第3回

フィクション

どこまで参考になるか?

(改訂第2版)

大幅改訂のお知らせ

この回は当初、「入れ替わり」フィクションのストーリーについてふれていたが、第15回以降の内容と重複する部分が多く、タイトルと内容があまりにもかけ離れていたため、内容を大幅に変更した。

無能なフィクション

フィクションの中だけのことにすぎないと世間では認識されている「入れ替わり」が、もし現実に可能だとしたら…?

そのことを考えるには、現実に体験してみることが一番手っ取り早いことだろう。「百聞は一見にしかず」とよくいわれるくらいだから当然のことだ。

でも、そんなことは今のところ不可能だ。疑似的な錯覚としては実験に成功したという話はあるものの、実現したという話は聞いたことがない。だから、フィクションから考える以外にないし、それが一番だろう。

私も、このことを考えるために、多くの作品を参考としている。ただ、フィクションはけっして万能ではない。むしろ、考えられていない問題のほうが多いのではないかと思われるくらいだ。

たとえば、アクシデント的に「入れ替わった」場合の当事者らの気持ちや周囲の人の反応などは、飽きてしまうぐらいによく描かれている。ただ、『転校生』などによってパターン化されてしまったからか、どれもが似たようなストーリーや描写になってしまっている傾向にあるのは否めない。

一方、現実に可能となった場合に起こりうる問題点、たとえば、本人認識や犯罪防止に関する問題などは、それをメインに扱った作品がほとんどない。

おそらく、それが実現するとはとうてい思えないからではないだろうか。実現の糸口すら見えない状況では、自分の生きている間には結果のわからないギャンブルに全財産をつぎ込むようなものだし、未来の世界を予想しながら書く必要があるので、ややこしい。

そういった複雑なテーマは読者には受け入れられないだろうし、「入れ替わりは不可能である」という考えが浸透している中で、その考えに逆行でもすれば「トンデモ本」扱いをされることはまぬかれないだろう。

そういったこともあって、「入れ替わり」が可能になった社会とその問題点を考えるには、フィクションや現実などを参考にしつつ、未来を予想した架空の社会を構築し、そこで何が起きるのかを地道に想像していかなければならない。それは、一から実験器具を自作しなければならない、まだ開拓されていない分野の研究や実験に似ているといえる。

それでも、こちらはほとんど頭の中で考えればよいことだから、金はかからない。あえていうならば、パソコンという初期投資と電気代と筆記用具代、そして自分が生きるための生活費くらいだ。本も古本ですますから、そう高くはつかない(珍しいものはそうはいかないのだが、最近は古い作品の復刊が相次いでいるので、いくらか費用を抑えられるようにはなってきている)。

そこで、本題に入る前に、フィクションで「入れ替わり」はどのように取り扱われ、何が描かれてきたのかついて、ストーリーのパターン入れ替わった原因という、二つの視点からみてみることにしてみたい。

フィクションはどこまで参考になるか?

フィクションは本当に参考になるのか?確かに、参考になる作品はあるだろう。けれども、そういったものは少ない。ハッキリ言って、大部分の作品は、心理描写と全体の傾向以外は、あまり参考にはならないといえる。

けれども、どの作品にも重きを置いているテーマがある。カンタンに分けてみると、3つに分類されると思われる。当然、それらの作品が何をテーマとしているかによって、その重要度は多少変わってくることだろう。

「相互理解型」は、「相互理解」を主なテーマとし、最後にお互いの立場を理解するという設定で終わるもので、多くは長編や連載物である。

テレビドラマや少女マンガなどによくみられるタイプで、当事者らの心境がはっきりと表れているものも多く、描写も細かいので、この連載においてもっとも参考となっている。ただ、『転校生』の影響を受けているものも多いので、その点は注意しなければならない。

「コメディー型」は、「入れ替わり」を単にストーリーの題材として用いたもので、ギャグマンガやアニメ(特に一話完結モノ)に多い。

ただ、アクシデントとして扱われていることが多いことにおいて共通しているように、「相互理解型」とはきわめて入り組んでいる。しかし、「相互理解型」は「入れ替わり」を当事者らからすれば、基本的に不可逆なものとして描いている一方、コメディー型は可逆として描かれているものもあれば、思いもよらぬ原因で可逆(というよりも暴走?)に転ずるものもある点で大きく違っている(ちなみに、相互理解型の作品で、「入れ替わり」が暴走に転ずる作品はほとんどない)。

こちらも『転校生』のパターンを下敷きにした作品が多いので、起こりうる問題を考察するうえではあまり役に立たないが、作品数自体が多いので「入れ替わり」に対する世間や作家たちの認識や好みなどを知る上では「相互理解型」の作品よりも参考になるといえる。

「ブラック型」は、18禁や個人創作に多いようだが、これは強制的な「入れ替わり」であり、技術的には可逆でありながら、ストーリー的には不可逆の要素が強い。

この連載を書くにあたってはあまり参考にしてはいないが、こういった使われ方をする可能性もないとはいえないという意味で、いずれ、参考にする必要があるかもしれない。

典型的なストーリーの流れ

フィクション、特にコメディーにおいて「入れ替わり」はアクシデント的な要素をもつ傾向にある。それは、多くの作品の内容や設定、ストーリーなどが、ある一定のパターンに沿って作られていることにも表れている。

このパターンの形成には『転校生』の影響も大きいと思われる。おそらく、同作によってその原型が形成されたものが、コメディー型作品の普及にともなって発展し、付け加えられていったのだろう。

たとえば、作品中にはっきり記されていないものも多いものの、「入れ替わり」の舞台は、魔法や呪術が存在する世界を別とすれば、「入れ替わり」という現象の存在が認められていない世界、つまり、日常を舞台とすることが圧倒的に多い。これは、「入れ替わり」をアクシデントとして描き、相互理解をテーマとするためには欠かせない設定であろう。

また、相互理解型の作品においては、「男性と女性」「老人と若者」「性格が正反対の同性」など対照的なものを主人公とすることが多い。

それらを説明すれば、おおむね次のようなものになると思われる。ただし、ある特定の作品において、この展開すべてが含まれているわけでは必ずしもないし、例外的な設定が用いられているものも少なくないことをお断りしておく。




「入れ替わり」は、主人公あるいは主人公的な人の身に起こる。

入れ替わった人(以下「当事者」と記す)らのいる世界において「入れ替わり」という現象の存在は認められていない。

入れ替わり」は当事者らの意思に関係なく(あるいはまったく意識せず)、アクシデントとして発生する。

自分が目の前にいるという錯覚に見舞われ、あるいは鏡などで自分が相手になってしまったことに気づく。(ただし、後者の場合はある程度の時間の経過がある。)


入れ替わってすぐには原因・解決方法が見つからず、戻ることができない。


そのため、お互いに相手のふりをして生活せざるを得なくなり、当事者らは途方に暮れる。

慣れない相手の立場に苦労し、お互いに突っ込みを言い合う。

周囲の人は当事者らが入れ替わったことを理解できず、急に性格や言動などが変わったことを怪しむ。

お互いに苦労していく中で、相手の気持ちや立場などがだんだんとわかってくる。

10

入れ替わってからしばらくたって、ある日突然、アクシデント(偶然)によって元に戻る。

11

元に戻った後、当事者らは相手の立場のつらさを理解し、人間関係の改善につながる。

(相互理解型の場合)

元に戻るどころか、さらに周りの人を巻き込んで、「集団入れ替わり」してしまう。

(コメディー型に多い)



このようなパターンの形成は、「入れ替わり」の一般化と多メディア化に寄与したといえる。ある人気作の背後には必ずといっていいほど、その人気と時代の波に少しでも乗ろうと、自分の作品に人気作のアイディアを取り入れたり、人気作をもじったタイトルや内容の作品を作ったりする追従者が現れる。

これは昔から変わらないことであり、それこそが、本家の知名度のアップや人気にいっそう拍車をかけ、不動の地位を獲得することにもつながっている。『転校生』がいまだ「入れ替わり」の代名詞となっていることからも明らかなように、この傾向は「入れ替わり」の場合も変わらない。

おそらく、この作品が出た当時は斬新でインパクトもあり、珍しかったのだろう。けれども、多くの作品でその設定が使われるようになれば、次第に当たり前のものとなっていき、いつかは飽和状態に達する。そして、読者は「またか…」と思うようになり、気にとめなくなるという悪循環に陥る。

これが、早々「使い古された題材」と言われるようになった原因の一つではないかと思われる。そういったパターンに縛られない設定の作品も意外と多いのだが、「入れ替わり」に関心のない、あるいは使い古されたテーマだとバカにしている読者や視聴者は、そういったところにまでは気づかないのかもしれない。

このようなストーリーのパターンがあるものだから、現実にはそうはならないだろうと疑ってかかりたくなるものも少なくない。なにしろ、アクシデントによるものは現実には考えられないし、当事者らや周囲の人たちがどう認識しているかなど、今の時代とは大きく違っていても少しもおかしくないではないか!

つまり、フィクションで描かれているものやストーリーのパターンをうのみにするのではだめである。そこに何が描かれ、何が描かれていないかを検証しなければならないのだ。

「入れ替わった」原因とそのパターン

「入れ替わり」には原因が存在する。もちろん、自ら誰かと入れ替わることができない以上、圧倒的に多いのは外的要因、それもアクシデント的な要素の強いものである。

中でも、その大部分を占めているのが、衝突・転落(特に階段)・落雷によるもの、つまり「三大原因」の存在は大きい。皆さんも、「入れ替わり」というと、この3つをイメージすることだろう。

けれども、そういったものばかりではないのだ。以下に、代表的な「入れ替わり」の原因を分類してみた。



 

名称

アクシデント的要素

可逆性

作品例

衝突

(事故を含む)

強い

不可逆

(例外あり)

『魂恋〜それは魂の恋』(左右田もも)

『Doする!?パラダイス』より

「女の子のキモチ」(玉越博幸)

『男子ingガール』(岡田ハルキ)

『どう男女!?』(萩わら子)

『パパとムスメの7日間』(五十嵐貴久)

『チェンジ!さぶ』(永井豪)

転落

強い

不可逆のことが多い

『転校生』(映画)

『チェンジ』(テレビドラマ)

『ガチンコッ!』(山下てつお)

『転校生 さよならあなた』

落雷

非常に強い

不可逆

『放課後』(ドラマ)

『部長OL』(「世にも奇妙な物語」より)

『パパママムスメの10日間』(五十嵐貴久)

実験台

強い

可逆

「サンダーマスク発狂」(『サンダーマスク』)『先輩とぼく』(沖田雅)

『僕と彼女の×××』(森永あい)

誤用・遭難

強い

基本的に不可逆

『人格転移の殺人』(西澤保彦)

「チェンジリング」

(『FAIRY TAIL』)

「心移りの登校日〜すくーる・あてんだんす でぃ〜」(『いつか天魔の黒ウサギ』)

『ココロコネクト』シリーズ(庵田定夏)

道具

場合による

原理的に可逆

『へんしん!ポンポコ玉』(ドラマ)

藤子・F・不二雄の該当作品の大部分

『シークレット・ガーデン』(ドラマ)

『ゲームセンターの奇跡』

『ボールペン』

(「世にも奇妙な物語」)

特殊能力

場合による

基本的に可逆

『メタモ・キス』(おもて空良)

『ないしょのつぼみ』(やぶうち優)

『ちょっとだけミラクル』(花井愛子)

『鏡原れぼりゅーしょん』(林直孝)

呪術

強い

不可逆の傾向が強い

『たるとミックス!』(神崎りゅう子)

『菜々ちゃんは俺のもの』(上山純子)

天罰

超常現象

強い

不可逆

『逆転ハニー』(時計野はり)

『ドンキ★ホーテ』(ドラマ)

10

願望

やや強い

可逆

『オレンジチョコレート』(山田南平)

11

夢オチ

なし

判定不能

「三つのねがいのまき」

(『ひみつのアッコちゃん』赤塚不二夫)

12

起床

強い

不可逆

『オレの愛するアタシ』(筒井広志)

『AKUMAで少女』(わかつきひかる)

『親子とりかえばや』(藤子・F・不二雄)

13

複合型

さまざま

混在

『ぼくの魔法使い』(衝突+特殊能力)

『未来ドロボウ』

(藤子・F・不二雄 願望+実験台)

14

その他

さまざま

混在

『金魚のフン』(とみさわ千夏)



     実際に作品にあたって調べられていないものも多く、知名度などからして、これでいいのかはわからない。なお、作品のデータについては「入れ替わりマニアックス」を参考とし、男女間以外のものもここに含んでいる。http://www5f.biglobe.ne.jp/~cloe/index.html

     ここでいう可逆性とは、当事者らで元に戻したり、再び入れ替えたりすることができるかどうかを指す。不可能なものを「不可逆」可能なものを「可逆」としているが、実際はあいまいなものも散見される。



1:衝突(事故を含む)

「衝突」は、お互いの体が何らかの原因でぶつかり、入れ替わってしまったという設定のもので、フィクションの中で最も多いと思われる。

原因も様々で、出会い頭や電車の急ブレーキによる衝撃で頭をぶつけたという軽度なものから、交通事故で電柱や壁に激突したという重度のものまであり、当然、その衝撃の程度もさまざまである。

ナンセンスな要素の強いパターンではあるが、少女マンガやコメディーなど、軽めのタッチの作品、特に読み切りや一話完結モノの作品によく用いられる。

2:転落

「転落」は階段やベランダなどの高所から落ちて入れ替わってしまったという設定のもので、「衝突」と同じく、コメディー的な要素を持つ作品に多い。

このパターンは、『転校生』の公開以降、劇的に増えたパターンで、作中でこの作品のことが引き合いに出されることも少なくないし、タイトルからして明らかにパロディだと思われるものもある。

汎用性の高いパターンでもあり、神社の石段から転げ落ちて入れ替わってしまうという、この作品の設定は、学校の階段などに場所を移されて「衝突」と同じく、今なおよく用いられているパターンの一つとなっている。

3:落雷

「落雷」は二人が落雷を受けたために入れ替わってしまったという設定のもの。三大原因の中では唯一、自然現象によって発生するものなのが特徴的である。

「衝突」や「転落」に比べるとその数は少ないが、この二つのパターンから派生したものといえ、いつ、どこで発生するか予測できないという意味で(そうだからこそ、雷に打たれる人が出るのだ!)まさにアクシデントらしい要素を持っている。

4.実験台

「三大原因」以外によく出てくるアクシデント型のパターンには、宇宙人が持ってきた、あるいは科学者(特にマッドサイエンティスト)が作ったという設定の道具、あるいは脳の移植などの手術の実験台にされたものがある。

前者の多くは、入れ替わる二人が椅子に座り上にあるケーブルでつながれたヘルメットを頭にかぶる、もしくはカプセル状の部屋に入り、科学者がレバーを引くと機械が作動し、ケーブルを通して“何か”が入れ替わるというものとして描かれている。

原理的には自由に元に戻すことができるものであるが、意図的に隠されたり、元に戻そうとして機械が故障したりして、そのようにはならないことが多い。また、別の目的で作られた道具の副作用的なものとして発生することもある。

この延長線上にあるものが、脳の交換・移植などといった手術であり、技術としては比較的現実的(?)なものと認識されているようだ。だが、移植そのものは実現可能だとしても、「入れ替わり」にまでは発展しないのではないだろうか。ちなみに、高度な技術を持った宇宙人などによって行われるものもある。

いずれにせよ、これらは「入れ替わり」ではなく、「入れ替え」だといえ、欧米の作品ではよくみられるものだが、『転校生』の影響でアクシデント的な要素が強い日本の作品には少なめである。

5.誤用・遭難

正体不明の道具や薬品などを誤って使い、その結果として入れ替わってしまったものを指す。道具それ自体はアクシデントを引き起こすものではないが、誤用によって生じたものだから、アクシデントとしか言いようがない。

遭難は、道の技術などに「遭遇」し、その結果として入れ替わってしまったものを指す。「誤用」とは違って、誰かがそれを意図的に操作したわけではないが、道具あるいは技術が介在し、アクシデント的に発生した点において共通しているのでひとくくりとした。

6.道具

4のようなアクシデント的な要素のあるものではなく、原理的には自由に使うことのできるものを指す。この連載で想定している「入れ替え」に最も近いものであろう。

代表的なものに『へんしん!ポンポコ玉』に登場する「ポンポコ玉」や『ドラえもん』の「トッカエバー」や「入れ替えロープ」などがあり、作品数は少ないが、個性的な作品が多い。特に、藤子・F・不二雄の作品の多くはこのパターンであり、『転校生』以前の作品が多いことで注目すべき存在だといえる。

7.特殊能力

8.呪術

主人公あるいはその周辺人物などが他人と入れ替わる能力を持っているという設定のもので、呪術もここに含む。キスも微妙ではあるものの、一応ここに含めてよいだろう。

「三大原因」などが併用されることはあるとはいえ、慣れてくれば、意図的に入れ替えることもできるという意味で、「入れ替え」の特徴もあわせ持っているものもある。

9.天罰

神様などによる天罰などの人間を超えた力によって入れ替えられてしまったもの。「そんなことはありえない」と軽く思い込んでいたということが現実になったという場合が多く、多くは(当事者らにとっては)不可逆である。

10.願望

相手がうらやましいとき、「○○(相手)だったらなあ…」「○○になりたいな…」とひそかに思っていたら、何らかの要因で入れ替わってしまったもののことを指す。

お互いの願望が一致している場合もあれば、一方のみの願望の場合もあるが、望まない形で発生することが多い。とりあえず一つのパターンとしたが、これ単独で用いられることは少なく、三大原因や呪術など、ほかの要因セットで用いられることが多い。

11.錯覚

「入れ替わり」は現実に起こらず、単なる夢オチであったという設定のもの。「夢オチ」そのものはファンタジーに多いパターンだが、「入れ替わり」モノではなぜか少ない。最後まで読まないとわからないので、意外と見落とされやすいのだろう。

作品例では確認できた限り、『ひみつのアッコちゃん』(赤塚不二夫)の「三つのねがいのまき」がある。この作品は1964年発表(初出)であり、『転校生』以前に発表された貴重な作例として注目される。また、サトウハチローの『あべこべ物語』もこの中に含まれるといえよう。

12.起床(朝起きたら…)

原因についてはふれられていないが、「朝起きたら○○になっていた」という設定のもの。「入れ替わり」に限らず、朝起きたら毒虫に変身していたというカフカの「変身」をはじめ、変身を扱ったものではおなじみの設定であろう。

後で呪術などによって入れ替えたと判明するものもあるものの、原因は最後までわからない場合が多い。アクシデント型では、「意識を失って、意識を取り戻したら…」とか、「鏡を見たら…」などという設定と一緒に用いられることが多く、コメディーによくみられるパターンである。

13.複合型

上記のいくつかの原因を組み合わせたもの。さまざまなパターンがある。



もちろん、これがすべてではないし、もしかしたら、ここにはないパターンの作品が新たに生まれるかもしれない。ただ、多くのパターンはアクシデント的な要素を持っており、その中でも特に「三大原因」が多いことはおさえておきたい。

現実的なのはどれか?

このように、フィクションは「空想上のものである」という大前提のもとに作られている。おそらく、TSモノマニアの皆さんもそう考えていることだろう。

そのようなこともあって、フィクションをそのまま応用するわけにはいかない。たとえば、「入れ替わり」という言い方にはアクシデント的な要素が強く、なおかつ、不可逆として描かれることが多い。技術的なものを想定した場合、不都合な点が多くみられるので、この連載では、技術的なものを「入れ替え」と呼ぶことにしているのだが、詳しくは、第15回でふれることにしたい。

これ以外にも、フィクションと現実に可能になった場合とで必ずしも一致していないものも多いのだが、それはまた別の機会にしたい



では、もしそれが、科学技術として実現した場合、どういった方向に進むのだろうか?

次回は「その前に…」と題して、いくつかの可能性について考えてみたい。



参考

児童文学作品における「入れ替わり」フィクションに関する分析はきわめて少ないが、こういったサイトがあったので参考までに掲載しておく。『あべこべ物語』『おれがあいつであいつがおれで』『ぼくのプリンときみのチョコ』(後藤みわこ著。部分入れ替わりに分類される作品)を取り上げて分析しており、ほかにも異性装(女装・男装)についても分析している。

(参考:http://d.hatena.ne.jp/yamada5/20110826/p1