やっぱりスカート #28 Aライン

作:夏目彩香 by Saine

※この小説は夏目彩香風の小説が書けるように独自に調整したAIエンジン「Saine」(通称)を執筆に用いています。



秋の澄んだ朝日が、マンションのリビングに差し込んでいた。

影山隼人(かげやまはやと)は、昨日から穿いていたディープグリーンのフレアパンツとアイボリーのニットという「母親の部屋着」のまま、ソファで欠伸をしている長女の美波(みなみ)に声をかけた。

「ちょっと、出かけてくるわね」

「はーい、いってらっしゃい」

美波はテレビから目を離さずに軽く手を振った。自分が「今朝の母親の姿」を美波にしっかりと認識させたことを確認し、影山(美咲の姿)はマンションを出た。

向かったのは、マンションから歩いて片道15分ほどの場所にある、本物の若本美咲(わかもとみさき)が昨夜から泊まっていたビジネスホテルだ。

「おはようございます、影山さん。……昨夜は、ありがとうございました」

ホテルの客室のドアを開けた本物の美咲は、チャコールグレーの上質なセットアップに身を包み、大人の女性らしい落ち着いた余裕の中に、少しだけ照れくさそうな微笑みを浮かべていた。

「おはようございます。……娘さんたち、俺の手料理もケーキも、すごく喜んでくれて。俺の方が、素敵な時間をもらってしまいました」

影山(美咲の姿)が少し高めの声で報告すると、美咲は心底嬉しそうに目を細めた。そして、パウダールームの大きな鏡の前へと彼を促した。

「それじゃあ、早速ですけど。……始めましょうか」

合流した二人は、互いの服を脱ぎ、静かな着替えの儀式を始めた。影山は部屋着のフレアパンツとニットを脱ぎ、美咲は昨日から着ていたチャコールグレーのセットアップをハンガーに掛ける。

「まさか、下着まで完全に交換するなんて……」

影山(美咲の姿)が、顔を真っ赤にしながら、美咲から手渡された小さな布地を見つめる。

「だって、細かいところまで完全に一致させないと、娘たちの前でどこでボロが出るか分からないでしょう?」

美咲は悪戯っぽく微笑みながら、影山が脱いだばかりの飾り気のない下着を当然のように受け取った。

影山は震える手で、美咲が先ほどまで身につけていた黒の総レースのランジェリーへと腕を通した。極薄のレースが、女性の柔らかな素肌にピタリと密着する。まだ彼女の微かな体温と、大人の女性特有の甘く深い香りが、布地の繊維の奥深くに残っているのが分かった。

女性の身体になっているとはいえ、中身は大人の男だ。愛する女性の最もプライベートな布を直接肌に纏い、彼女の体温の残滓を自分の細胞で直接受け止めているという事実に、影山の胸の奥がドクンと大きく高鳴った。背徳感と、彼女にすべてを委ねられているような圧倒的な親密さが混ざり合い、少々抑えきれない興奮で息が熱くなる。

そして、その様子を鏡越しに見つめている本物の美咲もまた、胸の奥でゾクッとするような甘い熱を感じていた。

自分が身につけていた最も肌に近い布を、「彼」が身につけ、自分を意識して頬を赤く染め、熱い吐息を漏らしている。普通の恋愛関係とは全く違う。相手が自分と同じ姿になり、自分の服と体温を共有し、自分の身体を通して自分を感じてくれている。それは、不器用な彼に対する独特で倒錯的な『恋』の形だった。

(この人は今、私のすべてをその身体で感じてくれている)

その静かな興奮が、美咲の頬を微かに桜色へ染め、彼女の大人びた気高さの中に隠された女性としての柔らかい熱をじんわりと引き出していた。

下着の上から、影山は美咲が今日ホテルから着て帰るはずだった、深いネイビーのAラインスカートと、オフホワイトのシルクブラウスを身に纏った。

フロントの小さな真珠のようなボタンを1つずつ留め、サイドファスナーを引き上げる。

腰回りをキュッと引き締める張りと、裾へ向かって落ちる確かな重み。Aラインスカート特有の凛としたシルエットが、強制的に骨盤を立て、背筋を引き上げる。

昨日までの、エプロンを掛けた親しみやすい「家庭の母親」の姿はそこにはない。たっぷりとしたジャージー素材のフレアパンツがもたらしてくれた無防備な解放感から、社会の視線に晒される「一人の気高く美しい大人の女性」へと、明確にスイッチが切り替わった感覚があった。

「よし……これで」

影山が鏡の前で小さく息をついた時、フレアパンツとニットに着替えた美咲が、洗面台の横から小さなコスメポーチを手に歩み寄ってきた。

「待って。まだ少しだけ、お母さんとしての『隙』が残っているわ。……これから外に出るんだから、お化粧も少しだけ直しさせて」

美咲は柔らかく微笑むと、影山をパウダールームのスツールに座らせ、その正面に立った。

至近距離で、自分と全く同じ顔をした愛する人が、真剣な眼差しでこちらを見下ろしている。

「目を閉じて、少し顎を上げて」

美咲の細くひんやりとした指先が影山の顎に添えられ、ゆっくりと上を向かされる。

ファンデーションのパフが頬を滑り、アイシャドウのブラシがまぶたに微細な摩擦を生む。そして最後に、重厚な真鍮のルージュが、影山の唇の輪郭を丁寧になぞっていった。

唇を覆う蝋の重み。油分の密閉による粘膜呼吸の遮断。それは、大柄な男性としての無骨な感情や粗野な発声を強制的に飲み込ませ、大人の女性としての気高い静寂を強いる、絶対的な烙印だった。

美咲の甘い吐息が直接顔に掛かるほどの距離。彼女が自分の顔に触れるたび、影山の胸の奥の甘い熱がさらに温度を増していく。同時に、美咲もまた、自分と同じ顔をした男性に自分の手で「社会へ出るための鎧」を施しているという事実に、先ほどの下着交換から続く不思議な高揚感を覚えていた。

「……うん、完璧ね」

美咲がルージュを離し、満足そうに微笑む。

鏡に映る影山の姿は、もはや一切の隙もない、洗練された大人の女性そのものだった。ルージュの重みとAラインスカートの張力が、完全に彼の精神を大人の女性へと調律していた。

「じゃあ、私が『朝ちょっと出かけて、戻ってきたお母さん』として先に帰るわ。影山さんは、1時間くらい時間を潰してから『ホテルから朝帰りしたお母さん』として帰ってきてね」

「分かりました。……美波さんたちを、驚かせないようにしないと」

影山は、Aラインスカートの張りを腰に感じながら、真っ直ぐに頷いた。

しかし、この入れ替わりと時間差の帰宅が、若本家のリビングで取り返しのつかない大パニックを引き起こし、影山自身をさらなる変身の連鎖へと引きずり込むことになろうとは、この時の二人はまだ知る由もなかった。

美咲からの指示通り、外で1時間ほど時間を潰してから。

影山(美咲の姿)は、極度の緊張に胸を鳴らして若本家の玄関の鍵を開けた。

「ただいまー、遅くなっちゃってごめんなさいね」

できる限り美咲の落ち着いたトーンを模倣し、カツ、カツとヒールの音を響かせて廊下を進む。腰回りをキュッと引き締めるネイビーのAラインスカートの張りが、骨盤を垂直に立て、大人の女性としての気高い姿勢を強制的に保たせてくれていた。

少しだけ深呼吸をしてから、リビングのドアを開ける。

しかし、そこで影山の視界に飛び込んできたのは、予想通りの、そして最悪の光景だった。

リビングのダイニングテーブルには、部屋着であるディープグリーンのフレアパンツとアイボリーのニットを着た「本物の美咲」と、休日のコットンマキシスカート姿の美波が、向かい合って紅茶を飲んでいたのだ。

「えっ……お、お母さん?」

美波が、紅茶のカップを持ったまま、玄関から入ってきた「Aラインスカート姿の美咲」を見て、目を丸くした。

目の前で微笑んでいる「フレアパンツの美咲」と、ドアの前に立つ影山を、ギギギ、と錆びた機械のように交互に見比べる。

「えっ……えええええええええっ!?」

美波の鼓膜を劈くような絶叫が、リビングに響き渡った。

「お、お、お母さんが、二人いるぅぅぅ!?」

「あ……いや、これは……っ!」

影山(美咲の姿)は、完全に思考が停止し、Aラインスカートの裾を強く握りしめた。美咲が先に帰っているとは知っていたが、まさか美波が起きているリビングで、こうして真正面から鉢合わせるタイミングになるとは思っていなかったのだ。

「嘘でしょ!? なにこれ、どういうこと!? ドッペルゲンガー!?」

いきなり母親が二人いる状態に、美波は完全にパニックを起こし、オーバーサイズのスウェットパーカーとコットンマキシスカートの裾を踏みつけながら激しく後ずさった。

ドッペルゲンガー!? と怯える一方で、美波の頭の片隅には、先日ショップのバックヤードで解読したあの『秘密のノート』の存在がフラッシュバックしていた。

(もしかして……あのノートに書いてあった魔法が、本当にあるの!? じゃあ、どっちかが偽物ってこと……?)

その考えが脳裏をよぎった瞬間、後ずさった美波の背中が、リビングの壁際に置かれていた背の高い木製シェルフに激しく激突した。

ガシャンッ!

鈍い音とともにシェルフが大きく傾き、一番上の段に飾られていた分厚く重い木製の装飾箱が、バランスを崩して美波の頭上へと落下してきた。

「美波!」

本物の美咲が悲鳴を上げる。

その絶体絶命の瞬間。影山の筋肉が、思考を完全に置き去りにして爆発的に弾けた。

腰回りを隙間なく密着させていたネイビーのウール生地が、ビリッと悲鳴を上げるのも構わず、影山はAラインスカートの限界歩幅を完全に無視して力強くフローリングを蹴り上げた。

大人の男としての精神が、華奢な女性の骨格を限界まで駆動させる。目の前にいるのは、愛する女性が女手一つで大切に育ててきた、絶対に傷つけてはいけない娘。

『この子を、俺が盾になってでも絶対に守り抜く!』

影山は落下地点へ滑り込み、美波の身体を背中からすっぽりと抱き込むようにして床へ転がり込んだ。その際、影山の白い指先が、美波が着ていたスウェットパーカーの背中側の生地を、力強く、そして確実に掴み取っていた。

『対象の衣服に触れ、盾とならんとする強烈な庇護の渇望を抱く時』。

その強烈なスパークが、影山の脳内でバチリと弾けた。

ドンッ!という鈍い音とともに、落下してきた木箱が影山の背中を打つ。

と同時に、影山の視界が急激な変化を起こした。

腰回りを強固に締め付けていたAラインスカートの絶妙な緊張感と、肌を滑るシルクブラウスの冷たい感触が、一瞬にして消失したのだ。代わりに身体を包み込んだのは、ダボッとしたスウェットパーカーの重みと、足首まですっぽりと覆うチャコールグレーのコットンマキシスカートの、ウエストの締め付けがない柔らかな解放感だった。

背中に受けた木箱の衝撃は、大人の男性の分厚い筋肉の防御とは全く違う、華奢な少女の痛覚に鋭く響く頼りないものだった。

「……いたっ」

床に倒れ込んだまま影山が漏らした声は、大人の女性のものではなく、少し高くて艶のある女子高生のものへと変わっていた。

リビングに、不自然なほどの静寂が落ちた。

美波が恐る恐る目を開ける。自分の身体は無傷だった。しかし、自分に覆い被さっているその人物を見て、美波は息を呑んだ。

ネイビーのAラインスカートを着たもう一人のお母さんはどこにもいない。目の前で痛みに顔を歪めているのは、スウェットパーカーとマキシスカートを着た、自分と全く同じ姿の「もう一人の若本美波」だった。

美波の頭の中で、すべての点と線が完璧に繋がった。

「やっぱり! ノートに書いてあった通りだ! ……もしかして、後から来たお母さんの偽物って、影山さんだね!?」

その名前がリビングに響いた瞬間、影山(美波の姿)の肩がビクッと大きく跳ねた。

「なっ……! ど、どうして俺の名前を……!」

影山が女子高生の高い声で狼狽えると、美波の顔に恐怖はなく、歓喜に満ちたイタズラっぽい笑みがパァッと広がった。

「もう、お母さんも影山さんも、ドッペルゲンガーとか言って私をからかおうとしたんでしょ? 全部お見通しなんだから!
ねぇお母さん、せっかくだから、このまま双子コーデして遊んでもいい!?」

「えっ……双子コーデ!?」

影山(美波の姿)は、マキシスカートの裾を握りしめたまま、素頓狂な声を上げた。

美波はすでに自分の部屋へと駆け出し、クローゼットから二着の服を抱えて戻ってきていた。

「どうせ変身しちゃったんだし! 昨日、お母さんの真似して買ったばっかりのやつ! 私がネイビー着るから、影山さんはボルドーね!」

「ちょ、ちょっと待ってください! 俺が、こんな……!」

「ほら、早く着替えないと、いつまでたっても元の姿に戻してあげないよ?」

美波の悪魔のような脅迫に、影山は涙目になりながら本物の美咲の方へ助けを求めた。しかし美咲は、止めるどころか少し困ったように眉を下げながらも、どこか楽しそうに艶やかな微笑みを浮かべているだけだった。

数分後。

リビングの姿見の前に、ネイビーとボルドーのシミラールックに身を包んだ、双子の女子高生が並んで立っていた。

影山(美波の姿)は、アイボリーのブラウスの胸元で手を固く握り合わせながら、深いボルドー色のAラインスカートの着心地に息を詰まらせていた。

腰からヒップにかけては隙間なく密着し、膝下に向かってアルファベットの『A』を描くように凛と広がる。ウエスト回りをキュッと引き締める生地の張りと確かな重みが、強制的に骨盤を立て、背筋を真っ直ぐに引き上げる。先ほどまで着ていた部屋着のマキシスカートのダボッとした解放感とは違う、外の世界へ出るための「気高い緊張感」だった。

「うわあ、すごい! 影山さん、私より姿勢がいいから、Aラインのシルエットがめちゃくちゃ綺麗に出てる!」

ネイビーのAラインスカートを着た美波が、嬉しそうにはしゃぐ。

「……なんだか、見世物になっている気分です」

影山が恥ずかしそうに呟くと、美波はポンと手を打った。

「そうだ! 私と同じ顔なんだから、私の双子のお姉ちゃんで『美希(みき)』って名前はどう!? 私が美波で、お姉ちゃんが美希! 決定!」

「み、美希……俺が、お姉ちゃん……?」

異常事態すらも一瞬にしてファッションと遊びに変換してしまう。その底知れぬ胆力と、「美波」から「美希」へと軽妙に文字を繋げるネーミングセンスの奥底に、服を楽しむ気高さと柔軟な適応力を持ったアパレル店長・若本美咲の濃い血脈が、間違いなくこの娘にも受け継がれていると影山は感じ取っていた。

本物の美咲も、娘の容赦ないイタズラと影山のタジタジな様子を見て、ついに堪えきれずに「ふふっ!」と声を上げて笑っている。

「じゃあ美希お姉ちゃん! 次のミッションね。まだ隣の部屋で爆睡してる妹の咲(さき)を、私のふりをして起こしてきてよ!」

美波に背中をグイグイと押され、影山(美希の姿)は、深いボルドー色のAラインスカートの重みと張りを腰に感じながら、半ば強制的に咲の部屋のドアの前へと立たされた。

「ほら、早く! ちゃんと私の口調を真似して起こしてよ!」

背後から美波が小声で急かしてくる。影山は、女子高生の細い息を1つ吐き出し、覚悟を決めてドアノブを回した。

カーテンが半分閉まった薄暗い部屋の中。ベッドの上では、次女の咲が、ボーイッシュなグレーのオーバーサイズスウェットとネイビーのスウェットパンツという部屋着姿で、掛け布団を抱き込むようにして丸くなって寝息を立てていた。

「えっと……」

影山は、Aラインスカートの美しいシルエットを崩さないようにベッドサイドへ歩み寄ると、少しだけ語尾を伸ばす美波特有のイントネーションを必死に脳内で組み立てた。

「さ、咲ー。朝だよ、もう起きなよー」

影山(美希の姿)が少し高めの声帯を震わせて呼びかけると、咲が「んん……」と微かな唸り声を上げ、目を擦りながらのそりと上半身を起こした。

「ん……なに、お姉ちゃん。今日休みじゃん……」

まだ半分夢の中にいるような寝ぼけ眼で、咲が顔を上げる。

しかし、その視界には、ベッドのすぐ横に立つ影山(美希)と、ドアの隙間からこちらを面白そうに覗き込んでいる本物の美波の姿が、完全に重なって映っていた。

「……え? お姉ちゃん? なんで、二人……」

咲は、完全に状況が飲み込めず、目をぱちぱちと瞬かせた。

「夢……? わっ!」

混乱した咲が、ベッドの上でバランスを崩し、シーツに足を取られて壁側へよろけた。その瞬間、咲の肩が、枕元にうず高く積み上げられていた分厚いファッション雑誌や図録の山に激しくぶつかった。

ドサササッ!

雪崩を打って、角の鋭い重い雑誌の束が、ベッドに座り込んでいる咲の頭上へと勢いよく降り注いでくる。

「危ないっ!」

影山の筋肉が、またしても完全に理性を置き去りにして弾けた。

ボルドーのAラインスカートの気高い緊張感を無視し、ベッドの上へ覆い被さるように飛び込む。咲の頭を両手で庇うと同時に、影山の白い指先が、咲が穿いていたネイビーのスウェットパンツの太腿の生地を、力強く掴み込んでいた。

『対象の衣服に触れ、盾とならんとする強烈な庇護の渇望を抱く時』。

この日2度目の、そして彼にとっては3度目となる強烈なスパークが、影山の脳内でバチリと弾けた。

ドンッ、という鈍い衝撃とともに、分厚い雑誌の角が影山の背中や肩を打つ。

と同時に、影山の視界と身体の質量が、再び急激な書き換えを起こした。

ウエスト回りをキュッと引き締めていたAラインスカートの気高い張力と、アイボリーのブラウスの感触が一瞬にして消失した。代わりに身体を包み込んだのは、ダボッとしたグレーのオーバーサイズスウェットと、両脚を自由に動かせるネイビーのスウェットパンツの、無防備で柔らかな解放感だった。

「いたた……」

雑誌の下敷きになった影山が、短い声で呻いた。その声は、美波の少し艶のある声から、咲特有の少しハスキーでボーイッシュな響きへと変わっていた。

「……えっ?」

影山の下敷きになっていた本物の咲が、目を丸くして影山を見つめている。そこにいたのは、ボルドーのスカートを着た姉の姿ではなく、自分と全く同じ顔、同じ髪型、同じスウェットを着た「もう一人の若本咲」だった。

ドアの隙間から見ていた美波が、歓喜の悲鳴を上げて部屋に飛び込んできた。

「うわあああ! また変身した! 今度は咲になっちゃった!」

影山は、自分が今度はショートボブの「咲」の姿に、まさかの三重変身をしてしまったことに気づき、スウェットの袖で顔を覆って絶望的な溜息を吐いた。

数分後。

リビングのソファで、落ち着きを取り戻して紅茶を飲んでいた本物の美咲の前に、グレーのオーバーサイズスウェットとネイビーのスウェットパンツという、完全に同じ部屋着姿の少女が二人、気まずそうに並んで歩いてきた。その後ろから、ネイビーのAラインスカートを揺らしながら、美波が楽しそうについてくる。

「お母さん……また変身しちゃったみたい。咲が危なくって、影山さんがまた庇ってくれて……」

美波が報告すると、美咲は手にしていたティーカップをソーサーにコトンと置き、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。

「あははっ! さあ、じゃあ次は、どっちが本物の咲か、見分けるテストだね!」

美波が手を叩いてはしゃぎ、二人の「咲」を強引にリビングの大きなソファへと並んで座らせた。

「えっと……どっちだろう。顔も背格好も、服のヨレ具合まで完全に同じだし……わかんないや。さあお母さん、どっちが影山さんでしょう!」

美波は早々にお手上げ宣言をし、美咲に判定を委ねた。

美咲は、ゆっくりとソファの前に立ち、全く同じ顔をして並んで座る二人の「咲」へ、アパレル店長としての鋭利な観察眼と、母親としての真っ直ぐで深い愛情を込めたプロフェッショナルな瞳を向けた。

同じ顔、同じショートボブ、同じダボダボのグレーのパーカーと、ネイビーのスウェットパンツ。 一見すれば、鏡に映したように完全に瓜二つの存在だ。

しかし、毎日数え切れないほどの客の「服と身体の連動」を見極め、娘の成長を誰よりも近くで見守り続けてきた美咲の目には、二人が発している『物理的な摩擦と重心の違い』が、まるで別の言語のように明確に浮かび上がって見えていた。

まず、右側に座っている咲。 彼女はソファに腰を下ろす際、ダボッとしたスウェットパンツの生地の重みや摩擦など一切気にすることなく、ドスンと無防備に腰を落とした。両脚の膝はだらしなく開き、背もたれに完全に体重を預けている。長すぎるスウェットの袖口から指先を半分だけ覗かせ、片手で眠そうに目を擦っている。そこにあるのは、締め付けのない部屋着特有の解放感を100パーセント享受しきった、年相応のガサツで無防備な「本来の咲」の身体運用そのものだった。

対して、左側に座っている咲。 彼女(彼)は、ルーズなスウェットパンツを穿いているにもかかわらず、ソファに腰を下ろす直前、ほんの僅かだが、太腿の生地を親指と人差し指でそっと摘み上げようとする仕草を見せた。それは、先ほどまで身に纏っていたAラインスカートの裾を無意識に整えようとした、気高い大人の女性の所作の残滓だ。

さらに、座った後の姿勢も決定的に違っていた。
左側の咲は、部屋着の圧倒的な解放感の中にありながら、両膝を不自然なほどピタリと隙間なくくっつけ、背筋を真っ直ぐに伸ばして硬直している。ダボダボであるはずのグレーのパーカーの腹部に、だらしないシワが一つも寄っていない。それは、大柄な男性が借り物の華奢な身体を絶対に汚さないよう、そしてこの場における「大人の男性としての慎み」を無意識に保とうとしている、極端に張り詰めた緊張感の表れだった。

(……それに)

美咲は、もう一つのレイヤー――母親としての視点で、左側の咲の瞳を覗き込んだ。

右側の本物の咲が「なんで私、二人いるの……?
めっちゃ眠いんだけど」と、状況の異常さよりも自分の生理的な欲求を優先させてぼやいているのに対し。
左側の咲は、美咲と目が合った瞬間、ビクッと肩を跳ねさせ、スウェットの袖口を両手でギュッと固く握りしめた。その少しだけ潤んだ瞳の奥には、愛する女性の娘の姿に三度も変身してしまった強烈な羞恥心と、「またあなたのご家族をパニックに巻き込んでしまった」という、不器用で真っ直ぐな謝罪の色が、痛いほどに滲み出ている。

美咲の胸の奥が、愛おしさと温かい熱でギュッと締め付けられた。

対象の服に触れ、その人を守りたいと強く願うことで変身する魔法。
先ほど美波の姿になっていた彼が、今度は咲の姿になっているということは。咲の身に危険が及び、彼がまた自分の思考を完全に置き去りにして身を呈し、娘を無傷で守り抜いてくれたという、絶対的な証明だ。

男としての無骨な威厳を失うような女子高生の姿になってでも、自分の大切な家族を何度も守ってくれた。その事実が、だぼだぼのスウェットパンツに包まれた彼の硬直した脚のラインから、痛いほどに伝わってくる。

美咲はゆっくりと歩み寄り、キャメルのハイウエストスカートが作る気高いシルエットを静かに揺らして、左側に座る咲(影山)の目の前へとしゃがみ込んだ。

そして、その華奢で震える肩に、そっと優しく、慈しむように両手を置いた。

「……お怪我は、ありませんでしたか? 影山さん」

その静かで温かい言葉が落ちた瞬間。左側の咲(影山)は大きく目を見開き、そして観念したように、真っ赤になった顔をスウェットの大きな襟元の中に隠すようにして深く俯いた。

「……申し訳、ありません。また、こんな姿を……」

女子高生の声帯から漏れたその震える声には、大人の男性の不器用な誠実さがぎっしりと詰まっていた。

「わあ、すごい! お母さん、一瞬で当てちゃった!」

美波が手を叩いて歓声を上げ、隣で事態をようやく飲み込み始めた本物の咲が「えっ、そっちが影山さん!?」と目を丸くしている。

美咲は、ハイウエストスカートの腰回りの張りを心地よい支えとして感じながら、スウェットに顔を埋めて小さくなっている彼(咲の姿)の頭を、そっと優しく撫でた。

「謝らないでください。あなたが、二度も私の大切な娘たちを守ってくれたんですから。……本当に、ありがとうございます」

不器用な大人の男が、服の重みと極限の庇護欲を通じて、彼女たちの「新しい家族」の輪のド真ん中へと、少しの強引さと圧倒的な温もりをもって引きずり込まれていく。

秋の休日の穏やかな朝、若本家のリビングに、姉妹の明るい笑い声と、新しい家族の誕生を告げる柔らかい衣擦れの音が、どこまでも温かく響き渡っていた。

美咲は、グレーのオーバーサイズスウェットとネイビーのスウェットパンツに身を包んで小さくなっている影山隼人(咲の姿)の頭から、ゆっくりと手を離した。自分が穿いているキャメルのハイウエストスカートがもたらす大人の余裕と気高さを保ったまま、彼女はふわりと艶やかに微笑んだ。

「さて、影山さん。……そろそろ、元の姿に戻るための『解除の儀式』をしましょうか」

「あ……はい」

影山(咲の姿)は、女子高生の少しハスキーな声帯を震わせて頷き、隣に座っている本物の咲の方へと向き直った。ノートに記されていた解除の条件。『対象、またはその血を分けた者の耳たぶに触れ、絶対的な安堵の息を吐くこと』。

影山が震える細い指先を咲の耳たぶへ伸ばそうとした、その時だった。

「ちょっと待ったー!」

長女の美波が、自分のスマートフォンを両手で構え、カメラのレンズを影山の方へと向けた。

「せっかく一人ずつ元に戻っていくんだから、動画回すね! はい影山さん、解除する前に、今の咲の姿でカメラに向かって『決めポーズ』と『お決まりのセリフ』をお願い!」

「ええっ!? き、決めポーズって……俺がですか!?」

影山は、ダボダボのスウェットの中で大柄な男の精神を縮み上がらせて狼狽えた。しかし、画面越しにキラキラと期待の眼差しを向けてくる美波と、面白がってクスクス笑っている美咲の視線から逃げることはできなかった。

「……っ」

影山は覚悟を決め、少しだけヤケクソ気味にスウェットの長い袖を腕まくりした。そして、ボーイッシュな咲の身体の軽さを活かして、カメラに向かって勢いよくピースサインを突き出し、ウインクまでしてのけた。

「……っし! 今夜も、朝までゲームで徹夜だぜっ!」

少しハスキーな声を弾ませた、元気いっぱいの咲らしい(?)完璧なアイドルのようなキメ顔。いつもは真面目で無骨な影山の中に隠されていた、実はお茶目でノリの良い一面が爆発した瞬間だった。

「ぶはははっ! 咲より全然可愛いし! 最高!」

美波が大爆笑し、本物の咲が「ちょっと、私そんなキャラじゃないし!」と顔を赤くして抗議する。

「お、お願いします、早く解除を……っ」

羞恥で限界を迎えた影山は、真っ赤になった顔のまま、慌てて隣の咲の柔らかな耳たぶへそっと触れた。スウェットパンツのダボッとした解放感の中で、自分が彼女を傷一つなく守り抜けたという事実を噛み締め、深く、静かに安堵の息を吐き出す。

フゥ……という長い呼気とともに、影山の身体を不思議な浮遊感が包み込んだ。

ドンッ、という微かな衝撃音。

下半身を覆っていたスウェットパンツの無防備な解放感が、一瞬にして消失した。代わりに、骨盤の周りを隙間なく強固に縛り上げるような、ウール混紡生地の強い張力が復活する。腰からヒップにかけてピタリと密着し、そこから膝下へと向かってアルファベットの『A』を描くように凛と広がる、深いボルドー色のAラインスカート。上半身には、アイボリーのブラウスが華奢な肩のラインをすっきりと整えている。

「わあ、美希(みき)お姉ちゃんに戻った!」

美波が、スマホのカメラを向けたまま歓声を上げた。影山の姿は、ボーイッシュな次女から、ボルドーのAラインスカートを着た長女の双子の姉「美希」へと、一つ前の段階へ巻き戻っていた。

「……っ」

影山(美希の姿)は、姿勢を保つために無意識に腹筋へ力を込めた。先ほどの部屋着のダボダボ感から一転、ウエスト回りをキュッと引き締めるAライン特有の生地の張りと確かな重みが、強制的に骨盤を立て、背筋を真っ直ぐに引き上げる。外の世界へ出るための「気高い緊張感」が、若い女性の身体を美しく、そして少しだけ大人びて見せる、あの独特の摩擦感だった。

「はい、次は美希お姉ちゃんの番! カメラに向かってキメて!」

美波の容赦ない無茶振りが続く。影山は、ボルドーのAラインスカートの膝の上で小さく息を整えると、今度は少しだけ上品にお嬢様らしく、スカートの裾を両手でふわりと小さく持ち上げてみせた。

「……ふふっ。食後の紅茶のおかわりは、いかがかしら?」

少し首を傾げ、艶やかな声で澄ましてみせた完璧な令嬢ポーズ。

「うわ、めっちゃあざとい! お姉ちゃんキャラ完璧じゃん!」

咲が手を叩いて爆笑し、美波もカメラを持ったまま肩を震わせている。43歳の無骨なカメラマンが、意外にもノリノリで女の子の着せ替えとロールプレイを楽しんでいるそのお茶目なギャップに、美咲も堪えきれずに声を出して笑っていた。

「……っ、もう限界です……」

影山(美希の姿)は耳まで真っ赤にしながら、カメラを構える美波の耳たぶへと細い指先を伸ばした。落下してくる木箱から彼女を守り抜けた温かい感触を思い出し、再び心の底から安堵の息を長く吐き出す。

ドンッ。

再び視界が微かに揺れ、身体の質量が書き換わる。

ボルドー色のウール生地が、スッと深いネイビー色へと染まり直した。Aラインスカートの凛とした張力と重みはそのままに、上半身を包んでいたアイボリーのブラウスが、とろみのある上質なシルク素材のオフホワイトのブラウスへと変化する。

「おおー! 今度は完全にお母さんだ!」

咲がソファから身を乗り出してはしゃぐ。影山の姿は、娘の姿から、今朝ホテルで着替えたばかりの「若本美咲」の姿へと、さらに一つ遡っていた。

若い女子高生の張りのある皮膚感覚から、大人の女性が持つ落ち着いた質量と、微かに漂う上質な香水の香りへ。全く同じAラインスカートのシルエットでありながら、社会で戦い、二人の娘を育て上げてきた母親としての「見えない人生の重圧」が、そのシルクの滑らかな摩擦とともに影山の背筋に重くのしかかってくる。

「さて……最後は、私ですね」

本物の美咲が、キャメルのハイウエストスカートの気高いシルエットを揺らしながら、ゆっくりと影山(美咲の姿)の目の前へと歩み寄ってきた。自分と全く同じ顔をした大人の女性が、少しだけ潤んだ、慈しむような瞳でこちらを見つめている。

「じゃあお母さん、最後はお母さんらしい大人のセリフでビシッと締めてよ!」

スマホを向ける美波の言葉に、影山(美咲の姿)はオフホワイトのシルクブラウスの袖口を少しだけ直し、ネイビーのAラインスカートの張力を利用して、スッと大人の余裕を感じさせる完璧なS字のカーブを描いて立ち直った。

そして、カメラに向かって流し目を送り、艶めかしい大人の女性の声で、ゆっくりと唇を動かした。

「……ふふっ。今夜は、もう少しだけ……酔ってしまったみたい」

「きゃーっ! お母さんが絶対言わないやつだ!」

「影山さん、意外とそういうのノリノリじゃん!」

姉妹の爆笑と歓声が湧き上がる中、本物の美咲も「もう、影山さんったら」と少しだけ頬を赤くして笑っていた。

「……色々と、お騒がせしてしまって。本当に、申し訳ありませんでした」

影山(美咲の姿)が、恥ずかしさで俯きながら深く謝罪すると、美咲は静かに首を横に振った。

「いいえ。あなたが、私のこの服の重みを、そして娘たちを守るという重圧を、その身体で一緒に引き受けてくれたこと。……私、絶対に忘れません」

美咲は、自ら少しだけ顔を傾け、影山の指先が触れやすいように柔らかい耳たぶを差し出した。

影山は、オフホワイトのシルクブラウスの袖口から伸びる白い指先を震わせながら、愛する女性の耳たぶへ、三度目の、そして最も深く温かい接触を果たした。彼女の家族の輪の中に引きずり込まれ、この温かい空気のド真ん中で、彼女たちを無事に守り抜くことができた。その圧倒的な安堵感が、影山の胸の奥から熱い吐息となって、長くこぼれ落ちていく。

ドンッ!!

これまでの二回とは比べ物にならないほど、大きな衝撃音が影山の脳内で弾けた。

視界が、一気に数十センチも上空へと引き上げられる。華奢だった大人の女性の骨格が音もなく限界まで広がり、太く無骨な筋肉が手足の隅々にまで満ちていく。

腰回りを強固に締め付け、気高い緊張感を強要していたAラインスカートの張力が、一瞬にして完全に消失した。代わりに下半身を包み込んだのは、使い込まれた黒のチノパンの、飾り気のない厚手で丈夫なコットン生地の感触。上半身のシルクブラウスの冷たい滑らかさは、厚手のグレーのコットンTシャツと、オリーブ色のマウンテンパーカーという大柄な男の防寒具の無骨な質量へと置き換わっていた。

「……はぁっ」

影山は、大人の男性の野太く低い声帯から、荒い息を吐き出した。

女性の衣服特有の歩幅の制限も、張力による姿勢のロックもない。男として、自分の足で大股でどこへでも歩いていける自由。しかし、その圧倒的な解放感と同時に、先ほどまで自分の身体を包み込んでくれていた、彼女たちの「気高くも温かい服の重み」が消え去ってしまったことに、微かな寂しさと名残惜しさを感じている自分がいた。

「わあ……影山さん、本当におっきいね」

「さっきまで私と同じサイズだったのに、なんかバグりそう」

美波と咲が、本来の無骨な43歳の男性の姿に戻った影山を見上げて、不思議そうに、けれど親しみを込めて笑いかけてくる。

「……戻りました」

影山が、自分の分厚くごつごつとした手を見つめながら低く呟くと、美咲はハイウエストスカートのベルト部分に手を添え、本当に嬉しそうに目を細めた。

「お帰りなさい、影山さん」

その言葉が、秋の朝のリビングに温かく響いた、その時だった。

ブブッ、ブブッ。

ローテーブルの上に置かれていた美咲のスマートフォンが、短くバイブレーションを鳴らした。

「あら?」

美咲が画面をタップし、メッセージアプリを開く。

そこに表示されていたのは、この不思議な魔法の秘密を共有するもう一組のカップル――心優(みゆう)のアカウントからのメッセージだった。中身は女性の身体を完璧に使いこなしている、あの真っ直ぐな青年(航)だ。

『美咲さん、おはようございます。昨日の夜、ホテルの近くの交差点でお見かけしたんですが……なんだかすごく緊張して歩かれているみたいで、お声がけするのを遠慮してしまいました。何かトラブルでもあったのかと心配だったのですが、大丈夫でしたか?』

その文面を読んだ瞬間、美咲の脳裏で、昨夜の記憶が鮮明にフラッシュバックした。

自分がホテルに泊まり、影山に「自分の姿(チャコールグレーのタイトスカートのセットアップとヒール)」になって家へ帰るよう指示した、あの夜。

慣れないタイトスカートの厳しい拘束と、足元から突き上げるピンヒールの激痛に耐えながら、娘たちのもとへ向かって必死に強行軍をしていた彼の姿。心優たちが街で見かけた「ガチガチに緊張して歩いている美咲」とは、間違いなくあの時の影山のことだったのだ。

『ふふっ……そういうことだったのね』

美咲は、スマートフォンの画面を見つめたまま、堪えきれずに艶やかな笑い声を漏らした。彼が自分の気高い鎧を纏い、社会の視線と物理的な痛みにどれほど必死に耐え抜いてくれていたのか。その不器用な誠実さの裏付けが、第三者の観測によって証明されたのだ。

「お母さん、どうしたの?」

不思議そうに覗き込む美波に「ううん、なんでもないわ」と微笑み返し、美咲は、続けて届いたメッセージへ視線を落とした。

『それと、ご報告です。いよいよ今日、これから両家への結婚の挨拶という最大の試練に行ってきます。いつも美咲さんには背中を押してもらって、本当に感謝しています』

心優たちからのメッセージには、続きがあった。それはいよいよ今日、これから両家への結婚の挨拶という最大の試練に向かうという、緊張と決意の報告だった。

女性の身体で生きる覚悟を完全に定着させた彼と、男性の身体で彼を生涯守り抜くと誓った彼女。

美咲は、素早いフリック入力で返信を打った。

『ご心配おかけしてごめんなさい。あれは私じゃなくて……私の大切な人が、少し不器用な魔法を使っていただけなの。私は元気ですよ』
『いよいよ今日がご挨拶なのですね。心優さんたちなら絶対に大丈夫。応援しています。……もしお二人が落ち着いたら、今度、ダブルデートでお食事に行きませんか?』

送信ボタンを押す。

美咲は、スマートフォンをテーブルへ置くと、本来の大きな身体に戻り、少しだけ所在なさげに立っている影山の方へと静かに歩み寄った。

「影山さん」

「は、はい」

「心優さんたち、いよいよ今日、ご結婚の挨拶に向かわれるそうです」

「本当ですか! それは……よかった」

影山の無骨な顔が、自分のことのようにパァッと明るくほころんだ。美咲は、その優しくて不器用な笑顔を真っ直ぐに見上げ、キャメルのハイウエストスカートの凛とした張りを腰に感じながら、少しだけ悪戯っぽく、けれど大人の女性としての深い愛情を込めて提案した。

「心優さんたちの挨拶が無事に終わって、少し落ち着いたら。……今度、ダブルデートでお食事に行きませんか?」

「えっ……ダ、ダブルデート!?」

影山の顔が、耳の先まで一瞬にして真っ赤に染まった。大柄な男が、マウンテンパーカーの中で完全にタジタジになっている。

「はい。……お互い、秘密を共有する仲ですし。それに私たちも、これから新しい関係を始めていくための、良い刺激になると思いませんか?」

美咲の言葉には、彼とこの先ずっと一緒に歩んでいくという、明確な未来への意思表示が込められていた。

「……はいっ。ぜひ、ご一緒させてください!」

影山は、深く、真っ直ぐに頭を下げた。

その時だった。

「えっ、ダブルデート!? お母さん、影山さんとデートするの!?」

二人の会話を聞きつけていた美波と咲が、目を輝かせてソファの後ろから勢いよく身を乗り出してきた。

「ちょっと二人とも、急に……っ!」

勢い余った美波がバランスを崩して隣の咲にぶつかり、二人が重なり合うようにしてソファ越しに前のめりに倒れ込んでくる。さらにその弾みで、ローテーブルの上に置かれていたティーカップが倒れそうになり、美咲も慌ててそれを庇おうと手を伸ばした。

「危ないっ!」

影山の筋肉が、本日四度目となる爆発を起こした。

愛する女性と、その大切な娘たち。彼女たちをまとめて守り抜くため、影山は大きな両腕を広げて三人に覆い被さるように飛び込んだ。

その際、彼の分厚い指先が、誰かの服の生地を力強く掴み取っていた。

ダボッとしたスウェットの無防備な柔らかさか。ネイビーのAラインの確かな重みか。それとも、みぞおちをホールドするキャメルのハイウエストスカートの気高い張りか。

『この家族を、俺が丸ごと守り抜く!』

強烈な庇護の渇望が、限界を突破してバチリと弾けた。

ドンッ! という鈍い衝撃音が、リビングに響き渡る。

せっかく取り戻したはずの黒のチノパンとマウンテンパーカーの無骨な質量が、一瞬にして消失する。代わりに影山の視界と身体の質量を書き換えたのは、果たして大人の気高い拘束感か、それとも部屋着の柔らかな解放感か。

「あちゃー、影山さん、またやっちゃった……」

「わあ! 今度は、誰になったの!?」

「もう、影山さんったら……ふふっ」

秋の休日の穏やかな朝。

腰回りを隙間なく密着させるハイウエストスカートの気高さと、ダボッとしたスウェットの解放感、そして凛と広がるAライン。衣服の重みと制限を通じて他者の痛みを細胞レベルで理解し合った不器用な大人たちが、笑い声の絶えない新しい家族の輪のド真ん中へと、少しの強引さと確かな温もりをもって引きずり込まれていく。

彼らの紡ぐ日常が、やがて四人の世界線と再び重なり合う、甘く賑やかな予感をはらみながら。若本家のリビングに、四度目の変身を告げる新しい衣擦れの音が、どこまでも温かく、そして賑やかに響き渡っていた。

(つづく)

あとがき

読んでいただきありがとうございます。夏目彩香です。Saineによる作品はいかがでしたか。極限の緊張とパニックから一転、マトリョーシカのように幾重にも重なった変身のレイヤーを一人ずつ動画に収めながら解いていく「解除の儀式」。本来の無骨な大人の男性の質量へと帰還していく過程に、彼のお茶目な一面が弾けました。心優からのメッセージによって四人の世界線が再び交錯する予感と、最後の最後に待ち受けていた「四度目の変身」。果たして影山は最後に誰の姿(服の重み)になったのか、皆様の脳内でぜひ想像して楽しんでみてください。新しい家族の誕生を告げる賑やかで優しい朝の余韻を、皆様にもご一緒に感じていただけたなら幸いです。

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