魔法の薬で
輝晒 正流 作
1
俺は、高志が来るのを待っていた。目の前には、薄い緑色をした液体の入ったコップがある。
昨日のことだ。
うちの高校が毎年行っている登山に俺達は、嫌々ながらも参加していた。その時、近道をしようと脇道へ入った時に見つけたのだ。
洞窟の中に泉があって、その水が岩をくり抜いた器のようなところへ溜まっている。しかもそれが二つあった。そして、壁には漢字ばかりの文章が書いてあった。
「不老長寿の泉かなぁ」
「そんなのあるわけねぇじゃん。えーなになに」
俺は漢文ができる訳ではないけど、漢字を見りゃ少しぐらい意味が分かるだろうと読んでみる。
「緑の泉、飲む、名と姿、強く念じる、姿等、変化。再度、飲む、元に戻る」
「へぇ、これ飲めば変身出来るんだ」
高志が、突飛な解釈をした。
確かに俺が読んだ言葉をつなげると、そうとれなくもない。
「この辺は、量の説明かな。それから、黒の泉、飲む、死ぬ」
「毒! 罠なのかな?」
確かに、黒の泉が手前にある。なにも知らずに手前から飲めば死んでしまうだろう。そうやってここの秘密を守ってきたのかも知れない。
「憲司、早速飲んでみようよ。何になろうかな。やっぱりスーパーマンか、ウルトラマンでもいいかな、宇宙へ行けるから」
「馬鹿かお前。こんなの嘘に決まってるじゃん。なれるわけないよ。それに、どれだけの量を飲めば良いのか分からないし」
「じゃあ、この文章をちゃんと解読してから飲めばいいじゃん」
言うなり、高志はその文章をデジカメで撮影する。
「肝心の水の方はどうするんだ?」
「憲司の水筒」
確かにこれに入れれば持って帰れる。高志は水筒を持ってないから、俺は仕方なく水筒の中身を捨てると、緑の泉の水を汲んだ。
その水が、今俺の目の前にある。
漢文の翻訳は、今日学校の図書館で辞書を引きながら二人でやった。当然、二人だけの秘密にするため誰にも話してない。
それで、その水の正体は、やはり変身の秘薬とでもいうべきものだった。しかも身体だけでなく、記憶や心までも、そう念じれば写し取ることができるらしい。ただその時のその姿を写し取ることしか出来ず、現実に存在しない者や、すでに死んでしまった者とかには変身出来ない。だから高志が思うように、スーパーマンにはなれないようだ。
だったら、カッコ良いアイドルに変身して、街でナンパのやり放題しかない。俺はそう考えていた。
それにしても、高志は遅い。あいつが来る前に一人で飲んでもいいが、もし毒だったら嫌だから、まずは高志に毒味をさせるのだ。
キンコーン、とチャイムがなる。
ようやく来たようだ。
玄関前に立つ高志は、汗だくで息を切らせていた。
「どうしたんだよ」
「いや、家を出ようとしたら、自転車がパンクしてたから、走って来たんだ」
あいつの家から俺の家までは自転車なしでは、結構な距離だ。それを走ってくるとは、かなりな執念だ。
俺は窓のカーテンを引いた。変身するところを誰かに見られたら大変だ。
「今日は夜まで誰もいないから安心だぜ」
「もう、誰になるか決めた?」
「カッコ良いアイドルになってやりたい放題よ」
「そうか、そういう手もあるのか」
感心している高志はというと、
「おなじクラスの恵利子」
理由を聞くと、
「前から告白しようと思ってるんだけど、断られたら嫌だし。それなら、心まで変身したら、俺のことを恵利子がどう思ってるか分かるだろう?」
俺より大きい図体の割には考えることが小さい。
「そら、だめだ。恵利子は頭も良いしけっこうかわいいし、お前とはつりあわん。ていうかそれ以前に、あいつには告白してもムダだ。時々好きな奴は? って話になっても、ぜんぜん乗ってくれんから。あいつの恋人は、参考書だぜ、きっと」
「そんなの、恥ずかしがってるからかもしれないじゃないか。もしかすると、打ち明けられない恋に悩んでるのかもしれないよ。いや、きっとそうだ」
「あぁ、言ってろ、言ってろ」
しかし、女になってみるのも良いかもしれないと、ふと思った。
それで、もう一度考えることにした。高志の決意はたぶん変わらないだろう。
そうすると、高志は好きな女の子になって、自分の身体でやりたい放題か。
それに対して、俺はアイドルになって出かける。かわいい女の子が必ず見つかるとは限らない。場合によっては騒ぎになって、家へ帰れなくなるかもしれない。
ん〜、試すなら、やっぱり女の身体からか・・・
だが、俺達はそのとき、とんでもないことになるとは、思ってもなかった。
「さあ、飲むぞ!」
高志の五回目の言葉だ。
ジャンケンの結果高志から飲むことに決まったが、コップを手にしたものの、ビビッてしまって飲めないでいるのだ。
「次が最後だぞ!」
俺はもう待ちきれず、釘をさす。
そうすると、今度は“次”をなかなかやらない。
じーっと、コップを持って固まっている。
「あぁ、じれったい。俺からやる。貸せ!」
俺は、高志からコップを奪い取る。
が、いざコップを持つと、飲もうという勇気が萎えてしまう。
しかし、コップを奪い取った手前、ビビッた素振りを見せるなんて、恥ずかしいまねは出来ない。
俺はもう一度、何になると念じるのか頭の中で整理する。
そして、コップに口を付け、一気に飲み込んだ。
「う゛、まじぃ〜」
と、呻かずにいられないこのまずさ。薬だといってもこれはひどすぎる。
「それより、早く念じないと」
高志が急かす。
お前に言われなくたって、分かってるよ。
「体だけ、同じクラスの香織になれ」
と念じた。
二人とも息を殺し、体の変化を待つ。
数秒の時間が流れる。
「なったか?」
俺の問い掛けに、高志が首を振る。
「なんだ、うそっぱちか! ま、そんな非科学的な・・・」
俺は、言いかけた言葉を続けられなくなった。
異様に身体が熱い。
「ああっ!」
高志はそう叫んで、俺を指さしている。
「どうした?」
「憲司。その身体・・・。身体が・・・」
恐怖に脅えるように声が震えている。
「身体が?」
俺は、自分の手を見る。
「うわぁ!」
叫ばずにはいられなかった。
なぜなら、その手はドロドロと融けたように波打っていたからだ。
俺自身は見えていないが、顔や全身が同じく波打っているのが感覚で分かる。
どうしていいのか分からず、結局なにも出来ないまま、1分近くの時間が過ぎた。
ドロドロに融けていた俺の身体が、徐々に再び形を成そうとし始めた。
そして、
「“香織”だ・・・」
高志が呟いた。
「成功だよ、憲司!」
今度は歓喜の声をあげる。
俺には肌の見えるところは手しかないが、それは無骨な男の手ではなく、女の子の柔らかい手になっている。そして、だぶつく服からして背丈とか体のサイズも縮んでるようだ。しかし、胸のサイズだけは大きくなっている。
「すげー!」
と思わず発した声は、香織の声だ。
そうだ! と思い付き俺は鏡の前に走る。
服装は元の俺の物だが、そこに映る顔は、完璧、香織だった。
俺は嬉しくなって、いろいろしようかと思ったが、その前に高志だ。あいつをまず女にしないと、襲われかねない。
高志のところへ戻ると、液体の入ったコップを握り締めて、固まっていた。
「まだダメなの?」
俺が香織の声で言う。
「今度こそ!」
「手伝ってあげようか?」
「一人で飲めるよ!」
女の子にバカにされたかのように怒って言うと、高志はコップに口を付ける。付けたままで約10秒。
それから、目を閉じると一気にその緑の液体を飲み干した。
「う゛、まずい」
と決まり文句の後、
「身も心も、全部恵利子になれ!」
高志が言った。
同じく数秒間、固唾を呑む。
「あっ」
と高志の口から言葉がもれる。
その直後、高志の身体が融けてしまうのかと思った。
身体の表面が、液体のように波打っている。もう、元の姿が高志だったとは分からない。
徐々に輪郭がはっきりとし始め、そして、『恵利子』が現れた。
高志のぶかぶかの服を着た『恵利子』はいつもより小さく見えて、きゃわいい。
「あ! あれ? あたしどうしたの?」
「高志、成功だ!」
『恵利子』の姿をした高志は、俺の言葉にきょとんとしている。
「どうしたんだ? 高志」
「何言ってるの? あたし、高志君じゃないわよ。部屋で本読んでたのに、気が付いたら突然ここへ来ちゃって・・・ あたし、あれ? ねぇどういうこと、これ? それに香織どうしたのその格好? ねぇ何?」
高志がこんな芝居をするはずはない。とすれば、やはり・・・
「お前、高志・・・じゃなくなったのか?」
「何言ってるの? あたしは恵利子よ」
そのとき俺は思い出した。高志が言った言葉、『身も心も全部恵利子になれ』
全部が『恵利子』になってしまったのでは、それは高志ではなくもう『恵利子』そのものだ。
混乱している恵利子に俺は全てを話した。
「じゃあ、高志君はどうなってしまったの?」
「お前がもう一度、あの薬を飲んで『高志になれ』と念じれば元に戻るんじゃないかな。たぶん」
「たぶんて、無責任な。もし戻らなかったら、どうするのよ!」
「なれたんだから、戻るに決まってるだろ」
「じゃぁ、たぶんなんて言わないでよ。ところで、どうしてあたし、こんなにびしょびしょなの?」
恵利子が着ている服をつまんで言う。
俺は高志が走ってきて汗をびっしょりとかいたことを伝える。
「それじゃ、これ高志君の汗なの?」
って言ったが、特に気持ち悪いという言い方ではない。
「そのままじゃ、風邪ひくかな。今着替えを持って来てやるよ」
言って、俺は自分の部屋に行くと恵利子の身体のサイズでも着られそうな服を選ぶ。
そして戻ってくると、恵利子が汗の匂いを嗅いで、
「これが、高志君の汗の匂い・・・」
と悦に浸っている。
「な、何やってるの・・・」
「イヤッ!」
俺の声に驚いて、恵利子が悲鳴をあげて恥ずかしがる。
「お前、変態だったのか?」
「違うわよ!」
恵利子は、思いきり否定する。
「じゃぁ、何だって言うんだよ」
「言える分けないじゃない」
吃りながら言う。
その仕草とかで、俺はひょっとして、という考えを持った。
「まあ、いいか。今度この薬で記憶だけお前になればわかるもんな」
「ずるいーッ!」
「高志にも教えてやろうっと」
「やーっ! 高志君にだけは言わないで!」
慌てぶりは尋常でない。俺の予想は当たってるようだ。
「理由を教えてくれたら、口止めされてもいいよ。今は俺、じゃなくて、あたしはあなたの友達の香織だから、話し安いでしょ」
言ってからぎこちないながらもウィンクを付け足す。我ながらいい芝居をしていると思う。
男の時にこんなことしたら気持ち悪くて仕方ないけど、今は癖になりそうだ。
恵利子は、それでもしばらく悩んでいる。
「ほんとに、ほんとに言わない?」
「うん、言わないって」
不安そうに念を押す恵利子に、可愛い笑顔を作って答える俺。
「絶対、言わないでね・・・ あたしは、あたしは・・・」
「“高志君が、だーいスキ”なんでしょ!」
じれったいので、先回りして言ってやる。
「えー、どうして知ってるのぉ」
「そんなの、今の態度見てたら分かるって」
「でも、でも、約束守ってよ。言わないって言ったから」
「心配しないで。汗の匂い嗅いでたのは内緒にしとくから」
「スキだっていうのも言っちゃダメ!」
「それは、ムダ」
「どうして?」
「なぜかっていうと、高志が恵利子になろうとしたのは、自分に対する気持ちを知りたかったから。だから」
俺の言ったことを、理解しながらもそのことに確信を持てずに恵利子は呆然としている。
だから、俺はもっとはっきり言ってやる。
「つ・ま・り、高志は恵利子に告白した時フラレないか心配だったの。だから言わなければもう一回なるだけよ」
「それって、それって、高志君もあたしのこと好きっていうことなの? そんな、うれしい。どうしよう」
恵利子は真っ赤になっている。
「だから、スキだって言うのを伝えればそれだけで済むんだって。そうしなきゃ、もう一度、高志が失敗せずに恵利子になって、恥ずかしいところまで全部知っちゃうんだから」
「そんなのやだぁ」
と言いながらも、恵利子は全部知られるよりましと、納得したのだった。
けど、こいつの恥ずかしいことってなんだろ。今度、恵利子になってみようかな。
「ところで、さっきから女言葉使ってない?」
「アハハハ、クセになっちゃった」
「これ飲めるの?」
緑色の液体を見て、恵利子が言った。顔がひきつっている。
「味はともかく、実際飲んでこうなったんだから、大丈夫だよ」
「本当に?」
俺はどうも信頼がないらしい。
「じゃあ、お前もこれ読んで確かめろよ」
壁に書いてあった漢文を恵利子に見せる。
恵利子は辞書を片手に、すらすらと読み下していく。
「たいへん。ちょっとぉ、これちゃんと読んだの?」
恵利子が慌てた声を出す。
「なんだよ」
「黒の泉を先に飲まないと戻れないって書いてあるわよ!」
「うそ! 黒の泉を飲むと死ぬんじゃないの?」
「違う。黒の泉を飲まなければ、死ぬまで元に戻れないって書いてあるの。緑の泉は、その時存在するものしか写し取れないでしょ。だから今あたしが、高志君に戻ろうとしても今は高志君がいないから緑の泉では戻れないのよ。そのために黒の泉で、元の姿とかを記憶する必要があるの」
「つまり戻れないって言うのか?」
「緑の泉ではね。でもちょっと待って・・・」
恵利子は続きを読む。
「大丈夫。黒の泉は緑の泉を飲んでから6時間後くらいまでに飲めば、身体の中に残ってる元の身体の情報をかき集めて、復元できるみたい」
「あの洞窟までは4時間あればいけるかな? けど、急がないと」
「そうね。すぐに行きましょう。けど、そのカッコはやめといた方がいいわよ」
恵利子が指摘したのは、俺が着ている薄手のシャツだった。
ブラジャーなんて当然、下にシャツもなにも着けてないから、胸の形がまる分かりだったのだ。
「おお!」
今そのことに気付いて、思わず興奮して、恵利子の前ということを忘れて、自分についてるその豊かな胸を揉んでいた。
「エッチ!」
恵利子のビンタがやわらかい俺のほっぺたにヒットした。
いたいよ〜(T_T)
2
俺は、恵利子にハンカチで目隠しをされ着替えさせられた。Tシャツを下に着て、あらためて上にシャツを着直す。
それから、腫れたほっぺたをさすりながら出かける準備をする。途中で夜になるのは分かってるから懐中電灯と、それに朝食用に買っておいたロールパンを鞄に詰める。
それで、いざ出かけようとすると、恵利子は靴がなかった。高志の靴は大きすぎて履けないし、俺の靴は俺が履く。仕方がないので、途中で買って行くことにした。痛い出費だ。後で、高志に請求せねば。
俺達は、近くの繁華街へと向かう。周囲の視線が凄く気になる。
「どうしたのよ。しゃんとしなさいよ」
せったで付いてくる恵利子が俺の背中を押す。
「恥ずかしくって。変な奴って見られてんじゃないかって、気になるんだ」
「十分変な奴よ。そんな歩きかたしてたら。あたしだって恥ずかしいのよ。ブラもしてないし、ださいカッコだし。けどそういう時こそ普通を装ってるほうが、目立たないんだから」
そんなことを言われても、女一日目の俺に普通を装えなんて無理な話だ。
・・・いや待てよ。普通にしていればいいのか、俺として。まぁ、実際変な奴としてみられても、それはその時だけで、元に戻れば、それが俺だったと知る者は俺以外にはいなくなる。
そう考えて、ずいぶん気分が楽になった。
しかし、恵利子にはかなり違和感があるようだ。
「それで良いんじゃないか?」
どうせ、元に戻るまでの間しか履かない靴なんだから、サイズさえあってりゃ何でもいいじゃないかと思って、安そうなのを適当に指差す。
「もう少し女の子らしく出来ないの? その言葉づかい香織には合わないわ」
「普通にしてろって言ったのは、お前じゃないか」
「あたしが言ったのは、女の子として普通によ。香織みたいな娘がそんなしゃべり方してるとかえって目立っちゃうわよ」
「香織の姿から一生戻れなくなったら考えるよ」
「知らないから。香織に怨まれても」
恵利子が靴を履き替えると、駅へ向かった。
電車は比較的すぐに来た。
座れるほどは空いてない。ドアの側に立って、ふたりして流れる景色を見ていた。
夕日が建物の間から見えたり、隠れたりしている。駅を出る頃にはもう真っ暗だなと思った。
隣の恵利子を見ると彼女も同じように夕日を眺めていた。
可愛い・・・と思わず言葉に出してしまいそうだった。
夕日を受けた彼女の顔が、火照っているかのように、赤く染まっている。まるで恥じらう少女のように。
こんな近くで恵利子を見つめたことは今までなかった。もし、もっと早くこの顔を見ていれば、素直に告白していたかもしれないな。今なら素直になれるような気がした。けど、両思いの間に割って入ろうとは思わない。俺には勝てないだろうからな。
そんなこととかを考えていると、見つめている俺に気がついて恵利子が俺の方を向いた。
「どうしたの?」
と尋ねる。そのときの笑顔がまたすごく良かった。
で、うっかり言ってしまった。
「可愛いから・・・」
と。きっと俺なんかに言われて不快に思うだろう。そう思って身構えたが、彼女の反応は違っていた。
少し驚いたような顔をして、
「ありがと」
と笑顔を見せた。
最初の電車に乗ったときとは違って、乗り換えの電車は30分も待たされた。山の手に向かう電車で、本数が出ていないんだ。
売店でスナック菓子を買い、恵利子と食べながら、電車を待つことにした。
しかし、無駄に時間を過ごしていると、不安が募ってくる。
「間に合わなかったらどうしよう」
恵利子が、つぶやいた。同じ事を考えていたのだ。
「そうだなぁ・・・ こっそりとどこかで暮らすか、全部話して見世物になるかだよね」
「そうじゃないの」
恵利子の声は哀しい思い出に震える声だった。
「あたし、高志君を好きになる前にも、とっても大好きな人がいたの。初恋の人」
どうしてそんな話を俺にするのかと、不思議に思いながらも恵利子の話を聞くことにした。
「付き合ってたの?」
「うん、親しい友達みたいな感じでね。でも、あたしの気持ちは分かってたと思うの。それで親しく付き合ってくれているから、いつか告白してくれないかな、してくれたらすぐOKするつもりだったのに」
「告白してくれなかったんだ。それで、君の方から告白したんだ」
「ううん。するつもりだったんだけど・・・」
「どうしたの?」
突然恵利子は言葉を詰まらせ、涙ぐんだ。
「ごめん。なにかあったの?」
きっと振られたんだ。そう思っていた。
「死んだの」
細い声でつぶやいた。
「えっ!?」
予想もしていなかったことに驚いた。
「告白するつもりで待ち合わせていたところに、彼が来なかったから、あたしてっきり振られたんだって思って、それで気分を紛わすために、買い物とかして時間をつぶしてかえったの。そしたら、彼が事故で死んだって・・・」
恵利子は涙で続きが言えなくなった。
俺はハンカチを出して、恵利子の手に握らせた。
しゃくりあげている彼女の肩を軽く抱いた。
秀才で、気丈でそう言う彼女のイメージが消え去り、か弱い少女の実像が俺には見えた。
今彼女が元に戻れなくなると、本当の恵利子は再び好きになった人を失うことになるのだ。
そんなことにはさせるものか。俺は思った。
「またあたしの好きな人がいなくなると、もう人を好きになれなくなるわ。そんなのはいや」
「絶対大丈夫だよ、時間には余裕があるんだから。元に戻れたら俺が高志から告白するように言っといてやるよ」」
恵利子はようやく泣き止むと、俺の肩に頭を預けてささやいた。
「ありがとう」
やがて電車がゆっくりとホームへ滑り込んだ。
電車の中ではもういつもの恵利子に戻っていた。
車両のはしっこで、並んで座っている。
「なあ、言ってもいいかい?」
「なに?」
恵利子は俺の方を向いて返事をした。そんなに近くから見られると、言い出せないじゃないか。
「ねぇ、なに?」
俺は意を決した。
「ほんとは俺も、お前が好きだったんだ。だから、お前に好きな奴はいないのかとか、聞いてたんだ。あんなこと聞いたりしてごめんな。だいたい、俺のことが好きだなんて返事がもらえる分けないのに馬鹿だよな」
顔を真っ赤にしながら俺は話した。
「そうだったんだ。もし、そのとき口説いてくれてたら、恋人になってたかも知れなかったわよ。だって、その時はまだ、高志君のこと好きになってなかったもの」
恵利子は恥ずかしがるように、少しうつむいた。
「そうか失敗したな。でも今だけ、元に戻るまで恋人の振りしてくれない?」
「なんで、そんなことを。ハハーン。さては恋人だからって肉体関係迫るつもりね。いやらしいんだから」
「この体で肉体関係迫って何が出来るって言うんだよ。そんな事言うお前の方がよっぽどいやらしいよ」
俺は赤面しながら、抗議した。もちろんそんなつもりなんてなかった。
「むきになっちゃって。・・・・・・ごめんね、今はとてもそんな気持ちには・・・けど、ありがとう」
言葉を区切るごとに、表情を変える恵利子の今の心境を俺は十分には理解できなかった。
3
最後の駅について、改札を出ると、俺たちは走り出した。
時刻は8時半を過ぎていた。俺たちがあの水を飲んで、およそ4時間だ。
洞窟までゆっくり歩くと1時間ちょっとの距離だ。歩いていても間に合うだろうが、万一に備えて急ぐことにした。それに気分的にも歩いていられるほど余裕がなかった。
山道の入り口が近づくと、街灯が少なくなり、俺は懐中電灯を点けた。
真っ暗な山が迫る。
「怖いな」
ぼそりと、俺はつぶやいた。
「けど、行かなきゃならないのよ」
力強く、恵利子が言った。怖いのは彼女も同じだろう。それを振り切るように、自分に言い聞かせたのだ。
しばらく行くと、登山口にやってきた。ここからは、街灯はないし、舗装もない。
懐中電灯を、足元すぐのところへ向ける。
「気をつけて」
俺は、恵利子に言葉をかけた。
「うん」
しばらく俺たちは言葉もなく、ただ、歩くことに集中した。
道が徐々に急になる。
地面に半分埋まった石や、転がっている石に躓きそうなので、俺は再び恵利子に声をかける。
「足元に気をつけて」
「うん」
少し息を弾ませた返事が返ってくる。
俺も、細心の注意を足元に向ける。
「きゃっ!」
後ろで、恵利子の声に続いて、転ぶ音がした。
「大丈夫?」
俺は、怪我をしていないか、恵利子の体を懐中電灯で照らす。
見かけの怪我はないようだ。
「痛い!」
立ち上がろうとする、恵利子が、短くうめいた。
「どうした?」
「足首を捻ったみたい」
「歩ける?」
「歩かなきゃ」
そう応えた、恵利子は痛みをこらえて立ち上がり、ゆっくり一歩踏み出した。
しかし、痛みに耐えかねて、再び両手をついた。
とても歩けそうにない様子だ。
「のれよ」
俺は恵利子に背を向け、しゃがんで言った。負ぶってゆくつもりだ。
「そんなの、無茶よ。間に合わないわ。憲司君一人で行って」
「そんなことできるかよ。怪我してるやつを置いていって、俺一人元に戻るなんて。いいからのれ」
5秒くらい、恵利子の反応はなかったが、
「ありがとう」
と返事をして、俺の背中に負ぶさった。
懐中電灯を、恵利子に渡して、俺は立ち上がった。
今の俺の体は、香織もの、つまり女だ。恵利子の体重まで支えて、この道を行くのは、非常につらい行為だ。
俺はよろめきながらも、一歩一歩進んでいった。
「本当に大丈夫?」
恵利子が俺を心配する。
「俺は男だ。このくらい、全然平気だよ」
「でも、今は香織なんだから」
「根性は男のままさ」
俺はその後、口を噤んで、このでこぼこした道を歩くことに専念した。
恵利子を負ぶってから、ずいぶん経った。
俺はバランスを崩して、ひざをついた。
「10時を回ったわ。お願い、もう一人で行って。本当に間に合わなくなっちゃう」
「言っただろ。お前を置いてなんかいけないって」
「いやよ。・・・好きになっちゃたんだから、憲司君が女のままなんて」
テレながら言った、恵利子の言葉が、つかの間、俺は理解できなかった。
「どうせ間に合わないんだったら、あたしは憲司君の恋人になる。だって、好きになったんだから。あたしのために一所懸命になってくれて本当にうれしかったんだから。だから、憲司君だけは、戻って」
「お前が、元に戻らないと、本当のお前が苦しむんだろ。だったら、何が何でも戻らなきゃな。少し休んだら、元気が戻ってきたからもう大丈夫だ」
実際、恵利子に好きといわれたおかげで、元気が出てきた。
単純だなぁ。俺って男は。顔を赤らめながら、そう思った。
4
ついに洞窟へたどり着いた。10時20分過ぎだ。
が、気力だけで歩いてきた俺は、倒れこんだまま、もう立ち上がることさえできなかった。
恵利子が、水筒のコップを持って、足を引きずりながらも泉へ向かった。
「先に飲め。いいから」
俺の言葉に従い恵利子は、黒の泉をためらいもなく飲んだ。
そして、俺のためにもういっぱい汲むと、足を引きずりながら、俺のところへやってきた。
恵利子はコップを俺の口元まで差し出して、飲ませてくれた。
あまりのまずさに、吐き出しそうになるのを、必死でこらえて飲み込んだ。
緑の泉の数倍まずい。
まずいという声も発っせないほどだ。
「これで、とりあえずは安心だな」
少ししてようやく言うことができた。
「間に合っていればね」
黒の泉は飲んだ。しかし、期限内でなければ、それは意味がない。
「今は、ともかく間に合ったって信じて、緑の泉を飲もうぜ」
飲めばはっきりすることだ。
「そうね」
恵利子は、緑の泉を汲んで、俺に差し出した。
「先に飲めよ」
「だめ!」
恵利子は強く言った。
「憲司君が先に飲んでくれないと、困るの」
訴える恵利子の言葉に、理由は尋ねず、緑の泉を飲んだ。
「もどの姿に、もどれ」
女になったときのように、体が波打つと、だんだんと元の姿へ戻っていった。
暗闇の中よくわからないが、懐中電灯を自分の顔に向ける。
「元にもどったぁ」
恵利子がうれしそうに言った。きっと、自分の怪我で遅れたせいで、間に合わなかったらどうしようと、心配でならなかったに違いない。
「じゃぁ、次はお前の番だ」
「その前に・・・」
恵利子は、俺の胸にもたれかかった。
「あたしを抱いて」
恥ずかしそうに、小さな声で、しかし確かにそう言った。俺の妄想や幻聴ではない。
が突然のことに、俺は自分の耳が信じられなかった。
「お願い、あたしを抱いて」
今度は、俺の顔を見つめて、はっきりといった。
「バカなこというなよ。お前の好きなのは、高志で俺じゃないだろ」
「ううん。ここにいるあたしは、憲司君を好きになってしまったの。それに、あたしには憲司君にお礼をする時間は今しかないの。あたしが、この泉を飲めば、今のあたしは記憶もすべて消えてしまって、何も残らないわ。あたしのために、あんなに一所懸命になってくれたのに、お礼も何もできないなんて、あたしはいやだもの。けど、今のあたしには、この体しかない。体でお礼をするしかないの。突然、こんなこといってやりにくいのはわかるけど、今しかないの。だから、お願いあたしを抱いて」
恵利子が一気に言った。暗くてわからないが、きっと顔を真っ赤にして言ったのに違いない。
俺は、姿が変わっただけで、心や記憶は連続していた。だから、理解してなかったのだろう、恵利子が言ったことで、俺は、俺と一緒にここまできた恵利子は、ここで消え去ってしまって、何も残らないのだということを初めて理解したのだ。
死ぬのとは違う。死んだ場合は、何かしら生きていた証が残るだろう。しかし、彼女の場合は、まったく何も残らない。俺の記憶の片隅に残るだけだ。
男として、お礼といわれて、女を抱くのは恥ずかしいことだと俺は思う。
けど、何も残らない彼女には、願いをかなえてやることが救いだと思う。それに、俺の記憶の片隅を少しでも多く割いてやることができる。
俺は彼女の思いを受け入れる決心をした。
が、決心までの葛藤の時間に、彼女は待ちきれず、次の行動に移っていた。
服を脱いだのだ。
俺が何もできない間に、恵利子はすべてを脱ぎ去った。
そして、彼女は自らを懐中電灯でてらした。俺が断ったら、男の本能に訴えるつもりだったのだろう。
さっきまで自分の体は女だったが、恵利子の監視付で、見ることができなかった女の裸が目の前にある。
俺は、男の本能として、興奮しないでいられなかった。
そして、ムクムクと・・・
あそこが、ムクムクと・・・
あれ!? ムクムクと・・・しない(爆汗)。
俺は自分の股間へ、目を向ける。
恵利子は、俺が目をそらしたと思って、次の実力行使へ移る。
俺の服を脱がし始めたのだ。
「ちょっと待て」
「もう、待たない」
俺の言葉を、恵利子の礼を受け取らないと判断したのか、強行を続ける。
ベルトをはずし、ズボンも脱がしにかかる。
そして、ズボンがずり下ろされ、ペロンと・・・でない(激汗)。
それに気づかず、恵利子は俺にまたがり、すべてを俺にゆだねた。
「ちょっと待てっていってるだろ!」
焦りのあまり俺は、怒り口調になって言ってしまった。
「あたしのことを大事に思って抱けないかもしれないけど、あたしには今しかないの。わかって」
泣き声になって、恵利子は訴えた。
「わかってるよ。だから、ちょっと待ってくれって。おかしいと思わないか? お前のお尻にあたるものがないだろ」
男の体をどこまで知ってるかわからないが、俺に言われて、恵利子はようやく、俺がセックスできる状態でないのに気づいたようだ。
「たたないの?」
ストレートの直撃に、俺はダメージを受けた。
「それ以前に感覚がヘンなんだ」
恵利子がどいたので、俺は自分の股間を確認する。
恐る恐る手をもっていき、触ろうとする。が、どこまでいってもあるべきものに触れない。ペタリ。と行き着くところまで行ってしまった。
俺はショックのあまり固まってしまった。
「どうしたの?」
恵利子が懐中電灯を手に尋ねる。が俺は応えることができない。
懐中電灯の明かりが、俺の顔から、股間へと移ってゆく。
股間を押さえる俺の手を、恵利子はつかんで動かした。
「女の子のまま・・・どうして?」
すぐに理由を知りたかったが、俺の頭は真っ白で、何も考えることができなかった。
「・・・そうよ、きっとそうだわ。あたしのせいよ。あたしが悪いんだ」
恵利子は言うと、泣き出した。
「ごめんなさい。ホントにごめんなさい。あたしのせいで遅れたから。遅くなったから、完全に戻れなかったのよ。ごめんなさい。取り返しのつかないことに。あたし、どうしたらいいの。ああーん」
恵利子は、号泣した。激しく。
俺は裸で泣きつづける恵利子に寄り添い、抱きしめた。
「お前を背負ったときから、間に合わないかもしれないのは、覚悟の上だった。だからお前が悪いんじゃない。俺の責任だ。だからもう泣かないでくれよ」
しゃくりつづける恵利子の背中を、俺はいとおしんでやさしく撫でた。
「お前も、もう泉の水を飲めよ。お前のお礼はもらえなくなったけど、別に欲しかったわけじゃないし、それに、ほかの部分はちゃんと戻れたみたいだから、普段の生活はなんの支障もないしさ。せっかくの機会だから、女のあそこの感覚を楽しんでみるさ。すごく気持ちいいって言うだろ」
俺は強がって言った。立ち直れないほどのショックだったが、それを消えようとする恵利子にぶつけても仕方がない。彼女を慰めてからでないと、俺も寝覚めが悪い。
「あっ、そうだ。こんなこと話せるのは、高志しかいないから、あいつに話して、責任とってもらおうかなぁ。俺と結婚してくれってな。ははは、そうなれば、本物のお前とはライバルだな」
「バカ」
泣き止んだ恵利子は、そうつぶやいた。つぶやいて、俺に抱きついた。強く強く。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
言ってから、恵利子は俺に唇を重ねた。長く、永く・・・
5
「じゃぁ、飲むね」
自分自身の消滅を意味するその言葉を、彼女は軽く微笑みながら、言った。
『飲むな』と叫びたかった。目の前にいるのは、俺が好きな恵利子であり、俺を好きな恵利子なんだ。そんな彼女を失いたくはなかった。
しかし、彼女がここにきたのは、本当の恵利子が好きな高志を助けるためであり、本当の自分自身の恋心を守るためだ。
彼女が泉を飲むのをとめることは、その思いを無に帰すことだ。
恵利子が、コップを口につけた。
そのコップを取り上げようと手を伸ばすのを、俺はすんでのところで食い止めた。
恵利子が、コップの中の緑の泉を飲み干した。
「あっ」
思わず言葉が漏れた。
「まずい」
恵利子も言葉が漏れる。
次の言葉を言えば、彼女にはもう二度と会えなくなる。
「恵利子、大好きだぁー!」
叫んだ。彼女への最後の言葉を。
「あたしの記憶と心も残して、もとへもどれ」
彼女はそう言った。
「恵利子?」
そんなのできるの?
裸だった恵利子の全身が、波打つ。
そして、徐々に、それは高志の姿へと戻りつつあった。
見慣れた高志の顔、体つき、そして男の部分も、すべてが元に戻った。
「恵利子か? 高志か?」
向こうから言うのが待ちきれなくて、俺は尋ねた。
「恵利子だよ」
高志の声がそう言った。
俺が好きで俺を好きな恵利子が、消えてしまわずに残って、俺は嬉しかった。それで、高志に抱きついた。
高志も俺を抱き返す。
「だけど、高志でもあるんだ」
抱擁を緩めて高志が言った。
「えっ!」
高志に抱かれていると思うと、気持ち悪い。
「だからさぁ、恵利子だったときに記憶と心も残して、もとへもどれって言っただろ。それで、元の俺に戻っても、恵利子だったときの記憶と心が残ってるんだ。今は、高志の心で話してるけど、・・・・・・恵利子の心に変わることもできるの」
突然、話し方が恵利子のものに変わる。ただ、声は高志のままだ。
「あたし、はっきり言って、消えてしまうのは怖かった。けど、高志君を元に戻すためには、仕方ないってあきらめてた。けど、憲司君に恩返しできないばかりか、取り返しのつかないことになってしまって、このまま何もできないで消えてしまうなんて、逃げるようで自分が許せなかったの。だから考えて、ひょっとして、高志君の中に、あたしの心を残すことができたら、憲司君の役に立つことができるかもしれない。恩返しができるかもしれないって思って、いちかばちか、試してみたら、うまくいったの」
「そうか、恵利子が残ってくれたのは、とってもうれしいよ。でもお礼なんて本当にいいから」
「でも、そんな体になってしまったのは、あたしの責任だから。だから、ばれないように手伝うし、女の子って、月一回あれがあるでしょ。その対処の方法も教えてあげないといけないし、それに・・・」
恵利子の口調で恥ずかしそうに話していた、高志の目が怪しく光る。
「それに、女の子の快感も教えてあげたいし」
俺は、あとずさる。
「・・・お礼はいいって。本当に」
「自分でも言ったでしょ。女の子の快感を楽しむって。でもちゃんとやらないと、気持ちよくないから、あたしが丁寧に教えてあげる」
高志が、俺のあそこに・・・あっあ〜ん
俺は、やがて、女の子の快感に目覚めていった。
おわり
登場する人物は、架空の存在です。実在のもとは、一切関係ありません。
この作品は2001年発表のものです。
2011年 輝晒正流