「入れ替わり」とは何か

第1部 

「入れ替わり」モノ大国のフロンティア―「入れ替わり」は学問になりうるか?



第2回 見捨てられた「入れ替わり」

『転校生』の公開から30年以上が過ぎた今「入れ替わり」は、ポピュラーなフィクションの題材となり、近年では「入れ替わり」をメインストーリーに据えた、今までにない斬新なストーリーやキャストとそのパフォーマンスが印象的な作品が毎年のように発表され、人々の注目を集めています。

しかし、それは「入れ替わり」モノの再評価の一方で「入れ替わり」モノ自体の二極化ともいえるでしょう。皆さんも気づいていることでしょうが、こういった話題作が毎年のように生まれている一方で、皆さんが「入れ替わり」モノと聞いてイメージするような、コメディー・ギャグを重視したマンガやアニメの一エピソードは今なおその大多数を占めています。しかも、以前に増して増えているようにも感じます。

こういったことを言うと、まるで少数の富裕層と大多数の貧困層からなる格差社会のようですが、それも無理はないでしょう。なぜなら、両者はその性質を大きく異にしているばかりか、人々の受け止め方も大きく違っているからです。


作風が先か「入れ替わり」が先か

では、こういった違いはどこからくるのでしょうか?そのことを考える上で重要となってくるのは、作品で重視されるものと作品の長さだと考えられます。

前者は、過去の名作や近年の話題作の多くが、映画や連載ドラマなどであるように、その多くが長編もしくは連載で「入れ替わり」をメインストーリーに据えたものです。つまり、初めに作者の作風があって、その中で「入れ替わり」が展開されるといったところでしょうか。続編でもなければ、登場人物や設定はその作品のために新しく作るのが普通です。

それだけに、私たちのイメージにとらわれない、個性的な作品も多いのですが、登場人物の描写やストーリーなどにも精細さが求められるので、作品自体が長くなってしまいます。そのため、作るのにも時間がかかり、一話完結のエピソードほど気軽に扱えるものではないのが欠点だといえるでしょう。

それに対し、マンガやアニメの一エピソードでは、既存のキャラクターを用い『転校生』や『おれがあいつであいつがおれで』など、過去の名作をイメージしやすいようなストーリーを下敷きにして、アクシデント的な要因によって、強制的に「入れ替えられた」当事者の戸惑いなどといった、ドタバタコメディーやギャグ的な要素を重視する傾向にあります。具体的に言うならば、初めに「入れ替わり」モノというストーリーがあって、その中にキャラクターをあてはめていくといったところでしょうか。

もちろん、こういったストーリーには、コメディーやギャグの持ち味であるテンポの良さを発揮できるというメリットがありますし、こういったストーリーを「古典的」とか「王道の展開」と評価する人もいるように「入れ替わり」ネタが好きな人やドタバタコメディーやギャグが好きな人には受け入れられているといえる側面もないわけではありません。

それに加え、ラブコメにこういった作品が多くみられることや「入れ替わり」メインの長編・連載も1話完結のエピソードも共通してこういった要素を含んでいること、また「入れ替わり」をコメディー的なものとしてとらえる見方が今では一般的なものとなっていることからもわかるように、こういった作品は私たちにとってもなじみ深く、イメージとして定着しているともいえるでしょう。


短さはマンネリ化・軽薄化の元凶

ただ、話が複数話にまたがる場合を別とすれば、十数ページ・十数分でストーリーが完結するように話を展開しなければならないので、その中で表現できるものは限られています。そのため、当事者のドタバタを表現しやすい一方で「相互理解」などのテーマを表現するのには不向きで、作品中に盛り込んだとしても、そこに至るまでのプロセスなどが大きく省略されてしまい、取って付けたかのような出来合いのものに終わってしまいます。

こういった特徴ゆえに、ストーリーがマンネリ化したり、中身がない薄っぺらなものに陥ったりしがちですし『転校生』や『おれがあいつであいつがおれで』などの名作に比べると、はるかに見劣りのするものとして映っているのでしょう。人によっても好き嫌いが激しく、特に、単にキャラクターが好きな人や斬新なストーリーを求めている人には「使い古されたもの」と否定的にみられているようにも感じます。

もちろん、ある意味で思い込みだということは否定できませんし、近年の話題作のストーリーの斬新さやキャストの演技力などに対する、それまでのイメージとして述べていることも少なくないように、単に「入れ替わり」モノに対する否定的な見方をしているのではなく、コメディー・ギャグ重視の作品が人々の「入れ替わり」モノのイメージとして定着し、近年の話題作が受け入れられていることの裏返しともいえなくもありません。

けれども、テーマを表現するには短すぎ、コメディーやギャグとして軽くみられ、ナンセンスなものとか非現実的なもの、そして軽薄なものとしてイメージされているだけに、誰もそれについて真剣に考えようとは思わないのは当然のことでしょう。今まで「入れ替わり」がほとんど話題に上らなかったのは、そういった特性にあると思われます。ただ、この点では人々が関心を持っている、近年の話題作もまた、必ずしもそうではないように思いますが…。


(以下次回)