ウマ娘になれたら
  作: 台風ハチ号


俺がトレセン学園のトレーナーに就職してから早くも数年が過ぎた。
入社当時は若々しく希望に満ちた青年であった俺も、今ではすっかり死んだ目のおじさんだ。
今日も今日とて仕事が夜遅くまで長引き、俺は家に着くとすぐにお布団に直行する。

「疲れたぁ!疲れたぁぁ~!!!」

もうお仕事なんて行きたくない…!!
何でこんなに辛い思いをしてまで働かなきゃいけないんだよ。
ウマ娘のため?
いいよな、あいつらはお気楽で。

「あぁ…俺もウマ娘になりてえ……。」

学園であいつらの幸せそうな姿を見るたびに羨まし過ぎて死にたくなる。
何かの間違いで、朝起きたらウマ娘になってねえかなあ…。





「…ちゃん…起きて…」
「ん…」

もう朝なのか…。
でも、この天使の囁きは何だろう?
分からないけど、今日はやけにすっきりと起きられそうだ。
身体中に元気が湧いてきて、思いっ切り伸びをする。

「ふぁーあ、よく寝た。」
「おはよう、スペちゃん。」
「あぁ、おはよ──って、ええ!?」

そこには、スズカが優しく微笑みながら立っていた。
俺は信じられなくて、つい目を何度も擦ってしまった。

「ス、スズカ!?お前、何でここに!?」
「何でって…?ここは私たちの部屋でしょう?」

スズカは本当にきょとんとした顔をしている。
俺は訳が分からなくて辺りを見回してみた。
この狭い部屋には二人分の勉強机が置かれているだけであり、綺麗に整頓されているようだ。
そして俺のすぐ横には、「めざせ日本一スペシャルウィーク」と書かれた大きな壁掛けが張られていた。

「スペシャルウィーク…?」

俺は不審に思い、自分の身体へと視線を落とした。
すると、半信半疑だったことが一気に現実味を帯びてくる。

(胸が…膨らんでいるだと…!?)

ピンクの可愛らしいパジャマを押し上げているそれは、どう見ても女性特有のものだ。
それでも、ただの勘違い、あるいは幻覚ということもあるのかもしれない。
念のため俺は恐る恐るそれに触れてみようとしたのだが…。

「スペちゃん、どうしちゃったの…?」
「いや、何でもない、何でもない!!」

スズカの不安そうな目を見てしまった後では、俺の手は空を握るのが精一杯だった。
だが、俺が今置かれている状況についてはよく分かった。
後ろで揺れ動く尻尾、頭の上でぴょこぴょこ動く耳、こんな状況にも関わらずのっぺりとした股間…。
あらゆる証拠から、今の俺はスペになっているのだと結論できる。
日頃の願いが、神がかり的な力でついに実現してしまったのだろう。
まさに夢のような僥倖なのだけれど、俺には手放しで喜べない事情があった。

(じゃあ仕事、どうしようか…。)

こんな非常時でも仕事の呪縛からは逃れられなかった。
とりあえず無断欠勤だけは避けたい。
かといって、こんな可愛い声で電話をする訳にもいかないし…。

「あの、早くしないと遅刻するわよ…!」

傍にある時計を見ると、始業時刻が刻一刻と迫っていることが分かった。
もうあれこれ悩んでいる暇はない。
…よし、決めたぞ。

「分かった…じゃなくて、分かりました!」

これからは俺がスペとして生きてしまえばいい。
せっかく神様が俺の願いを叶えてくれたんだから、仕事なんて忘れて楽しもう。
今日から俺も可愛いし、皆とキャッキャウフフできるんだ!!

「やった、やったーっ!!!!」
「ス…スペちゃん?」

俺はベッドから立ち上がり、スズカと軽いスキンシップを交わした。

「スズカさん、今日も一日よろしくお願いしますね!」
「もう、スペちゃんったら…!」
「ぐへ、えへへ…!」

甘い香りに包まれた空間に、可愛い女の子達の鈴の音のような声が響き合う。
ウマ娘になれたことを実感し、元気のチャージが120%完了する。
そして俺は急いで朝の支度に取り掛かった。

(えっとスカートは…こうか。)

驚いたことに、俺が意識しなくても身体が勝手に動いてくれる。
女物、しかもウマ娘の服の着方なんて全然知らなかったのに、てきぱきと着替え終わってしまった。
スペの脳を使っているおかげで記憶の一部が読み取れているのかも。

「よし、可愛い!」

自らの女子制服の着こなしぶりをもっと堪能したいが、生憎時間がない。
外で待ってくれているスズカのもとに駆け寄った。

「スズカさ~ん!」
「はいスペちゃん、これ。」

そこでスズカから生のにんじん一本を差し出された。
なるほど、これが俺の今日の朝ごはんというわけか。
正直戸惑ったけど、俺はそれを受け取ってウマ娘らしくかぶりついた。

(うぐっ……まず…いや、う、美味いだと!?)

そのにんじんは、ハードな噛みごたえと程よいみずみずしさが合わさって、絶妙な味を醸し出していた。
ウマ娘にならなきゃ、この美味しさには気づけなかっただろう。

「あひはほうござひまふ」

俺はやみつきになって、口一杯ににんじんを頬張った。
スズカはそんな俺の様子を見てくすっと笑ってくれた。
可愛いと何をしても許されるのだ。

「さあ、急ぎましょう。」

スズカは穏やかな口調でそう言うと、前を向き、さらりとした長髪をなびかせてびゅんと駆け出した。
俺も慌てて後を追うが、スズカは持ち前の加速力で俺を一気に突き放していく。
それはまさしく「異次元の逃亡者」の走りだった。

(スズカのやつ…たかが登校なのにいきなり速すぎる!こっちは胸が揺れて走りづらいってのに!)

これじゃあ置いてけぼりじゃないか。
やがて息が切れて、足も動かなくなる…そう思っていた。
ところがスズカの背中は、一向に小さくならなかった。

(あれ…俺、ついていけてる…?)

リズムよく呼吸が続き、足が自然と前に出ていく。
これがウマ娘として走る感覚なのか!
俺の走りはますます調子づいていき、最後にはスズカに並んで校舎前にたどり着いた。
スズカとしては軽く走っただけなのだろうが、俺はジェットコースターにでも乗ったかのような爽快感を味わっていた。

「スペちゃん、大丈夫?」
「はぁ、はぁ…!この身体、すごい…!」

こんなに無我夢中になって走ったのは、本当にいつ以来だろうか。
心臓が強く鼓動する胸に触れる。
朝の日差しが眩しくて、通り過ぎていくそよ風が気持ちいい。

(生きてるって、こんなに素晴らしかったのか!!)

スペの身体を通すと、世界が一段と色付いて見える。
走ったり、食べたり、話したり──どんな些細なことにも幸せを見つけられるのだ。
そのため、もはやこの世の中に汚いものなんて一切無いのだとさえ思えた。
聞き苦しい男声に水を差されるまでは。

「ちょっと、トレーナーさ~ん!!」
「えっ!?」

その声の主は鏡越しに何度も見たことのある人物──俺だった。
自分の身体がどうなってるかなんて想像もしてなかったけど、これってもしかして…!?

「私の身体に──むぐっ!?」
「あはは…!私、トレーナーさんと話があるので、スズカさんは先に行っててください。」
「そ、そう…。遅れないようにね。」

俺は「俺」の口と身体を拘束し、人気のない校舎裏へと場を移した。
「俺」の身体はずっと暴れようとしていたが、ウマ娘の身体相手には敵わなかったようだ。
誰もいないことを確認して、何やら言いたげな口を解放してやった。

「ぷはっ…!もう!トレーナーさんなんですよね!?」

そいつの顔を見上げると、見るからにぷりぷりとした感じの顔をしていた。
流石に俺の身体だと気持ち悪い。

「確かに俺がトレーナーだけど、そっちはスペであってる?」
「そうですよぉ…!この身体、すぐに疲れるし、全然食べられないし、力は弱いし、目は見えにくいし、スズカさんはいないし…もう散々でした…!!」
「そうか、悪かったな…。」

俺とスペの人生の格差は、今朝のわずかな時間だけでも十分に思い知らされた。
俺のゴミみたいな身体を押し付けてしまって、本当に申し訳なさが募ってくる。
まあ、実際に入れ替えたのは俺じゃないし、戻し方も知らないから仕方ないのだが。

「ところで、私の身体に変なことしてませんよね!?さっき、どさくさに紛れて私の胸に触れてるように見えましたけど!?」
「だ、大丈夫だ、何にもしてないって。なんというか、この身体になってから心も澄んで、エロい気持ちが全く湧かなくなったんだよ。」
「それならいいですけど…。これからも変なことしないでくださいね?トイレとかも禁止ですよ!?」
「いや、でもトイレ抜きは流石にキツくないか?」
「うぅ~!なら、絶対に見ないでくださいね!」
「分かったよ。約束する。」

俺は「去勢」によって綺麗な俺に生まれ変わったんだ。
絶対にエロい展開にはしないと、固く心に誓っている。

「その代わり、俺からも一つお願いしていいか?」
「え、何ですか?」
「身体が元に戻るまでスペは俺の代わりに仕事しててくれ!」
「えぇ!?それこそキツいですって!」
「大丈夫!記憶はある程度読めるみたいだし、一旦椅子に座れば何をすべきか分かるはずだって!」
「うぅ…トレーナーさんにはいつもお世話になってるので、やるだけやってみますけど…。」
「そうこなくちゃ!では、『私』は授業があるので、これで失礼しますね。『トレーナーさん』はお仕事頑張ってください♪」

俺は不安げに立ち尽くす元スペの前からさっさと立ち去り、記憶を読んで教室に滑り込んだ。
あまりの慌てぶりにクラスの注目を浴びるも、可愛く照れ笑いをしながら自分の席についた。

「スペちゃん、今日は危なかったですね~。」
「えへへ…。ちょっと用事があって。」

グラスと話をすると間もなくチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。

(この感じ、懐かしいな…。)

久々の学生生活にも心弾ませていたのだが、世の中そう甘くはなかった。

「三冠ウマ娘になるためには、皐月賞、日本ダービー…」

(やばい……!よく知った内容のはずなのに、全然頭に入ってこない…!!)

スペの記憶が入ってきた分、自分の記憶の一部が抜け落ちてしまっているようだ…。
また覚えようとしても、次々と「新しい」情報が入ってくるからスペの頭ではついていけない。

「では、スペシャルウィークさん。トリプルティアラを達成するためには、どのレースで勝利する必要がありますか?」
「えっ!?それは…えっと…。わ、分かりません…。」
「ちゃんと私の話を聞いてくださいね?」
「はい、ごめんなさい…。」

勉強が苦手な子の気持ちが身に染みて分かった。
こんな風に否定されたら、そりゃ勉強なんて嫌になっちゃうはずだ。
次の数学の授業はもっと悲惨だった。

「えっと…えっと…。」
「こんな簡単な問題も解けないのか?」

それはよくある二次方程式の問題のはずだった。
しかし、頭をフル稼働させてもさっぱり分からない。

「うぅ…ごめんなさい…。」
「もういい。別のウマ娘に当てるから。」

些細なことだけど、やけに恥ずかしくて半泣きになってしまった。
このまま頭の中までスペになってしまったら、俺は俺でなくスペそのものになってしまうのでは──そんな不安が頭を過るのだった。

「そんなに落ち込まないでください。」

授業が終わると、グラスが心配して話し掛けてくれた。

「午後からの実技の授業では、スペちゃんはきっと活躍できるはずですよ。」
「どうだろう。何か自信失くしちゃったなあ。」
「そんなときはひとまずリラックスしましょう。私と一緒にランチ行きませんか?」
「グラスちゃんとランチ…!うん、行こう!」

俺のスペらしい元気な返事に、グラスは嬉しそうに微笑んでくれた。
勉強は辛いけど、支えてくれる可愛い仲間がいるだけでもう幸せだ。
食堂に向かう途中には、グラスはさりげなく手を握ってくれた。

「最近、スペちゃんがあまり仲良くしてくれなかったので、こうして一緒になれてすごく嬉しいですよ。」
「私も、グラスちゃんともっと一緒にいたい!」

俺はグラスの手をしっかりと握り返す。
グラスのすべすべの手からは心地よい温もりを感じた。
それから二人でイチャイチャしていると、あっという間に食堂に着いた。
食堂はビュッフェ形式で、基本的に好きなものを好きなだけ取っていいらしい。
今日は朝飯が粗末だったのもありやたらと腹が減っていたので、俺は多めにご飯を盛った。

「それだけで大丈夫ですか?」
「えっ?これでも結構──」

そうだ、思い出した。
「私」はいつももっと山盛りのご飯を食べていたよね。

「よーし、もっと食べなきゃ!」

本来の俺なら食い倒れる程の量の二倍、三倍と俺は米を継ぎ足していった。
そうして出来たのが、まるでかき氷のようなご飯の山だった。
席に着いてふと我に返ったときには、その余りの量の多さに俺は圧倒された。

「やっぱりスペちゃんはそれくらい多めに食べないといけませんね。」
「う、うん…!ご飯は元気の源だからね…!」

とりあえず、千里の道も一歩からだ。
まずは一口目を思い切り頬張った。
大きすぎたかと思ったけど、胃袋はあっさりとそれを受け入れてくれた。
それどころか休む暇なく「まだか」と訴えかけてくる。
だから俺もさらに一口、もう一口と、すいすいと口の中に米を掻きこんだ。

(もっと…もっと…!)

俺の箸はもう止まらなかった。
美味しいからというよりは、食べたいからという衝動に駆られて身体が動く。
気づいたときには既に完食していた。
空っぽになった皿が寂しい。

「まだ物足りないって顔ですね。追加で食べますか?」
「う…。」

グラスの言う通り、この身体はまだまだ食べ足りなかった。
けれど、食い過ぎで太って、レースに支障をきたすわけにもいかない。

「ちょっと体重も気になるし、今日はもう止めておこうかな。」
「でもスペちゃんの場合、あとで運動すれば問題ないと思いますよ。」

そんな言葉を聞いてしまえば、俺はもう溢れんばかりの食欲に抗うことはできない。
結局腹八分目くらいまでガッツリとおかわりをしてしまった。

「でも美味しかった…。」

文字通り腹が膨れるくらいに食事を楽しんだ。
雀の涙ほどの量で満足していた昨日までの俺がますます惨めに思えてきた。

「スペちゃんはたくさん食べられてすごいですね~。私もいつかそれくらい食べてみたいです。」
「あっ、グラスちゃんごめんね。私が食べるのに夢中で待たせちゃって。」
「いいんですよ。私はスペちゃんの幸せそうな顔を見ているだけで満足ですから。」
「そんなに幸せそうだった?!」
「はい、とっても。」

場が笑顔に包まれる…この感じだ。
これを「目的」にして生きているんだって、心の底から感じた。
一方で、この状況はスペの可愛くて健康な身体だからこそ生まれたものだということを俺はよく知っている。
本来の俺は、財産や仕事のような「手段」に囚われたむさ苦しい男に過ぎない。
このギャップが俺をひどく悩ませる。

(俺もう、全部スペになってもいいんじゃないかな…。)

俺が俺であることにこだわって何かいいことがあるのだろうか。
身体だけでなく心もスペに染まって、俺を抹消したいとさえ思えてきた。
もしこれが入れ替わりじゃなければ…。

「どうしました?考え事ですか?」
「ううん、何でもない。さて、午後からの授業に備えないとね。」

その後、俺達は同性同士で何事もなく普通に体操服に着替えて、グラウンドに出た。
普段は走るのを見る側なので、ウマ娘としてきちんと走れるか心配ではある。

「スペちゃんは今日、模擬レースでしたね。頑張ってください。」
「うん、ありがとう。グラスちゃんも練習頑張ってね。」

グラスは手を振り、俺の前から離れていった。
しかし、途中で立ち止まり、再び俺の方を向いた。

「あの、一ついいですか?」

彼女の目は、俺を真っ直ぐに見つめていた。

「う、うん。」
「皆、トレーナーさんのことを大切に思っていますよ。」

グラスは笑顔でそれだけ言ってこの場を立ち去った。
ひょっとして、これは…。

(俺が消えるのは、やっぱり無しにしておこうかな。)

俺は気持ちを新たに歩み出し、ターフで競争相手達と対峙する。
どのウマ娘も入念にストレッチをしており、気合いが入っているようだ。
スペのトレーナーとして、ここは負けるわけにはいかない。
ゲートに入り、前を向いて心を落ち着かせる。
そしてスタートの合図と同時にゲートを飛び出した。
スペの脚質に合った差しの作戦をとり、まずは集団のやや後方に付ける。
前のウマ娘の背中をしっかりと追いかけていくレース展開だ。
一歩一歩地面を力強く踏みしめ、風を切って前へと進んでいく。

(あぁ…気持ちいい!!)

思い切り身体を動かしても、スタミナはまだまだ尽きることがない。
レース終盤の勝負所に差し掛かり、前の方で相手を追い抜くと、勢いにのってさらに脚が動き出す。
ついに最終直線で先頭に立った。
後はもう自分との闘いだ。
ターフの上を全身全霊で駆け抜けていく。

「はああああああ!!!」

最後は胸を突き出してゴールラインを突っ切った。
大楽勝で見事一着。
この身体はやっぱり天賦の才を持っている。

「はぁ…!はぁ…!」

俺は息を切らしながら、雲一つない青空を見上げた。
日本一のウマ娘になるという尊い夢は、夢のままでは終わらせない。
そしてそのためには、「トレーナー」の力が不可欠であるはずだ。

(…めげてる場合じゃないよな。)

レース終了後、俺はチームの部室のドアを開けた。
それと同時に、クラッカーの音が鳴り響いた。

「「トレーナー(さん)、誕生日おめでとう(ございます)!!」」
「…やっぱりかあ。」

部室には、俺の担当ウマ娘達が大集結していた。
実は今日は俺の誕生日だったのだ。
しかもこいつらは俺の正体を知っている。
これが指し示すことは…。

「身体が入れ替わったのは、お前らの仕業だったのか。」
「その通り。ここ最近、アンタが死んだ目をしてるから、タキオンさんに相談して『休み』をプレゼントしてあげたの。」
「ああ、おかげで実に興味深いデータが得られたよ。」

どうやら俺は、タキオンの新薬の治験に付き合わされていたようだ。

「スペちゃんの真似をしているトレーナーさん、可愛かったですよ。」
「トレーナーがエロいことしなくて安心したぜ。」

スズカやゴルシからそんなことを言われて、次第に恥ずかしくなってくる。

「お前らなあ…黙ってこんなことするなよ…!」
「そうだよ!私なんて今日一日、仕事ですごく大変だったんだよ!?」
「まあまあ、二人とも落ち着いてください。」
「そんなことよりトレーナー、ケーキ食べて食べて~!みんなで作ったんだよ~!」
「切り分けなくていいのか?」
「スペちゃんの身体なら、一人で全部食べられますよね?」
「あ、そっか。」

グラスの言う通り、俺はケーキをぺろりと平らげてしまった。
ケーキにしては何か刺激的な味がしたような気がするけど、まあ気にしないでおこう。

「今日は俺のためにありがとうな。ケーキ、美味しかったぞ。」

そう言うと皆笑顔で喜んでくれた。
俺が気付かなかっただけで、俺はこんなにも信頼されていたのか。
俺の仕事での頑張りがようやく報われたような気がした。

「それじゃあ、お祝いも終わったことですし、私たちの身体を元に戻してもらいましょうか。」
「も、もう戻すのか…。」
「当たり前です!もうずっと元に戻りたかったんですから!」

それは非情な現実だった。
トレーナーとしてウマ娘達の役に立ちたい気持ちは確かにあるけど、この幸せな世界を手放すのは辛い。

「なあ、元に戻すのはいいけど、今後は週に一回、いや二回、三回…可能なら七回くらい俺と入れ替わってくれないか?」
「はい?何言ってるんですか?!」
「頼むよ…このままだと俺、仕事のストレスで禿げちゃうよ…。」
「それはお母ちゃんからもらった大切な身体なんです!トレーナーさんにはあげません!」
「うぐぅ…。」

もうダメだ…。
辞世の句を詠もう。
仕事に病んで夢はターフをかけ廻る

「なら、今度は私がトレーナーさんと入れ替わりましょうか?」
「えっ!?」

その提案をしてくれたのは、グラスだった。

「本当にいいのか!?俺のゴミみたいな身体になって!?」
「そんなに卑下しないでください。『困ったときはお互い様』ですよ。」
「じゃあボクも、たまになら入れ替わってあげてもいいよ。」
「私もトレーナーさんの力になりたいですわ。」
「アンタが変なことしないって約束するならアタシも。」
「お、お前らぁ…!!」
「はぁ…これじゃあまるで私が悪者みたいじゃないですかぁ…。」

結局、いろんなウマ娘達が俺と入れ替わるようになってくれて、俺は仕事詰めの生活から解放されることになった。
そんな訳で、今日は朝からマックイーンと入れ替わっている。

「ただし、メジロの名にふさわしい行動を心がけてくださいまし。」
「もちろん…ですわ!」

喜びも苦しみも分かち合う。
ウマ娘との入れ替わりが、俺の暗い人生を希望で照らしてくれた。

<おまけ>

スペとトレーナーの身体が元に戻った日の夜、スペとスズカは二人で語らっていた。

「ねえスペちゃん、今度は私達で身体を入れ替えてみない?」
「えぇ!?ス、スズカさんとですか!?」
「嫌だったかしら…?」
「いえ!全然そんなことはないですけど、スズカさんが私なんかと入れ替わって大丈夫なのかなって。」
「大丈夫よ。私はスペちゃんと入れ替わって、お互いにもっと分かり合いたいと思うの。」
「そうだったんですか…!分かりました!入れ替わりましょう!」

こうしてスペとスズカはともに入れ替わり薬を飲み、床に就いた。
スペは明日のことを考えるとドキドキしてなかなか寝付けなかった。
初めて生でレースを見たときの、スズカのあのかっこいい姿が頭の中で思い起こされる。

(私、あのスズカさんになれちゃうんだ…!!)

隣で寝ているスズカの方を見やる。
長くて綺麗な髪、大人びた端正な顔、すらりとした身体──その全てが、スペの憧れだった。
ターフの上を颯爽と駆けていくスズカの姿に自分を重ね合わせているうちに、スペはいつの間にか眠っていた。



次の朝、先に目を覚ましたのはいつも通りスズカの方だった。
スズカはばっと身体を起こすと、驚いた顔をしながら自分の身体を確認した。

「わあっ…!!すごい、本当にスズカさんの身体になってる!!声までスズカさんだ!あ~♪あ~♪」

スズカは満面の笑みを浮かべつつ、平らな胸をさすったり、滑らかな髪を撫で回したりした。

「よーし、今日はスズカさんとして頑張るぞー!」

スズカはガッツポーズを作り、ベッドから立ち上がった。
隣のベッドを見ると、いつも通りスペが寝相を悪くして眠っていた。

「私って、いつもこんな感じなんだ…。」

自分のことが情けなくなってきて、スズカは苦笑いをする。
それと同時に、スペの締まりのない姿を見ていると、スズカは何か胸が疼くような感じがした。

(あれ、どうしたんだろう…?自分の身体なのに…。)

寝ているのをいいことに、スペの身体に触れてしまおうか…。
そんな変な考えがスズカの頭に浮かんできた。

(いやいや、おかしいって!もう、何でこんなにドキドキするんだろう…?!)

スズカは胸のドキドキを振り払い、普通にスペを起こすことにした。
「スペ」の方が面倒を見る側になることはめったにないので、スズカはあべこべな感じにどぎまぎしていた。

「ス、スズカさん、もう朝ですよ。ランニングに行きませんか?」

スズカの声に目を覚まし、スペはうつ伏せの身体をゆっくりと起こした。
そして目の前にいるスズカをまじまじと見つめた。

「スペちゃん…なのよね?」
「はい。昨日の薬が効いて、ちゃんと入れ替われたみたいですね。」
「じゃあ、この身体もスペちゃんの…!」

スペの視線は自身の胸へと惹き付けられた。
視界を大きく占有している異物に、スペはそっと触れてみた。

「ウソでしょ…。」
「スズカさん!?な、何をしてるんですか!?」
「ごめんね。珍しいものだからつい…。」

二人はその後、お互いの身体に合った服を着てランニングに出掛けた。
それは自分の走りに足りないものを見つけるきっかけとなるのだが、また別の話だ。
これからの二人ならきっと、どんな困難も入れ替わりで分かち合って乗り越えていけるはずだ。



<あとがき>

ここまでお読みいただきありがとうございました。
十年ほど前、おそらく「ココロコネクト」のアニメに影響を受けて入れ替わりの小説やSSを読み漁っていたのですが、その際にはTS解体新書様にはとてもお世話になりました。
特に初めて訪れたときには、入れ替わり、憑依、皮モノといったジャンルの奥深さに衝撃を受け、連日徹夜するほどに没頭したものでした。
当時の私に夢を与えてくださった先駆者の方々にはこの場をお借りしてお礼を申し上げます。