特別企画

「入れ替わり」を定義する


第1回 「入れ替わり」を定義する、ということ


「体と心が入れ替わる」「肉体交換」「精神交換」「スイッチ(スウィッチ)」「人格が入れ替わる」「体が入れ替わる」「心が入れ替わる」「魂が入れ替わる」…。

最近は、ネットを中心に「入れ替わり」というシンプルな表現も定着しつつあるとはいえ、その表現は、相変わらず多様だ。「心と体が入れ替わる」や「魂が入れ替わる」のように、もはや定着したといえるものも少なくないし、最近アニメ化された「ココロコネクト」の影響もあって、「人格入れ替わり」という表現もいずれ定着することになるかもしれない。

もちろん、私はその多様性を否定したいわけではない。季語が豊富なことが、俳句や短歌という文化を生んだように、そのような表現の多様さが、日本の作品において「入れ替わり」を発展させたとも考えることができるからでもある。このことは大切にされなければならないだろう。

しかし、今まで、多くの作品で描かれてきた「入れ替わり」そのものが何なのかを説明することは、そう簡単ではない。もちろん、「入れ替わり」は、「広辞苑」などの事典では相変わらず旧来の意味でしか使われていないが、百科事典的なサイトでは扱われてきたし、ここで取り上げる「現象」を指す用い方も、一般的とはいえないとはいえ定着したといえよう。

しかし、その実態はというと、「「入れ替わり」とは何か」ということがあいまいなまま用いられ、各個人が好き勝手に「入れ替わり」を説明しているようなものにすぎない。実際、数多くある「入れ替わり」に関する表現それぞれについて詳しく分析・検証したという話は聞いたことがないし、納得できるだけの定義にはいまだにお目にかかったことがない。

では、なぜ「入れ替わり」はなかなか定義されないのか?それは、「入れ替わり」を実際に観察したり、発生させたりすることができないことにあると考えられる。

確かに、「入れ替え」は、技術的にも実現していないばかりか、現時点では、科学的に実現させるための理論も発見されていない。ただし、20年近く前に、メディアアーティストの八谷和彦氏が「視聴覚交換マシン」という、疑似的な「入れ替え」を体験できる機械を作っているので、厳密にいうとこの主張は正しくない。とはいえ、日本では、技術として認識されることよりも、アクシデント的要素の強い「現象」として認識されることのほうがはるかに多いので、これを「入れ替わり」だと認識するのには無理があるだろう。

さらに、作る側がその発生方法や性質などを好き勝手に設定することができ、「入れ替わる」ものがあいまいでもストーリーを成り立たせることができるということも、その定義を困難にしている。ただし、技術的なものを用いた作品が多い欧米とは違い、日本の作品は「アクシデント的要素の強い、不可逆的な現象」というパターンの中に収まっている。このパターンは、『転校生』や『山田ババアに花束を』などの往年のヒット作の影響を強く受けたもので、「入れ替わり」の一般化や多メディア化、日本の作品における発展にも大きく貢献したことは否定できない。

その一方で、このようなパターン化は、「使い古されたもの」というマイナスのイメージを与える結果にもなった。しかし、最近では、庵田定夏の小説でアニメ化もされた『ココロコネクト ヒトランダム』のように不定期に短時間で入れ替わるものや、吉川美希のマンガ『山田くんと7人の魔女』のようにキスで入れ替わるものなどといった、新しいタイプの「入れ替わり(入れ替え)」も登場し始めている。これらの作品も、間接的には『転校生』などの影響を受けていることは否定できないが、それまでのパターンを消化したうえで、今までにないパターンを作ったということは、誰しも認めることだろう。

しかし、どんなに画期的なパターンが生まれたとしても、入れ替わった原因やその性質を定義することはできない。作ろうと思えば、無数のパターンが想定可能な以上、定義しようにも定義しきれないし、「入れ替わり」そのものが、現時点では非現実的なものとしてとらえられている以上、定義する意味はないからだ。

また、この連載の最大のテーマである、当事者が置かれる「入れ替わっている」という状況や、「入れ替わり」で入れ替わるもののような、多くの作品において共通していることも、この連載で完全に定義してしまうことは、とてもできそうにない。ただ、定義が困難だといっても、仮の結論を出すことぐらいはできるだろうし、中には判断に苦しむものや、その意味を考えることなく、誤った意味で用いられていることも少なくない以上、「入れ替わり」とは何かを定義することは、作品を理解するためにも必要だと私は考えている。


次回は「入れ替わり」を定義するための条件について考えてみたいと思うが、今まで考えられたことがない以上、今までにない視点、少なくとも「入れ替わり」を考えるためには用いられたことのない視点が必要となってくる。その視点は、大きく分けて三つあるのだが、この次はまた次回としたい。


今後の予定(変更の可能性大)

第2回 定義するための条件と課題

第3回 事典は「入れ替わり」をどう説明したか

第4回 「心と体が入れ替わる」という矛盾

第5回 入れ替わるものは何か

第6回 入れ替えられるものは何か