「入れ替わり」とは何か

不定期連載企画

テンコウセイズムの検証―映画『転校生』はいかにして元祖になりえたか



はじめに

これほどまでにベタな設定となり、使い古されたものとか、王道の展開などと呼ばれ、賛否両論こそあれ、今なお健在かつ、幅広いジャンル・メディアの作品で用いられ続けている「入れ替わり」。そのことを語る上で欠かせない、金字塔かつ元祖的存在で、日本における「入れ替わり」の代名詞にもなっているのが、皆さんもご存知の大林宣彦監督の映画『転校生』です。


山中恒の小説『おれがあいつであいつがおれで』を原作とする同映画は「時をかける少女」や「さびしんぼう」と並んで「尾道三部作」と称され、大林宣彦監督の代表作、そして、日本映画の名作の一つとしても高く評価され、2007年には『転校生 さよならあなた』というリメイク版がつくられたことは記憶に新しいと思います。しかし、それ以上に私たちにとってなじみ深いのは、日本における「入れ替わり」モノの元祖として、また「入れ替わり」の代名詞やイメージとして今なお強い影響力を誇っていることでしょう。


同映画の公開から30年が過ぎ、ここ10年の間に毎年のようにメインテーマに据えた話題作が生まれている今なお、同映画のストーリーは潜在的ながらも影響を与え続けていると考えられますし、コメディー・ギャグ中心の作品では「男女の若者が階段から転げ落ちて入れ替わる」という設定は、衝突に並んでメジャーな設定になっています。そればかりか、そのタイトルは「入れ替わり」モノが登場するたびに、特に男女間の場合には必ずといっていいくらいに引き合いに出されるくらいです。


おそらく、公開当時「入れ替わり」という設定が強烈なインパクトをもって受け止められたことや、映像作品だけにイメージになりやすかったこと、また、男女の性や相互理解などといったテーマが盛り込まれるなど、作品としての完成度が高かったからでしょう。その証拠に、数多くの「入れ替わり」モノが生まれている今なお、これほどまでによく引き合いに出される作品はほかにありません。


そういったことからしても、同映画はもはや、日本人の「入れ替わり」に対するイメージそのものだといっても過言ではありません。しかし『転校生』のストーリーと、一般的なイメージとして定着している「入れ替わり」モノのストーリーには相違点も少なくありませんし、同作が「入れ替わり」モノという視点で語られると、石段から転げ落ちて「入れ替わる」という設定とシーンばかりが強調されるように、こういった状況を単に同映画の影響として受け止めるには、少し無理があるようにも感じられます。


だから、同映画はあくまでも記念碑やシンボルでしかないと私は考えているのですが「入れ替わり」自体が研究対象としてはみなされてこなかっただけに、その影響についての分析や検証は今までほとんど行われてきませんでした。その結果、イメージばかりが先走ってしまい、いつしか「入れ替わり=『転校生』」というイメージが無意識のうちに定着してしまっているのが現状だといえます。


では、こういった状況は本当に『転校生』によってつくられたものなのでしょうか?また、同映画は日本の「入れ替わり」モノに、どういった影響を与えたのでしょうか?そして、同映画による影響とそれ以後の作品による影響の境目はどこにあるのでしょうか?本連載ではそれらのことについて、「入れ替わり」モノの歴史やその背景、そして、作品の比較などを通して、検証してみたいと思います。


なお、本連載は不定期企画ですので、通常連載ができないときや、気の向いた時に掲載する予定です。あしからず。