『蝉の木の下から』 作:風露 階段を上っていく。 涼しい風が身体を抜けていく。 平らな境内が見える。 今日も神社は変わらず、立っていた。 鳥居の近くは日ざしが強い。 まだ、真央は来てないみたいだ。 僕は木陰に移動する。 蝉の鳴き声が響いている。 「変わってないなあ」 木を見上げて、僕はつぶやく。 本当に昔から変わってない。 思い出の場所は、無条件で僕を受け入れてくれる。 まるで、僕まで変わっていないように錯覚してしまいそうで。 蝉が鳴いている。 昨日の放課後。 僕は屋上に呼び出された。 男の子に告白された。 意外だった。 とまどうよりも何よりも。 僕はうれしかった。 男の子は、ずっと僕が好きだったらしい。 初めて見たときから好きでした 友だちからお願いします 彼はたどたどしく、定型句を押し出した。 意外だった。 うれしかった。 気づくと、僕は告白を受け入れていた。 別に、僕は彼がきらいなわけじゃない。 むしろ、好きなくらい。 風が吹く。 僕には8年つきあった彼女がいる。 蝉が鳴いている。 木の葉が舞い落ちる。 気配を感じた。 頭上から殺気が振り下ろされる。 僕は上を見上げる。 「む。やりおるのう」 僕の手は紅い槌の柄を押さえていた。 蛇の腹を震わす深紅の本体と。 咆哮をあげる漆黒の柄。 通称 ぴこはん。 首を回す。真央が後ろに立っていた。 「しむら。後ろ」 真央は後ろを指さす。 僕の苗字は、しむらじゃないんだけど。 今どき、古風な手に引っかかるはずなんてない。 けど。何をたくらんでいるのか。 乗ってもいいか。肝心の武器は僕の手の中だ。 僕は首をちょっと戻す。 「引っかかったな。けんけん。今どき、古風な手に」 悪寒が走る。僕はすぐに、首を回す。 右手に、道理を滅す紅い槌。 左手に、暴虐を貫く黒い槌。 あ。二刀流。刀じゃないけど。 でも。鎖鎌でも二刀流とか言ったりするし。 じゃあ。問題ないのかも。 真央の左手には、漆黒の槌が握られている。 僕の両手は、頭上で深紅の槌を抑えている。 真央は左手を構える。 「甘い。甘いぞ。けんけん」 何か。目が星になってるし。 「胴」 左手から会心の一撃が放たれた。 高い音が境内に響く。 別に、血が出る。なんてことはない。だって、ぴこはんはぴこはんだし。 あれ。もう一撃、高い音。 「ぴこはんをなめるでない。けんけん」 何で、人の意思を勝手に読み取ってるんですか。 「けんけんの意思は十二指腸で、丸とおしだ」 わお。内視鏡いらずですね。っていうか、勝手に人の中身を見ないで下さい。 「魔王は万能なのだ」 ぷらいばしーというものを知らないんですか。あなたは。 「私は誰だ。けんけん」 二槍のぴこはんが音を奏で合う。 紅い槌は道理を滅す。 黒い槌は暴虐を貫く。 魔王さまとやらの正体は、黒衣 真央。くろぎぬ まお と読む。 名前に従ってか、まっ黒な服に、上からまっ黒マント。全身全霊、黒づくし。 ちなみに、本人は肌が白いことを嘆いている。 高校2年生。 まともにしていたら、すごく綺麗なのに。 自らを魔王と自負して、ちょっとかわいそうな子。 非常に残念なことに。 僕の幼馴染であり。 僕の恋人でもある。 蝉が鳴いている。 「相変わらず。蝉が多いね。」 僕は真央に話しかける。 ちなみに、今は頭を二槍のぴこはんに交互に叩かれている状態だ。 高い音が境内に響いている。 「僕の頭は風鈴じゃないよ」 高い音が境内に響く。 「小さいことを言うでない」 蝉が鳴いている。 「今は夏の音にただ、身を任せようではないか」 僕たちは二人。 蝉の木の下に座ってから。 夏の音に耳を委ねた。 僕は今の世界にやってきた。 8年前の夏。 蝉が鳴いていた。 僕は神社の境内に立っていた。 印籠を出しおわったテレビを切って、電気を消して、ふとんに入った。 夜の9時の冬篭り。 気がつくと、僕は境内に立っていた。 昼の2時の夏盛り。 僕は女の子になっていた。 降りしきる蝉の鳴き声が怖くなって。 僕は家に向かった。 僕が男の子だったなんて。 誰も信じてくれなくて。 僕は独り。 世界はずれたままだった。 僕は神社に帰ってきていた。 蝉の鳴き声が降ってくる。 目を閉じて。 耳を塞いで。 僕は木の下でうずくまる。 「どうしたの」 上から声が降りてきた。 顔を上げると女の子がいた。 声をかけてもらえたことがうれしくて。 僕は何もかもを話した。 「うん。私は覚えているよ」 真央はあっさりと、受け入れてくれた。 僕は泣きついていた。 「私は男の子だったこと。ちゃんと覚えているよ」 僕は声を出して。 「だから今は」 大声で泣いていた。 「何もかも出してほしい。苦しいのも。つらいのも」 僕は真央にしがみつく。 「怖いのも。悲しいのも」 誰も本当の僕を知らない。 「何もかも出してほしい」 蝉が鳴いている。 「私はぜんぶ」 真央も泣いていた。 「受け入れるから」 蝉の木の下で。 僕たちはいっしょに泣いた。 今の世界に戻る。 あ。わかった。 だから真央は。 夏の日に僕たちは出会った。 初めて会って、いっしょに泣いた。 まったく、知らない世界というわけじゃなかった。 ただ、みんな女の子の僕だけ知っていて。 男の子の僕は、誰も知らなかった。 蝉が鳴いていた。 8年前の夏。 「ねえ。けんけん。私たち、つき合おうよ」 いきなりのことに目をくるくるさせる僕に。 「何か、問題あるかな」 真央は追い討ちをかける。 真央は女の子。 僕は女の子。 「でも。神さまが許してくれないよ」 僕が言うと。 「だいじょうぶだよ」 少し、真央は神社を見てから。 「私は魔王だからな」 以上。本当にどーでもいい魔王誕生秘話でした。 とりあえず。思うこと。 昔の真央は、まともでよかった。 夏の音に割りこんで。 「じゃあ。今の私はどうなのだ」 真央が話す。 「黒衣の魔王」 真央の表情が緩む。まったく、わかりやすいなあ。 「誰がわかりやすいのだ。けんけん」 すでに、構えが取られている。 高い音が夏盛りに響いた。 蝉が鳴いている。 昔は鳴き声の雨が怖かったのに。 今は平気だ。 何でだろう。 僕は隣を見る。 ああ。だからか。 蝉が鳴いている。 鳴き声は僕を、昔の思い出に連れていく。 真央は夏の音に浸っている。 僕は真央を見る。 ねえ。 僕が男の子だったころのこと。 真央は覚えてくれてるって言ったよね。 でもね。 僕、知ってるんだ。 前に夏祭りのお話したよね。 男の子だったころのお話。 夏祭りの金魚すくいで5匹すくったってお話。 真央は、覚えてくれてるって言ったけど。 本当はね。 うそなんだ。 だって、今まで金魚すくいのお店なんて、1つもなかったでしょ。 誰も本当の僕を知らない。 でも。 真央は僕を信じてくれたから。 だから。 真央は僕の大切な人だよ。 でもね。 恋人としては見れないんだ。 だって、好きな人ができちゃったから。 僕は真央と別れようと思う。 恋人には見れないけど。 僕は真央が好きだから。 だからね。 さようなら。 蝉の時雨が落ちてくる。 僕は真央の方を向く。 僕。好きな人ができたんだ。 頭の中で単純な言葉を流す。 空気がのしかかってくる。 蝉の時雨が降る。 のどが乾く。 つらい。 すごく、つらいよ。 何でかわからないけど。 何もかもがすごく重いんだ。 でも。真央も僕に告白してくれたんだよね。 だから。 すごくつらいけど。 僕も言うよ。 僕は真央が好きだから。 僕は口を開けようとした。 「失格だな」 真央が機先を制す。 「魔王の伴侶として」 しまった。タイミング奪われた。 「貧弱。貧弱ぅぅ」 あ。目から体液、出す人だ。 「特に身長とか」 う。ほっといてほしい。 「貧弱なものに魔王の伴侶なんて務まるはずもない」 真央は僕を指さして。 「けんけんは下僕に降格だ。全くの役立たずめ」 真央の言葉は、どこまでもやさしかった。 でも。 本当に僕はお世話になってばかりで。 ごめんなさい。 出そうとしても、のどに詰まって。 「魔王の配下は、何も考えることはない。必要なのは、一言だけだ」 真央の手は僕の頭を包む。 「魔王さま。哀れなる下僕めにありがとうございました。だ。下僕は何も考えずに、魔王に感謝すればいい」 真央の言葉は全身に沁みて。 僕はごめんなさいもありがとうも言えずに、ただ泣くだけだった。 蝉が鳴いている。 僕は目元を拭う。 決めた。 もう、泣かない。 うん。 僕は強くなろう。 僕は立ち上がって、周りを見渡す。 「花。ないかな」 僕は真央に訊く。 「花なんて何に使うの」 昔の僕に添えたいから。 うん。 弱い僕は、今日で断ち切ろう。 いきなり、視界が暗闇に覆われた。 「私は誰だ」 目元を何かが押さえている感触。って言うか、手以外の何ものでもない。 「答えろ」 ぶっきらぼうな命令形だ。 「黒衣の魔王」 答えると手が離れて、視界が開けて。 高い音が響く。 「基本的なことを忘れたか。魔王に命令をするでない」 ぴこはんの高い音が響く。 「訊いただけだよ」 高い音が響く。 「基本的なことを忘れたか。けんけん。魔王に質問をするでない」 結局、僕を殴りたいだけか。 「今日のぴこはんは血に飢えている」 真央はぴこはんを構える。 「うふふふふ」 あれ。目の焦点が合ってませんよ。 「あはははは」 僕は逃げようとした。しかし、時、すでに遅く。 ぴこはんのいちげき。けんけんは1のダメージをうけた。 ぴこはんのいちげき。けんけんは1のダメージをうけた。 高い音が境内に響いている。 「忘れるでない。私は魔王なのだ」 もはや僕は、楽器と化している。何か、南米系のみたいな感じ。 「下僕は何もする必要はない。ただ、魔王につき従っていればよいのだ」 ぴこはんが構えられる。 ぴこはんのいちげき。つうこんのいちげき。けんけんは2のダメージをうけた。 蝉が鳴いている。 夕暮れの夏。 日が暮れかけている。 「何かもう。どうでもよくなった。僕、帰るね」 僕は木の下から出ようとする。 「待て。けんけん。けんけんをしていけ」 いきなり魔王のいきなり発言が飛び出しました。 別にけんけんくらい、大したことではありません。 ただ、1つだけ問題がございます。 僕はけんけんを知りません。 けんけんって何ですか。 蝉が鳴いている。 けんけんって何。 けんけんっていうくらいだから、きっと犬関係だ。きっと。 確か、けんけんぱってのが正式名称だった気がする。 うん。けんけんがぱーなんだ。 けんけんって何。 蝉が鳴いている。 けんけん。犬っぽいのだけはわかるけど。 よくわからないけど、ぱーな犬をしたらいいのかな。 うん。 よし。 とりあえず。 僕は、水を怖がったり、いきなり回ってみたりしてみる。 「うむ。大丈夫そうだな。けんけんが片足でないのだから」 真央は転げまわって、笑っていた。 真央は蝉の木の下に座っていた。 「話したいことがあるんだ。いっしょに帰ろう」 僕は真央に手を伸ばす。 真央は僕を受け入れてくれるって言ってくれた。 真央は何も背負わなくていいって言ってくれた。 真央はただ、感謝すればいいって言ってくれた。 だったら、僕は何もかもを言おう。 苦しいこと。 つらいこと 怖いこと。 悲しいこと。 僕は伝えよう。 楽しいこと。 うれしいこと。 わくわくすること。 僕は何もかもを真央に伝えよう。 つらくない。 気分がわくわくする。 「僕。好きな人ができたんだ」 僕は真央に告げる。 真央は僕の友だちだ。 大切な友だち。 何もかも受け入れてくれる大切な友だちだ。 真央は僕を待っていてくれたんだ。 ずっと。 真央はずっと僕を待ってくれた。 やっと僕は、追いついた。 だって。 わかっちゃったから。 枝が囁いている。 「ねえ。誰に恋してるの」 僕は真央に訊く。 真央は僕の手を握って、僕の身体が引かれて、あれ。 「魔王に質問するでない」 僕は地面に突進した。 僕たちはいっしょに歩いていこう。 どちらも前に出ず。 いっしょに歩いて。 僕たちはせーのの関係。 真央は赤くなっている。 「じゃあ。僕も言うよ」 僕たちはいっしょに歩いていこう。 「せーのの後に、いっしょに言おうか」 真央は静かに頷く。 「せーの」 僕は真央に告げる。 「魔王に命令するでない」 高い音が境内に響いた。 僕たちは鳥居をくぐる。 結局。 僕だけが名前を言わされたわけだけど。 うん。しかたない。 今まで待ってもらっていたわけだし。 僕たちは階段を降りていく。 手をつないで。 ぼそっと耳元で聞こえた。 誰かの名前。 僕は隣を見る。 真央の顔が真っ赤になっていた。 「せーの」 独りで歩くのは、もうおしまい。 僕たちはいっしょに階段を下りていく。 蝉の鳴き声が風に流されていく。 ぴこはんの高い音がいつまでも響いていた。 |