相性診断

作:夏目彩香(2009年10月27日初公開)


ある会社の採用面接を終えたばかり、広岡定夫(ひろおかさだお)は青ざめた表情を浮かべながらビジネスホテルへと歩いていた。面接を受けるために東京へやって来たのだが、面接を終えた途端に自分の能力の足りなさに気づき、さらに落ち込んでいたところだった。
2ヶ月前には、面接で楽しく話すことができたので社長面接に進めると思っていたが、採用を見送るとの通知がやってくると、しばらく就職活動を休んでいたのだ。

ようやく立ち直って、数社の面接が受けられることになり、東京へとやって来たのだが、やはり先制パンチは明らかに痛かった。あと数社の面接が残っているとは言え、今日の面接ですっかり自信を無くしてしまう定夫だった。

こうなれば早くホテルへ戻って、ゆっくり休んでしまいたいと思っていたが、考え事をしていたためにビジネスホテルに行く道を通り過ぎてしまった。ふとして辺りを見回すと、道を間違ったことに気づき、慌てて来た道を戻ろうとしたその瞬間、定夫の後ろを歩いてきた高齢の男性とぶつかりそうになったのだ。

定夫と男性はぶつかることは回避できたものの、男性はバランスを崩して道に倒れかけていた。それに気づいた彼が素早く腰を持ち上げると、道に倒れてしまうことは無かった。

「大丈夫ですか?」

定夫が男性に声をかけると、男性はその場で背筋を伸ばし軽くストレッチをしていた。

「わしは、大丈夫じゃ。こう見えてもまだまだピンピンしてるからな。あんたとぶつかりそうになって、たまたまバランスを崩してしまっただけじゃよ」

「そうですか、それなら良かった」

定夫は息を落ち着かせながら、続けた。

「いきなり方向を変えた私がいけなかったんです。済みませんでした」

「そんなことはいいよ。わしもあんたが方向を変えることをわかっていても転んでいたかも知れんし、たまたまじゃよ」

すると、男性はしきりに定夫の目をじっと見てきた。

「ん〜。お前さん、いい目をしとるなぁ。わしゃ、お前さんが気に入ったぞ、良かったらわしの家に来んか?すぐそこなんじゃが」

「いきなりいいんですか?」

「急いでいるならいいんだが……」

「そうですね。急ぐような用事は今日はないので、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」

初めて会った男性にいきなり家に招待されるとは思っても見なかったので驚いた。都内でも比較的高級な住宅街、この辺りに住んでいるということだから、よっぽどの資産家では無いのかと軽く思ってこれは何かのチャンスと思ったのだ。

「じゃあ、行こか」

男性はそう言って、再び歩き始めるとすぐの家の目の前で立ち止まった。

「ここじゃよ」

家の前の門構えには立石栄一(たていしえいいち)と大理石の表札が掛けられている。立派な和風建築でほとんど新築のようだ。

「ここですか」

「立石栄一と書いてあるじゃないか、ここがわしの家だよ。そういえば、お前さんの名前は?」

「申し遅れました。広岡定夫(ひろおかさだお)です」

「わしゃ、1年前に年婆さんを亡くし、今では孫娘との2人暮らしじゃ、とにかく入りなさい」

「おじゃまします」

木の香りが心地良い玄関ホールに定夫の声が響いた。案内されたのは、玄関を入ってすぐ右にある客間で、インテリアショップにあるような応接セットが置かれていた。定夫は二人掛けのソファーに腰を下ろすと、それに向かい合うようにして栄一が一人掛けのソファーにどっしりと座る。

「とりあえず、お前さん、お茶でも飲むか?」

「えぇ。頂きます」

「じゃあ、ここでちょっと待ってろ」

そう言って客間から出て行ったかと思うと、すぐに戻って来た。

「孫娘の沙希(さき)が帰っていたので、頼んでおいたから、少し待ってくれ」

「沙希さんってお孫さんの名前ですか?」

「あぁ、そうだ。わしの娘の娘だ。今年の春に大学を卒業して勤めにでてるんだが、気立てのいい娘に育ったもんだな。時々こんな時間に帰って来とるな」

「じゃあ、23歳?」

「大学の途中で2年間留学もしたから、25じゃよ。お前さんの歳はいくつじゃ?」

「私も25です。じゃあ、同い年ですね」

二人が話をしていると客間のドアがノックされた。

「失礼します」

お盆にお茶を載せて沙希が入ってきた。薄い黄色のふんわりスカートにベージュのブラウス、黒いストレートの髪が肩に掛かっている。優しい瞳と少しだけぽっちゃりした頬が印象的だ。定夫はなんてかわいい娘なんだろうと、ドキッとしながらも平静を装っていた。

「じゃあ、ごゆっくり」

テーブルの上に湯飲みを置くと、軽く会釈をして沙希が出て行った。定夫の視線はしばらく部屋のドアノブから離れなかった。

「ははは、気に入ったのか?」

そういいながら、栄一は定夫の目をしっかりと見つめていた。

「お孫さん、可愛い感じですよね。一緒に暮らせるなんて嬉しいですよね」

「そうだな。わしの娘も一緒に住んでたんだが、婆さんが死んだ頃に転勤になってしまった。あの子だけは東京で仕事をする都合上、わしの家に居続けているってわけじゃ」

「そうでしたか、見とれてしまいました」

「そうだろう。じゃあ、良かったらここに泊まっていかんか?」

「お孫さんも一緒にいるのに、許可無しでいいんですか?」

「沙希はわしの言うことに従う娘だ。わしの方から言っておけば大丈夫だ。どうだ?」

「でも、ビジネスホテルのチェックアウトはまだまだですし……」

「お前さんは80を迎えようとしているこんな老いぼれの話をちゃんと聞いてくれるんだ。わしゃ、気に入ったもんでなぁ、色々と確かめたいのじゃよ」

「色々と?」

「とにかく荷物をここに持って来なさい。どうせ近くのあのホテルだろ、わしから話を通しておくから心配せんように」

そう言われて、定夫はビジネスホテルから荷物を持って引き上げて来た。フロントに鍵を渡したが、清算することも無く出てこられた。

栄一の家に戻ると大人の色気を漂わせている女性、そう沙希が出迎えた。

「定夫さんでしたよね。どうぞお上がり下さい、じいじは出かけてしまって私が応対するように頼まれました。今日はここでお泊まりになるのよね」

「そうなりました」

「荷物は客間に置いて、相手をして欲しいとのことでしたので、2階の私の部屋にいらしてくださいね」

定夫は言われるまま、客間に荷物を置くと2階へ上がった。いくつか扉がある中で彼女のネームプレートが掛けられた部屋を見つけた。定夫がノックをするや中から扉が開いた。

「こちらへどうぞ」

可愛らしい洋室をイメージしていたが、それは覆された。半分はフローリングだったが、部屋の奥の方jは正方形の琉球畳が敷き詰められた部屋となっており、い草の香りが心地良く懐かしかった。珍しい和洋折衷の部屋に驚く定夫、畳の上に敷かれた座布団に座り、沙希はフローリングの上に置かれたコンパクトソファーに腰をかけた。

「定夫さんにはきちんと自己紹介していませんでしたね。私、中溝沙希(なかみぞさき)と言います。今年の春に女子大を卒業して、今は某企業で秘書として勤めています」

「そうですか、さっきの人のお孫さんですよね」

「ええ、そうです」

沙希は定夫のリクルートスーツ姿を見て質問した。

「就職活動東京までやって来たんですか?面接はどうでした?」

すると、思い出したかのように浮かない表情を浮かべる定夫。

「全然駄目でした。何かが足りないだって、面接受けながら叱られる始末」

「そうなんだ?」

「君にはわからないだろうけどね。学歴も見た目も能力も中途半端だからね」

「そんなことないと思うよ。定夫さんの目を見ると、何かを信じることができる純粋な目をしているから、私からじいじに頼んでみる?」

確かにさっきも栄一からしきりに目を見られていた。沙希に同じことを言われるとは思ってもいなかった。定夫はさっきから気になっていたことを確認する。

「おじいちゃんのこと、じいじって呼んでるんですね」

「何か変?」

「沙希さんって、なんだか子どもっぽいところがあるんだなって思って」

「そう?ありがとう。定夫さんって、じいじに気に入られてるから、きっと何か仕事見つけてくれるはずよ」

「じいじがね〜。そういや、まだ帰って来ないのかな?」

「まだっていうか、じいじは私たちを二人きりにしようとわざといなくなったんじゃないかな」

「そうなのかな?」

「実はそばに離れがあるんだけど、そこで休んでるはず」

「離れ?」

「別棟のこと、私の家って昔からの資産家だからね。私の仕事もじいじが決めてくれたの」

「へぇ、じゃあ、だから俺の仕事も面倒みてくれるかと思ったんだ」

「そういうこと、じいじのお眼鏡にかなうといいよね」

「まさか、どこかで見られてるってことは無い?」

「盗撮とかそんな風にこっそり見るようなことはしないわよ。じいじはあなたのことしっかり見てると思うよ」

「沙希ちゃんって面白いところあるよね。じいじ、じいじって、じいじのことそんなに好き?」

「大好きよ。こうやって身も心も捧げているんだし」

「大袈裟だなぁ」

「そうかな?じいじも私のことをシッカリ見てくれるもの、本当に大好きよ。私の全てを任せることができるのは、じいじしかいないもの。じいじが色々とアドバイスしてくれたり、進路を決めるときに手伝ってくれたのよ」

それに対して定夫は反論する。

「ねぇ、それって窮屈じゃない?」

「全然そうじゃない。私に与えられた特権だと思うの、じいじと私は心が通じあっているし」

「なんだか沙希ちゃんのことをもっと知りたくなったな」

「私もよ。じいじももっと知りたいだろうし」

「また、じいじ?あのさ、ここに戻らないよね?」

沙希が首を縦に振るや、定夫は沙希のブラウスに手を掛けていた。

「定夫さん、ボタンを外す前に布団敷いてくれない?」

定夫が布団を敷くと、二人は抱き合いながらふとんの中へと入っていった。体を重ねる速度と密度が高まるなか、沙希は定夫の唇を奪い挑発するように定夫のムスコを触り出した。

「沙希の感情がすごくなってる。頭だけではなく心が興奮状態、相性抜群みたいね」

「沙希の色々なところを感じさせたいな。面接のことなんか忘れたいぐらい」

お互いを抱きしめたり愛撫しながら、沙希は定夫との相性診断をしていた。そして、いつの間にか二人は眠りについていたのだった。


一夜明け、窓から入る光を受けて定夫は沙希の隣で目が覚めた。昨日の夜はいきなり沙希と結ばれたことを思い出した。しかし、その余韻は会談をかけ上る音によってかき消されてしまった。栄一が部屋の前までやって来たのだ。

「おい、沙希。起きたのか?」

ノックをしたかと思うと栄一は部屋の扉を開けてすぐに入って来た。いつも着ている寝巻きで紺の甚平姿だ。栄一が部屋に入ると定夫の隣に寝ていた沙希も目を覚ました。

「沙希、起きたか?」

「あっ、じいじ」

「この男、わしの相性診断によるとばっちりじゃった」

「えっ?」

すると沙希は定夫と一緒に寝ていたことに気づいたようだ。

「あっ、彼がそうなの?」

「そうじゃよ。ついに見つけたな」

「じゃあ、彼と私が付き合っていいのね」

「もちろんじゃ」

「じいじ。ありがとう」

沙希は栄一の右頬に軽くキスをした。思わず顔が赤くなる。

「あの?どういうことですか?」

そうやって、二人の間に割り込む定夫。

「どういうことって言われてもねぇ。こればっかりはまだ言えないわ」

「とりあえず、お前さんはシャワーでも浴びたらどうだ?バスタオルとか必要なものは勝手に好きなものを使いなさい」

そう言われると定夫は半ば強引にシャワーを浴びに浴室へと行かされた。沙希と栄一が二人きりになると、お互いの体を寄せ合い、お互いの唇を重ね合わせた。体が光ったかと思うとその場で倒れ込んだ。ほんの少しだけ二人の体が動かないかと思うと、沙希の体が起き上がった。

「私の体に戻ったんだ。ねぇ、じいじ、起きて」

沙希は横たわる栄一の体を揺り動かした。

「あっ、戻ってしまったな。いつもこの瞬間が残念じゃ」

「じいじも十分楽しめたんだろうし、いいじゃない。ねぇ、昨日彼と何があったのか全部教えてくれる?」

「そうじゃのぉ。久しぶりにお前の体でやってしまったんだが、構わんよなぁ〜」

「もちろんよ。私が付き合う人を見つけるためにじいじが助けてくれただけなんだから。これからも時々、お願いします」

「わしも生きてる限りは沙希のために代わってやるからな」

「じいじが長生きしてくれないと、私寂しいよ〜」

そうやって栄一と話をする沙希の顔は満面の笑顔が輝き続けるのだった。


(おわり)








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