ないし軽視されてきたのだが、かといって、過去「入れ替わり」について説明し、定義しようという試みが、全くなかったわけではない。その舞台の中心となるのは、ネット上の百科事典で、これらのサイトのいくつかには、「入れ替わり」という項目が設けられている。このようなサイトで扱われること自体、「入れ替わり」に対する世間の認識が高まってきていることの表れだといえるし、フィクションにおける扱われ方や世間の認識・考えなどをも反映しているという点で、無視して通ることができないものだといえる。

しかし、ここでいう「入れ替わり」という用法が、認められているのかというとそうではなく、伝統的な辞典・事典とオンライン百科事典との対決だといえる側面もある。そのことをよく表しているのが、世界的に有名なオンライン百科事典「ウィキペディア」の日本語版で、「入れ替わり」という項目が削除されてしまったという“事件”である。

2006年ごろに書かれたこの記事は、掲載当初から「独自研究(信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語)」とされていたが、昨年の11月14日に削除されてしまった。同記事の「削除依頼」では、


「大辞泉・大辞林で分かるとおり、交代などを示す一般的な言葉であって、フィクション用語ではありません。」


と、大辞泉や大辞林などの国語辞典を例に挙げて、フィクション用語ではないと反論している。実際、百科事典や国語辞典などの伝統的な辞典、事典ではここでいうような「入れ替わり」としての用法は、当然のことながら掲載されていないし、そういった作品について分析した専門的な研究も知る限りでは見たことがない(だからこそ、私はこういったことを考えているのだが)。

かといって、執筆者が何も参考にしないでこの記事を書いたわけではなく、この後ふれる「物語要素事典」というサイトを参考にしたとしている。ただ、内容があまりにもかけ離れているので、当時「入れ替わり」について説明した、数少ないサイトであった「入れ替わりマニアックス」を参考にした可能性も否定できないものの、同サイトへの外部リンクは貼られていないし、同サイトの記事にもない内容も多いから、大部分は執筆者のオリジナルなのだろう。

その、無から有を作り上げるほどの記事の完成度には思わず脱帽してしまうが、その独自性が仇になってしまったことは否定できない。「物語要素事典」の記事は、あくまでも物語の要素についての紹介・分類しただけにすぎないので、詳しい説明や定義などといったものはされていないし、執筆者が仮に「入れ替わりマニアックス」の記事を参考にしていたとしても、他のメンバーはサイトそのものを知らなかった、もしくはサイトの存在を知らなかった可能性が高い。実際、ウィキペディアの「削除依頼」でも、


「愛知学院大学サイト内にある『物語要素事典』で触れられているのを見つけましたが」「内容は作品紹介であり、で本項目の内容を担保できるようなことは書かれていませんでした。」


として、信頼できるものとしては扱っていなかったし、ここでいう「入れ替わり」の用法や定義などについても


フィクションのいちジャンルとして存在するのは間違いないでしょうが、原状では削除もやむをえないと思います


と、そういったジャンルの存在については認めつつも、示せるだけの根拠が不十分として「削除もやむをえない」としていた。このことが、同記事が削除される要因になった直接的な要因と考えられる。ただ、現在ではここでいう意味で「入れ替わり」を取り上げるオンライン百科事典も増えているから、もう少し遅く執筆されていたならば、もう少し状況は変わっていたかもしれない。それだけに、残念としか言いようがない部分はあるのだが。

かといって、そういった作品を全く無視し続けているのかというとそうでもなく、現在は、新たに設けられた「人格の入れ替わりを題材とした作品」というカテゴリーにそれらをテーマにした作品が収められている。その理由を同カテゴリーの「ノート」では、


単に「入れ替わり」では「そっくりな外見の他人同士が入れ替わる作品」なのか、本カテゴリにある「人格の入れ替えが行われる作品」が明確でないこと、また入れ替わりという記事自体が削除されている現状では現在のカテゴリ名は不適切と思われるためです。


として、それ以外との入れ替わりとのまぎらわしさや「入れ替わり」という記事が削除されていることを理由にして設けたと説明している。確かに、「入れ替わり」という言葉は、入れ替わるものを示して用いるし、「入れ替わり」だけでは、特に関心のない人にとっては、何のことかさっぱりわからないだろうから当然のことだ。

ただし、ウィキペディアは「オンライン百科事典」であって国語辞典ではないし、アニメやマンガなど、一般の百科事典が扱わないようなマイナーなものも扱っている。また、「入れ替わり」を「人格や心、魂などが入れ替わる現象」という意味で用いることが定着している以上、少なくともマンガやアニメなどのサブカルチャーの用語としては、成立しているといえるため、この記事が削除されてしまったことには疑問も残る。

また、今のところ「人格の入れ替わり」という記事がなく、かつての「入れ替わり」という記事を復活させようという動きも見られない以上、「入れ替わり」についての定義と説明はされないまま放置されている。つまり、伝統的な辞典・事典とオンライン百科事典との対決は休戦状態にあるとしか言いようがないし、名前はあっても中身はないも同じで、誤った分類や思い込みにもつながりかねない。

さいわい、ほかのサイトでは、記事そのものが削除されるなどといったことは今のところないものの、統一された定義や説明が十分に形成されているとはいえない状態にある。そこで今回は、ネットの百科事典の記事を中心に、今まで「入れ替わり」はどのように説明され、定義されてきたのか、そして、それらの記事の中で矛盾しているものや、無視されているものは何なのかについて考えてみることにしたい。


参考:ウィキペディア「入れ替わり」の削除依頼

http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E5%85%A5%E3%82%8C%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A

同:ノート:人格の入れ替わりを題材とした作品http://ja.wikipedia.org/wiki/Category%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E3%81%AE%E5%85%A5%E3%82%8C%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%82%92%E9%A1%8C%E6%9D%90%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BD%9C%E5%93%81


1.物語要素事典

http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/i2.htm#irekawari


特徴…物語によくみられるストーリーのパターンについて数多く紹介、「入れ替わる」ものと「入れ替える」ものの区別を不完全ながらしている。

欠点…定義といえる定義がされず、単なる紹介に終わっている。


このサイトは、愛知学院大学の神山重彦氏が、フィクションでよく用いられているストーリーのパターンを分類したもので、「入れ替わり」以外にも様々なものが紹介されている。実際の作品例を挙げているだけあって、感覚的にはわかりやすいものに仕上がっているのが特徴だが、若い人にはなじみのない作品のほうが多いかもしれない。

注目してほしいのは、ここでいう「入れ替わり」にあたる3a、4aの両者についての表現である。一方は『転校生』を例に挙げ、「身体と心が入れ替わる」と表現しているのに対し、もう一方は『スター・キング』を例に挙げ「心が入れ替わる」と表現している。

前者は「入れ替わってしまう」もの、後者は「入れ替える」ものなので、その違いをなんとかしても表現したかったのだろう。一般には両者を「入れ替わり」とひとくくりにする傾向にある中、このような区別をした点は評価できるのではないだろうか。

ただ、前にも述べたように、この記事は、作品紹介を含んだ、単なる物語の要素の分類にとどまっているので、詳しい説明や定義などがされているわけではない。だから、ストーリーが成立する条件は抜きにして、あくまでも「入れ替わり」という物語の類型があるということだけを示したというべきだろう。


2.ピクシブ百科事典

http://dic.pixiv.net/a/%E5%85%A5%E3%82%8C%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A


特徴…非常に簡潔で、忙しい人にもわかりやすい。

欠点…『転校生』や「使い古されたもの」という先入観にとらわれ、否定的なものとしてとらえている。


次に、ピクシブ百科事典製作委員会が提供するオンライン百科事典、「ピクシブ百科事典」の記事についてふれることにしたい。

今回紹介する「入れ替わり」についての記事の中では最も短いもので、非常に簡潔に書かれているが、それだけに内容もあいまいで、思い込みの強い記事になってしまっていることも否めない。

同百科事典では「入れ替わり」についての定義を、


双方の魂が交換されることによって起こる架空の現象。


と、「入れ替わる」ものを「魂」とし、それが「交換されることによって起こる架空の現象」だと説明している。もちろん、日本の作品において主流となっているのはアクシデント的な要素の強い現象によるものだし、多くの場合、二人の間で生じる。ところが、その中には「現象」というよりも、技術や呪術、能力などといった「人為」に近いものも含まれているから、必ずしもすべての作品にこの定義があてはめられるわけではない。

記事が簡潔なのは評価できるにしても、あまりにも簡潔すぎて、フィクションにおけるさまざまな「入れ替わり(入れ替え)」の一側面しか言い当てていないというデメリットは否定できないし、フィクション全体を見て分析したのではなく、ある偏ったジャンルの作品だけを見て分析したのではないかと思われる部分もある。文章が非常に短いので、何をもとにしてそう言っているのかについてはふれられていないものの、以下の記述からそのことが推測できる。


入れ替わりを主題とした作品はまだまだ少なく、所詮おまけエピソードとして採用される程のところで留まっているのが現状である。


執筆者はおそらく、「入れ替わり」を使い古されたシチュエーションだと考え、二次創作や同人誌、4コママンガなどを見てそう分析したのだろう。この表現を見ると、「入れ替わり」がいまだにマイナーなテーマであるかのように思われている要因には『転校生』のイメージや「使い古されたもの」という先入観が、今なお強く残っていることが大きいが、若い世代にはそのような考えは薄い。

一昔前と違い、最近ではマンガやアニメでも一エピソードとして扱われていることが多いし、小説やドラマでは「入れ替わり」を中心にストーリーを展開した作品も増えてきているからだ。(それよりも、登場キャラクターの性別を反転させる「性別反転ネタ」のほうが、よりこの説明に当てはまっているのかもしれない)。

もちろん、世間の「入れ替わり」に対する認識には、思い込みも多いのだが、「所詮おまけエピソードとして採用される程のところで留まっている」というのは、過去の状況でしかないし、「入れ替わり」に対して、否定的なイメージを持っている感じもする。そのため、「だんだん増えてきてはいるが」という記述がほしかったように思われる。


3.ニコニコ大百科

http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%85%A5%E3%82%8C%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A


特徴…「入れ替わり」の当事者の反応や行動などを的確に紹介

欠点…現象としてのもの、特に映像作品に偏っている、一項目が長くわかりづらい。


「ピクシブ百科事典」が「入れ替わり」の一側面しか当てていないのに対し、「ニコニコ大百科」の「入れ替わり」の項目は、さまざまな「入れ替わり」についてふれている。

最初に国語辞典における「入れ替わり」の意味について説明し、次に、創作作品(フィクション)における立場の入れ替わりを説明した後、ここでいう「入れ替わり(創作作品における「心の入れ替わり(体の入れ替わり)」)」の説明がされている。

この「心の入れ替わり(体の入れ替わり)」に記事の大部分が割かれていることが大きなポイントで、それだけフィクションにおいてはここでいう「入れ替わり」の存在感が大きいことを意味している。

それに加え、記事の内容や表現も正確でわかりやすく、なおかつ、両者のバランスが取れている点も評価できる。同サイトでは「入れ替わり」を


二人以上の人間の体・心が入れ替わる現


とし、


A君とB君がいた場合、A君の心がB君の体に入り、B君の心がA君の体に入ること。」


と、入れ替わるものを「心」とし、それが互いの体の中に入る(入れ替わる)ことによって成立する現象だとしている。この説明が適切かどうかはさておき、「入れ替わり」に限って言うならば、的確でわかりやすい説明であることは確かだし、「魂と肉体が交換…」という表現も使われているものの、一般によく用いられる「心と体(あるいは体と心)が入れ替わる」という表現ではなく、「心の入れ替わり(体の入れ替わり)」という表現を用いていることも評価できる

それに加え、入れ替わりの発生する状況や当事者の組み合わせなどのパターン、当事者の反応や行動などの記述も、世間一般のステレオタイプや思い込みに陥ることなくまとめている。ただし、その特徴を一つにまとめてしまったために、どこに何が書いてあるのかややこしく、カッコがやや多いために、読みづらいという欠点がある。以下に引用した部分には、誤解されかねない記述があるのだが、おわかりだろうか。


特に男女間での入れ替わりの場合は入れ替わった互いの人物がそれぞれの身体に驚いたりする(あるの物が無い、若しくは無いの物がある)のは序の口で、女性が自分を「」と呼んで気のある雰囲気になったり、逆に男性が普段と打って変わって女々しくなったり(そして双方とも、声は普段のまま)という差が好評である。


動画サイトの事典ということもあって、映像作品に内容がかたよっているのは仕方ないとしても、引用文中の「双方とも、声は普段のまま」という設定が「好評である」という記述には引っかかりを感じる。おそらく「入れ替わり」の非現実的さをいっそう強調し、面白く、そしておかしく見せるための手法なのだろう。体だけが入れ替わるという設定(表現方法)は、相互理解をテーマとした作品よりも、コメディーを重視した作品に多くみられる。

しかし、声は体(声帯)から発せられるものだから、体、あるいは心が入れ替われば同時に声も入れ替わる(つまり、相手の声になる)と考えるのが自然だし、あまりにも違和感があるばかりか、見方によっては「入れ替わり」そのもの以上に非現実的だと受け止められるかもしれない。そのためか、「入れ替わり」やTSFが好きな人でも、この表現方法が嫌いな人は少なくないし、どういった人たちが「好評である」と考えているのかについてもふれられていない以上、やや疑問にならざるを得ない。

また、「現実には存在しない」ことを前提としているため、フィクションにおける技術的なものや呪術的なものについては説明されていても、現実の医学的・技術的なものについてはふれられていないし、「入れ替わってしまう」ものと「入れ替える」ものの区別もされていない。それに、当事者の反応や「入れ替わり」の原因について詳しく書かれている一方で、ストーリーの流れ(パターン)についての説明がないなど、ところどころネジが抜けたような記事になっているのが惜しまれる。




※本来は、1回でまとめようと思ったが、あまりにも長くなってしまうので、2分割にした。次回は、「入れ替わり」を扱った作品の総本山(?)、「入れ替わりマニアックス」と、今は無き「ウィキペディア」の記事を分析してみることにしたい。