ありえる “かもしれない” 未来 〜もしも入れ替わりが本当にできたら〜 人は、生まれてから死ぬまで、ほとんど何も選ぶことができない。 そういった存在である私たちの願いを、疑似的とはいえ、ある意味でかなえたのは
“フィクション”だったのかもしれない。 もちろん、“異性”になることだってできる。 ご存知のことだろうが、これはTSFが題材とするもの、カンタンに言うならば、変身や憑依などに代表されるものだが、それらと共にポピュラーなあるテーマがある。 それこそが「入れ替わり」なのだ。 ある日突然、二人の人間の「体」と「心」が入れ替わる。 しかし、その一方で肝心の「入れ替わり」に関しては、それを可能にする技術が確立していない以上、「現実に不可能である」という考えはいまだに根強い。それどころか、あまりにも取り上げられすぎて、このテーマ自体を「使い古された話題」「ナンセンスなこと」などと考えている人もいまだ多いと思われる。 そんな考えに、私はこの「TS解体新書」というサイトで異議を申したいと思う。 その根拠はこんなつまらないことなのだが、聞いてくれるだろうか? 「ドッグイヤー」とまでいわれるほどの急速な技術の進歩 どんどん解明されている脳やこころのはたらきやしくみ 不治の病を次々と治療可能にしてきた医学の発展 …。 その先に何があるのか? 今、その技術がいきなり生まれることはないにしても、さまざまな技術の積み重ねやコラボレーション、そしてその進む方向によっては、私たちが想像もしていなかった技術が生まれることも考えられる。もちろん「入れ替わり」も決してその例外ではないと思う。そして、それがもし現実のものとなった場合、今のままでは多くの問題を引き起こすことは間違いないだろう。 そこで、 もし、「入れ替わり」が現実に可能になったとしたらこの世の中はどうなるのか? 「入れ替われない」ことがこの世の中にどういった恩恵をもたらしているのか? そういったことを、今までに発表されたさまざまな「入れ替わり」フィクションやこの世の中に転がっている雑多な情報をもとに、自分としてはまだまだ不十分だと思う、理論や考えを通じて(じっくりと)考えていくことにしたい。 この連載にあたって、初めに断わっておきたいことがある。 私は「入れ替わり」が現実の世界で可能か不可能かということについて考えようとしているのではない。自分には医学の知識はほとんどないし、自分の生きている間にそれが実現するとはとうてい思えないからだ。 だから、この話は、現在をイメージした架空の世界においてそれが実現したと仮定するならば、こうなるだろうという一種のお遊びの理論とわりきってくれてよい。 なぜなら、「入れ替わり」が実現している“かもしれない”頃には、社会の情勢も科学技術も私たちの生活も、何もかもが今とはまったく違ったものとなっていると思われるからだ。今までの常識は役に立たないかもしれないし、もしかしたら、日本国そのものがすでになく、日本語自体がすでに日常では使われなくなっているかもしれないからだ。 そういったことよりも、もし「入れ替わり」が現実に、しかも技術として可能になったならば、この社会はどうなるのか、そしてどのような問題が起こるのか。そのことをこの社会にそっくり(?)な架空の世界を用いたシミュレーション小説と、私が考えていることを交互に連載し、話を進めていくことにする。 私は巷にあふれている未来予測や予言の類のように、人々の不安をあおるつもりは全くない。そういったことが将来、実現するか否かを本気で考える必要はないし、「そんなことは起こりえない」、「もしもこうだったら…」という程度で考えてくれてよいだろう。絵空事だと考えて読んでくれてもいいし、もし、言いたいことがあれば、「TS解体新書」の掲示板に書いてくれても、その内容について思いっきり批判してくれても全然かまわない。 私はそれが仮に実現可能だと考えることによって、もし、「入れ替わり」が現実に可能になったとしたらこの世の中はどうなるのか、また、「入れ替われない」ことがこの世の中にどういった恩恵をもたらしているのかについて考えてみようと思っているのだ。 それは、これからの科学技術が進む方向によっては絶対に起こらないとは限らない。これが、「もしもの世界」などというタイトルにしなかった理由である。 とはいえ、ここに書いてあることは、私たちの生きているころに実現しなかったとしても、私たちの子孫の代に起こることかもしれない。またそれはフィクションで描かれている以上に重大な問題を引き起こすかもしれない。 「入れ替わり」フィクションを書く者たち、 そして、そういった作品にふれる者たち、 このままでいいのだろうか? なぜなら今のところ、「入れ替わり」がこれからも実現しないと証明することはできないから、 そして、これは 「ありえる“かもしれない”未来」 なのだから。 2012年01月05日 初版掲載 |