やっぱりスカート #12 チュール 作:夏目彩香 by Saine ※この小説は夏目彩香風の小説が書けるように独自に調整したAIエンジン「Saine」(通称)を執筆に用いています。 アンバーの照明が落ちるモールの通路を、白鳥舞衣(しらとりまい)の姿で一人歩いていた。ラウンジを出てしばらく4人で並んで歩いた後、途中の分岐で航(わたる)と心優(みゆう)、そして美咲(みさき)と別れ、駐車場へ向かう道すがら。足元では、サテン生地のマーメイドスカートが、歩調に合わせて柔らかく揺れている。スニーカーのラバーソールがダークブラウンの床を捉える、キュッという軽い音。腰から膝にかけてはタイトに肌へ寄り添い、そこから下でとろけるように広がる生地の摩擦が、今の自分が他人の姿を借りて「女性」として歩いていることを絶えず脳へ伝え続けていた。 この数時間、ずっとこの女性の身体と服に守られてきた。女性の服を着ることで、重心が変わり、歩幅が制限されることを知った。自分が意識していなくても、周囲から品定めの視線を向けられることの怖さを知った。それは、かつての自分が「見る側」として一方的に消費していただけの世界には、決して存在しなかった圧倒的な当事者としての感覚だった。 同時に、この服が与えてくれる不思議な安心感も知ってしまった。美咲と一緒に服を選び、ラウンジで夜景を見つめながら交わした穏やかな時間。彼女は、隣を歩く自分が「影山隼人(かげやまはやと)」という最低な盗撮犯であることなど知る由もなく、一人の女性として真っ直ぐに、優しく接してくれた。サテンの揺れも、布の重みも、すべてが心地よく感じられるようになっていた。だからこそ、その優しさが痛かった。今の自分は、ミラベルという存在に盗撮を見とがめられ、弱みを握られて他人の姿に変えられただけの卑怯な罪人だ。罰として着せられたはずのこの服の重みに守られ、安全圏から温もりを享受しているだけの嘘の存在にすぎないのだから。 ふと、視界の先を横切る人影があった。数十メートル先。モールの出口へ向かうガラス扉の向こう側を、友人らしき女性と笑い合いながら歩いていく姿。フェミニンな淡い色のワンピースに身を包んだ、白鳥舞衣(本物)だった。 「あ……」 喉の奥で、声にならない音が漏れた。足元で揺れていたサテンのマーメイドスカートが、ピタリと動きを止める。全身の血の気が、サァッと音を立てて引いていくのがわかった。胸の奥で、ドクン、ドクンと重く嫌な音を立てて心臓が跳ね上がり始める。呼吸の仕方を忘れたように浅い息が肺でつっかえ、手のひらにはじわりと冷たい汗が滲んだ。 見つかって大騒ぎになるような距離ではない。彼女はガラスの向こうへ消えようとしており、こちらには全く気づいていない。それでも、硬直した足元からじわじわと這い上がってくるような圧倒的な焦燥感と恐怖が、影山の身体を縛り付けていた。もし、今ここで振り返られたら。もし、自分の姿と瓜二つの存在がここにいると気づかれたら。盗撮という卑劣な行為で彼女の尊厳を傷つけようとした自分が、あろうことか彼女の姿そのものを盗み、彼女の服を着て、彼女の顔でこのモールを歩き回っているのだ。 遠ざかる本物の彼女の背中を見つめる。心臓の激しい鼓動が、肋骨の内側を痛いほどに打ち据える。彼女は自分の人生を、自分の足で歩いている。友人たちと笑い合い、自分の好きな服を着て、真っ当に生きている。かつて自分が、カメラのレンズ越しに無断で切り取り、一方的に消費していた一人の女性の、血の通った現実の姿がそこにあった。 ショーウィンドウのガラスに、自分の姿が映っている。サーモンベージュのボートネックTシャツ。サテンのマーメイドスカート。華奢な肩幅と、滑らかな髪。自分が今着ているこの服も、歩いているこの景色も、そして美咲から向けられたあの優しい視線も。すべては「白鳥舞衣」という他人の姿を借りているから許されているだけの、圧倒的な嘘なのだ。 『どうするの?』 激しい動悸が鳴り響く脳の奥底で、自分をこの姿に変えた張本人であるミラベルの静かな声が直接響いた。 『このまま彼女の姿でいれば、あなたは過去の罪を隠したまま、安全な場所から世界を見つめ続けることができるわ。でも、それはあなたの人生ではない』 ガラスに映る自分を見つめる。女性の身体で女性の服を着て、その重みと不自由さを知った。女性の尊厳を、内側から学んだ。かつての自分が、どれほど愚かで卑劣なことをしていたのか、サテンの生地が肌を擦るたびに細胞の隅々まで理解できた。なら、もう逃げてはいけない。この服の重みを本当に理解したのなら、自分は嘘偽りのない自分自身の骨格で、自分の犯した罪と、彼女に向き合わなければならない。 手には、先ほど美咲から返却された大きな紙袋がある。その中には、今日一日持ち歩いていた本来の自分の服が入っていた。影山は、近くの誰でもトイレへと静かに駆け込んだ。 広い個室の鍵を閉め、紙袋を置く。サテンのマーメイドスカートを脱ぎ、サーモンベージュのTシャツを脱ぐ。白のスニーカーも脱ぎ捨てる。女性としての心地よい摩擦を手放し、身につけていたものをすべて脱ぎ捨てて、無防備な姿になった。激しい動悸を静めるように、そして華奢な身体に残る最後の温もりを確かめるように、深く息を吐く。 「……戻してくれ」 ポツリと、声に出して呟いた。その瞬間、身体を包んでいた女性としての柔らかな感覚が、薄い膜が弾けるようにスッと消え去った。 視界が、ぐんと上空へ引き上げられる。華奢だった骨格が音もなく広がり、太く無骨な筋肉が手足に満ちていく。女性としての衣服の心地よい摩擦も、安心感もない。ただ、重く、無防備で、嘘のつけない自分自身の骨格だけがそこにあった。 影山は、紙袋の中から本来の自分の服を取り出した。自分の太い骨格にぴったりと合う安っぽいTシャツを被り、穿き慣れたジーンズへ脚を通す。足元は自分の足のサイズにしっかりと馴染んだサンダルを履く。 そして、床に落ちているサーモンベージュのTシャツとサテンのマーメイドスカート、白のスニーカーを拾い上げる。自分がつい先ほどまで纏っていた、女性としての重みと痛みを教えてくれた抜け殻。それを不器用な手つきで丁寧に畳み、空になった紙袋の底へと静かに仕舞い込んだ。 個室内の洗面台の鏡に映っていたのは、無骨で筋肉の固まった大人の男性、影山隼人の姿だった。 影山は、深く息を吸い込み、紙袋を手に持ってトイレを出た。そのままモールの隅にあるコインロッカーへと向かい、預けていたショルダーバッグと、かつての自分の罪の証である一眼レフカメラを取り出す。カメラを首から下げると、その重みが首筋にズシリと食い込んだ。過去の罪の重みと、手にした紙袋の中にある新しい服の重み。その両方をしっかりと引き受け、影山はモールの出口へ向かって駆け出した。 「美咲さん!」 先ほどまで上層階のラウンジで一緒に過ごしていた美咲だ。途中で別れ、まさにモールから出ようとしていたその背中に向かって、低い、男性の声で呼び止めた。ネイビーのフレアスカートが、ふわりと空気を孕んで振り返る。美咲の瞳が、少しだけ見開かれた。そこには、先ほどまで一緒にカフェで笑い合っていた「白鳥舞衣」の姿はなく、見知らぬ中年男性が肩で息をしているのだから当然だ。 しかし、影山は逃げなかった。女性の服が収められた紙袋を、身体の正面で大きな両手を使って固く握りしめる。女性の服で学んだ「脚を揃えて立つ」という重心の感覚が、男性の身体に戻っても不思議なほど姿勢に定着しており、無骨な身体に静かな誠実さを与えていた。 「あの、先ほどまで一緒にいた、白鳥舞衣です」 影山はそう言うと、固く握りしめていた紙袋の口を少しだけ開き、中に畳んで入れたサテンのマーメイドスカートの生地を、美咲の視界に入るようにそっと見せた。先ほどまで彼女の隣で、アンバーの光を受けて艶やかに光沢を放って揺れていた、間違いのないあのスカートだった。 それを見た瞬間、美咲の表情から警戒が消え、代わりに深い理解の色がスッと広がったのが分かった。航から事情を少しだけ聞いていた彼女は、その衣服という決定的な証拠を見て、すべてを瞬時に悟ったようだった。 「私は……影山隼人と申します。女性の服を見るのが好きだと言いましたが、本当は違います。私は、女性の姿を無断で盗撮していた、最低の人間です」 薄暗いモールの通路に、影山の低い声が響く。一切の言い訳をせず、自分の罪を口にする。美咲のネイビーのフレアスカートが、一切の揺れを止めて、ただ静かに影山を見つめていた。軽蔑されても、罵倒されても構わなかった。それが、自分の本当の姿なのだから。 「その行為を見つかり、弱みに漬け込まれる形で……ミラベルという存在の『卒論の協力者』として、半ば強制的に白鳥舞衣という女性の姿に変えられました。最初は、ただの罰だと思っていました。でも、実際に女性の身体で、女性の服を着て歩いて……スカートの重み、ヒールの重心、そして何より、かつての自分のような人間から無断で向けられる視線の怖さを知りました。……自分がどれほど人の尊厳を踏みにじっていたのか、服の重みが教えてくれたんです。だから、これ以上、他人の姿を借りて罪を隠したまま、あなたに優しくされる資格はありません」 影山は、深く頭を下げた。首に下げたカメラがカチャリと音を立て、両手に抱えた紙袋がカサリと鳴って揺れる。 長い沈黙が落ちた。やがて、コツ、という小さな足音が近づいてきた。顔を上げると、美咲が数歩だけ距離を詰め、影山の目の前に立っていた。フレアスカートの柔らかな生地が、アンバーの照明を透かして美しく揺れている。 「……怖かったですか?」 美咲の声は、軽蔑でも怒りでもなく、ただ静かに寄り添うような温度を持っていた。 「女性の服を着て、見られる側になること。歩幅を制限されること。……その服の重みを知った上で、元の姿に戻るのは、とても勇気がいることだったはずです」 「……っ」 影山の目の奥が、熱く滲んだ。彼女は、過去の罪を無かったことにはしていない。ただ、女性の服を通じて影山が経験した「内面的な痛みを伴う変化」を、一人の人間として真っ直ぐに認めてくれていた。 「服は、その人の中にあるものを引き出します」 美咲は、ふっと柔らかく微笑んだ。 「今の影山さんは、最初に私がカフェでお会いした『彼女』と同じくらい、真っ直ぐで、綺麗な姿勢で立っていますよ。……服の重みをちゃんと理解した人は、どんな姿に戻っても、その感覚を忘れないものです」 美咲の言葉が、ひんやりとしたモールの空気と一緒に、影山の胸の奥深くまで染み込んでいく。自分はもう、隠れる必要はないのだ。過去の罪を背負いながらも、この嘘のない自分自身の骨格で、新しく生きていける。 「せっかくですから、新しいスタートのための服を見繕いましょうか」 美咲は、彼を連れて再びモールの中へと歩き出し、閉店ギリギリの系列店へと向かった。 店内の照明はすでに半分ほど落とされていた。静かな店内で、美咲は慣れた様子でメンズのラックへ向かい、薄手のカーディガンを選んで影山に手渡した。 受け取った影山の分厚い手が、薄手の生地を壊さないように恐る恐る扱っている。その不器用な指先と、罪を背負ってどこか小さく縮こまっている広い背中を見つめながら、美咲の胸の奥で、静かな波が立った。盗撮をしていた最低な人間。それは紛れもない事実だ。なのに、女性の服の重みを自ら引き受け、逃げることなく本当の骨格で頭を下げるこの不器用な大人のことを、なぜか少しだけ放っておけないと感じている自分がいる。このダメな人が、新しい服を着てどう変わっていくのか。もう少しだけ、近くで見てみたい。そんな微かな熱が、彼女の安定した心の中にそっと芽生え始めていた。 「今はまだ、過去の罪を含めて少し重たい服を着ているように見えます。……これからは、隠し事のない、風通しの良い服を選んでいきましょう。今の影山さんなら、きっとどんな服でも、ご自身のものとして誠実に着こなせるはずですから」 影山が促されるままに不器用な動作でそのカーディガンに袖を通すと、安っぽいTシャツの上に風通しの良い新しい輪郭がふわりと乗った。その少しだけ軽くなった背中を見つめて満足そうに頷くと、美咲はふと、スカートのラックから一着の服を取り出した。それは、ネイビーのチュールスカートだった。 「そのカーディガン、とてもよくお似合いです。新しいスタートの記念に、私からのプレゼントにさせてください」 影山が慌てて財布を取り出そうとするのを柔らかく手で制し、美咲は自分の手にしたチュールスカートと一緒にレジへ向かい、手早く二着分の購入の手続きを済ませた。そして、試着室の前へ戻ってくると、新しくカーディガンを纏った影山へ静かに微笑みかけた。 「今のあなたと並んで歩くなら、少し重たいフレアスカートよりも、風通しの良いチュールのほうが似合う気がして。私も……少しだけ、着替えてもいいですか」 美咲はそのまま試着室へと入っていった。 数分後。試着室のカーテンが、静かな衣擦れの音とともに開いた。 「お待たせしました」 美咲が一歩踏み出した足元で、新しいスカートがふわりと空気を孕んだ。先ほどまで彼女が着ていた、たっぷりとした重みのあるフレアスカートとは全く違う揺れ方だった。極めて薄く、透き通ったチュール生地が幾重にも重ねられている。一歩歩くたびに、一番外側のチュールが微かな風を捕まえて滑らかに舞い上がり、内側の生地と柔らかく擦れ合って「シャラリ」と静かな摩擦音を立てる。驚くほど軽やかで、それでいて、何層にも重なった布が確かな奥行きを作り出していた。アンバーの照明がその薄い層を透過し、生地の重なりに美しい陰影を落としている。脚のラインを直接見せて媚びるような透け感ではない。内側にある芯の強さを隠すことなく、外の世界の光と風を静かに通す、大人の女性の静かな誠実さと気品だけがそこに浮かび上がっていた。 影山は、そのスカートの揺れから目が離せなかった。かつての自分であれば、この透け感のある生地をカメラのレンズ越しに覗き込み、ただ一方的に消費して、その奥にあるものを暴こうとしていただろう。だが、今は違う。サテンの重みを、ヒールの重心を、そして何より無断で向けられる視線の怖さを、自分の細胞で知ってしまった今の影山には、もうそのレンズ越しの卑怯な視界は存在しない。この幾重にも重なるチュール生地がどれほど繊細な摩擦を生み、それを纏う人がどれほど丁寧に歩幅をコントロールしているか、痛いほど理解できた。 薄く透き通る生地が重なり合うことで生まれる、確かな奥行き。それは、決して他人に土足で踏み込ませない女性としての尊厳そのものだった。レンズを通さない、自分自身の肉眼で見る女性の姿。それは暴くための対象ではなく、同じ空間で、同じように服の重みを引き受けて生きる一人の人間の、嘘のない美しい立ち姿だった。その姿を真っ直ぐに見つめていると、不器用な自分の胸の奥に、かつての卑劣な自分への微かな痛みが走り、そして同時に、それを許し、前を向かせてくれるような静かな温もりがじんわりと広がっていくのを感じた。 「嘘のない、本当の姿でのスタートですから」 美咲の静かな声が、チュールの柔らかな擦れ音に溶けていく。 「……はい。よろしくお願いします」 影山は、もう一度深く、今度は心からの感謝を込めて頭を下げた。首に下げたカメラがカチャリと鳴り、両手に抱えた紙袋の口がカサリと音を立てる。過去の罪の証と、新しく知った服の重み。その両方をしっかりと抱えたままの、不器用なお辞儀だった。 アンバーの照明が落ちるモールの通路へ、二人は並んで歩き出した。美咲のチュールスカートが、新しい時間の始まりを告げるように、歩調に合わせて幾層もの柔らかな波を作っている。シャラリ、シャラリという静かな衣擦れの音が、影山の歩くリズムと重なり合っていく。影山の足元には、もうサテンのマーメイドスカートはない。履き慣れたジーンズとサンダルの、太く無骨な男性の脚。上半身には、先ほど美咲から贈られたばかりの薄手のカーディガンが、柔らかなシルエットを作っている。そして、その歩き方は、以前のようなガニ股で大股の無神経なものではなかった。女性の身体で歩いたあの数時間で学んだ「重心のコントロール」と「歩幅の意識」が、男性の骨格に戻っても不思議なほど定着していた。 隣で揺れる薄いチュールの生地が作る柔らかな空気の層を、決して壊さないように。邪魔にならないように。影山は自然と歩幅を合わせ、一定の距離を保ちながら、丁寧に足を運んでいた。自分の大きな身体が、隣を歩く彼女の繊細な揺れを守るためのものとしてそこにある。その事実が、カーディガンの軽やかな編み目を通して、静かで確かな安心感となって影山の心を満たしていた。 盗撮犯という過去は消えない。けれど、服の重みを引き受けた不器用な大人と、それを見守ろうとする女性との間に、嘘のない新しい関係がここから静かに始まろうとしていた。 少しだけひんやりとしたモールの空気が、二人の間を通り抜けていく。ただ、それだけだった。 (つづく) あとがき 長らく続いて来たモールでのお話は区切りを迎え、ここから先はしばらくは日常を描いていく展開となります。舞衣として行動していた影山ですが、自分の元の姿に戻りました。今後は二組の話が交互に進んで行き、交差していくような流れとなりますので、ここから先こそが物語で書きたかったことの始まりとなりますので、よろしくお願いいたします。 感想やリクエスト等ありましたらX(旧Twitter)で @skyseafar までDMをお送りいただければと思います。 |