続 ファスナーを開けて
輝晒 正流 作
僕は、リビングで新聞を読んでいる。試験には、政治や経済の時事問題が出題されるのでその勉強だ。
そうしていると、兄貴が大学から帰ってくる。
そして、開口一発。
「なんだ! また男でいるのか」
そっけない言葉をぶつけられる。
僕は、もともと男なんだよ〜(泣)
話は、約一ヶ月前に遡る。
夜、自分の部屋でうとうとしてると、天使見習いのソプラノというのがやってきて、僕にファスナーのモニターになってくれと言ったんだ。
もちろん、只のファスナーじゃない。それを背中に張り付けて、あーなりたい、こーなりたいとイメージして、そのファスナーを開けると、脱皮するように、イメージした姿に変身出来るのだ。
それ自体はすごい。
しかし問題は、ソプラノにその説明を受けてるときに、兄貴に見つかってしまったことだ。本来ならソプラノは兄貴の記憶を消して、ばれないようにしなければならなかったのだけれど、彼女は記憶を消す呪文がへたくそで記憶を消せなかったのだ。
そんな彼女が作ったファスナーだから若干心配も残るけど、使用上の注意、つまり1回25時間以内、1週間では100時間以内ということさえ守ってれば、たぶん大丈夫なのだろう。
僕は本当は兄貴のようなかっこいい男になって、モテモテになりたかった。
けど、兄貴の策略に引っかかって、僕は、かわいい女の子にさせられてしまったんだ。
そしたら、今まで恐かった兄貴は突然僕に優しくなって、可愛がってくれるんだ。
それが嬉しくて、女になるのも悪くないなと思った。
それから今日まで、女の子になっては兄貴に可愛がってもらってるんだ。
そのかわり、男でいるときは以前にも増して僕に冷たくなったけど。(涙)
僕は、自分の部屋に戻ると上半身裸になり背中にファスナーを貼り、自主的に女の子へと脱皮する。
けど、ひとりじゃ背中のファスナーは開け難いし、頭の部分を脱ぐのは狭くてちょっと面倒だ。ここはソプラノさんに改善を求めなきゃ。
脱皮の後は、当然裸だ。
そのままでいる訳にはいかないので、服を着る。
下着もお洋服も、女の子用のものだ。お兄ちゃんがボクに買ってくれたんだ。
かわいいプリントのブラウスに、赤いチェックのミニスカートだ。
靴下は、ワンポイントのある白のハイソックス。
ちょっと幼く見えるけどボクも気に入っている。なんてったって、お兄ちゃんが買ってくれたものだもん。
鏡に向かって身だしなみを整えると、ボクは参考書と筆記用具を持って、お兄ちゃんの部屋へと向かう。
ノックしてから、ドアを少し開け、
「お兄ちゃん、お勉強教えて」
ちょっと甘える声でお願いする。
「んん? もう、しょうがないな」
渋々といった言葉とは反対に、表情と声には見るからに嬉しそうな雰囲気が漂っている。
ボクは胸の前に勉強道具を抱え、かわいい笑顔をつくってから部屋へと入る。
お兄ちゃんは、ボクのために座布団を敷いてくれて、それから机の上を片付ける。
「どこが分からないんだ?」
ボクの顔をのぞき込みながら、お兄ちゃんは尋ねる。
「あのね、この方程式とね・・・」
「なんだ、そんなのも分からないのか」
「ごめんなさーい」
可愛子ぶって、謝る。男のままでは恥ずかしくって絶対出来ないけど、いまなら心まであまえんぼうな女の子になってるので、全然平気なのだ。
「出来るとこまでやってみな」
というお兄ちゃんの言葉に、ノートに式を書き始めると、
「そうするよりもだな・・・」
と言って、ボクからシャーペンを取り上げると、さらさらと2、3行途中まで書き進む。
「後やってみな」
そこまでいくと、ボクでも後は分かる。
その問題を最後まで解くと、
「そしたら、練習問題。ジュース入れてきてやるから、その間に解いてごらん」
え! お兄ちゃんがボクのためになんて、すっごく嬉しい。
お兄ちゃんが出ていった後、ボクは全部の問題を解いて褒めてもらおうと、一生懸命に頑張って練習問題を解いた。
最後の問題にかかったとき、お兄ちゃんが戻ってきた。
けど、お兄ちゃんは、
「おう、できるじゃないか」
と言ってくれたんだ。
とっても嬉しい。
それから30分程、お兄ちゃんは勉強を教えてくれた。
最後にボクの頭を撫でて、
「頑張ったな。ご褒美にあしたまた新しい服を買ってやるよ。一緒に行こうな」
と、言ってくれたけど、
「このカッコで?」
ボクは尋ねた。
お出かけが出来る女の子の服はこれしか持ってない。このミニスカートで出かけるのは、ちょっと恥ずかしいな。
「可愛らしいよ」
お兄ちゃんがそう言うんなら・・・
ということで翌日。
眩しいくらいのいい天気。
人目が気になりボクは、お兄ちゃんにぴったりくっついて歩いている。
最初に行ったのはランジェリーショップだ。
今つけてる下着は、お兄ちゃんが適当に買ってきたものでフィットしてるとはいえない。
だからまずこの店から行くことになったのだけれども・・・
「やっぱりやめない?」
こんなお店入ったことないから、すごく恥ずかしい。カラフルで刺激的な下着の数々に、目のやり場に困ってしまう。
お兄ちゃんもかなり恥ずかしそうだ。
「サイズ測って、かわいいのを選んでやってください」
さすがにお兄ちゃん自身では選べないので、お店の人にボクを預けて、店の外に出る。
冷たいメジャーであっちこっち測られた後、店員さんはデザインの希望を聞いてくる。
「白いので・・・」
下着のデザインとかどういうふうなものがあって、どういえばいいのか分からなかったから、ボクはそう言うことしか出来なかった。
「真っ白じゃあまりかわいくないですから、ピンクや水色の入ったものはいかがですか?」
「じゃあそれで」
じっくりと吟味するなんて恥ずかしすぎるから、お勧めのままにすることにした。
会計のためにお兄ちゃんが店に入ってくる。
「今買ったのに着替えな」
「えーっ!」
「それから、ブラのちゃんとした着け方とか、教えてもらっとけ」
「う、うん」
数分後、ボクとお兄ちゃんはランジェリーショップを後にした。
ボクの胸は今まで経験したことがないくらい、膨らんでいた。
恥ずかしくてボクは顔が真っ赤だ。
「ちゃんと着け方を覚えたか?」
「ひゃっ! うんうん」
ボクは、教えられた着け方を思い出して、さらに顔を赤くした。
だって、隙間に手を突っ込んで、寄せて上げてと、まるでもみしだかれてるような・・・
思い出しただけで、恥ずかしい。
次のカジュアルショップに到着すると、お兄ちゃんは店員さんに声を掛けて、いくつか用意してもらう。
「うーん」
と言いながらしばらく考えて、ひとつをピックアップする。
ノースリーブで裾にレースがあしらってある水色のワンピースだ。
それをボクの身体に合わしてみる。
「これ。それから・・・」
今度はピンクのTシャツにキャミソール、ボトムはフリルのショートパンツの組み合わせ。
「試着してみな」
ボクは試着室に入る。
ひろびろとした試着室だ。
まず、ワンピースを着てみようとした。けど、頭からかぶるのか、足から穿くのか分からなくて、しばらく考える。
ボタンを外せばお尻が通りそうなので、足から穿いてみた。
腕を通して、ボタンを留めなおそうとしたとき、カーテンがゆれた。
「着れたか?」
「お兄ちゃん。ちょっと早いぃ」
見られても問題のない状態だったけど、着替えを見られるのは恥ずかしかった。
「おっ。やっぱかわいいな」
お兄ちゃんにかわいいって言われると、うれしい。
ボタンを留め終えると、ボクは鏡を見る。
顔だけなら小さな鏡で見てたけど、全身を見るのは初めてだった。
「これがボク・・・」
そこに写っていたのは、とってもかわいい女の子だった。好きになってしまいそうだ。
「お兄ちゃん。ボクってかわいいねぇ」
「ああ、すごくかわいいぞ」
なんだ、このシスコン、ブラコン兄妹は・・・というあきれた表情で、店員がボクたちを見ていた。
最後にまた別の店に行く。
そこで買ったのは、ピンクの花柄のパジャマだ。
だってこれがないと、枕を持って、お兄ちゃんの部屋にいけないんだもん。
数日後。
今日も、兄貴に勉強を教えてもらおうと、ファスナーを用意して、上半身裸になる。
そして、背中に張り付けて、脱皮をしようとしてるとき、背後の窓辺から視線を感じた。
振り返ると、愛想笑いを浮かべたソプラノだった。
「中間レポートです」
「これから勉強で、忙しいんです」
「すぐ終わりますから。ところで、けっこう身体が固い方なんですねぇ。背中のファスナーが開けづらいというのは」
ムッ!
「他に、困ったことはないですか? ありませんよね。それから、使ってて楽しいですか? 楽しいですよね。毎晩使ってるんですものね」
「オイ!」
勝手に決め付けるソプラノに僕は少しあきれた。
「あぁ。これで、ひとクラス進めるわぁ!」
ひとり感動モードに入るソプラノ。
「ちょっと待ってください。ファスナーの開けづらいのは直してもらえないんですか? 幸せにする道具なら、体が硬い人のことも考えないといけないでしょ。それに、頭も抜けにくいし」
「このファスナーはこれから活用しようというアイテムではなくて、わたしの進級の課題ですので、直したりはしません!」
はっきりと言い放つ。
「ぼくは、ただの使い捨ての実験体だったんですね」
「モニターと言ってください」
使い捨ては否定しないのか!
「あぁ、神様。僕はふこ・・ぐ、う、ぅ、ぅ、ぅ」
ソプラノが、僕の口をふさぐ。
「その続きを言ってはいけません。大変なことになってしまいます」
不幸だ、不幸だ、不幸だぁ!
声が出せない変わりに、心の中で思い切り叫んだ。
「おい! うるさいぞ」
と怒鳴りながら兄貴が入ってきた。
「また、あんたか。 で、今日はなにを?」
「お邪魔してまーす。中間レポートです」
突然営業スマイルのさわやかさんになるソプラノ。どうやら兄貴は苦手らしい。
「問題点がある」
兄貴はいきなり切り出した。
「はい。なんでしょう」
「服をそろえるのに、お金がかかる。服ごと変身できるようにして欲しい」
「はい。善処します」
「なんだよ。その態度の違いは・・・」
「お前は黙ってろ」
「うぐっ」
この姿では兄貴は冷たい。だからもう女の子に変身することにした。
「ふは」
頭を出したところで、息を吐く。
そして、深呼吸してからごわごわした上半身を脱ぐ。
その間も、お兄ちゃんはソプラノさんに注文をつけている。裸をお兄ちゃんに見られるのは恥ずかしいから、ちょうどいいやと思いながら、続きを脱ごうとする。
「あれ!?」
下半身を脱ごうとしたところで、お尻が引っかかった。
どうやら、いつもよりお尻を大きくイメージしてしまったらしい。
何とかお尻を出そうと、試行錯誤を繰り返す。
「あの、ソプラノさん。お尻が出ないんですけど・・・」
「もう。そんなの、もうちょっと、ファスナーを引き下げればいいでしょ」
面倒くさそうに言って、ファスナーをつまむ。
それから、ぐいっと力を掛けると、「ブチ」という音がした。
「あっ!」
「あっ?」
「ん?」
お尻の引っ掛かりが緩んだから、ボクは下半身も脱いだ。
裸のままでちょっと恥ずかしかったけど、それより確認しなければならないことがある。
脱いだごわごわの“僕”の皮を見る。ファスナーのところだ。
「壊れてる」
ファスナーの開閉をする上下に移動するスライダーの部分が端っこを通り過ぎていた。
端っこには普通スライダーがちゃんと止まるようになっているけど、そこの作りが弱かったようだ。
「直りますか?」
「どうでしょう?」
上ずった声で応えるソプラノさん。
ボクの手から、“僕”の皮を受け取ると、ソプラノさんはスライダーを元の位置に戻そうとする。
しばらく格闘の末、なんとか元の位置に戻ったようだ。
「一度着て、元の姿に戻ってもらえますか?」
ボクは言われたとおり、元の姿に戻ろうとした。
しかし、ファスナーを一番上まで引き上げても、ボクは、ごわごわを被っただけの女の子だった。
「ダメみたいです」
「やっぱりダメですか・・・」
蒼白な表情でつぶやくソプラノさん。
「直してもらえますか?」
「どうしましょ・・・」
「直るんですよね?」
「どうしましょう」
ボクの言葉に気付かないほどパニクっている。
「問題処理をする担当を呼べば?」
お兄ちゃんが冷静に、そう言った。
「そっ、それだけは出来ません!」
「なぜ」
「呼ぶと大変なことになるからです」
「問題が起きたら、呼ぶんじゃなかったんですか?」
「そんなことしたら、わたしの落第が決定してしまうじゃないですかぁ・・・」
ソプラノが涙ながらに訴える。
「明日からどうやって過ごせばいいんですか?」
「そのままでも生きてゆけます」
ソプラノの言葉にボクは思った。
「フコウだ・・・」
「いまなんて・・・」
「ボクは不幸だぁ。神様ぁ、なんとかしてくださーい!」
ボクは空に向かって叫ぶ。
「あぁ、言ってはいけない言葉を・・・」
ソプラノはボクの足元で泣き崩れていた。
朝。
お兄ちゃんが大あくびをしながら、リビングに入ってきた。
ボクは身支度に時間をとられて、朝食を食べる時間がない。
「お兄ちゃん。おかしなところはないかなぁ」
言って、くるりと一回転する。
制服のスカートが、ひらりと舞い上がって、太ももの間を風が通る。
「大丈夫。今日もかわいいぞ」
「ありがとう。じゃあ行ってきまーす」
ボクはトーストをくわえると、玄関に向かう。
「慌てて、誰かにぶつかるんじゃないぞ」
「ふぁーい」
玄関から飛び出すボクは、どこから見ても女子高生だ。
見た目だけでなく、完全に女子高生だ。父さんも母さんも、クラスメイトもボクのことを女の子だと思っている。
ソプラノさんに落第通知を持ってきた天使さんに、お兄ちゃんが「みんなこの子のことを男の子だと思い込んで戻らなくなったから、ちゃんと女の子に戻してあげてくれ」って言ったら、ボクの持ち物は全部女物になってるし、みんなボクのことを女の子って思っているから、びっくりしちゃった。
天使さん。嘘ついちゃってごめんなさい。
でも、毎日とっても楽しいからいいよね。
「あー。遅刻するぅ」
ボクは明るく叫ぶと、学校へ向けて笑顔で走り続けた。
“ファスナーを開けて” 完
登場する人物は、すべて架空の存在です。実在のものとは、一切関係ありません。
2011年 輝晒正流