Special Day

作:夏目彩香(2003年7月07日初公開)


 

7月7日

1年に1度だけあの人が帰ってくる日
私が最も愛したあの人に
未だに会えるだけでも感謝したい日


時は7月6日の夜、1年ぶりの再会に向けて茜(あかね)の気持ちは高まっている。一人暮らしをしている茜は台所で食事の準備をしている。

0時になれば7月7日。その時に合わせてつくっているので、食事の時間としては遅めの時間だが、あの人に会えるのだからお腹が空くぐらいなんとも無いことだった。

テーブルの上にはいつもとは違って二人分の食事が用意され、茜は寝室で着替えを始めた。あの人の好きなコーラルレッドのワンピース。これを着るのは1年に1度しか無いが、大事にしている洋服の一つだ。

大きな姿見に全身を写すと、今度は化粧台に向かって、メイクをしはじめた。仕事から帰ってきてメイクを落としたが、やはりあの人に会うことを考えると軽くメイクをしておく方がいいと思ったのだろう。

それが終わると、部屋をきれいに片づけて玄関へ行った。あとで出かける時のためにあの人がくれた白いハイヒールを準備した。テーブルの椅子に座ると、茜は時計に目をやり0時になるのを待った。時計の針が0時まであと45度の位置にあった。0時になるまで10分を切ったのだ。

0時になってすぐに来るわけでは無いから、実際には0時5分くらいにここへ来るのかも知れない。去年は0時7分だったってことを茜ははっきりと覚えている。やはり1年に1度しか会えない分、茜はその日のことをよく覚えているのだ。

部屋の中は時計の針が進む音と、茜の胸がドキドキしている音だけが聞こえた。茜の家はマンションの15階、エレベーターを降りるとすぐ部屋だ。茜は耳を澄ましてエレベーターの音を確認しながら時間が経つのを待っていた。


耳を澄ます
エレベーターから降りてくる足音
私にはとても待ち遠しい音が聞こえてきた


茜は時計に目をやると0時を過ぎているのに気づいた。あの人がやって来るまでもう少しだ。エレベーターが茜のいる15階で止まる音が聞こえると、次はエレベーターから降りてくる足音を聞き分ける。今日はどんな音が聞こえてくるのだろう。そんなことを思いながらだ。

茜の部屋の前を過ぎて行く足音。こうなるとまたエレベーターが止まる音を待つしかない。次のエレベーターがやって来た。廊下にコツコツと響く音が聞こえてきた。茜はあの人の靴音では無いと思った。

このまま茜の部屋の前を過ぎ去ると思ったが、意外にも玄関のドアの前で音は止まった。そのまま茜の家のインターホンがシーンとしている部屋の中に響き渡った。茜は玄関へ行ってドアを開けた。茜の目の前には若い女性が立っていた。

少し赤みがかった長いストレートの髪、ちょっと目尻がつり上がったオレンジのアイシャドーが眩しい目、つんとした鼻先、赤い口紅がよく似合う口元。パープルの首周りが大きく開いた半袖ブラウス、白いフレアミニスカートの下には膝が顔を出している。足には青のパンプス。ブランド品のショルダーバッグを右肩にかけ、耳元のハートのイヤリング、首元のネックレスと言った類のものは見るからに高そうだった。

女性は茜を見ると笑顔を見せ、軽くお辞儀をした。玄関には茜の白いハイヒールと、女性の青いパンプスがきれいに並べられた。茜と女性はテーブルで向かいあって座る。女性は目の前に並べられた料理を見て思わず微笑んだ。どうやら女性の好きなもばかりが並んでいるらしい。用意されていたワイングラスに赤ワインが注がれ、二人はグラスを持って乾杯をした。

チーンとグラスを重ねる音が部屋の中に響きながら、二人の「乾杯」の声と重ねる。この時になって茜はようやく女性の言葉を聞いた。ワインを一口飲んだ茜とは対照的に女性はグラスの中に注がれた分を一気に飲み干した。茜は女性のグラスにボトルを傾けた。

「久しぶりだものね。あなたの好きな赤ワインを用意したのよ」

そう言うとボトルを見せながら女性が笑った。

「そっか。とにかく久しぶり。1年に1度だけ楽しみにしてる日。今年もやって来ました」

女性はお酒が入ってもう顔が赤くなっている。気分もかなり良いようだ。

「そうそう。1年経ってもまだ結婚できませんでした。私ってやっぱりあなたしかいないのかなってね」

茜がそう言うと女性は苦笑いした。

「ところで、今日は誰なのよ〜。私よりもずっと美人だし、それに若いみたいだけど」

赤い顔をした女性は茜の用意した料理を食べ始めていた。

「へへ〜。いいだろ」

女性は鼻の下に指を当てて自慢げに話をして来る。

「じゃあ、これ」

そう言うと、女性は自分の財布から社員証を取り出してみせる。

「朝倉天音(あさくらあまね)、24歳。この会社って大企業だよね。ここの社長秘書だって、すごくない?」

「あなたのことだから女になってくるんだとは思ったけど、こんな美人を選ぶなんて、私嫉妬しちゃうわよ」

そう言うと茜も自分の料理を食べ始めた。

「そんなに嫉妬するなって、俺は1年に1度しかこの世に戻って来られないんだぞ。しかもその日はお前と会うためだけに使ってるんだぞ」

天音の姿にはなっていてもあの人の喋り方はそのままだった。

「やっぱりどんな姿になっても喋り方は一緒だね」

「だって俺は俺だもの。喋り方まで忘れるかよ」

「あら不思議。私が聞くと天音さんの声じゃ無くてあなたの声に聞こえてくる」

茜には天音の声があの人の声として聞こえてくるようだった。

「そんなことあるかって。俺の声なんて、俺だって忘れたぐらいだ」

天音は茜の作ったサラダに手を出している。

「私はずっと覚えているよ。あなたの姿だけでなく、その温もりまで全部体で覚えているんだから」

そんな話をしながら茜と天音は楽しい食事を過ごしていた。


楽しい時間はあっと言う間
辛い時間はとっても長く感じる
それが私たちの運命なんだって思う


食事を終えると、一緒に食器を片づけ始めた。茜と天音がそれぞれ分担をしながら片づけたのですぐに終わった。天音がソファーに座ると、茜がコーヒーを入れたマグを持って来る。

「砂糖入れないよね」

「もちろん。ブラックしか飲まないからな」

「私はこれ入れないと飲めないのに、やっぱり変わってないね」

ソファーの前に置かれている低めのテーブルには二つのマグが並んでいた。

「このマグ、覚えているよ」

「そうだよね。このマグはあなたからもらったものだから、この日のために大切に保管してるわ」

そう言うと茜は天音に甘えるような感じで寄りついて来た。

「天音さんの体ってすべすべだね。私だって負けないつもりなのに、年を取るとやっぱり張りが無くなってくるの。体は天音さんでも中身はあなたなのね。すごく暖かいよ」

茜は幸せな表情を天音に見せる。

「俺のそばでしていたのと同じ表情だよな。安心したか?」

そう言うと茜は軽く頷いた。

「このままずっと一緒にいたいよ」

「そう言うなよ。このままずっと一緒にいられたとしても、この体じゃおかしいだろ」

「それもそうよね」

二人は一緒に高笑いをした。

ソファーの上で天音がゆっくりと眠りはじめた。寝室からタオルケットを持ってきて天音にかけてあげた。マグの中にまだ残っている温いコーヒーを口に含みながら、茜は昔の出来事を思い出した。それは10年以上も前になる7月7日のこと。

茜はその日、結婚式を迎えた。白いウェディングドレスを着た日のことを忘れることはできない。その日の夜、茜の言うあの人と結婚後初めての夜を迎えた。そして、この時に悲劇が起こった。

二人で迎えた結婚初夜、ワイングラスを傾けた二人はろうそくを灯しながら結婚を祝福したのだ。今思えばこのろうそくがいけなかった。ベッドであの人が軽く横になったあと。軽く酔った茜もベッドの中に入ろうとした時、ろうそくを倒してしまった。ろうそくを倒してしまったことに酔っている茜は気づかずそのままベッドに入ってしまったのだ。

倒れたろうそくは、絨毯を伝ってカーテンに広がり部屋全体に燃え移った。火の勢いはすぐに大きくなり、あっと言う間に部屋が炎に包まれることになる。その後のことは、思い出したくないくらい悲惨だった。

その時の火災であの人は亡くなり、茜だけが生き残った。結婚式の日に夫を亡くしたというショックからなかなか立ち直れない茜だった。夫の家族とは縁を切り、1周忌すら参列することができなくなって、1周忌にあたる日も一人で過ごしていた。

その日、二人で住むはずだったマンションで暮らしていた茜は、初めて不思議なことを体験した。7月7日に日付が変わってしばらくすると、家のインターホンを鳴らす音が聞こえたのだ。眠りにつこうと思っていた茜にとっては意外なものだったので、おそるおそる玄関へと向かう。ドアホンを取ると若い男の声が聞こえた。声を聞くとあの人の同僚だと気づき。ドアを開けた。

その同僚を家に迎え入れると、自分は茜の夫だと言い張った。7月7日だけ特別にこの世に戻ってくることができ、その際には誰かの体に1日だけ入っていられるらしい、それから1年に1度だけの変わった形の再会が始まった。最初こそは男の人になっていたあの人も最近は女の人になることが多い、茜が男と一緒にいることに嫉妬したからだと話してくれるが本当のところはどうなんだかわからない。


あなたの温もりは変わらない
わたしの大切なあなただから
ずっとずっと覚えているよ


茜がふと気づくと外から朝の日差しが入って来た。茜もソファーの上で寝てしまったようだ。よく覚えていないけれど、なぜか部屋着の白いワンピースに着替えていた。茜はアルコールが入ると記憶を無くすのだ。しかし、隣には天音になったあの人がいるはずなのにいなかった。自分にかけられたタオルケットを取りのけ、玄関に行ってみる。茜と天音の靴が仲良くそろっているままだ。

耳を澄ますとお風呂の方からシャワーの音が聞こえた。天音はどうやらシャワーを浴びているらしい。あの人は勝手に人の体、しかも女の体でシャワーを浴びていたが、茜はバスタオルを手に取り、お風呂の前まで行く。すると、天音の下着や服が洗濯機の上に無造作に置かれていた。

「バスタオル、ここに置いておくよ。それと、脱いだものはここじゃないよ」

茜がそう言うと、天音の下着や服をいつものかごに入れて置いた。そして、茜は台所で朝の食事を準備しはじめた。朝は軽めの食事なので、目玉焼きを焼いて、昨日のサラダを少しと、ご飯にみそ汁を揃える。準備が終わると、天音のシャワーが終わったようだ。

下着姿の天音を茜が助けてあげる。とりあえず、もう一つ部屋着として使っている灰色のワンピースを着せると、天音の髪にバスタオルを巻いて朝ご飯となった。天音からは石けんのいい香りが漂って来る。

「天音ちゃん。色っぽいわね」

茜がそう言うと、天音は目玉焼きに手をつけはじめる。

「そうか?茜の方がよっぽど色っぽいって。。。あっ、これおいしい」

「どっちも、ありがと」

そう言うと夜のように話をしながらの食事がはじまるのだ。

「今日はこれから何する?1年に1度しか無いから、あなたが決めてよ」

「そうだなぁ。その前に今日って日曜じゃないだろ」

「そうだけど、会社はいいのかよ」

「私は大丈夫よ。休暇取ってあるからね」

茜は余裕の笑顔を見せる。

「そうじゃなくて、天音のこと。休暇を取ってるはずが無いよな。会社に電話しないと」

「そっか、考えてなかった。早起きしたからよかったけど、今日は月曜日だものね」

「休暇取れるかなぁ?」

突然、弱気になる天音。すると茜は天音の唇に目がけて、自分の唇を突き刺した。周りから見れば女同士だが、二人だけはそんな風には思っていなかった。

「天音ちゃん。あなたなら大丈夫よ。絶対休暇にしてもらいなさいって」

「とりあえず、もう少ししたら出かける準備して、電話するよ。なんとか誤魔化すって」

そんな風に焦った表情の天音の顔は、焦る時のあの人とどうやら同じで、茜は大切な時の流れを感じていた。

食事を終わらせると、茜は昨日の夜に着たコーラルレッドのワンピース、天音はパープルのブラウスに白いミニのフレアに着替えて、メイクを始めていた。茜がメイクを終わらせると、天音も器用にメイクを終わらせていた。メイクを終わらせると茜は天音の髪にドライヤーを当ててゆっくりと乾かし始めた。すっかりと髪が乾くと昨日のようなストレートの髪が戻ってくる。

外出の準備を終えると、天音はショルダーバッグから携帯電話を取り出し、会社に電話をすることにした。住所録から「秘書室」の名を見つけて、通話ボタンを押す。向こうが電話に受けるまでは天音の記憶を十分に引き出してしっかりと対応できるように準備をした。

電話がつながると、低く太い男性の声が聞こえた。天音は秘書室長の声だと気づく。秘書室長と話を始めると、必死になって休暇が取れるように説得をした。会ったことも無い秘書室長の顔が天音の記憶を伝って思い出される。なんとか、天音の愛想を使って室長を詰問をかわしながらようやく休暇の許可をもらった。

天音が電話を切ると、茜に笑顔を見せた。

「休暇、取れたんだね。ありがと」

そう言うと茜は天音のほっぺに軽くチューをした。

「これでお前とちゃんとデートできるよ。じゃ、行こうか」

ショルダーバッグを肩に掛け、はりきって玄関に向かう天音。そんな茜に後ろから声を掛けた。

「外へ出たら、あなたは天音ちゃんだからね。そこのところ忘れないでね」

「わかってるって、茜」

二人は玄関に並べられた靴を履き、1年に1日しか無いデートの日がいよいよ始まるのだった。





 

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