『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 その14
作:JuJu



「前のご主人さまが死んだのは……、今のご主人さまくらいの歳かねぇ」
「そんな若さで亡くなられたんですか」
「研究の失敗さ。魔法陣が暴走してね。
 死ぬ間際に、ご主人さまはアタシに名前を付けてくれた。知っての通り、アタシら魔物には、魔獣だの淫魔だのの種族の名前はあっても、個別の名前は持っていないからね。これから人間の世界を渡っていくのに名前が必要だろう。あの世じゃ名前なんて必要ないから、と言ってね。ご主人さまは自分の名前をアタシに譲ってくれたんだよ。
 シスターは魔物退治師なのに、アタシの名前を聞いたとき何も思い出さなかったのかい? 偉大なる魔術師の名前と同じなのに」
「すみません。見習いですし」
「そのうえ真緒は勉強が嫌いだしな」
「かぁーっ。魔物退治師のくせに、アタシをこの世界に召還した偉大な人物の名前を知らないとはねえ。
 とは言え、それほど名は知れ渡っていないのかもしれないね。なにしろ、世捨て人同然の暮らしをしていたからね」
 ジャコマは手に持っていたジャコマの書をなでた。
「前のご主人さまも、覚悟はできていたんだろうね。実験を失敗して自分が居なくなっても、アタシがこの世界にいられるようにと、あらかじめ依代(よりしろ)を用意してくれていたんだ」
「それがその書なんですね」
 ジャコマはうなづいた。
「しかしジャコマの前の主人には敵わないな。俺と同じ歳でジャコマをこの世界に呼び出したり、魔法の研究をしたり、依代になる書を作ったりしていたのか。俺なんて、マザーの元で魔法の文字を習いはじめたばかりだというのに。
 ……待てよ。マザーで思い出したが――マザーと言うのは、真緒の師匠のことだが――マザーが魔力のこもった道具は存在しないって言っていた。だが、ジャコマの書には、魔法が封じ込めてあった。これはどういうことだ?」
「前のご主人さまはそんじょそこらの魔術師とは格が違うんだ。常識では推し量れないことをやってのける。だから偉大なんだ。
 この本は、そんなご主人さまの最高傑作。アタシのために作った、世界でたったひとつだけの本なんだよ。
 これでアンタにも、前のご主人さまの偉大さが少しは解ったかい?」
「ジャコマさんは、前のご主人さまが大好きだったんですね」
「なっ!?」
「前のご主人さまのことを話すときの、ジャコマさんの表情を見ていればわかります。
 それは、ご主人さまが作ってくれた大切な本だったんですね」
 ジャコマは、照れて赤らめた顔を小さくうなづかせた。
「――そしてこの本は、アタシにとってたったひとつの、前のご主人さまの形見さ」
「すまん。そんな大切な本を……」
 ジャコマは手にした書を見ながら、すこし悲しそうな顔をした。だがすぐに顔を上げて、おだやかにほほえんだ。
「いいんだよ。この本はご主人さまとシスターを護ったんだろう? 前のご主人さまだって納得してくれるさ。
 だいたいこの本がこうなった原因は魔獣だ。ますますアイツを倒さないわけにはいかないね」
 ジャコマは、手に持ったジャコマの書から目を離すと敏洋を見つめた。
「ご主人さまもすごいね。
 本来、女じゃなければ解けないこの本の封印を解いたんだからさ」
「ジャコマ。そのことなんだが……。実は……封印を解いたのは俺じゃない、真緒なんだ。」
「と、敏洋さん!?」
「いいんだ真緒。いつか話そうと思っていたんだ。
 俺たちはこれから、魔獣と戦うこととなる。俺は真緒を信じているが、万一にも敗北したら、俺はジャコマをだましたまま死ぬことになる。だから、いまのうちに告白しておきたいんだ」
「なんだそんなことかい。アタシもそうじゃないかと思っていたんだよ。
 なにしろご主人さまには魔力がない。魔力がない者に、封印が解けるはずがないからね。
 そもそも、男が封印を解くのはおかしいって、ずっと思っていたんだ。
 それでもひょっとしたら、ご主人さまなら封印を破ることができたのかもしれない……なんて、ちょっとは考えていたんだけどね」
「だましていてわるかったな。
 そういうわけで、おまえの本当の主人は真緒だ」
「え〜っ!? わたしがですか?」
「いいや。それはちがうよご主人さま。
 封印を解くのは、たんに鍵をはずしたに過ぎない。アタシを<召還>したのはご主人さまなんだろ。
 それに勘違いして欲しくないのは、召還をすれば、誰でもアタシのご主人さまになれるってわけじゃない。召還をした上で、このアタシが認めた人だけが、ご主人さまになれるんだよ。
 アタシが自分のご主人さまと認めたのは、前のご主人さまを含めて今まででふたりだけ。つまり前のご主人さまとアンタだけだよ」
「待て。真緒が主と認められないのは分かる。身分も見習いだしな。その上ドジだし」
「ひどいです」
「分からないのは、お前が俺を主(ぬし)と認める理由だ。だいたい俺は魔力を持っていない」
「アンタはね、だぶるんだよ。前のご主人さまにね。
 顔も、姿も、性格も、なにもかもまったくの別人だ。でも、別人なのに、前のご主人さまと似たものを感じるんだよ。
 もっともそれは、アタシの感に過ぎないんだけどね」
「単なる感で、主を決めていいのか?」
「さっきも言っただろう? アタシのご主人さまになる条件は、アタシを召還し、かつ、アタシに認められること。それだけだよ。
 なんにしろ、もう、ふたたびご主人さまを失いたくないんだよ。
 あのとき、魔法陣が暴走したとき、ただでさえご主人さまの魔力は強力なのに、その上魔法陣で増幅された魔力を前に、アタシはまったくの無力だった。ご主人さまが死んでいくのに何もできなかった。
 アンタには、前のご主人さまと同じものを感じる。
 だから……せめて……今度こそ……」
 ジャコマはジャコマの書を敏洋に手渡した。
「とにかく、このアタシが認めたんだから、アンタはアタシのご主人さまなんだよ。
 そしてこれは、ご主人さまのものさ。アタシのご主人さまである証(あかし)だよ」
 その時、背後で足音がした。
 敏洋たちがとっさに振り返ると、そこには、月明かりに照らされた魔獣が立っていた。
「淫魔ガ、人間ノ手先ダッタトハ、思ワナカッタゾ。裏切リ者メ」
「自分の好きなように生きるのが、アタシの生き方でね。
 アタシの仲間は、アタシが決める。アタシが気にいれば、魔物だろうが人間だろうがアタシの仲間だよ。
 そして、アタシが気に入らなければ、誰であろうが敵だよ。そう、アンタみたいにね」
 ジャコマはそこまで言うと、さも軽蔑したような目つきで魔獣を見下げた。
「それにしても、アンタがまだ残っていたなんて驚いたよ。アタシャてっきり、シスターの攻撃を見てしっぽを巻いて逃げちまったとばっかり思っていたからね」
「ホザケッ!!」
 その声の迫力に、敏洋は魔獣を見据えた。
 ようやく月のまぶしさになれた敏洋の目に映し出されたのは、闘志と活気を取り戻した魔獣の姿だった。
 真緒から受けた攻撃で口から流していた血も完治したらしい。ジャコマの書に体当たりをして、あれほど痛めていた体もすっかり元に戻り、力がよみがえったことがうかがえた。
 やはり魔獣は姿を隠して月光を浴びていたのだと、敏洋は確信した。
 虎のような体躯は黒く、月明かりが輝いているのに、魔獣の居る場所だけが闇のようだった。毛皮代わりにまとった黒い霧を、天にも届けよとばかりに力強くもうもうと立ち昇らせている。
「俺ハ完全ニ、回復シタ。
 回復スル前ナラバ、オ前タチデモ、倒セタカモ知レナカッタモノヲ……。
 ダガ、モウ遅イ。淫魔ヨ、好機ヲノガシタナ」
「傷は癒えたかい? アンタに卑怯者呼ばわりされたくないんでね。アンタが完全に回復するのを、こうして待っていたんだよ」
「え? そうだったんですか?」
『そんなわけ、ないだろう。こういうのはね、はったりが大切なんだ』
 ジャコマは小声で答えた。
「裏切リ者ノクセニ、律儀ダナ。ダガ、ソノ思イ上ガリガ、死ヲ招クコトトナル」
 ジャコマたちの会話を後目に、敏洋は魔獣の観察を続けていた。
 先ほどの真緒の攻撃はすごかった、あれならば魔獣に勝てる。
 敏洋はそう考えていた。
 しかしそれは、さきほどまでの、ジャコマの書に当たってすっかり弱り切った魔獣が相手であればの話であった。
 もちろん、真緒の回復と共に魔獣も回復することは、重々承知の上だったものの、ここまで復活するとは思いもよらなかった。こうして魔力も肉体も十二分に回復した魔獣の姿を目の当たりにすると、先ほどまでの自信が急速にしぼんでゆく。
 真緒はあいかわらず、気弱になっていることが全身からうかがえた。
 真緒の気持ちを知ってか知らずか、ジャコマは自信たっぷりに魔物に言い放った。
「なんとでもお言い。どうせアンタはもう終わりだ。
 シスターのさっきの攻撃を、よもや忘れたわけじゃあるまいね?」
 その言葉を聞いて、魔獣の顔が固くこわばる。
 ジャコマは、真緒に振り向いた。
「さあシスター、もう魔力は回復しただろう?
 遠慮はいらないから、思いっきりやっちまいな!!」
 真緒が攻撃をすると聞いて、魔獣も身構える。
「あ、あの……。それが……。実は……」
 真緒が、もうしわけなさそうに小声で答える。
「わたしは、あまり魔力が回復しない体質なんです……」
「真緒!?」
「何だって? シスター」
 敏洋とジャコマが、同時に真緒を見た。
「月の光で回復をすることはしますが、ほんのごく僅かなんです。とても魔獣を倒せるだけの魔力は戻りません」
「ちょちょちょ、ちょっとお待ちよ! アンタ、仮にも魔物退治師だろう?
 じゃあ、なにをすれば、早く回復するんだい」
「早く回復する方法なんてありません。これは体質です。生まれついたものですから……」
「それじゃ、作戦は失敗。アタシのしたことはまったくの無駄だったって言うのかい?
 アタシがここまでしたのに、結局はあの魔獣の魔力を回復させただけじゃないかっ!!」
「すみませんすみません……」
 敏洋が横目で魔獣を見る。
「あわてるなジャコマ。どうやら魔獣は、真緒が回復していないことに気がついていないようだ」
「ばれるのなんて時間の問題だよ」
「そういうジャコマの方こそ、魔物なのに何もできないのか?」
「さっき、魔獣との話しを聞いただろう。
 アタシの魔法は人間専門だよ。相手が人間ならば打つ手はいくらでもあるけどね。魔物相手じゃ手も足も出ないよ。
 唯一まさるのは、飛べることだね。アイツは絶対に空を飛ぶことはできないからね。まわりの木を倒したから飛びやすくなったけど、それで魔獣を倒せる訳じゃない」
「ならば、俺たちを連れて空から逃げればいいじゃないか」
「冗談じゃないよ。重くて、人ひとりさえ持ち上げて逃げることなんてできないよ」
「ならば、どうしたらいいんだ!」
「聞きたいのはこっちだよ!」


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