突然やって来たカノジョ

作:夏目彩香


ふと空を見上げると、今日も青色が広がる大きなキャンパスの中、縦に大きく雲が積み上げられている光景が広がっている。今でも暑さは続いているのだが、この大きなキャンパスを眺めながら、僕はこの夏の初めに起こった不思議な出来事を思い返すのだった。あれは忘れもしない梅雨明けすぐの土曜日のことだった。

会社員となったばかりでまだまだ慣れない日々が続くが、土曜日ということもあり、午前は布団の中でゴロゴロしながら寝て過ごしていた。そんな風にゆっくりと寝ている中、突然インターホンの呼び出し音が部屋中に鳴り響いた。何か宅配でも届いたのかと、僕は重たい身体をゆっくりと起こしながら、ベッドの下にスリッパを取り出して、脚を入れると音の出ている方向へと歩いて向かうのだった。

一人暮らしのアパートと言うこともあって、この時間に訪問して来るのは宅配便ぐらいだった。オートロック付きのマンションと言う立派なものではなく、今にも潰れそうな木造のアパートなので画面で確認することもできず、玄関まで直接行って確認するしか無かった。玄関にやって来る頃には音は鳴りやんだ。玄関の前に誰かが待っているはず。さっそく、玄関ドアのロックを解除して廊下に向かってドアを押して開くと、内廊下には荷物を抱える配達員の姿を見つけられなかった。

配達員が待っていると僕は妄想していたのだが、その思いとは違ってそこにいたのはどこかで見たことのあるような若い女性が立っていた。ノースリーブのネイビーを基調としたシンプルなU字ネックの膝丈のフレアワンピース、ピンクベージュのストッキングに包まれた脚は厚底のダークネイビーサンダルに吸い込まれていた。

寝起きのまま玄関を開けてしまったこともあって、女性が目の前に立っている状況から逃れることもできず、最大限の対応をするしか無かった。それにしても、初めて会う女性なのにどこかで見たことのある雰囲気があった。軽く赤茶がかったセミロングのヘアスタイル、クリっとした瞳にふっくらとしている割に小さ目の唇はパールオレンジで彩られている。立ち姿はあまりにも見事で、テレビの中に登場するアナウンサーのように思えた。それでようやく気づいたのだが、彼女は平日の夕方に地方局の情報番組に出演している中谷彩美(なかやあやみ)アナウンサーのように見える。僕の家まで訪ねて来るなんて、そんなことは普通にはあり得ないので信じられないのだが、右耳の下にある極小のサイズの小さなホクロはまさにテレビで見る彼女と同じ位置、同じ大きさだった。

「こんにちは」

彼女がただ挨拶をして来ただけだと言うのに、馴染みのあるその声色に鳥肌が立っていた。地方局のアナウンサーながら、最近になってフリーアナウンサーとして独立、今まで以上に活躍の場が広がっており、様々な場所で見かけるようになっていたのだ。しかも、僕にとっての推しアナウンサーだったから、まともな思考ができなくなっていた。そうこうしている内に彼女は玄関の中に入り、玄関の鍵を閉めてしまった。

「もしかするとご存知かも知れませんが、私、フリーアナウンサーの中谷彩美と申します。この度は、SNSで募集した会いに行く企画にご応募いただき誠にありがとうございました。ここは飯田俊(いいだしゅん)さんのお宅で間違いないですよね」

中谷アナのSNSはもちろんフォローしているし、フォロワー数が十万人に到達したことで直接会いに行く企画があったのも覚えているが、投稿に「いいね」をした人の中から抽選で当選するのは一人だけと言う狭き門だったはず。当選者にはDMで連絡が届くはずだったが、そんなDMを受け取った覚えは無かった。

「確かに僕は飯田俊です。中谷彩美って、いつもテレビで拝見している中谷アナで間違い無いでしょうか?これってまさかのドッキリ企画じゃないですよね。僕のところにはDMも届かなかったので、当選者はまた別の人じゃないんですか?」

玄関に立つ彼女の姿からは芳しい香りが漂って来る。玄関という狭い空間に二人きりでいるため、この状況で僕はどうにかなってしまいそうだった。だからこそ、僕は冷静に今の状況を確認することにした。すると彼女はショルダーバッグの中から身分証明書を取り出して、僕に見せてくれた。中谷彩美、34歳、住所は指で隠していたが、同じ区に住んでいることがわかる。本人であることは間違い無かった。

「正真正銘の中谷彩美だってことは確認できましたよね。実はこの企画の当選者ってあなたじゃ無いんですが、当選者のたっての願いで、あなたと会うことにしたんです。本当の当選者は荒垣駿平(あらがきしゅんぺい)さん、飯田さんの親友だって聞いたんですけど、自分よりもずっと熱心な私のファンなので、当選者としての権利を譲りたいって言われて、この企画って本来は本人以外に譲渡することはできないんですけどね。だったら、一緒に会いに行くならいいですよねって、荒垣さんに説得されて、今回は特別に認めることにしたってわけです。飯田俊さんご本人で間違い無いのか確認したいので、身分証明証を見せてもらえませんか?」

身分証明証としてマイナンバーカードを見せ、さらにはSNSのアカウントが自分のものであることも確認してもらった。中谷アナの細い指先は薄いピンクでキレイにコーティングされていて、僕のカードに触っただけでも思わずドキッとしてしまった。

「わかりました。飯田俊さんで確かに間違い無いですね。もし良ければこのままお宅にお邪魔してもいいですか?立ちっぱなしで脚が疲れて来ちゃったみたいなので、少し休んで行けたら嬉しいんですけど」

彼女にそう言われると、僕は汚いながらも部屋の中で休んでもらいたいと思って、中谷アナを狭い部屋へと案内した。彼女はサンダルを脱ぎ捨て、丁寧に揃えてから僕が用意したスリッパに脚を入れた。部屋の中にあるソファーに膝を合わせて座っていた。そして、僕は、キッチンへと向かい冷蔵庫を開けて、作り置きのルイボスティーを取り出し、グラスに注ぐと、ダイニングテーブルの上に差し出した。

「ところで、荒垣の奴はどこにいるんですか?一緒に会いに行くって言うなら許可したって言ったじゃないですか、一緒に来ているんですよね」

耳を澄ましても僕の部屋に向かって来る足音すらも聞こえない。アパートの廊下には他に誰かがいるような姿は無かった。中谷アナはスマホを手に取り、何かを確認しているようで、作業が終わるとスマホをショルダーバッグに入れて、僕の方に面と向かって喋り出した。

「当選者の荒垣駿平さんは、ここには来れなくなりました。でも、心配しないでください。飯田さんと一緒にいることは所属事務所からも許可をとっていますし、それに、この状況は特に録音撮影はせずに、後日談をまとめるだけにしてますので、特に問題はありません。ただ、せっかくなので簡単にインタビューするような感じでお話したいです。よろしいですか?」

そこまで喋ると彼女はルイボスティーの入ったグラスに口を当てて乾いた身体を潤した。

「インタビュー?まぁ、お話ですよね。土曜日の午前中はもっと休みたいところですが、大丈夫です」

「あっ、せっかくのお休みのところ押しかけちゃったみたいで御免なさい」

彼女は軽く立ち上がり謝罪会見のようにお辞儀をして来た。

「いやいや、中谷アナのそんな姿は見たくありません。いつもの元気ハツラツな姿がいいなぁ」

「もしよろしかったら、ベッドで横になりながらでも私は構いません。あっ!良かったら私もちょっと横になってもいいですか?」

それを拒む術も無いので、中谷アナにベッドに横になってもらうことにした。そして、彼女は徐に立ち上がると、急にめまいがしたのか、その場でうずくまってしまった。

「大丈夫ですか?」

そんな中谷アナを僕は抱き抱えて、ゆっくりとベッドに寝かせるのだった。彼女だけをベッドの上に残して抜けようとしたところ、彼女が僕の首元を掴んで来て、添い寝するかのような状態となってしまった。

「いくら何でも、一緒に寝るようなことはできません」

僕と一回り年上で同じ干支の生まれである中谷アナは、まるで獲物を狙うメスハイエナのように、僕に抱きついて来るのだった。

「なぁ、飯田俊。中谷彩美のこと抱きたいと言ってたよな」

ベッドで一緒に横たわる彼女、いつもの画面の中で見せるような笑顔ではなく、見たことの無い表情と普段は使いそうにない言葉遣いが出ていたが、そんな変化に僕は気づいていなかった。すると彼女はいつもの表情に戻っていた。

「中谷アナ。今、何て?」

中谷アナに強く抱き締められながら僕は問い返した。

「だからぁ、飯田さん。私のこと抱いてみたいって思ったことないかしら?」

荒垣の奴、まさかそんなことも喋っていたのか?僕の心の中では葛藤する気持ちが大きく働いていた。

「そんなのダメです!中谷アナに抱かれたいなんて、そんな夢のようなことが叶ってしまって言い訳ありません!」

僕は否定しようにも、本心までは否定しきれなかった。

「飯田さん!私の大ファンなんでしょ。それなら私も準備ができているわよ。一緒に添い寝するくらいなら全然オッケーだし。もしあなたにその気があるなら、軽いキスまでなら許せるかもって思ったのに」

そんな風に話す彼女の言葉を聞くと、僕は抜け出そうとする気持ちを止めた。

「それ、本心ですか?それともファンサービス?誰にでも同じような対応をするなら僕は絶対に嫌です」

すると彼女は僕の顔を自分の指でしっかりと目が見えるように向き直してくれた。

「もちろん、本心に決まってるでしょ!それに今日の私は特別なの!多少は好きにしちゃっていいんだよ。それとも、お姉さん気取りはダメなのかな?もっと甘えてあげた方がいいかしら?」

中谷アナは大胆な口調に切り替わり、僕に決断を迫るように仕向けて来た。僕の胸元は中谷アナの体温を感じていた。

「中谷アナ。本当に本心だと言うんだったら、シュンって呼んでくれませんか?」

「えぇ、もちろんいいわよ。今日はシュンのためにスケジュールを空けて来たんだから。私の方からもお願いするんだけど、この時間は私のことをアヤって呼んでちょうだい」

「中谷アナ、いいんですか」

僕がそう言うと彼女は静かに頷いた。中谷アナのことをアヤと呼ぶのは気が進まなかったが、彼女のお願いと言うならばそうするしか無かったので、意を決して口を開いてみた。

「アヤ。このまま一緒にいてもいいんですか?」

「もちろんよ、シュン」

「やっぱり何だかくすぐったく感じます」

すると彼女はさっきまでよりも一段キツく僕に抱きついて来た。僕の胸元には彼女の膨らみが当たって来て、お互いの体温を感じ合うだけでなく、感覚まで一緒に共有しているかのようだった。

「ねぇ、シュン。このまま目を瞑ってジッとしていてくれない?ほんの1分だけで構わないから」

「わかったよ、アヤ」

僕は彼女に言われるがままに目を瞑りジッとするのだった。

「フフフ、シュンったら可愛いわよね」

彼女の細くてしなやかな指先を使って眉間の辺りや目元、目の周りを優しくさすって来ていた。僕にとってはくすぐったい感覚が伝わって来る。

「アヤったら、何をしようと思ってるんだい?」

彼女はそのまま動きを止めることが無かった。

「シュンの顔を指先でスキャンしてあげてるの」

そう言うと目元から口元へと指先でさする場所を移していた。

「この唇もなぞってあげるわね。そして、あなたのほっぺたも形どって行くわね」

彼女の指が唇をしっかりと捉えたかと思うと続いて頬から顎へと次第に移って行った。

「アヤ、もう目を開けてもいいかな」

さすがに僕はくすぐったくなって来たので、彼女にお伺いを立てて見た。

「シュン、まだ待ってくれないかしら、魔法を解くためには鍵が必要でしょ」

さすっていた指の動きが止まったかと思うと、部屋の中の空気が一瞬凍りついた。

「魔法の鍵!」

彼女がそう大きく呟いたかと思うと、僕の唇に暖かいものを感じた。彼女の顔が僕の上に被さって来て、唇を覆っていたのだ。憧れの彼女にまさかのキスを奪われてしまうとは、なんだか複雑な気分ではあるが、僕はありのままを受け入れていた。

「目を開けていいわよ、私のシュン」

唇の温もりが無くなり、ゆっくりと目を開けて行く彼女の満足したような表情を見るとなんだか僕は安心した。お姉さんは何か薄ら笑いを浮かべていた。

「ありがと。シュンの唇、ご馳走になっちゃった」

僕はゆっくりと深呼吸してから彼女の顔を見つめ返した。

「アヤって、思ったよりも大胆な人なんですね。そうやってたくさん誘惑して来たんですか?」

「シュン、魔法の鍵ってそう簡単に使うものじゃ無いわよ。今は付き合ってる人はいないし、簡単に公表はできないけど経験あるんだからね」

「わかりました。今日のアヤは特別だって言ってましたよね。それって僕が攻めに回っても良いってことかな?」

そう言うと彼女はベッドから起き上がり、ワンピースを脱ぎ捨ててから再びベッドの上に上陸し僕に密着し直した。

「中谷アナ、ゴメン。魔法の鍵をシュンが開けちゃった。もうこうなると我慢ならなくなって来たわ。シュンのこと『アヤ』としてもっと知りたくなっちゃったわ。シュンも上着脱いでくれない?」

守りに入ってた彼女も急にアクセルが入って来たようで、彼女の手が動き、僕が寝巻きとしているパジャマを脱がせられていた。僕はそれをアシストするかのように腕から脱ぎ捨てて、さらにはインナーの黒いTシャツも投げ捨てた。こうなると彼女と僕の間は彼女が身に纏っている一枚を挟むだけだった。

「シュン、これ以上は脱げないけど、これで私の温もりはしっかりと感じられるでしょ」

彼女は上下セットとなっている黒い花柄レースのインナー姿、僕はボクサーブリーフ一枚だけとなって、お互いの肌が密着する量は確実に増えた。

「アヤの柔らかさと温もり、ちゃんと感じられるよ」

抱き合う二人の姿。お互いに最低限の下着を身につけている状態で、一線は越えないように密着するだけの時間、お互いの温もりによって守られる静寂な時間が過ぎて行く。

「シュンったら、私のことお姉さんだと思って接しているでしょ。ここから先はそんなことを気にしないで欲しいの、タメだと思ってもう少し動いていいんだからね。身体の密着とキスまでは許しちゃうけど、それ以上に一線を越えるのはダメよ」

彼女からそんなことを言われた途端、僕の中で一つ守っている一線を越える思いが出たのだった。彼女のパールオレンジの唇を今度は僕の方から加えに行った。

「あっ、シュ……」

彼女が何かを喋ろうとした瞬間に彼女の唇を奪ったこともあって、彼女の声が途絶えていた。そして、僕が彼女の唇を舐め回すようにすると、彼女の方もお返しとばかりに、唇を突き返して来た。僕の舌と彼女の舌が絡め合うと二人の温もりが一体感を増したかと思うと、その昂揚感からなのか気絶してしまった。

強い日差しが窓から入ると寝室が強い光で照らされた。衝動によって気絶してしまった僕は強烈な光で目が覚めた。眠気が一気に覚めるといつもとは違う身体の感覚を感じていた。そして、まるで体力が奪われたかのように、ベッドの上で起き上がるのもいつもと違っていた。起き上がって視界に入ってくる景色はいつもよりも低い。ふと、ベッドに目を落とすとスヤスヤと眠っている僕の姿があった。まさかと思いウォーキングクローゼットを開くと、そこにある姿見の前に立つと、そこにはアヤの姿があった。

「えっ、これって一体?」

独り言を呟きながらも自分の身体をさすりながらアヤの姿になっていることを実感した。お互いの心と身体が入れ替わってしまったと理解した。さっきまで攻められていた唇、リップが乱れているのを見るとメイク直しをしたくなる衝動にも駆られ、彼女のショルダーバッグからリップを取り出して塗り直す。ティッシュも使ってリップオフしながら、キレイに塗り直すことができた。自分で塗ったことも無いのだが、アヤの身体が覚えているかのような動きだった。そうしている内にベッドに寝ているシュンが徐に立ち上がり、僕の背後から抱きついて来るのだった。

「ちょっと早く目覚めていたようだね。シュンとアヤの身体に起こった変化に気づいてくれたかな?こうやってアヤを抱きしめられるようになるなんて俺は嬉しいよ」

僕の身体から出て来た主語を聞いて驚いてしまった。シュンとアヤが入れ替わったのなら、僕の身体を動かしているのはアヤなはず、しかし、アヤが自分のことを僕と呼ぶはずが無かった。それにしても後ろから強く抱きつかれてしまい、アヤの力ではとても解く事ができない状態。さっきまでベッドの上で繰り広げられていた展開とは何の繋がりも無いように思えた。

「一体、お前は誰なんだ?アヤ、まさかアヤじゃないのか?」

僕の口から出て来るのはアヤの声、それもいつもとは違う声だった。すると抱きしめていた手をくるっと回し、アヤとなっている僕の身体をベッドの上に押し倒して、腰の上に跨って来た。

「フフフ、シュンったら何を言ってるのかしら?私がアヤじゃないってようやく気づいたようね。まぁ、ムリも無いわよね。その身体で本来の口調や仕草に至るまで全てきっちりと演じてしまえば、どこから見ても正真正銘の中谷彩美にしか見えないでしょうしね」

僕の姿をした何者かは穏やかな表情を見せながらそんなことをサラリと言ってのけた。僕の顔は息遣いが分かるほどの距離まで近づいて来た。

「シュンの身体って、若さがみなぎってるよな。こうして押さえつけているだけでも軽く興奮して、いつでも次の準備に入れるんだぜ。せっかくだから。お前らしく振る舞ってやるかな」

そう言って一瞬ダランとして力が抜けたかと思うと、すぐに力強さが戻って来た。

「あっ、あっ。アヤさん、シュンです。ずっと大ファンでした。まさか、こんなに近くでアヤさんを感じる日が来るなんてね。それに、こうやってさらに深い関係になるなんて僕は幸せ者だよなぁ。こうやって近づけるようになったのもやっぱり荒垣、お前のおかげなんだよなぁ。ありがとう!」

突然、僕の口調で喋り出したかと思うと、荒垣に感謝すると言い始めたのだ。僕はもしかするとと思って、次の質問を返していた。

「まさか、お前は荒垣、荒垣駿平なのか?」

僕の上に跨るシュンの表情は急に明るくなり、ずっと堰止めた思いを解放するかのように口火を切った。

「まさにその通り!駿平で~~す!ようやく気づいてくれたよな。まぁ、俺の天性の演技力と自ら開発したクスリの効果で気づく方がムリだろうからな」

僕の身体に入っているのは、どうやら大学時代の親友で今は製薬会社で働いている荒垣駿平に間違い無かった。自己紹介する時のイントネーションに変な特徴があって、それを再現できる奴には今まで出会ったことが無かったからだ。

「その喋り方、確かに荒垣なんだよな」

僕の身体は荒垣によって奪われた。それだけでも奇妙なことなのだが、それと同時に僕はフリーアナウンサーの中谷彩美アナになっている。これまた妙なことが続いているのだが、この原因を荒垣の奴が知っているのだろう。

「まぁ、分かってくれればいいさ。俺も中谷アナの大ファンだからさ、この機会を利用して特別に開発したクスリを試してみようと思ったんだよ。中谷アナのSNSイベントがあって応募して、当選したのは俺だったんだけど、DMで連絡を取り合って直接会うことができたんだけど、それが昨日のこと、その時に渡したクスリを飲んでくれたのでお前の家にこうしてやって来たってわけ、もちろんここには中谷彩美としてやって来たんだけど、ボロを出さないように徹底して演技してたんだから気づくはずもないよな」

アヤの身体となった僕の上に跨りながら一気に話をしてくる。こんな風に一方的に話して来ることからもやはり荒垣に違いなかった。

「と言うことは、ここにやって来たのは中谷彩美アナの身体だけど、荒垣が中谷彩美アナらしく振る舞って僕と会ったってことなのかい?」

「おっ、理解が早いねぇ、アヤちゃん。と言うことはその先も分かっているんじゃないかな?せっかくだから言ってみなよ」

アヤの顔の横にシュンが顔をくっつけて来た。優しく触れ合う程度に頬を寄せていた。僕はそのまま話し続けた。

「荒垣が中谷アナとして僕に話しかけて、気分を高揚させるように誘って、ベッドの上に連れ込み、その後どうやったのかはわからないけど、お互いの身体を入れ替えて今に至るってところかな」

「いいねぇ、いいね。なかなか賢いじゃん。そこまで理解してくれたなら後は少し補足してあげればいいよね。でも、その前に」

すると僕の上半身がゆっくりと倒れて来た。首元の裏に手を回すとアヤの首元にはひんやりとした感覚が伝わって来た。首元に付けられたネックレス、そのチェーンには小さく勾玉のような石が通されていた。するとアヤの上に跨るのをやめための、僕はベッドの上でゆっくりと身を起こし、胸元には小さな石が揺り動くのだった。

「これで安心して話ができるよね。予め言っておくけど、この石は精神を安定させてくれるので、暴れたり逃げ出すようなことを防いでくれるもの、これで僕が押さえつけるようなことをしなくても良いってわけ」

そう、あいつが言うように僕の中では、ベッドの上から逃げ出したいと言う気持ちは収まり、不安な気持ちも湧いて来なくなった。ただただ自分に起きていることを知りたいという興味だけで、次の言葉が出て来るのを待った。

「じゃあ、ようやく本題に入ろうか。昨日、中谷アナに直接会ってクスリを渡したんだけど、朝目覚めたらすぐに飲むように伝えておいたら、どうやら本当にそうしてくれて、彼女の中に憑依できたんだ。そして、中谷アナの普段の姿になってお前の家にやって来た。その後は、巧みに誘導してベッドの上に連れ込んだ。実はリップスティックが曲者で、駿平特製のリップスティックを使って、お互いにキスをすると主導権のある魂同士を入れ替えてくれる。そんな成分を加えておいたんだよね。そうやってお互いの身体を入れ替えているから、実はお前の中には中谷アナの魂も残されていて深い眠りについている状態なんだよね。そうは言ってもお前の胸元で揺れている勾玉さえあれば中谷アナの魂が起きることは絶対に無いから、安心して欲しい」

そうやって僕の姿をした駿平は補足した。何が起こっているのかを理解した僕は、生き生きと話をする僕の姿に、何と言えばいいのかわからない気持ちが湧き上がって来た。

「駿平特製の様々なクスリによって起きた現実ってわけだね。僕がこうして動かしているのは中谷アナ本人の身体、本人はこの身体の奥底で眠らせて安定させる勾玉と情報量がいっぱいだよね。それにしても、こうやって推しアナの身体を自由に動かせるのは奇妙な感じだよ。目の前には自分の姿がいる違和感も感じているしね」

そう言うと僕は徐に立ち上がり、玄関にある大きな姿見の前に立って、脱ぎ捨てられたワンピースを飛び越えて、中谷アナとなった自分の姿をしっかりと確認していた。ふくよかな胸元とスラリとした脚元が見える。そして、どこからどう見ても中谷アナの顔となっていて、表情を変えながら自分で自由に動かせることを実感するのだった。

「あっ、あっ、おはようございます。ニュースキャスターの中谷彩美です。本日はSNSのフォロワー数が10万を達成したことを記念し、特別企画として飯田俊さんのご自宅にやって来ました」

さすがはアナウンサーだけあって、言葉が滑らかに口から出て来る。最後にはいつも見せてくれる決めポーズをやってみたが、どこからどう見ても中谷アナにしか見えなかった。

「中谷アナ、本人は絶対に目覚めないから安心して」

リビングの方から僕の声が聞こえて来る。

「それって本当なの?」

「そうだよ。この勾玉を身につけていれば目覚めることは無いよ」

そう、今の状態の僕は中谷アナの身体をまるで自分の身体のように扱えるのだ。駿平によって作られた状況について何が起きたのか僕はある程度理解した。

「それなら、駿平にお願いがあるんだけど」

「お願い?」

「うん。飯田俊の身体を駿平が動かしているんだろう。それならそのまま飯田俊になりきってもらいたいんだ。そして、僕は中谷アナらしく振る舞ってみてもいいかな?」

「あっ。いやそう言ってくれると思ってたよ。そのためにこんな状況を準備したんだし、じゃあ、ここから先は俺は飯田俊として接するよ。もちろんいいよ、アヤ!」

「ありがとう、シュン!」

彼の口からそう言われると、私は再びベッドの上に向かって、彼がゆっくりと覆い被さって来るのを待った。お互いの体温と息遣いを感じる距離まで近づき、今まで色々と我慢していたものが吹っ切れるかのように目を見つめ合った。

「なぁ、アヤ。僕の推しアナとして出会えたことありがとう。そして、突然カノジョとなってくれて感謝します。僕の愛、受け取ってもらえますか?」

私は素直になって首を縦に一回動かすと、その愛を受け入れていた。肌同士が直接触れ合って、お互いの温もりが一つになって行った。今の状況をありのままに受け入れて、中谷彩美として飯田俊の思いに応えて行く、そうそれは自分がやりたかったことを素直にやるだけのこと。突然やって来たカノジョとしての役割を果たして、彼の愛に応えてあげる。そう、ここからは私が中谷彩美として彼に接してあげよう、そう思うのだった。

ふと空を見上げると、今日も青色が広がる大きなキャンパスの中、縦に大きく雲が積み上げられている光景が広がっている。今でも暑さは続いているのだが、この大きなキャンパスを眺めながら、あの日と同じノースリーブのワンピースを着るたびに、あの日の出来事を思い出すのだった。

(つづくかも)


(あとがき)
今年の初め頃から執筆していたのですが、ようやく公開できる状態となりました。
何度か書き直したのですが、書いている内に続きも書けそうな感じとなりましたので、短編小説としてではなく、シリーズとしたいと思います。
続きはいつになるかわかりませんが、「やっぱりスカート」の執筆に詰まった時にでもこちらを進めようと思います。
感想・リクエスト等がありましたらX(旧Twitter)の@skyseafar までお送りください。