作:夏目彩香(2008年7月29日初公開)
小春日和のある土曜日の午後、緑川徹(みどりかわとおる)は、姉の恵美(えみ)が帰るのを待っていた。年の離れた姉弟で、両親のいない徹にとっては姉の存在こそ親のようなものだった。そんな姉は私立高校で教師をしていて、来年には徹も姉の働く高校へ行きたいと思って必死に勉強を続けていた。 徹が姉の帰りを待っているといつもと違う様子で帰って来た。玄関を開けると買い物袋をぶら下げ真っ先にリビングに入って来るはずなのに、廊下をドタドタと音を立てて入ってくるや、ドアを開けたまま脱衣室に入ったのだ。姉の異変に気になって脱衣室に行くと、姉は洗面台の前で鏡とにらめっこをしていた。そして、姉は徹の姿が鏡に映ると軽く驚いた表情をみせた。 「あっ!徹くん」 「今日は買い物して来なかったの?」 「買い物?何の話?」 「なんか、今日はいつものお姉ちゃんらしくないよね。僕はお姉ちゃんのこと尊敬してるんだから。いつも帰りは買い物をして帰って来るじゃない、今日は買って来なかったからごまかしてるだけなの?まぁ、いいよ。今日は家にあるもので作るから、いつものように着替えてね」 「あっ、わかったわ。今日の夕食準備は徹に任せるわ。私は部屋で待ってるから、後で呼んでちょうだい」 姉がそう言った途端、姉の携帯電話の着うたが流れた。この音は確か同僚の先生から電話がかかってきた時の着うた設定だと思う。姉は急いで、自分の部屋に入り電話を受けた。そんな姉を見届けると徹は夕食の準備をはじめた。 恵美が自分の部屋で携帯を開くと、聞こえてきたのは藤沢琢磨(ふじさわたくま)の声だった。 「あら、藤沢先生」 『何が、藤沢先生なんですか、藤沢先生のことが心配で電話したんですよ』 「うん。わかってるよ」 『とりあえず、徹に聞かれたらまずいから、ちゃんと女言葉を使ってください。それに藤沢先生が緑川恵美だってことを忘れないでください』 「あら、そうね。藤沢先生。で、なんの用でしょうか?」 『決まってるじゃないですか、心配で電話をかけてみたんです。私は藤沢先生みたく一人暮らしじゃありませんから、徹に変なことだけはしないでくださいね』 「でも、どうして私たちがこうなってしまったんでしょうか」 『えっと、それは私に責任があるんです。ある生徒からからかわれたんです。それを真に受けた私に起こったこれは災いなんです。藤沢先生には迷惑をかけてしまいますが、徹には私らしく接してやってください。私の場合は藤沢先生のイメージをすると藤沢先生らしく動けるみたいですので、私のイメージを強く持てばなんとかなるはずです』 「とにかく細かいことは明日にしましょう。私もできるだけのことはしますので」 『はい、明日は封筒を渡した生徒の家を一緒に訪問しましょう。藤沢先生には悪いんですが、入学式の時に着たツーピースを覚えてますか?』 「入学式の時に着用したツーピースだったら覚えてますよ。あれに包まれた緑川先生、いや私の姿はとてもきれいだったので」 『藤沢先生にお願いがあるのですが、生徒の家を訪れる際にはそのツーピースを着てください。では、詳しいことはまたメールしますので、あまり話が長くなると徹が怪しむので今日はこのへんで』 「はい、わかりました」 『それでは、おやすみなさい』 「おやすみなさい」 恵美は携帯電話を閉じると、携帯を持っている自分の手をじっと見つめていた。実は徹の姉と藤沢先生は心と体が入れ替わっていたのだ。お互いの記憶は無いために、学校近くの喫茶店で簡単な情報交換をしただけ。あとは、イメージを膨らませばその姿にあった身振りができるとのことだったが、琢磨はあまり恵美の記憶を引き出すことができていなかった。なので、こんなんに年下の弟がいるとは夢にも思っていなかった。 電話を切ると、琢磨は恵美の部屋にある姿見に自分の姿を写していた。いつもとは左右が反対に見えるが、これが今の自分なのだ。恵美とは同じ時期にこの学校に赴任して来たうえに年も近いから、比較的仲のいい先生だ。その恵美の姿が自分のものとなっている。年頃の男には恵美の体はあまりにも神秘的過ぎたが、こうなってしまうと乙女の体に興味津々となってしまう。 徹が夕食を準備している間に琢磨は、着替えをしなくてはならないと気づいた。姿見に映るのはスーツ姿の緑川先生が着替える姿は、禁断のビデオよりも生々しく思う。 恵美が着ているものを脱がなくてはならないのだが、自分の体を姿見に映しながら白いジャケットをベッドの上に脱ぎ捨てると、ピンクのブラウスから胸元が透けて見えた。そのブラウスのボタンを上から順に取って行くとアイボリーのブラジャーが現れた大きくは無いがふっくらとした形のいい胸、緑川先生だけが知っている秘密を共有した気分だ。 ブラウスもジャケットの上に脱ぎ捨てると、次は白のタイトスカートを脱ぐことにした。ベンツはファスナーになっていて、自由に調整ができるタイプのスカート。膝丈ではあるが、ファスナーが際どい位置まで上げられていたのでなかなかセクシーだ。緑川先生が男子生徒から人気を博しているのも無理はないことだ。腰の後ろにあるホックを開くと、ファスナーを下げる。手を離すとスカートがぱさりとフローリングに落ちた。 スカートをブラウスの上に脱ぎ捨てると、姿見には下着姿の緑川先生がこちらをじっと見ていた。まるで見ないでと言われてるようにも思うが、着替えるためには仕方ないと心に強く念じた。化粧台の椅子に座り、ストッキングを慎重に手でたぐりよせながら脱ぎ捨てるとこれをスカートの上に置いた。 ベッドの上に脱ぎ捨てた緑川先生の服、あれを自分が身につけていたと思うだけで興奮してしまう。ブラジャーとお揃いのショーツがちょっとだけ濡れてしまったが、クローゼットの中からいつも着ているらしい部屋着のグレーのワンピースを頭から被ると、家で寛ぐ姿の緑川先生を初めて目の当たりにした。 この時、携帯電話にメールが入り、確認してみると琢磨の名前で送られる緑川先生からのメールだった。明日の待ち合わせ場所と待ち合わせ時刻の書かれたメールが届いたのだ。それに素早く返信する琢磨、女性の文字入力スピードは明らかに早いのは手が繊細だからに違いない。 着替えを済ませると緑川先生のイメージを膨らませて化粧を落とし、弟の徹と一緒に夕食を取った。いつもよりも疲れたとか理由をつけて、歯磨きをするとすぐに自分の部屋に戻った。緑川先生からは明日の早い時間に待ち合わせをすることになっていたので、早めに寝ることにした。 そして、次の日の朝。入れ替わって半日以上過ぎたせいか、昨日よりも自分が緑川先生であることに違和感が無くなっていた。お目当てのスーツはクローゼットの隅の方にクリーニングの袋に包まれて見つかった。薄いピンクの所々にラメの入ったツーピーススーツだ。ツーピースに身を包むと手慣れたように化粧を施し、待ち合わせの場所へと向かった。昨日よりもヒールが高いピンクのハイヒールに足を通すと緑川先生のように颯爽な感じで風を切るように待ち合わせの場所へと向かった。 生徒が住んでいる駅前、緑川先生の姿をした琢磨が到着した頃にはすでに自分の体が待っていた。半日ぶりに見る自分の姿だがなんだか急に懐かしさが襲って来る。緑川先生も琢磨が到着したことに気づいたようで、かけ寄って来た。藤沢先生もいつもよりフォーマルなスーツに身を包んでいた。 「おはようございます。待ってた?」 「おはようございます。待ってたも無いですよ。ここには30分も前にはとっくに着いてました」 「あっ、ごめんなさい」 「いいんですよ。藤沢先生は悪くないです。私の性格がその体に染み付いているんだと思います」 「そうですか」 「それより、思ったよりもメイクが酷すぎるわ、どこかで直してからじゃないと、先方にはすでに緊急家庭訪問は午前中に訪問するとだけ連絡しましたので、まだ少し余裕があるので、私が直してあげます」 「でも、二人でトイレは行くわけにはいかないし、どうしましょうか?」 「そうねぇ、こうなったらあそこにしましょう」 恵美はそう言いながら近くの喫茶店を指さして、琢磨と一緒に入っていった。 「まぁ、しょうがないわ。ここでいいでしょ。メイク道具は持って来たわよね」 「み、藤沢先生、ここでその言葉使いはまずいですよ。お互いの姿に合わせないと」 琢磨は恵美が自分の体に似合わない言葉使いをしていることに気づいた。 「ん?それもそうだな。すっかり忘れてました。最近は女言葉を使う男も流行ってるみたいだけど、僕は違うので」 「言葉使いってその人の印象を決めているのね。なんだか今日は、自然と女らしい言葉使いができるって感じで」 「まぁ、いいよ。さっさと始めよう」 そう言って琢磨の姿をした恵美は10分くらいでメイクを終えた。 「よし、これで完璧です。こうやって客観的に見ると、緑川先生は化粧しなくても十分だね」 「ようやく、終わったの?なんだか長かったわね」 「これでもいつもより、素早くやってみたよ。なんか僕ってすごいよね。なんちゃって」 「それにしても、何だか変よね。私たちが自然にお互い言葉になってる」 「あっ!それってもしかして、時間が経てば経つほどその体に合って行くのかも」 「ここでゆっくりしちゃいられないわね、藤沢先生、行きましょ」 そう言って二人は喫茶店を出ると、目的の生徒の家の前に到着した。表札には「正宗」の文字が書かれている、最近建てたばかりらしい3階建ての一戸建てだった。藤沢先生と緑川先生はちょうどこの生徒の担任と副担任で、今日は特別な話があって家庭訪問をしたいと申し出ていたのだ。 ピーンポーン チャイムを鳴らすや、玄関が開いた生徒の母親と思わしき女性が出てきて二人に挨拶をした。 「普段は娘がお世話になっております。片付いていませんが、お上がりください」 そう言って二人を応接間に連れて行った。生徒の母親はお茶を入れにキッチンへと消えた。応接間に残された二人はソワソワしながら母親が戻って来るのを待っている。するとそこへ娘の瑞奈が顔を出した。 「あれ?お客さんなんて珍しいと思ったら、先生方だったんだ。私にもしかして聞きたいことがあって来たんだよね」 すると、黒いミニスカ姿の瑞奈は藤沢先生の体に近づき、頬に軽くキスをした。 「きゃ、何するのよも正宗さん」 「正宗、先生になんてことするんだ」 二人は元の自分の言葉で喋ってしまった。それを聞いた瑞奈はニヤリとした表情を見せた。 「はっはぁ。やっぱり、緑川先生も成功したんだ。これで、藤沢先生と仲良くなれるでしょ」 「成功!?」 藤沢先生と緑川先生は声を揃えて言った。 「あら?緑川先生に封筒をあげたじゃない、あれを使ったんだよね」 瑞奈は藤沢先生を見ながら言った。すると緑川先生(藤沢先生)が思いつくような表情を見せ紅い唇を動かした。 「あっ、あの封筒」 「そうです。あの封筒をくれたのが正宗さんなんです。あれにはどんな意味があるの?」 藤沢先生(緑川先生)は瑞奈に追求した。 「どうせ先生方の用件はわかっています。あの封筒について教えて欲しいんですよね。」 瑞奈のその質問に二人はうなずいた。 「それを話す前に、藤沢先生に確認したいんだけど、緑川先生から封筒を受け取ったよね」 そう言いながら瑞奈は緑川先生と目を合わせた。 「ねぇ、藤沢先生。白状したらどうなの?」 「えっ、藤沢先生どうなんです?」 緑川先生(藤沢先生)は白々しく藤沢先生に話をふった。 「あの。先生方が入れ替わってるの知ってるんですけど、緑川先生の姿をしているのが藤沢先生よね」 「そんなことまでわかっているんだ」 「隠しても無駄なんだって」 すると、応接間に母親がお茶を持ってやって来た。 「先生方、お茶が入りました」 テーブルにお茶を載せ母親に藤沢先生(緑川先生)が話かけた。 「お母さん、娘さんと話がしたいので外してもらえますか?」 「あっ、そうですか、わかりました。それでは、娘にしっかりお話下さい」 そう言って母親は応接間から出ていき、ドアをしっかりと閉めた。 「あの封筒の秘密はあなたが知っているのよね」 緑川先生(藤沢先生)が瑞奈に話した。 「そうです。ずいぶん緑川先生らしく喋ることができるんだ。封筒の効果が大分出てきたみたいね」 「だから、封筒の効果って何なの?」 瑞奈が壁に掛かっている時計を見ると12時を過ぎていた。 「入れ替わったのって、14時過ぎだったからあと2時間で24時間経つよね。あの封筒の秘密を教えるには条件があるんだけど、私と武田くんを例の交換留学生に推薦してくれたら、教えてあげる。それなら、封筒の秘密と元に戻る方法を教えてあげる」 交換留学先の話は瑞奈が前々から願っていたことだった。勉強に明け暮れるなら、どうせなら海外で生活をしてみたかったので。担任と副担任の推薦があればあとは校長の判断で行くことができる。瑞奈はかつて自分で希望したが、藤沢先生の反対で推薦されなかった。 「正宗さんはいいけど、武田くんは駄目です。彼ぐらい優秀な生徒は留学で無駄な時間を過ごしてもらいたくないと判断したんです」 すると藤沢先生(緑川先生)が反対に回った。 「藤沢先生、私はいいと思いますよ。私たちが元に戻るには、それしか方法はありません。正宗さんの希望する通りにしたらいいですよ」 その様子をおもしろそうに瑞奈が見ていた。 「先生方、だんだん体に馴染んで来ているようですね。24時間が過ぎてしまえば、お互いの魂と体の関係が逆転します。すなわち、体に合った行動が主となるので、お互いに本来の自分は失ってしまいます」 藤沢先生(緑川先生)は元の自分を思い出しながら話を続けた。 「それは困ります。確かに愛する藤沢先生になって、私は大丈夫ですけど、藤沢先生は私のままでは困るはずです」 それを聞いた緑川先生(藤沢先生)が口を開いた。 「緑川先生、僕よりも緑川先生の方が迷惑なはずです。だって、美人女性からいきなり中年男性になってしまうのですから、辛くないですか?実は僕も緑川先生のことを愛しているんです」 「えっ!本当に?」 「本当です」 藤沢先生(緑川先生)の目をしっかりと見つめながら緑川先生(藤沢先生)が言った。それを横で聞いていた瑞奈はうっすらと涙を浮かべていた。 「あの、先生方。お互いに愛し合っていたんですね。心から祝福します。私も心ばかりの感謝の気持ちとして元に戻る方法を教えます。さっき言った条件は別に飲んでもらえなくても結構です」 瑞奈はなぜか二人に感動してしまったのだ。 「本当?」 「本当です。元に戻るには、こちらの封筒を使えばいいんです」 瑞奈はうっすらピンクの封筒を差し出した。 「この封筒を使って、昨日、緑川先生がやったことを同じようにすれば元に戻ります。要するに、今は緑川先生の姿をしている藤沢先生がメッセージカードを藤沢先生の姿をしている緑川先生に送って、藤沢先生の姿をしている緑川先生がその封筒を開け閉めすれば元に戻るのです」 「それだけで元に戻るのね」 緑川先生(藤沢先生)は興奮した口調で言った。しかし、隣に座っている藤沢先生(緑川先生)の表情は冴えなかった。 「これで元に戻れるんですね。実は、僕は藤沢先生の体も悪くないと思ってるんですよ。元に戻って藤沢先生を愛せる自信が無くて」 「私は元に戻れるなら戻るべきだと思います。緑川先生の人生を奪うなんて私にはできないもの」 そんなやり取りをおもしろそうに見ている瑞奈は、二人に言い忘れたことを加えた。 「あの。言い忘れていたことがあるんですけど、この封筒の副作用として、元に戻った二人の関係を遠ざける副作用があるんです。それでも使いたいと思いますか?」 「えっ?それって二人の仲を引き裂くってこと?」 緑川先生(藤沢先生)が言った。 「昨日の白い封筒は入れ替わった上に二人の関係を近づけるんですが、元に戻す用のこの封筒は逆に二人の関係を遠ざけます」 「まさか!」 緑川先生と藤沢先生は口を揃えて叫んだ。 「緑川先生、ごめんなさい。私がこんなものをあげたばっかりに」 「いいえ、正宗さんは悪くないよ。全部僕の責任だもの」 藤沢先生(緑川先生)が瑞奈に謝ります。 「二人ともしっかりしなさい。私は正宗さんも緑川先生も赦します。だから、私がこのまま緑川先生として生きても構わないわ。元に戻れなくても今は愛する人がいるので幸せだもの」 「藤沢先生、本当に構わないんですか?それでは僕と結婚を前提に付き合ってください」 「はい!!」 瑞奈の目の前で藤沢先生(緑川先生)が緑川先生(藤沢先生)に対してプロポーズをしてしまった。二人は目をしっかりと合わせると力強く承諾の返事をした。その様子を見た瑞奈は感極まって、祝福の拍手を二人に浴びせていた。 それから2時間後、二人は駅に戻って一緒に食事をしていた。入れ替わりから24時間が経ったが二人は時間を気にする様子が無かった。二人はすでに魂と体の関係が逆転していたのだ。食事を終えると、朝に訪れた喫茶店に再び入った。恵美は化粧ポーチを取り出してトイレでメイクを直して来た。席に戻ると琢磨にメイクを直してと言うが、すっかり忘れてしまったと言う。 次の日、校門の前で生徒を出迎える藤沢先生と緑川先生の姿があった。校門を通り抜ける生徒たちは二人が入れ替わってしまったことに誰一人気づくことが無い。 そこへ、瑞奈が武田と一緒に登校して来た。瑞奈はまずは緑川先生に挨拶をした。 「緑川先生、おはようございます」 「正宗さん、武田くん、おはよう」 「なぁ、瑞奈。今日の先生って一段ときれいだね」 「だから、言ったでしょ。藤沢先生と……」 「あれって、本当だったんだ」 「真ちゃん、勉強ばかりしてないで、そう言ったことにも興味持つといいわよ。ですよね、緑川先生!」 「まぁね」 緑川先生は幸せそうな表情で言った。 (完) |
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