「入れ替わり」とは何か

第1部 

「入れ替わり」モノ大国のフロンティア―「入れ替わり」は学問になりうるか?



第5回 マスメディアは何を伝えたのか?(その1)

従来のマスメディア、つまりテレビやラジオなどといった放送と本や雑誌などといった出版は「入れ替わり」の発展と定着にどのような役割を果たしたのか?

そんなこと、当たり前だと馬鹿にされてもしょうがないような、ものすごく些細な問いだと思われるかもしれません。でも、これがあんがい重要な問いなのです。というのも、インターネットでなぜ「入れ替わり」が大きな発展を遂げたのかということを考える上で、


・インターネットと従来のマスメディアにおける扱いは何が違うのか?

・従来のマスメディアは「入れ替わり」をどのようなものとみなしてきたのか?

・従来のマスメディアは何を扱ってこなかったのか?


といったことを無視しては通れないからです。

実際のところ、あまりそういう感じはしないのですが、インターネットは一般にマスメディアの一つだと認識されています。確かに、不特定多数の人が見るという点や、従来のマスメディアもインターネットを利用しているという点では、マスメディアだといえるかもしれません。しかし「入れ替わり」という視点で見る場合、これには少し無理があるといっていいでしょう。それが特に顕著に表れているのが、作品についての評論や分析です。

これについては次回検証する予定ですが、従来のマスメディアでは、そのほとんどが特定の作品の宣伝に置かれているのに対し、インターネットでは、複数の作品にまたがる感想や「入れ替わり」そのものにスポットライトを当てたものも散見されます。しかも、インターネットと従来のマスメディアにおける扱いは大きく違っているのに対し、従来のマスメディアである放送と出版の扱いはあんがい似通っています。

それも無理はありません。なぜなら、従来のマスメディアは、小説が映画化されたり、マンガがアニメ化されたり、ドラマ化されたりと、一つの作品が複数のメディアにまたがることだって珍しくないのですから。これは「入れ替わり」モノも例外じゃありません。『転校生』はいうまでもなく『パパとムスメの7日間』『ココロコネクト』、そしてマンガやアニメの一エピソード…。原作小説やマンガだって有名ではありますが、映像化されるとますます話題になっているように感じます。

もちろん、作品が人気を博していることや原作をもっと面白いものにしようという、作る側のチャレンジ精神は私も認めます。でも、全体的に一エピソード、それもコメディー・ギャグ重視のものが圧倒的に多いがゆえに、そしてキャラクターという視点で見るのならばさておき、ストーリーという視点で見るならば、一つのお決まりのパターンを少しいじくるという方法が定着しているがゆえに、映像化してもどこかぱっとしない、なんてこともよくあります(もちろん、そんな批判は言いたくても言えませんが…)。だから、マスメディア全体の状況が似通ってきたってちっとも不思議じゃないのです。


それはともあれ、


・インターネットをマスメディアとみなすのにはちょっと無理がある。

・放送と出版は原作の映画化、アニメ化、ドラマ化という形で密接に絡み合っている。

・だから、インターネットと従来のマスメディアは大きく異なっている。


ということもあって、今回、インターネットの状況について考察する前に、少し回り道をして、マスメディアの状況を先に考察することにしたわけです。


時間の重みと信頼性・なじみ深さの関係

インターネットと従来のマスメディア、この両者の最大の違い、なおかつその中心ともいえる違いとして挙げられるのは、ズバリ、時間の重み、つまり登場してから、もしくは普及してからどれだけの時間がたっているのかということです。

Windows95の発売で、インターネットが一般に普及してから、あと2年でやっと20年。それに対し、テレビは今年で放送開始60年、映画約百年、出版数百年…。「入れ替わり」にどれだけの歴史があるのかはさておき、インターネットが誕生する前から、数多くの「入れ替わり」モノを生み出してきたのは、出版や放送をはじめとする従来のマスメディアだったということはいうまでもありません。それに、作品を発表するという役割においては、今なおほかのメディアの追随を許さないといってもいいでしょう。

これは、メディアに対するイメージや信頼性、そしてなじみ深さとも直結しています。インターネットは成人向けのサイトやきわめて特殊な嗜好のサイトが多く、有害な情報も少なくないことから、今なお、情報の正確さや危険性がよく問題視されます。言い換えれば、瞬時に情報が得られるというメリットにはあずかりたいけど、一方で不気味なものとしてとらえている、そんな人も多いのではないでしょうか。

その気持ちもわからなくはありません。登場してまだ浅く、多くの人たちにとって、物心ついた時にはすでにあったものではなかった(物心ついたときからあったといえるのは、今の20代後半以下)。しかも今までなじんできた手紙やテレビなどに比べれば、操作も複雑なので、よくわからないものとしてとらえられてしまっている(「最近の若者は…」と嘆かれることの多い、年長者から見た若者と同じく)。その上、急に登場し発展したので、使い方やモラルもマナーも確立していない(著作権なんてその代表例!)。こういったところに不安と不気味さの原因があるのでしょう。

もちろん、従来のマスメディアにも、やらせや誤報などがないわけではありませんし(「あるある大事典」なんて懐かしいでしょ?)、数字や効果などが誇張して伝えられるという問題点もあります。それに、メディアリテラシーが問われているという点ではインターネットと変わりません。とはいえ、多くの人たちにとって物心ついた時からすでにあり、長年親しんできただけに、その信頼性は一般にインターネットよりも高いものとみなされています。

その上、名前の通り「マス」、つまり「大衆」とあるように、そのコンテンツは多くの人に見てもらうことを前提としています。だから、いくら作品の質を心がけようとしても、視聴率や広告収入が第一になってしまい、センセーショナルなものになったり、けが人が出たとしてもおかしくない危険なもの、そして「教育上よろしくない」といわれたりするような、過激なものに偏ってしまうのですが、不健康な食べ物やファッションにも人気があるように、不健全なメディアにも人気があるものです。

その証拠に、これほどまでにさまざまなメディアがあふれ、視聴率や広告収入の低下などが問題とされている中でも、何十万、何百万、時には何千万という人々が見たり聞いたりしており、人々の話題の中心の一つとなっていることからしても、その影響は絶大です(ただし、ナイフや暴力シーンの影響、とまで行くと行き過ぎのように思いますが…)。もちろん、これはテレビ番組に顕著な傾向ですが、小説やマンガだってその傾向はあるでしょう。これほどまでに浸透した今なお、ライトノベルやマンガと聞くと、けむたい顔をする人もいるのですから…。


この点では「入れ替わり」にも、同じようなことがいえるでしょう。普段意識されることはありませんが、私たちの「入れ替わり」に対するイメージは、すべてとは言わなくとも、従来のマスメディアによってつくられた、つまりマスメディアでの扱われ方・描かれ方と私たちのイメージがほぼイコールといっても過言ではないくらい、大きな影響を受けています。それに「使い古されたもの」と否定的にとらえている人も決して少なくありません。そして、それが顕著に表れている要素は…。


(以下次回)