第6回 軽量化・簡易化・普遍化 町を歩いてみると あの新聞記事を見てから何年かがたった。 僕は無事、希望した大学に入り、同級生たちよりも熱心に勉強や部活にはげんでいた。 まあ、そんなに有名な大学じゃないんだけど…。 一人暮らしは気楽だけれども、それだけに自己管理はおっくうになってしまう。 あるときからネットにのめりこみすぎて、成績もガタ落ち。 いつしか新聞も読まなくなってしまっていた。 いくら、「新聞はいい」って学校の授業に取り入れたところで、どうせ、世の中は悪いことばかり。失望して、逆に新聞嫌いになってもおかしくないしなあ…。 けれども、僕の知らないところで技術はどんどん進んでいた。 そのころには、「入れ替わり」は、特殊な医学上のものであったのが、広く一般的なものになってしまっていたのだ。 誰がどうやって思いついたのか、どうやってするのか、原理はよくわからないけど、こんなもので、ビジネスを開拓しようという人がいるんだなあ…。 そんなものが身近なものになったことなど気にもとめていなかった。 自分としては珍しく、電車に乗って出かけていると、中で中年オヤジが電子ペーパーのスポーツ新聞を読んでいる。 僕はネットこそよくするが、雑誌はあまり読まないタイプだ。前にも言ったように、新聞は高校のころこそよく読んでいたが、今じゃほとんど読まない。 電子ペーパーなんて、新聞を紙で読んでいた人が懐かしんで作っただけだろ? 文字が書いてなければ、見るからにただのビニールのような物体だ。 そんなつるつるしたのは読みたくない。 大声では言えないけど、そうやって上の世代をばかにしたくなることもある。 けれども、僕が驚いたのはそのことではない。その電子スポーツ新聞の広告なのだ。 オヤジが向けていた面にはあの「入れ替わり」の広告が載っていたのだ。 しかも、斉藤の顔写真とコメント入りで…。 「どうしても気持ちを理解できない人、あなたの周りにいませんか?」 (たぶん、誰にでもいると思う。) 「そんなとき、本当にその人の立場になってみたいと思いませんか?」 (ひょっとしてこれは…) 「そんなときにこの人格交換マシーン「スウィッチャー」で心を交換してみませんか?」 (キタ―!) 「失敗の心配ご無用!記憶のバックアップお取りいたします!」 (どうやってするんだろう?よくわからないけど…) どうやら、相手と中身を交換することによって、相互理解ができるらしい。 そういったキャッチフレーズが並んでいるのを見ていて、僕は正直いって怖くなった。 つまりは、世の中に誰かと「入れ替わった」人がいるということになるんだから…。 そういったことをもし、当時『転校生』を見た人たちが聞いたら、びっくりするどころじゃなくて、信じないんじゃないだろうか。 歴史の授業は退屈だったからほとんど覚えていないけど、明治時代には新しいものに対しての勘違いも多かったらしい。郵便制度が始まったころ、「郵便」を「垂れ便」と勘違いしてポストに小便をしたとか、電信で荷物が送れると勘違いして、電信柱に荷物をくくりつけたとか…。 もし、その時代の人がタイムマシーンか何かで、今の時代に来たならば、もっとすごいことになるだろうな…。それと同じような状況に、僕も今いるんだなあ。 電車の中で見たあの記事が信じられないまま、僕は家に帰った。 技術として実現していたことは知っていても、それが実用化されるなんて思いもよらなかったのだから…。 半信半疑になって、新聞や雑誌の広告を見たが、いくつもそういったものを見かけた。 まるで、「他人の気持ちを本当に理解する」という、人々の長年の夢と欲望のバリアーがふっ切れて、どっとあふれ出たようだ。 (でもこれって本当に役に立つんだろうか?) 「入れ替わり」の実験に成功したというニュースを聞いた、数年前のあの日のように、勉強する気が起きなかった。 翌日、いつも通り大学に行くと、キャンパスでこんな会話を耳にした。 「ルナ〜、入れ替わりが本当にできるようになったって知ってる?」 「うそ〜!」 「それってマンガやアニメの世界のことじゃないの?」 「全然。本当にできるってよ!」 「それならやってみない?」 「1日だけならいいけど…」 もう一人の女子が照れくさそうに答えた。 「私は遠慮しておくわ。何されるかわかんないし…」 「いいの、いいの、私は何もしないからさ〜」 「入れ替わるのなら、あんたと友だちじゃなくなっちゃうけど、いい?」 「いいわ。私は何があったって、誰とも入れ替わんないから」 「……」 「やべっ! あと30秒だ!」 僕は近くのベンチでパソコンをしていたのだが、授業が近づいていたので、あわてて教室に向かった。だから、その後の部分は聞き漏らしてしまった。 でも、自分と同世代の人たちには受け入れられやすいのかもしれない。 おそらく、電子機器でのコミュニケーションでは満足しきれないからではないだろうか。 なにしろ、新しいものを求める生き物なんだから…。 けれども僕は、誰かと「入れ替わりたい」か、というとそうは思わない。 他人になるのはこわいし、自分になった相手が何をするかわからないからだ。 だから、絶対に入れ替わらないという覚悟でいるけれど、自分がそうするからといって、周りの人がそうしないとは限らない。 そのせいか、町を歩いていると、今まで以上におかしな人を多く見かけるようになったのだ。 (シミュレーションその3に続く) |