おまけのおまけのおまけ?
個室の病室の窓から差し込む淡く冷たい月明かりが、ベッドの上に横たわる少女を照らし出していた。入院費を滞納しているので、病室の生命維持装置以外は、照明さえもカットされていた。
「おねえちゃん」
ベッドの横たわる姉を見つめながら、幼い少女はつぶやいた。その頬に流れるしずくが月明かりで辛く輝いた。
両親を失い、自分の為に休むことなく働き続けてくれた姉。体調を壊しても無理をして働き続けて、ついには倒れてしまった。
そして、意識さえも、数日前に失い、あとは安らかな眠りの時を待つだけだった。
「おねえちゃん」
あの美しく優しかった姉。でも、今は生命維持装置で無理やりにでも生かされているだけの人形のようなものだった。
そんな姉を、あの元気だったころに戻してあげたい。たとえどんな犠牲を払っても・・・自分の命を失ったとしても・・
少女は、そこまで決心をしていた。だが、意識のない姉にこのゼリージュースを飲ませることは不可能だった。だとしたら、自分が飲んで、一瞬でも姉を健康にしてあげる事が、この姉への恩返しだ。
少女は、大事に抱えていた緑のゼリージュースを飲もうとした。と、その時、病室のドアが壊れんばかりに勢いよく開いた。
「おいおい、借りたもんかえさんと、ええもんのんどるやないか?え、お嬢ちゃんよ!」
ドアの蝶番が壊れた入り口から入ってきたのは、柄の悪い二人の男たちだった。一人は痩せた長身な男で、蟷螂のような冷たい目をしていた。もう一人は頭をつるつるに剃りあげたスキンヘッドの大男で、忠実だが鈍そうな顔つきをしていた。
「借りた金の利子すら返さんと、ええとこはいっとるやないか。こんな金があるのなら、利子ぐらいかえさんか!」
長身の男は、怒鳴りあげて、少女の胸倉を掴んで、吊り上げた。幼い少女の小さな身体は、子猫をつまみ上げるかのように軽々と持ち上げられた。
「で、でも、お借りしたお金につく利子が高すぎて、お返しする事が・・・5日で1割は高すぎます」
「たかすぎます〜ぅう?わかってて借りたんじゃろが.さっさと返さんかい!」
男の脅しに泣きそうになりながらも、少女はしっかりと緑のゼリージュースの入ったボトルを抱きしめていた。最後の望みを取られるわけにはいかないからだ。ボトルを懸命に抱きかかえながら、男の脅しに耐える少女の様子を見ていた男は、ふと、口元にいやらしい笑みを浮かべた。
「怒鳴ったら、のどが渇いたわ。嬢ちゃん、いいもんもってるやないか。もらうで!」
長身の男は、少女の抱きかかえていたボトルをむしりとると、少女を病室の床にたたきつけた。
「いや、返して。利子は・・お金は必ず返しますから。そのボトルを返して!」
少女は、男の足元にすがりついた。男は少女を振る払おうとするが、懸命にしがみつく少女に手こずってしまった。
「おい安。ぼけっとみとらんと、このチビを何とかせい」
薄ら笑いを浮かべながら、二人のいざこざを見ていたスキンヘッドの大男が、少女をつまみ上げた。
「放して、放して」
摘みあがられても、少女はじたばた暴れた。スキンヘッドの大男は鬱陶しくなり、少女の腹を軽く殴った。大男にとって軽く殴っても、幼い少女にはかなりの衝撃で、少女ぐったりとなってしまった。
「こら、殺したんとちゃうやろな。まだ、金を返してもろとらんのやから、殺すなよ」
アニキである長身の男の言葉に、大男はシュンとなって、少女の胸に耳を当てた。かすかな弱弱しい心臓の鼓動が聞こえた。
「ま、まだいきてます」
大男はうれしそうに、長身の男に報告した。男は、大男の言葉が聞こえないのか、何の反応もせずに、少女から奪ったゼリージュースのボトルを開け、一口含んだ。
「なんじゃこりゃ?あめ〜なぁ〜、だが、ま、つめてぇからいいか」
そう言うと、丸々一本飲み干してしまった。男がゼリージュースを飲み干した時に、少女は意識を取りもどした。
「返して、私のゼリージュースを返して」
また泣き叫ぶ少女を長身の男は無視した。
「今日はこれで帰ってやるが、金用意しておけよ」
長身の男は、そう言い捨てると部屋を出て行こうとした。
「ア、アニキ。こ、これどうする?」
摘み上げたままだった少女をさらに高く吊り上げて、安が言った。
「そこら辺に放りだせ・・・ん?」
男はそういいかけると、言いよどんだ。
安が、男を見る目がいつもと違っていた。まるで未知なるモノを始めて見た野生動物のように、その目は怯え震えていた。安に尻尾があるのなら、そのシッポは怯えで尻にそって丸まっているだろう。そんな感じがした。
「ナナンボァ・・ボブビタボボ・・」
言葉が、言葉にならなかった。口から出る声は、まるで水パイプで立つ泡ぶくのような音だった。男は、安に歩み寄ろうとしたが、足に力が入らず、バランスが崩れた。
「ボアボアァ〜〜」
男は崩れるように。ベッドに横たわる少女の身体の上に倒れた。
『バチャ・・・ッ』
男の身体は、ベッドの横たわる少女の身体の上にぶちまけられた。それは、スライムをかけられた眠れる美少女のようだった。
安と少女は如何する事も出来ずに見ているだけだった。帰るように言った時、安の長身のアニキは、顔色が悪かった。いや悪いというよりも、信じられない色をしていた。それは、透明がかった緑色。そんな人間がいるはずもなかった。
ベッドに横たわる少女の身体に、ぶちまけられたすらイムは、まるで意識があるかのように、少女の身体に浸透しだした。
「や、やめて。お姉ちゃんに入らないで。やめて・・・」
少女は叫んだが、スライムの浸透は留まる事はなく、すべてのスライムが少女の身体の中に入り込んでしまった。
「おねえちゃん・・・」
最後の希望も失われ、少女の身体から力が抜けた。
「う、う〜ん」
今まで意識がなかったベッドの少女がうなり声を上げた。それは、幼い少女が一番見たくない光景なのかもしれない。さっきまでは、自分の身を犠牲にしても望んでいた光景なのに、今ではそれは恐ろしい光景だった。優しかった姉の姿をした悪魔の誕生の瞬間。それは彼女をこれからも苦しめる光景でもあった。
「あ、あい?」
ベッドに身を起こした姉の姿をした悪魔の口からこぼれたのは意外な言葉だった。
「あいちゃん?あいちゃんなの?」
「お、お姉さん?」
「あいちゃん」
「おねえさん」
ベッドに身を起こした少女は微笑んで幼い少女を見た。それは、あの優しい姉の笑顔だった。
あのゼリージュースは、飲んだ者と心が一体化するはずだった。だとすると、あの男と姉の心は一体化したはずなのだが・・・でも、目の前にいるのはあの優しい姉だった。
「おい、安。退院の準備をして来い!」
その口調は、あの男のものだった。
「な、なにを言いやがる。こ、小娘が、俺様に命令するつもりか!」
「ぼけが・・なにが俺様だ!アニキの俺の命令が聞けないのか!」
その迫力は確かにあの長身のアニキのものだった。
「ア、アニキですか」
「そうよ。姿は変わったが俺だ!さっさと行って来い!」
安は、ベッドの少女の迫力に押されて病室を飛び出していった。
「お、おねえちゃん?」
あいと呼ばれた少女は恐る恐るベッドの少女に聞いた。
「そうよ。驚かせてごめんなさいね。なぜか、今の私には、金貸しの記憶があるの。でもなぜかしら、あんな見掛け倒しの気弱な男の記憶があるのかしら」
あいには、答えられなかった。この優しい姉の体に、あの長身の金貸しの身体が溶け込んでいるとはどうしても言えなかった。
だが、不思議な事に、姉の身体は健康になった。
その後、あの長身の金貸しの商売を引き継ぎ、姉は金貸しを始めた。だが、今までのようなあくどい商売をするのではなくて、金貸しに、金を貸す商売をはじめて、数年後には「ミナミの女帝」と呼ばれるまでになった。
「ア、あの子に注意点を言うの忘れたなぁ。心をひとつにする時に、心に動揺があると、心が相手に吸収されてしまう事を・・・ま、いいか」
そうつぶやくと、山本は店の掃除を続けた。