『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 エピローグ
作:JuJu


 真緒は教会の庭に建っている図書室の戸をたたいた。
 返事はなかった。
 彼女はそおっと戸を開くと、部屋の中を見た。
 図書室の真ん中に敏洋が新しく置いた大きな机があり、古い書物が乱雑に積み上げられていた。その本の山の向こうで、髪がちらちらとのぞかせている。
「敏洋さん?」
 真緒は図書室に足を踏み入れた。不注意でまた失敗をおこさないように、おそるおそる気をつけながら慎重に歩く。
 真緒は歩きながら辺りを見回した。乱雑は床や本棚まで増殖していた。以前彼女が整頓したことが幻に思えるほど、図書室はふたたび混沌とした世界に戻ってしまっていた。
 真緒は机の前まで進むと、大声で名を呼んだ。
「敏洋さんてばっ!!」
「うわっ!」
 書物越しに見えていた髪が、おどろいてイスから立ち上がった。
「わ。背広!」
 敏洋は黒い背広を着ていた。
「なんだ真緒か。
 ここには入ってくるなと言っておいただろう」
「だって、呼んでも気がつかないから……。
 でも、どうして背広を着ているんですか」
「これか? 教会にいるときは背広を着ているように、マザーに言いつけられたんだ。どういう意味があるのかまでは、俺にもわからん。推察するに修道服のかわりとか、まあそんなところだろう。
 それはそうと、なんの用だ?」
「マザーが呼んでます。礼拝堂に来て欲しいって」
「わかった」
 敏洋はうなづくと、出口に向かって歩いた。
 真緒は敏洋が熱心になっていたものが気になり、書物の山の脇に首をのばすと、こっそり机の上を見た。そこにはノートがあった。真緒が開けっぱなしにしている戸から風が入り、ページが舞っている。やがて、ノートは自然に閉じた。表紙に〈淫魔について〉と書かれているのを発見した。
「なにしているんだ? かぎをしめるぞ」
 敏洋が庭から声をかける。
「あっ。はい!」
 真緒はあわてて敏洋の後を追った。
 そして、床に置いてあった古書につまづき、床に積み上げられていた古書をくずし、本棚の本を落とし、図書室はますます混沌さを増した。

   *

 ふたりは礼拝堂に入った。
 待ちわびていたシスター・マザーは、敏洋を見るなり力仕事を言いつけた。
「まったく。いつもながら人使いが荒い……」
 敏洋は愚痴をはいた。
「なんか言った?」
「いいえ、なにも」
「弟子なんだから、この程度の奉仕は当然でしょう?」
「はいはい」
 敏洋は礼拝堂の隅にあるタンスの前で、背広の上着を脱ぐと黒い色のエプロンを身につけた。
「やっぱり男がいると、なにかと便利よねえ〜」
 マザーは敏洋を監視するように見つめていた。その隣に立っていた真緒は、マザーに話しかけた。
「ところで、どうして敏洋さんに黒い背広を着せているんですか? なんでもマザーが修道服がわりに着せているって聞きましたけど」
「修道服がわり? あはは、敏洋くんはそんなこと言っているんだ? それは彼が勝手に解釈しているだけよ」
「じゃあどうしてですか?」
「趣味。あれはね、たんなる私の趣味よ。だって男の背広姿って素敵じゃない? 本当はもっと体格が良くて筋肉がついているほうがいいんだけどね」
 真緒はあらためて敏洋を見た。言われてみれば、なかなか素敵だと真緒は思った。
「そもそも、真緒の着ている修道服だって、私の趣味だし」
「ええーっ!? そうだったんですか!?」

   *

「でも、敏洋くんに、いきなり弟子にしてくれって言われたときは驚いたわよ。魔物退治から帰って来るなり、思い詰めた怖い顔で、弟子にして欲しいって言い出すんだから。
 それで理由を聞いたら、私のあげた書物の替わりを作るためだって言うじゃない。
 たしかにあれと同等の本を書く気ならば、魔法の文字についてそうとう学ばなければならないでしょうし、そのためには私の弟子になるのが近道だと判断したみたいね。
 でも敏洋くんも殊勝よね。確かに貴重な物だったけど真緒と敏洋くんの命を救ったんだから、そこまで気に病まなくてもいいのに。そう思わない」
「えっと……。そうですね……」
「なに、その返事。
 ――やっぱりね。
 あなたたち、なにか重大なことを私に隠しているわね? 魔物退治に行ってあの本が消失したとき、なんかあったんでしょう? そしてそれが、敏洋くんが新しい本を作る本当の理由でしょう?
 そうじゃなきゃ、一冊の本ために、あそこまで熱心になるわけないもの」
「あわわ……。それは……、その……あの……」
「ふーん? 秘密ってわけね。
 真緒だってお年頃だものね。彼氏とふたりだけの秘密くらい持ちたいわよね。
 熱いわねー。いいわよねー、若いって……。
 ――なんで黙っているのよ! そこは、マザーもまだまだ充分若いですって突っ込むところでしょうが!!」
「ええっ? あっ、はい!」
「まあ、いいわ。この件は、詮索しないでおいてあげる。せっかく敏洋くんもやる気になっているみたいだしね。
 あーあ。こうして、真緒にとって大切な人の比重が、私から彼氏に移って行くのねえ」

   *

 敏洋が戻ってくる。
「ふう。終わりましたよマザー」
「ありがとう。
 そうそう。敏洋くんに頼まれていた魔物退治の依頼、捜しておいたわよ。あなたたちでもできそうなやつ」
「本当ですか!? よし真緒! さっそく魔物退治の準備だ」
「気が早いわね。まだどんな条件かさえも話していないのに」
「もちろん引き受けますよ。そうだろう真緒」
 そう言うと、ふたりは魔物退治の準備をするために、意気揚々と礼拝室のとびらに向かって歩き出した。
 マザーはふたりの背中を見ながらつぶやいた。
「本当に、あの魔物退治でなにがあったのやら……。
 まっ、あれだけの意欲があれば、あんがい成長するかもね」

   *

 礼拝堂のとびらの前で、敏洋は歩きながら真緒に話しかけた。
「お前がジャコマの書を初めて俺に見せたとき、お前は俺たちのことをこう呼んだな。〈偉大なる魔術師と高名なシスター〉と」
 真緒はわずかに驚いて、立ちどまると敏洋をみつめた。
 敏洋はとびらを開けると、教会の庭に出た。足をとめ、真緒に背を向けたまま語りかける。
「そんなものに、なれるかどうかわからないが、俺はめざしてみようと思う。
 ジャコマの主人としてふさわしくならないとな。
 あいつが、俺のことを本心から胸をはって、『これがアタシのご主人さまだ』と言えるくらいに」
 敏洋は振り返ると真緒を見た。
「――ついてきてくれるか?」
 真緒も敏洋のいる庭に歩いて出た。太陽の光に、まぶしそうに目を細める。柔らかな風が彼女の髪を揺らした。
 真緒は笑顔で答えた。
「はい!」



      ー「淫魔のジャコマ アフターストーリー」 おわりー



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