『淫魔のジャコマ アフターストーリー』 その12
作:JuJu




「あー、やっぱり人間の魂はうまいね。特に男のものは最高だよ」
 真緒はジャコマが敏洋に死の接吻をするあいだ、茫然(ぼうぜん)としていた。が、魂を奪われて崩れ落ちる敏洋の姿を見て正気を取りもどした。
 真緒は敏洋に駆け寄った。
 ジャコマは走り来る真緒のあまりの気迫(きはく)に押されて、思わず後ずさりをした。
「ま、まあ、お別れくらいは言わせてあげるよ。せいぜいアタシに感謝するんだね」
 後ずさりをしていたことに気が付いたジャコマは、魔獣の手前もあり、取り繕ってそう言った。
 真緒は地面に倒れている敏洋を抱き上げると、その体を揺さぶる。
「目を開けてください敏洋さん。
 ウソですよね? 死んだふりをしているんですよね? 息をしてますし、体温もありますし。ねえ、返事をしてください!」
「あああ。だめだよ、そんなに激しくご主人さまの体を揺すっちゃ。そんなことをしても無駄なんだから! だめだって!
 ――そりゃあ息くらいするさ、意識がないだけなんだ。魔獣との約束で、肉体には手をつけていないからね。ただし、魂がないんだから意識が戻ることはないよ。永久にそのままさ。
 まあ意識があったところで、どうせすぐにアイツが喰っちまうんだけどね」
 ジャコマはあごをしゃくり、敏洋の肉を喰うために近寄ってきた魔獣を指した。
「魔獣。まだアタシの食事は終わっていないんだ。人間を喰うのは、アタシが食べ終わってからにしてくれないかい。
 アタシたち淫魔は、アンタと違って神経が繊細なんだ。たとえ相手が人間だとしても、喰い殺されるところを目の前で見せられたんじゃ食欲もなくなっちまうよ。せっかくのごちそうを、ふいにさせないでおくれ」
「ナラバ、グズグズセズニ、サッサト喰エ。待チキレン」
「風情ってもんがないねえ。恐怖をあたえるのも、スパイスなんだよ」
 ジャコマはふたたび真緒を見た。
「しかたがない。アイツがうるさいんでね。そろそろシスターの魂をいただくよ。
 ご主人さまとのお別れも、そこまでにしておきな」
 そう言うと、ジャコマは真緒に近寄った。
 今度は真緒が後ずさりをする番だった。
 ふと真緒の視界に、敏洋が落とした鉄槌が目に入った。魔力が底をついた彼女にはもはや無用の長物だったが、それでも真緒にとってはマザーからもらった大切な品だった。
 真緒はジャコマの様子をうかがいながら、素早く前に出た。しゃがんで地面に落ちている鉄槌に手を伸ばす。鉄槌を掴むと、冷たい感触が手に伝わった。真緒は鉄槌を見つめた。
 気配に顔を上げると、目の前にジャコマが来ていた。
 あわてて鉄槌を持って遠ざかる。
「逃げたって無駄だよ。
 アタシとあの魔獣、魔物がふたりもいるんだ。とても逃げきれるものじゃない」
 迫り来るジャコマに後ずさりをしながら、真緒は彼女に訴えかけた。
「ジャコマさんは魔物だけど良い魔物だって。ジャコマさんのことをお友達だって、敏洋さんは本当に信じていたんですよ。もちろんわたしだって。
 それなのに、どうしてこんなことをするんですか!?」
「どうして?
 頭の悪い子だね、まったく。魔物に良いも悪いもあるかい。魔物は魔物だよ。
 魔物にとっちゃ、アンタたち人間は、餌にすぎないんだよ。どこに、自分の餌と仲良くするやつがいるのさ。
 まったく、命乞いのつもりだか何だか知らないけど、さっきからぐだぐだと。
 いいかげんにしなよ! 餌のくせに!」
 真緒は後ずさる足を止めた。
「餌……」
 立ち止まった真緒は、その場で息をはきながら目をつむった。口をギュッと結んで、奥歯をかみしめる。
「ジャコマさんは、わたしのことを……そして敏洋さんのことも、出逢った時から餌としてしか見てなかったんですか」
 鉄槌を、悔しそうに握りしめる。
 頬に、涙が流れ落ちた。
 真緒は、自分の体の奥底で熱い力が煮えたぎるのを感じた。
 無意識に、口に呪文が宿る。
 鉄槌の先に、わずかな風がそよいだ。
「信じていたのに……。魔物にだって、いい人はいるんだって……思っていたのに……。
 あなたを……信じていたのに……。
 それなのに、ジャコマさんは、わたしたちのことを餌としか見ていなかったなんて……」
 真緒は鉄槌をゆっくりと胸の前に持ってゆく。鉄槌の先では、ゆるやかな風がまわっていた。そのあと、想いを断ち切るように頭上に掲げる。合わせるように、鉄槌の先の風が激しく渦を巻き、一気に巨大化した。
「いくらジャコマさんでも、敏洋さんの命を奪ったことは許せません。絶対にっ!!」
「まっ、魔力は尽きたはずじゃなかったのかい?」
 ジャコマはおののき、逃げ腰になった。
「ジャコマさんなんて……」
 鉄槌のまわりに、巨大な渦巻きが吹き荒れた。
 真緒は足を一歩前に出すと、頭上に掲げていた鉄槌を振り下げる。
「ジャコマさんなんてーーーっ!!」
 泣きじゃくりながら、竜巻をジャコマめがけて発射する。
 風は怒りの弾となって、ジャコマに向かった。
 ジャコマはあわてて地面に体を伏せた。
 ジャコマの頭上を、竜巻が吹き抜けてゆく。
「あっ!」
 真緒が思わず声を上げる。
「バカ! この先は!」
 ジャコマも、地面から頭を上げて風を目で追う。
 流れ弾になった風が、敏洋に向かっていた。
 だが、幸運にも、風は僅かに敏洋の脇を流れた。
 そして風は、よだれをたらして敏洋を見ていた魔獣の鼻先を通り過ぎた。敏洋に目を奪われていた魔獣は、突然の攻撃に驚いて後ろに飛び退く。
 竜巻は幹に当たり、その樹を倒してやっとおさまった。
「あぶないねえ、まったく。ご主人さまに当たりでもしたらどうするんだい?
 魔獣、見ただろう。今のが底力だよ。これだから人間は油断がならな言っていっているんだよ」
 ジャコマは魔獣を見たが、魔獣は真緒に警戒していて、彼女の言葉など聞いてはいなかった。
 ジャコマも真緒を見た。
 真緒の持つ鉄槌にまとわる風はさきほど発射したばかりなのに、おとろえるどころかさらに激しくなっていた。
「逃しませんよ、ジャコマさん! 敏洋さんの命を奪った罪、償ってもらいます」
「おや、こわいこわい。
 さっきは、不意打ちをされて、ずいぶんと無様なところを見せたけどね。これでもアタシは、俊敏さにはけっこう自信があるんだ。
 面白いね! かかっておいで。
 良く狙って撃つんだよ。なにしろ、その底力で生まれた魔力がつきたときが、アンタが死ぬときなんだから」
 真緒はしっかりと狙いをつけ、発射した。
 だが、ジャコマも自慢するだけのことはあった。彼女は羽をはばたかせるとわずかに浮き上がり、滑るように地面を移動した。
「あはははっ! あぶないあぶない!
 ほら、シスター! 今度はこっちだよ、こっち」
 真緒の涙は止まっていたが、ぬぐうのも忘れて、ジャコマを追撃し続けた。
 そんな真緒の渾身(こんしん)の攻撃も、ジャコマはやすやすと逃げ続ける。
 ジャコマが避けるたびに、当たり損なった流れ弾がジャコマの真後ろにあった木に当たって倒れた。
 ジャコマは攻撃から逃げたかと思うと、からかうように、すぐに脇で立ち止まり、真緒の攻撃を挑発した。
 真緒がジャコマを撃つ。ジャコマはとなりに避ける。流れ弾はジャコマの後ろにあった木にあたり、木が音を立てて倒れる。
 その繰り返しが続いた。
「ふぁ〜あ。
 それで攻撃のつもりかい。
 一矢さえ与えられないんじゃ、ご主人さまも浮かばれないねえ」
 ジャコマはわざとらしく、目をつむって口に手を当て、大きなあくびをした。
 真緒からの返答も攻撃もなかった。
 とうとう底力もつきてしまったのかと不審に思い、ジャコマはあくびで閉じていた目を開けた。
 そこには、怒りが全身からあふれ出し、髪の毛さえ逆立ちそうな真緒がいた。
「わたしは……敏洋さんの仇を討つんです……。ぜったいに……。
 イャアアアァァァーーーッ!!」
 真緒は全身からあふれる怒りを、すべて鉄槌に込めた。
 いままでの矢のように一発ずつ撃つ攻撃に替わり、今度は滝のように風が連なって発せられた。
「なッ!?」
 一瞬にして、ジャコマの顔から余裕が消えた。
 途切れることのない風で出来た滝が、ジャコマを襲った。
 ジャコマは逃げ回った。真緒の攻撃から逃げ延びるのが精一杯だった。それでも彼女の意地だろうか、上空にも逃げず、真緒からも離れず、さきほどと同じように、彼女の周りを円を描くように飛んだ。
 真緒もジャコマを追って、自分を軸に回転した。
 驚いた魔獣も走りまわる。体が痛むらしく、しかめた顔をしていたが、痛みなどかまっていられない。
 真緒を中心にして、円を描くようにあたり一帯の木々が轟音を立てて次々と倒れてゆく。台風のように、葉が舞い、風が唸り、土が剥がされた。大気が荒れ狂い、天に向かって吼えた。
 ジャコマの影を、真緒は追い続けていたが、やがて魔力がつきたらしく、攻撃はしだいに弱まり、ついに止まった。
 真緒は前屈みになり、荒く息をはいている。
 ジャコマも真緒とまったく同じように、肩で息をしていた。
「シ……シスター。どうやら今度こそ……底力も含めて……本当にすべての魔力をはきだしちまったようだね。
 まさか、これほどの攻撃をしてくるとは。想定外だったよ。
 うん、それでこそ、アタシが見込んだシスターだよ」
 やっと息を整えたジャコマは、真緒に近づいた。
「来ないでください!」
「安心しな。もう魂を取ったりしないから……」
「来ないで……」
「やれやれ。心底嫌われたらしいね。まっ、あれだけのことをしたんだから、仕方ないといえば仕方ないんだけど。
 アタシだってシスターにひどいことをするのに、こころが痛んだんだよ?
 それに、シスターにひどいことをしたのはご主人さまも同罪なんだけどね」
 ジャコマは振り向くと、敏洋に向かって叫んだ。
「ご主人さま、終わったよ。もう起きてもいいよ」
「ふぅ……。やっとおわったか。
 地面に体温を奪われて、もう少しで本当に死ぬところだったぞ」
「ああ。よく辛抱したね。立派なもんだよ」
 ジャコマに呼ばれて、死んだはずの敏洋が起きあがった。腕をまわしたり、首を振ったりして、固くなった体をほぐしている。
「えっ? えっ?」
 真緒は、いったい何が起きたのか分からず、目に涙をためたまま、敏洋とジャコマを、交互に見つめた。


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