第10回 番外編(1)

「入れ替わり」と受験不正)

(入試の時期と『山田君と七人の魔女』に際して…)





先日(9日)、私の住んでいる県の公立高校の入試が終わった。

今年も多くの受験生が自分の志望する学校(そうとはいえないところも多いだろうが)の試験に向かって勉強し、試験に挑んだことだろう。念願の志望校に合格し、猛勉強から解放された春を謳歌している人、不合格でやむなく第2・第3志望に回った人、志望校に受からず留年が決まった人…。入試一つをとってもいろいろな”立場“がある。

入試それ自体にも多様な面がある。今までの勉強の総決算であり、全国の学生との決戦場であり、人生における重要な分かれ目であり、そして、学習塾や合格祈願グッズという一つのマーケットでもある。これほど多様な面を持つ“イベント”はほかにないだろう。


毎年、この時期のニュースの定番ネタとなる入試だが、今年(2012年)のセンター入試は、今までにないほど大きく取り上げられた。それは、皆さんもご存知のように、試験方式の変更によるトラブルで数千人という受験生に影響を与えたからだ。それまでも、英語のリスニングの機械の不調などが話題になることはあったものの、これだけ多くの受験生に影響が出たことは今までなかったという。

同時に、昨年(2011年)発生した、大学入試問題ネット投稿事件入試におけるカンニングなどを発端とする試験における不正対策も注目された。その後発生した3月11日の東日本大震災によって、報道は尻切れトンボに終わってしまったし、センター入試での問題配布ミスなどのほうが話題に上って、どこかかすんでしまったようにも感じるのだが、今年になって、その余波が復活したかのように取り上げられた。ご存知のように、京都大学など4大学の試験問題を、ケータイを使ってYahoo知恵袋に投稿したこの事件が与えた影響は大きく、今年のセンター入試では試験監督の増強や不正と疑われかねない行為への警告などを行った。特に、試験時間中のトイレ休憩などがかなり警戒されたという

日本で最初のケータイを使った試験での不正であるこの事件は、初め、どういった方法で問題が流出したのかが話題となったように、きわめて巧妙なものであったことは疑いようがない(ケータイを使った不正は2004年、韓国でも発生している)。しかし、不正をしたからといって、合格できたというわけではないのだが…。

ところが、こういった不正への対策は極めて困難なようだ。内容の傍受ができればいいのだが、「通信の秘密」などの制約があってそれができない。また、ある種の電波を発生させてケータイを使用できなくするという方式も、ほかの業務への影響が懸念されて見送られたという。このように、完全に取り締まることは事実上不可能なため、受験生の良心に期待するか、電源を切らせてカバンの中に入れたり、試験監督に携帯電話を預けさせたりする直接的な対策ぐらいしかないようだ。


でも、それでいいのだろうか?


これからもっと巧妙な方法が生まれはしないのだろうか?

不正対策は技術の進歩についていけるのだろうか?

その不正がもし、手軽に行えて、そうカンタンには発覚しないものだったら…?


もし「入れ替わり」が不正に使われたら?

もし「入れ替わり」が実現したならば、受験不正に使われるのだろうか?

そして、使われるとするならば、どういったことになるのだろうか?

この重大な問題は、「入れ替わり」が実用化された場合に起こるかもしれないことを考えるうえで、けっして避けて通ることはできない。そこで、今の受験シーズンにこの問題について考えてみたい。


私は、「入れ替わり」を使った入試での不正は間違いなく「起こりうる」、特に、技術が普及し、誰にでも可能な手頃なものになってきたころが危ないと考えている。

あるものが普及したころに、それを使って悪用する人が出る―そのようなことは歴史上何度も繰り返されてきた。おそらく、「入れ替わり」が実現した場合も例外ではないだろう。医学的な手術の場合には、少し考えにくいものの、ガソリンスタンドで車にガソリンを入れるように手軽なものとなれば(「ドラえもん」に出てくる「入れかえロープ」や「トッカエバー」のようなものを想像してくれたらよいだろう)、こういった不正はさらに増加し、問題は深刻化することだろう。

ご存知の方も多いことだろうが、受験生が別の人に依頼して受験させる「替え玉受験」という不正は現実にも起きている。過去に起きた有名な事件としては、のちにお笑いタレントとなった、なべやかんら20人が明治大学の試験で替え玉をした事件(明治大学替え玉受験事件 1991年)や、に中央大学理工学部の入試で、自身と替え玉の顔写真を合成した顔写真を貼りつけ、どちらにも見えるように偽装した替え玉受験(2009年)がある。

こういった「替え玉」に関する問題は、自由に「入れ替わり」が可能な状況を想定した場合、いっそう深刻化することだろう。もちろん、ここでいう「替え玉」とは違って、中身の「替え玉」のことを指すのだが…。

ところが、こういった問題はフィクションではほとんど考えられてこなかった。それも無理はない。アクシデントによる「入れ替わり」ならば、こういった不正に応用することなどできっこないからだ(「入れ替わった」原因やそれを起こす方法が分かっていて、意図的に行う場合はその限りではないが)。それだけ、「入れ替わり」と現実の社会は無関係なものとして描かれ、それが実現した場合にもたらす影響については無視されてきたといえる。

けれども、科学技術はどう進むかわからない以上、「入れ替わり」がもし現実のものとなれば、それを悪用した入試での不正が発生しないとも限らない。

では、それがもし行われたらどういったものになるのだろうか?

予測を始める前に言っておくが、ここで考えているのはあくまでも、現在主流となっている、あるいは主流になりつつある試験の方式の場合であって、それが実現したときに入試がどういった状況にあるかによっても、この予測は大きく変わってくることをお断りしておく。

今までの不正にないものとは?

最初に、「入れ替わり」による受験不正はそれまでに行われてきた(この文章を書いている段階で)不正と何が違っているかについて述べたい。

一言でいうならば、「外見はそのテストを受ける生徒だが、中身はそうではない」となるだろう。これは、今まで行われてきた不正にないものだといえる。カンニングの場合、カンニングペーパーやケータイなどの道具を用いた不正なので、受けるのは受験生本人だし、替え玉の場合は自分が試験を受けず、相手に任せて自分が受けたことにしている。つまり、不正をする受験生の外見と中身は一致しているか、まったく一致していないかのどちらかになる。

それに対し、「入れ替わり」を用いた受験不正は、当然のことながら、外見と中身が一致していない。つまり、受験票はおろか、本人の顔を見ただけでは、まったく替え玉かどうかわからないのだ。しかも、やっかいなことに、その人の「中身」は指紋や暗証番号と違って目に見えるものではないし、当事者ら以外からは、表現されたものによって間接的に推測するほかないので、見破ることは極めて難しいといえる。

カンタンでしかも発覚しにくい、受験生側からとってみれば、これほどおいしい不正もないことだろう。どんなに簡単な試験でも(特に倍率が高い場合やハードルが高い場合はなおさらだが)、100パーセント合格できるという保証はない以上、合格したいという気持ちがあるのは誰でも同じだ。当然、許されないことだから大声では言えないだろうけれど、代わってもらえるのなら代わってもらいたいと思う気持ちは誰にでもあることだろう。

もっと踏み込んだところまで行けば、必ず合格できるのならいくらでも金を出してもいいという気持ちの人だっているかもしれない(先に述べた「明治大学替え玉受験事件」でも、依頼人は相手に謝礼として900~1500万円という大金を払っていた)。しかし、こういったことは現実にはできないし、ばれれば重大な処罰を受けることは間違いない。そういったところに、「入れ替わり」という新しいツールが導入されれば、使いたくなるのは気持ちとしてはわからなくもない。

依頼人と入れ替わる対象として考えられるのは?

次に、こういった不正を行う場合、どういった状況にある人がどういった人と入れ替わることが考えられるかについて考えたい。

入れ替わってほしいと頼む人、つまり「依頼人」としては、成績が悪く、試験に合格できそうにない学生や試験の日に重要な用事ができて、試験を受けられない学生などが考えられる。カンタンに言ってしまえば「他力本願」の傾向にあり、自分がラクをして成果を得たいという気持ちの強い人が危険であり、当然、進学校よりも底辺校でそのような不正が行われる可能性が高いだろう。

一方、入れ替わる対象、つまり「替え玉」(とはいっても、現実に行われている「替え玉」とは違って、その人をつかさどる“何か”=中身のことを指すが)としては、受験生の兄や姉、その学校に通っている(知っている)先輩や推薦入試などですでに合格している同級生が考えられる。

特に危険なのは、試験当日、試験会場に行かない人だと思われる。入試当日は、その学校に通っている生徒は学校が休みになる。また、高校入試の場合、すでに推薦入試など一般入試以外で合格している中学生も、学校に行くことにはなっているが、実際のところ、何もすることはないに等しい。高校生や大学生であっても、遊びに行くところがあればいいのだが、ほとんどヒマになって、寝る以外にすることはないという人もいることだろう。

だから、つい、ほかの受験生を手助けしてしまいたくなるかもしれない。しかも、自分だけでなく、相手にも「合格」という成果が得られるうえ、ばれる可能性も低いとなれば、これほどおいしいものもないだろう。

ただ、人間関係の改善に用いられる場合とは少し違い、このような不正の多くは同性間で行われると思われる。異性になりきるためには同性の場合以上に技術力を必要とするし、口調や言葉づかいなどでばれる可能性も高いからだ(これについては、今連載中の「人間関係と入れ替わり」の次の章、「男女関係と入れ替わり」でふれることにしたい)。だから、いくら頭がいいやつだとしても、異性と「入れ替わる」ことはちょっと考えにくい。

また、受験生の親や下級生、その日に別の学校を受験する同級生と「入れ替わる」こともまずないだろう。親の時代とは習っている内容そのものが違うし、下級生はまだ試験に出る範囲すべてを習ってはいない。また、同じ学校を受験する同級生の間ではまず不可能だろう(「入れ替わり」ではなく、「記憶のコピー」ならば、それも可能になるが)。向こうも合格のために必死に勉強してきたのだし、相手がもし不合格になったとするならば、自分も責任を問われることになるだろう。一方が不合格になるわけにはいかない。ただし、塾で学年以上の範囲を勉強しているということも考えられるから、もし相手が公立学校の生徒で、難しくもなければ、決してやさしくもない学校を受験する場合ならば、下級生と入れ替わるということも考えられなくはない。

あるパターンが存在するということは考えられても、例外的なものも存在することは大いに考えられるので、本当に「入れ替わり」が現実に可能なものとなれば、私たちが思いもつかなかったような方法が生まれるかもしれない。

不正の発覚はきわめて困難

どんな場合でも、テストを受けるのは本人でなければならないし、すべての受験生に対する完全な平等は不可能だとしても、テストの採点や条件はできる限り平等でなければならない。そういった不正が横行すれば、まじめにテストを受けた受験生たちが不利な目に遭うのは明らかだし、現に、試験における替え玉やカンニングなどの不正は厳重な処罰を受けるものとされている。だから、誰かと入れ替わってテストを受け、その結果を自分もしくは相手のものにしようなど、もってのほかであることは(試験制度が腐敗しない限り)これからも変わらないことだろう。その点は、このサイトをご覧の皆さんもお分かりいただけることだろう。

ところが、現実は甘くない。安全性が確保され、誰にでも手軽に行えるものとなれば、双方の同意さえあればこういった不正はたやすい。一方、試験監督の教師が、「受験生が入れ替わっている」ということに気づくのは、現実の「替え玉受験」の場合以上に困難だと思われる。

そもそも、外見はその受験生であっても中身がそうではないのだから、(超能力でも使えれば別かもしれないが、)相手の中身を暴くことはできない。また、入試はその学校の教師が受験生と会う初めての機会なので、それまでは性格や特技・成績などについて、あらかじめその生徒の所属する学校側が提出した文書の上でしか知らない。事前に開いた説明会に来ていたときに見覚えがあったとしても、深くは知らないことだろう。

しかも、そういった不正が成功すれば成功するほど、こういった不正に手を染めるものが次々と現れるかもしれない。そうなれば、入試は不正の温床となり、まじめにやってきた者がさらに損をするような状態に陥ってしまう。そうなれば、試験の公平性そのものが損なわれてしまうだろう。

とはいえ、悲観的にはならないでほしい。なぜなら、こういった不正が成功するか否かは、お互いのパートナーシップと力量にかかっているからだ。

ばれる可能性のある場合とは?

こういった不正の発覚は現実の不正よりも困難とはいえ、全くないわけではないと思われる。たとえば、テストの回答用紙にうっかり自分(=中身)の名前を書いてしまったとか、面接で自分の名前を言ってしまった、就職試験であればエントリーシートや履歴書と違ったことを言ってしまったなど、他人の立場に適応できなかったり、不審な行動をとったりすれば、すぐにばれてしまう。(このため、入試での不正の場合、異性間での「入れ替わり」は考えにくい)。そういう不正をした受験生すべてが他人の物まねのうまい人ではないだろうから、ばれて失格になる受験生も少なくないと思われる。

また、志望の段階でも、底辺校の生徒が生徒の実力からはとうてい無理だと思われる有名大学に行きたいなどと言う場合、誰かと「入れ替わって」不正に合格しようという意図が隠れている可能性があるので無視できないことだろう。相手は進学校出身の生徒ばかりだから、彼ら以上に努力しないとは入れないし、中には出身校で決めてしまう場合もあるからだ。ただし、これは危険なことでもあり、努力して有名大学に入ろうという当人の意向を無視してしまう危険性がある。当然、今以上に相手を見きわめることが難しくなるのは避けられないことだろう。

不正の起きた時こそ、方式は大きく変わる。それも余裕のない方向に…。

このようなことが起きれば、「入れ替わり」が不正に使われることを恐れて、今までの入試の方式は大きく変わることだろう。それも、余裕のない方向に…。

「入れ替わり」を用いた不正の最大のルートとして考えられるのは、試験会場に行っていない人や、試験の関係で学校が休みになっている人たちだと考えられる。そのため、試験の日は学校を休みにすることができなくなり、在校生やすでに他の高校や大学などに合格した生徒も学校に呼び集められることになるかもしれない。極端な場合、不発弾の処理のように、会場周辺の住民でさえも立ち退きを強いられるかもしれない。

また、学校を試験会場にすることさえもやめなければならなくなるだろう。別の会場で、しかも小さな正方形に区切った部屋で、一台一台の監視カメラのもとで実施しなければならなくなるかもしれない。ところが、そういった入試の方式は、金銭的な負担も大きいし、ただでさえも不正への過剰対応や厳罰化におかれてすさんでいる、受験生の身体的・精神的不安をいっそう高めてしまうだけに終わるだろう。それどころか、こういった不正が続けば、校則での禁止など、「入れ替わり」の技術そのものにも何らかの規制がかけられるかもしれない。

今まで述べたことは、現在一般的な、受験生が学校などの会場に行って行う筆記式の受験方式を考慮した場合に考えられることだ。マークシートのようにカードの枠を塗りつぶしていく方式や、一部の企業の入社試験のように自宅のパソコンに向かって試験をする方式の場合、ペーパーテスト以上に不正が簡単で、見破るのはいっそう困難になると思われる。筆記試験ならば、字のくせや文章などで判断することが可能だが、マークシートやパソコンでは誰が打っても字は同じなので、文章の構成以外からは判断が不可能に近いからだ。

現実にも、本人確認が不十分なのをいいことに、替え玉に走る受験生もいるというが、そのように、入れ替わらなくとも不正ができる状況ならまず使われないだろうが、もし、本人確認を迫る方式の試験に移行したならば、「入れ替わり」による不正はいっそう増えることだろう。

こういったパソコンに向かって行う試験の方式が将来、学校の入試にも取り入れられるかどうかはわからない。だが、もし、そういった方向に進むとするならば、試験監督にとっては初対面も同然の受験生の中身が、果たして本当にその生徒自身のものであるのか、試験監督は今以上に見きわめなければならなくなるだろう。


では、定期テストの場合は?

ここまでは入試の場合について考えてみた。では、定期テストでも、同じような不正は可能なのだろうか?

さいわいにも、観月ありさが出演したことで有名なドラマ『放課後』に、次のような場面があるのを発見した。


ある日、先日のテストの成績が貼り出された。主人公の一人、高本浩平(あずさ)は19番、相手の秋山あずさ(浩平)は184番だった。男子生徒の間にもこのうわさが広がる。あずさ(浩平)の頭の悪さにあ然とする浩平(あずさ)。さらには口げんかにまで発展する。しかも、あずさが悪い成績を取ったといううわさは、男子生徒にも広まっていた。

その時、

「高本いるか? ちょっと指導室まで来るように!」

と、浩平(あずさ)はテストのことで先生に呼び出される。採点には誤りはない。しかし、いつもは勉強のできないはずの彼が、300点満点のテストで268点、19番という好記録をとったことで、カンニングをしたのではないか、という疑いがかけられてしまう。当然彼自身はカンニングをしていないことを主張するが、先生側はカンニングだとして、浩平の主張をまったく認めようとしない。

とうとう彼は、学校を飛び出してしまう…。


この先生を「生徒を信用できない人だなあ」と思う人もいることだろう。けれどもこの作品で描かれている「入れ替わり」はアクシデント型で、「入れ替わり」という現象の存在が認められていない世界で起きたことであり、彼の担任やクラスメートは「入れ替わり」という現象が存在するとは思っていないということに注目しなければならない。


この分を書いている途中、3月2日発売の「週刊少年マガジン」に掲載されている古河美希のマンガ、『山田くんと七人の魔女』の第2話で、退学処分の危機に立たされた山田が、追試で高得点を取るために白石と「入れ替わる」という展開があった(週刊少年マガジン2012年12号より)。私はまだこの作品をまだ読んでいないため、詳しい考察はまた別の機会にしたいが、こういった問題を考えるうえで貴重な作品だということは間違いないだろう。


「入れ替わり」が実現し、それが一般化した社会において多くの人々は、メディアか何かを通じてそのような技術が可能だということを知っていると思われる。だから、そういったことを知らなかったという事態は考えにくい。ところが、年長者は、新しく登場した技術についていけなかったり、状況が変わっても自分たちの頃と変わっていないという固定概念を抱いていたりするので、その可能性は大いにありうることだろう。だから、この作品をはじめ、多くのフィクションで描かれているような勘違いが全くゼロだとは言い切れない。

けれども、「入れ替わり」を用いて、定期テストで不正をすることは、入試以上に困難だと言わざるを得ない。まず、校則で「入れ替わり」自体を禁止されている可能性が高い。教育への応用を考えれば、ある程度は許可される可能性もないわけではないだろうが、今以上に安全が重視されるならば、こういった不正への悪用を恐れて、進学校ほど厳しく禁止されることだろう。

また、それをうまくかいくぐれたとしても、入れ替わる相手を探すこと自体が難しい。定期テストは学期の中間や学期末に集中的に行われることが普通なので、学校間の時期のずれはあまりない。また、親や下級生を使うことも考えにくい。相手は仕事に行っているかもしれないし、下級生は自分がやっている範囲まで習ってはいないのだから、相当なリスクを背負うことになるからだ。

それに、同じ学校・クラス内で相手を探すことも困難だといえる。相手も試験を受けるし、それに必死なので、入れ替わることは入試以上にリスクが高いからだ。まあ、自分も相手も失敗することを覚悟したうえで、入れ替わる人がいる可能性は考えられなくもないが、それほどヒマな人もいないことだろう。(『山田君と七人の魔女』ではそれをやってしまったのだが…。)

また、運よく入れ替われたとしても、入試以上に不正がばれる可能性が高いことを覚悟しなければならない。定期テストは入試とは違って、全く見知らぬ受験生とではなく、自分のことを知っているクラスメートも一緒に試験を受ける。そのため、別の生徒が誰かの不審な行動を目撃したとか、普段と言動がおかしかった、あるいはいつもと違っていたなどの異変に気づいて、教師などに密告してしまうことも大いに考えられる。

そこでうまく気づかれなかったとしても、さらに大きな壁が立ちはだかっている。それが、過去のテストの成績との照合だ。教師も生徒の過去のテストの点数の記録を持っているので、もしテストの点が、入試の成績や前回のテストのときと大きくかけ離れていたり乱高下していたりすれば、不正をしたのではないかと疑われても、少しもおかしくないだろう。

けれども、テストの採点をする先生自身が、誰かと入れ替わっていたという可能性もゼロではないだろう。そうなれば、こういった不正は見逃されるかもしれないが、いつもと何かが違っていたとも言われかねないし、逆にテストの採点がめちゃくちゃになるので、先生と入れ替わったことのほうが逆にばれてしまう可能性が高い。当然、その過程でテストでの「替え玉」も、いもづる式に発覚することになるのは間違いない。

こういった風に、定期テストにおける「入れ替わり」の全部とは言わなくとも大部分は発覚してもおかしくないだろう。これほどの危険を冒してまで不正がしたい学生はいるのだろうか?


とはいえ、入試にせよ、定期テストにせよ、その人の中身が本当にその本人のものであるのかという問題は逃げようとしてもどこまでもついてまわることだろう。そのようなことを考えたうえで試験における対策を取らなければ、次々とテストで不正に挑むものが現れるに違いない。

冒頭に述べたことだが、今年の入試は昨年の衝撃的な不正によって、各校とも不正対策に悩まされているという。だが、私としては、これでもまだ不十分ではないかと思っている。入試における不正への対策を難しくしているのは、発想力や実行力と想像力の非対称性だ。どういったことが可能かと思いつく発想力やそれを実行に移す実行力には限界がない一方、どういったことが起きると想像されるかという人間の想像力には限界がある。

だから、今の入試のやり方が変わらない限り、そして、(表面上は平等を貫いている)入試というものが存在する限り、もっと手の込んだ不正(ちょっとSFじみているが、薬で記憶力を増強させるとか、脳に電子辞書や教科書などの内容を詰め込んだICチップを埋め込むなど)が生まれる可能性を避けては通れない。いずれ、退化に向かうのかもしれないが、当分は、技術は進歩し続けるだろうから、当然のことだ。そうでなければ、「思いもつかなかった」という反応をすることはないだろう。不正対策とは、よくいわれるように「いたちごっこ」であり、それくらいに安心していられない長期的な課題なのだ。


とはいっても、不正をすれば、いつかはばれることは変わらない。それに、誰かと入れ替わってテストを受けたとしても、いつもよりいい点がとれるはずはないだろう。それは、人から借りたペンで字を書くのと同じだ。





筆者からお知らせ

※予定では、シミュレーション(その4)をお送りすることになっていましたが、ある困難にぶつかって完成が間に合わなかったことと、時事的話題を載せるには今週ぐらいしか時間がなく、その間に古河美希のマンガ、『山田くんと七人の魔女』で試験を題材にした話が出たということで、予定を変更して、試験での不正についての話題をお送りしました。

よしおかさんから毎回のように(特に理論の時には)コメントを頂いていますが、みなさんも、「入れ替わり」がもし現実に可能になったらどうなるか、といったことで、取り上げてほしい話題や意見などがあれば、ぜひとも掲示板に書いてほしいと思います。

自分だけではとうてい考えきれない大問題だと思いますので…。